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走り出したら  作者: 肉団子
4章
73/124

球技大会



 十月末のその日は曇天だった。

 晴れてくれたほうが嬉しいが、屋外で走り回るうちに暑くもなるだろうとどうにもならない空を見上げるのはやめにした。

 考え事の大半は考えてもどうしようもないことだ。そして残ったわずかなものは、考えなくても良いことだ。

 俺はなんとなく自分の足首を見る。特徴のない足だ。科学雑誌で見た黒人スプリンターのアキレス腱は、一目でわかるほどに長かった。走るための身体だと思った。

「なあ、大宮って何組なの?」

 高梨は俺の質問に、痛みを思い出したように苦い顔をした。

「二組」

「逆ブロックかー……」

 直接対決をするには決勝に進まねばならず、勝てば自然と優勝である。なんともやりがいのない。盆と正月が一度に来たら、忙しさよりもこういう肩透かしの気分を味わうだろう。

「っていうか、二組が勝ってくるとは限らないよな」

「いや、それはないと思う」

 いつの間にかすぐそばに来ていた鈴やんが断言する。彼もまたトーナメント表をじっと見ている。

「どして」

「よそのメンバーも確認したけど、二組に原口がいるからなあ。サッカー上手いから」

「サッカー部?」

「元、な」

「そりゃ安心だ」

「あとな、一回戦は楽勝だから、好きに動け。準決勝はちょっと厳しい。昼休みに作戦会議だ」

 無表情のまま、教科書でも読むような調子で宣言すると、手をひらりと振ってジャージの群れに紛れていった。

 球技大会はおそろしく過密スケジュールで行われる。学年男女別の三種目ずつで、十八の個別の大会が開かれるわけである。友人の応援、一回戦出場、その他諸々の移動が重なり、およそ落ち着いている人はいない。一回戦で負ければあとは自由時間なので、暇になるのだが、そうなっては困る事情がこちらにはある。

 トーナメント表を見ると、一回戦の相手は八組。午前一〇時三〇分からである。別の山を見てみると、クラスメイトたちはそれより前に試合が始まっている。女子バスケットボールは一〇時から。

 前半だけでも見に行こうと心に書きとめておき、とりあえず軽いジョギングに出かけた。



 歓声とかけ声が木霊する。間を縫うように、ゴムの靴底と体育館の床が擦れる音が響く。手前のコートではバレーを、奥のコートではバスケをしていた。邪魔にならないように外廊下を通って舞台そばに歩いていく。

 水泳部も使わなくなったプールが、物悲しく風に波を立てていた。そのうちに緑色の藻に沈むだろう。

 体育館をのぞくと舞台上に千佳の姿を見つけた。観客の間を通って舞台に上る。

「ああ、修ちゃん」

 千佳は目ざとく俺に気がついた。「頑張ってるよ、麻衣」

「そりゃ良かった」

 得点表示は舞台側にあるらしく、あいにくこちらからは見えなかったが、千佳の口ぶりからして負けてはいないだろう。

 バレーもバスケも屋外にもコートが作られており、一回戦から体育館を使える彼女らは幸運だ。

 よくよく見ると、千佳の髪はいくらか伸びている。また長くするつもりなのだろうか。俺の視線に気付いてか、千佳はコートからこちらに顔を向けた。

「打ち上げ、どうなった?」

「みんな来るって」

「そう」

 物のついでに優勝を目指すことを決めたとき、ふいにそんなことを思いついた。打ち上げという名目で、それとなく高梨を励ましてやろう。まあしかし改まった言葉など口にはできないだろうから、結局はただの打ち上げになると思うのだが。

 そうなると誰を呼ぶかを考えないといけない。事情が事情だけに、なるだけ身近で済ませたかった。まっさきに誠を誘うことを決めた。それから仲を取り持つように頼まれていた千佳を誘わないと、後でうるさいだろうから声をかけた。そうなると不自然でないように別の女子を呼ぶべきかなと考えて内田を誘った。

 一番渋りそうだった誠は案外と素直に肯いた。ただ一言「他は?」とだけ訊ねてきたので、以上の経緯を千佳の感情については誤魔化しつつ話した。

「なるほど」

 と、意味ありげににやついたのは、気のせいだろうか。

 バスケの試合はゆるやかな優勢だった。内田は小兵なりの戦い方を心得ている。すっかり忘れていたが、休み時間には男子に混じってバスケなりサッカーなりに興じていた女である。なれたものなのだろう。

「そういやさ、藤井って女、バスケ部なんだよな?」

「え? ああ、うん」

「出てるの?」

「さあ。でもたぶん、出てるんじゃない」

 千佳の返事は、どこか上の空だった。



 前半が終わったところで内田に一声かけてからグラウンドに戻った。

 競技名はサッカーではあるが、人数もピッチのサイズもフットサルと呼ぶほうが的確だ。普段の授業では口やかましいが、球技大会においてはジャージ着用での参加が認められる。

 サッカーは二面で行われる。ゴール同士が背中合わせの縦に連なっていた。少し距離を開けてグラウンドの奥ではドッヂボールが行われている。

「でよ、キーパーは誰がすんの?」

「俺がする」

 胸を張ったのは信楽君だった。「昔、キーパーやってたから」

「デブだったの?」

「ちがわい。サッカーやってたんだよ、小学生のときだけど」

「へえ、見えねえ」

 チームメイトはリラックスしている。鈴やんの楽勝宣言は、おそらく全員の耳に入っているのだろう。当の本人もまるで気構えをする風もなく、寒さに首を竦めてぼんやりとボールの行方を追っていた。

 定刻通りに試合開始の笛が鳴った。

 八組は理数系クラスである。一年の終りから進学を考えていた連中で、だからか体の線は細い。動きからもやる気を感じない。唯一まじめにやっているのは、現役陸上部の眞鍋一人だった。

 開始早々、やけくそ気味に放たれた相手のシュートは信楽君の真正面に飛んだ。彼はそのボールを仲間足元に転がし、自分に戻すように要求する。二度三度とそういうことを繰り返すのを、テレビで良く見る光景だなあと他人事のように眺めていると、信楽君は唐突に敵陣に大きくボールを蹴った。慌てて戻った眞鍋を背負いながら、鈴やんは簡単にキープして、高梨の前にボールを出す。

 サッカー部はシュートを認めないという暗黙のルールがあるが、あっさりと一点目を奪った。

「なるほど、楽勝だな」

 呟きながら自陣に戻る。

 試合は終始優勢だった。一人気を吐き続ける眞鍋は大したもので、攻撃に守備にと走り回り、そのうえやる気の薄いチームメイトにもパスを出し、ともかく全員が楽しめるように勤めていたように見えた。

 なるほど、部長を任されるだけはある。

「すごいな、おまえ」

 小走りに近付いて声をかけると、眞鍋は意外そうに目を見開いた。

「ボロ勝ちしといてよく言う」

「じゃなくってさ――」

 高梨からの山なりのパスが俺たちの頭上を越えていく。眞鍋と肩をぶつけながら走りこみ、ボールをトラップして急ブレーキをかける。勢い余って離れた眞鍋から距離を取りながらシュートを撃つが、左足で蹴ったボールはカーブを描いてゴールからそれてしまった。

 そうか、左右で曲がりは逆になるのだ。

 ほとんど無抵抗の相手に練習がてらの勝負を終え、五対〇の快勝だった。

 眞鍋はその結果にもそれほど落ち込んだ様子はなく「大会だって近いからな」と、まったく別の目標について闘志を燃やしているふうでもあった。

 二回戦は午後一時からだった。二時間の自由時間が生まれた。腹の調子も考え、早めの昼食を摂ることで意見がまとまった。

 屋外の騒がしさが、どこか遠く感じられる校舎内は、静けさがそのまま寒さになったようである。体育祭と同様、七組が男子の更衣室兼荷物置き場である。

 蛍光灯の消えた室内は、もう冬めいた暗さを感じさせた。気温一つで同じ暗がりでも、梅雨のころとはまったく違って見えるのが不思議だった。

 暑さ寒さと幸不幸の感情がリンクしているという話を、どこかで聞いたことがある。この間の昼寝のときは暖かかったなあと、内田の横顔を思い出す。

 室内がチカチカと蛍光灯に照らされて、頭に思い浮かんだ種々は、教室の闇に消えた。代わりにどうでも良いことを思い出す。

「蛍光灯ってさ、すっげえ点滅してるらしいな」

「あん?」

 各々が天井を見上げる。「それがどうした?」

「どうもしない。飯食おうぜ」

 本当にどうもしないのだろうか。俺は自分自身の考えが、なによりも理解できない。目に見えぬ速度で点滅する蛍光灯のように、高梨と馬鹿をやる自分の裏側に、実は知らない黒沢修一が生きている気がしてならなかった。

「とりあえずキーパーは信楽君でいこう。良かったぞ、さすが経験者だ」

 惣菜パンを食べながら、鈴やんは褒めた。

 たしかに信楽君は上手だった。何度かあったピンチを、すべて危なげなく処理していた。

「そんで、高梨と木原がフォワードだ。積極的に行け。黒沢と渡部がディフェンス。左右はさっきの試合と一緒で良い。で、俺がミッドフィルダー。とはいえ人数が少ないから、攻撃も守備も全員でやるから、まあ目安だな。あと黒沢」

「おう?」

 特別に呼ばれてしまい、少し驚く。

「おまえは特に走れ。攻守両方共、自分でやるんだって勢いで」

「……なんで俺だけそんなしんどそうな」

「向いてるから」

 うすく笑みを浮かべるのが、嫌味なのか自信なのかがわからなくて、俺は困った表情を浮かべながら肯くしかなかった。

 攻守に走り回れと言われて、頭に思い浮かんだのは延々とボールを追う犬の姿だ。まさかこいつ、俺を良いように使おうとしているんじゃなかろうな。

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