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走り出したら  作者: 肉団子
4章
74/124

私が相手する



 キックオフの笛と同時に、鈴やんが二回戦は厳しいと言った理由がわかった。一回戦とは声からして違う。みんなが積極的に攻めてくるのがわかった。

「パスッ!」

 声が背後を通っていく。慌てて戻るが、パスは相手の足元に入る。しかしドリブルをする間に追いつき、ゴールに近い今、縦ではなく横を警戒する。出しどころに困ったボールを戻そうと後ろに蹴るのを、どこから走りこんだのか、鈴やんがカットした。

 すかさずセンターライン付近でサボっていた高梨がゴール前に走る。鋭いパスが追いつくが、トラップミスして転がったボールを、キーパーが確保した。

 攻守はめまぐるしく入れ替わる。そのたび俺は行きつ戻りつダッシュと反転を繰り返す。波打ち際でのた打ち回る海草とさして違いはない。

 体が温まるのに合わせて気持ちも熱を帯び始める。

 相手のシュートを間一髪、体で止め、零れたボールに二本も三本も足が伸びる。どちらが確保したかを瞬時に判断するのは難しい。なにせ服装は同色の体操着である。足元に注目していると、それがどちらの足なんかなんて判別がつかない。上半身に視線を動かして、ビブスの色を確認して「あっ」と焦ることが幾度もある。

 得点が入らないまま前半が終了した。ハーフタイムという名のコートチェンジが行われ、一分もしないうちに後半が開始される。

 歩きながら鈴やんは、一人ひとりに声をかける。

「木原キーパーに取られても良いから枠内にな。高梨はもうちょっと落ち着いて周りを見ろ。渡部と信楽君は良い感じだ、よく守ってる。黒沢はもっと走れ」

「ええ……俺これでも結構走ってるんだけど……」

 肩で息をしながら不満の声を漏らすと、鈴やんは俺の背中をぽんと叩いた。

「もっとだ、もっと。遠慮すんな」

 遠慮をしているつもりはなかったが、経験者のアドバイスなのだから心に留めておこう。

 後半も一進一退の攻防が続くが、相変わらず得点にはつながらない。刻々と時間だけが過ぎていく。

 鈴やんは絶えず周囲に気を配り、サポートに徹している。自分で行けば良いのにと思うが、相手もそれを警戒して特に厳しくマークしていた。

 遠慮すんな――

 懐かしい少年の声が遠い過去から聞こえてくる。

 俺は生まれて初めて体育の授業を欠席しようかと悩んだ。母親が来るからだ。授業参観の日、おりわるく寝込んでいた母が振り替え授業参観にやって来た。あれもたしか、冬の日だ。

 普段だって恥ずかしいのに、自分一人の母親がいるせいで、輪をかけて恥ずかしい。隣のコートから、女子たちが俺の母親を見ていることも嫌だったし、その母が先生にしきりに頭を下げているのも気恥ずかしかった。

 サッカーが始まっても、俺は適当にパスを回して極力目立たないようにして、集団に紛れていた。その様子を見かねた佐田というクラスメイトが俺のところへ駆け寄ってきた。

「遠慮すんな」

 と、彼は少々的外れなことを言った。「ゴール前に走れ。オレがパスを出してやる。今日はおまえの日だ」

 肩を力強く叩いて、佐田はボールを取りに走った。恥ずかしさがなくなったわけでも、気遣いが嬉しかったわけでもない。ただ、来ると分かっているパスを見逃せるほど、大人しい性格をしていなかっただけだ。

 自陣のゴール前でボールの奪い合いをしている。俺はセンターラインの近くでそれを見守っていたけれど、味方がボールを確保するのが目に入った。

 半身になって背後を確認しながら走る。佐田にボールが渡ったのを見て、俺はゴール前に駆けて行った。

 ぼむ――と、すこし間の抜けたボールを蹴る音が耳に届いた。振り返ると確かにこちらへ向かうボールを見た。けれども落下地点を考えずに走っていた俺はもう、そこを超える勢いで突っこんでいた。

 必死にブレーキをかけて飛び上がり、すでに背後に回ったボールに、苦し紛れに足を伸ばした。踵にボールが当たる感触。あとは頭から地面に落ちた。

 ゴールが決まったのかどうか、それはよく覚えてはいない。はらはらとした様子の母親と、嬉しそうにVサインを送ってくる佐田の笑顔が記憶にあるということは、きっとあの日は、たしかに俺の日だったのだろう。

 今にして思えば、自分の家が特殊なのだと思い始めた最初の日でもあるわけだが。

 俺の上げたセンタリングが木原と合わず、力ないシュートをキーパーが拾った。

「上がれ!」

 叫ぶと同時、ぶうんと腕を振って、一気にボールを運ぶ。曇天を泳ぐそれを見上げながら小走りに戻る。視線を落下地点へと移すと、鈴やんが相手の一人とポジション争いをしていた。

 引き返す足をとめて、駆け出す準備をする。

 鈴やんはボールをトラップせず、そのまま味方にパスを出した。俺はそろそろと走り出す。

「修一っ!」

 声がした。振り返る。ボールは弧を描きながら俺の前に飛んでいく。サイドラインを割るだろう軌道。

 限界まで加速する。

 ゴールの位置を見る。

 確保をする余裕はない。踏み切った右脚を、勢いのままに前方へ伸ばす。タッチラインぎりぎりで右足に触れたボールは、ぽんと跳ねてまた弧を描く。

 シュートを警戒してこちらへ出てきていたキーパーの頭上をゆるゆると超えてゆき、そのままゴールネットを揺らした。

 転げそうになるのを堪えて自陣へと引き返すとき、小さく拳を握ってしまって、妙な恥ずかしさを覚えた。

 試合はそのまま一対〇でホイッスルが鳴った。

 ほとんど暴力のような祝福を受けながら、さきほどの声について考えた。鈴やんの声だった。記憶違いでなければ、下の名前で呼ばれた。

 しかし俺の頭を鷲掴みにした彼は、

「ナイスシュート、黒沢」

 と、子供っぽく笑ったのである。


          ○


 格好良かったな。

 内田麻衣は体育館の階段を駆け上りながら一人微笑む。勝ったことよりも、黒沢修一が活躍したことが内田には嬉しかった。

 踊り場の高窓の縁に体育館シューズが並んでいる。物臭な運動部員がかってに荷物置き場にしているのだ。内田はこういう何気ない学校の生活臭が好きだった。

 体育館はいよいよ決勝の熱気に包まれている。今は一年生の出番だ。けれども自分より小さな子がいないので、内田はすこしだけむっとする。可愛げがない。ほんの数日前、集団登校をする小学生の中に、自分より大きな女の子を見つけた。名札の色を確認するとまだ五年生。あんまりショックだったから学校を休もうかと考えたほどだ。

 体育館の隅にチームメイトを見つけた。ちょうど体育館の反対側に、決勝の相手もいる。その中に藤井の姿を認め、内田はにわかにやる気が増した。

「サッカーどうだった?」

「決勝進出」

「おお!」

「負けてらんねー」

 活気付く彼女らをよそに、内田はジャージを脱ぐ。ゆっくりと深呼吸をして、腕を伸ばす。指先を見る。爪は昨夜切っておいた。

 軽く体をほぐしていると前の試合が終わった。

「円陣組む?」

「いいよ、恥ずかしいし」

 冗談を言い合うクラスメイトと整列する。礼をして、ジャンプボールに入る。人生で一度もジャンプさせてもらったことがない。小学生のときは運動が苦手だったし、今では身長が足りないし。

 羨ましがって代表者を見ていると、相手は藤井だった。彼女は内田を忌々しげに睨み、「ふんっ」と声が聞こえてきそうな感じに視線を正面に向け直した。

 なんだろう。心当たりを探したが、ちっとも思い当たる節がない。

 バスケットボールが高々と上がる。頭を切り換えて、身体から力を抜く。

 試合展開は一進一退の攻防というべきか、総合的に見て実力は拮抗していた。しかし相手には経験者がいる。同じだけ攻め込みながらも、得点の確実性が違っていた。じわじわと点差は離れていく。

「あれ、私が相手する」

 差が二桁に乗ったところで、内田がチームで一番身長の大きな平野に声をかけた。上背でなんとかしようとしていたけれど、そもそもの運動能力に開きがあった。

「ありがと、助かる」

 平野はほっとしたように顔の汗をぬぐう。簡単に抜かれてばかりで、責任を感じていたのだろう。

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