決勝戦
「なあ、ボールを拾おうとしたキーパーの顔面を蹴るってのは許されるの?」
大宮が軍手をはめているのを見て、ふと訊ねてみた。わかってて質問するのだから、自分も子供だな。
「許されるわけねえだろ。反則も反則だ。一発退場」
「そうかあ」
事故に見せかけて仕返しをする案は、やはりやめておいたほうが良いだろう。
結局、今日は一日天気が悪いらしい。雲が厚いせいか、午後の二時半ですでに薄暗いような気がする。
出番を終えた生徒たちが決勝戦の観戦にと、ぞろぞろとグラウンドに出てくる。たしかまだ体育館でもやっているはずだが、キャパシティの問題であろう。
注目をされたくはないな。いじいじと地面を蹴る。
試合開始のホイッスルと同時に、早いパス回しで一気呵成に攻め込んできた。立ち上がりの隙をつくように、強引に一点を奪われる。あっという間の出来事だった。
すると一転、守備的な編成になる。元サッカー部という原口も基本的には後方に控えている。こちらが前のめりに攻めていくと、隙をつくようにカウンター気味に反撃がくる。
ワンツーパスで相手のフォワードをかわして攻め込むと、原口が俺をマークしてきた。稚拙なフェイントに効果はない。体で相手を抑えながら、左足で中にボールを戻す。少し後方に控えていた鈴やんが逆サイドに繋ぐが、高梨のシュートはバーを大きく跳び越える。
「鈴やんじゃなくって良いのかよ」
「どうせシュート禁止なんだから。おまえを潰すほうが優先だ」
「あっそう」
光栄なことだが、まったくもって嬉しくない。
前半だけで相当な往復運動をさせられた挙句、結局得点には結びつかなかった。鈴やんも自陣に残ったり攻め入ったりとあの手この手を試しているが、肝心要のシュートをきっちりと潰されてしまい、上手くはいかない。
あとは後半に挽回するしかないか――と、みんなが一瞬気を許した終盤、それまでずっと守備に徹していた原口が一気に上がり、カウンターのボールをゴール前へと運んでいく。
思わずそちらに体を向けた信楽君を見て、逆サイドを駆け上がった仲間にパスを出す。俺も必死にゴール前に足を伸ばしたが、一歩遅くシュートが決まってしまう。
〇対二で前半を終える。
酸素を求めて顎が上がる。曇天が忌々しい。長い息を吐いて、ゆっくりと呼吸を整える。
コートチェンジですれ違う際、高梨と大宮が睨み合いながら近づいて行くのに気がついた。まさか殴りあいになんてなりはしないだろうが、万が一を考えて、高梨の肩を組んで無理やりに引き剥がす。
「もうちょっと力抜いて蹴れ」
「んなこと言ってもよぉ」
弱音を吐く高梨の背中を叩いて励まし、他のメンバーにも声をかける。長いこと個人競技をやっていたが、チームスポーツも悪くはない。
差は二点。逆転不可能な点差ではない。
「走れ」
後半キックオフ直前、鈴やんが俺に耳打ちをした。なんのことかわからなかったが、とにかくボールが動くと同時に駆け出した。敵中まんまんなかで背後を確認すると、地を這うようにボールが追って来る。
「いっ――!」
受け取ろうとしたボールが足で撥ね上がって、そのままゴール前へと飛んでいく。慌てて落下点に入り、ほとんど飛び蹴りのようにシュートを撃つが、芯で捉えられなかったボールは力がない。キーパーがあっさりと捕った。
「すまん!」
「いやよくやった」
前半にも増して相手の守備は堅い。何往復もするうちに脚が重く、肺と喉が痛くなってきた。
徒労とも思えるシャトルランをしていると、段々と攻められる時間が増えてきた。なぜだろうと思っていると、鈴やんがそれとなく、常に弱気に弱気に流れている。
しかしパスの出しどころを探すその目に、諦めの色は無かった。
サイドに来ている相手を警戒しながら、常に全体の位置取りを確認する。視野を広く、油断なく。
左サイドへとボールが流れ、全体がそちらへ移動する。そろりとマークを外し、ゆっくりと走り出す。パスが飛んでくる。片足で受け、後ろから追って来る原口が見えた。
横にスライドしてかわすが、その一瞬に追い抜いた原口は、こちらへ向き直っている。
こういう場面は今日だけで何度もあった。抜こうにも抜けないので、中央か逆サイドへとボールを出していたが、そのワンパターンな逃げに、原口はそのパスさえも阻み始めていた。
世界が急に、静かになる。
木原も高梨も上がってきている。右足を大きく踏み込んで、体を盾に中を向く。原口はコースを塞ぎに来ている。俺はそのまま軸足側に倒れるようにして、左足でボールをはじいて軸足と原口の裏を通してボールを出す。
倒れる勢いでボールを追う。
歩数が合わない。そのまま左で。いや、キーパーが出ている。
シュートにいった左足をボール手前の地面に落とす。
ほんの少しだけ浮くボール。
体を回転。
原口が戻ってくる。時間はない。このまま――
振り下ろした右足の小指をボールの中央あたりにぶつける。ほとんど真横に蹴り出した。
原口の足はボールのあった空を通過。慌てて逆方向に飛んだキーパー大宮の手は届かない。
そこまでを見届けて、俺の体は地面に落ちた。
勢いそのまま跳ね起きて状況を確認する。ボールはサイドネットを揺らして、ゴール内に落ちていた。
無意識に動いていた手足に感覚が戻り、興奮が背筋を登ってきた。
胸のあたりで小さなガッツポーズを何度も握りながら自陣に引き返す。味方の顔を見ると、妙な気恥ずかしさを覚えて、俺は相手に向き直った。
「あと二点!」
時計は残り五分ほど。差がひとつ埋まっただけで、二組の連中の表情からは余裕の色が失われた。圧倒的な優位にいると、それが崩れただけで追い詰められたような気になる。
残った一点を守ろうとするのではなく、もう一点を取って勝とうと攻めてくる相手の守備は、これまででもっとも薄くなっていた。
相手の攻撃をきっちりと抑えて、信楽君がボールを掴んだのを見てから、俺は一気に駆け上がる。すでに原口が俺を警戒していた。
振り返ると山なりのボールが飛んでくる。速度を緩めて落下点に入るが、原口がぐっと体を寄せてくる。この状態でキープする技術なんてない。素早く周囲を確認し、トラップするのではなく、後から中央を走ってくる木原にボールを預けた。相手のディフェンダーは二人。一人は上がりすぎていて、高梨と競争をしている。
原口が木原のドリブル突破を阻止しに走る。しかしちらちらとこちらへの警戒も怠らない。一等本気になっている。
ペナルティエリアに入る前に、木原は追い詰められ、助けを求めるように俺にボールを戻した。
ゴールと木原の両方を隠すように原口が迫ってきた。木原は木原で、パスに備えてゴールから距離を取ってボールを受けやすいポジションを目指している。
原口の顔には、ちっとも油断はない。稚拙なフェイントも、苦し紛れのパスも、やけくそのシュートだって奴には予想のうちだろう。
前後左右に死角はない。
だからこそ、きっと考えていないことがある。
ドリブルしていたボールを、右脚を這わせるように擦り上げ、踵で弾き飛ばす。
ヒールリフトで飛んだボールは原口を越え、すこし外へと流れていく。彼の脇をすり抜けて、未来位置を予測する。
――間に合う!
少し外に膨らんで、ゴールを向いて落下地点に入る。大宮はすでに体勢を整えている。
速度を左脚に受け止めて回転。右脚へと移す。
狙いを定める。ボールが地面に落ちる寸前、右足で蹴り抜いた。
大宮の正面に飛んだボールは、空中で右方向へと曲がっていく。一瞬、先ほどの残像に囚われていた彼は逆に跳ぼうとしたが、ぐっと踏みこらえてボールを追った。
弾かれたボールは、ゴール前に落ちる。
ボールを押し込むべく走ろうとしたが、俺は一歩も動けなかった。興奮で忘れていた疲労が一挙に押し寄せたように、踵を上げることさえできない。
靴底が地面につかまった。
大宮は倒れている。簡単に押し込める。誰か――
祈るような気持ちでボールの行方を見ていると、視界の端から人影がひとつ、突っこんでいった。
高梨だった。
ほとんどすっ転んだような勢いでヘディングをして、一点をもぎ取り、ゴォンと音を響かせてゴールポストにぶつかった。
土埃の中にのそりと立ち上がって、ボールを見、大宮を経由して俺を見る。
「やァアったぞォッ!」
駆け寄ってくる高梨は、鼻からだらだらと血を流している。タックルと呼ぶべき勢いのハグをしながら、
「血! おまえ、血!」と、悲鳴を上げる。
俺から離れたと思うと、同じ勢いで他のチームメイトに駆け寄っていく。鈴やんはかるくいなして抱き止めて、じっと顔をのぞきこむ。それからコート外に目をやって叫んだ。
「加藤! 交代っ!」
「えっ? 俺?」
指名されて困ったふうを装いながら、いそいそと準備を始めるのを、高梨が不満そうに文句を言うが「せめて血を止めて来い」と一蹴された。
しぶしぶ高梨は交代したが、終了のホイッスルまでに彼が戻って来ることはなかった。得点も二対二のまま終わった。




