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走り出したら  作者: 肉団子
1章
7/124

ふいに視線を感じた

 気がつくと、さっさと測定を終えた連中が好きに雑談をはじめていた。俺もそろそろ次を跳ばなくてはと思っていると、鈴やんが「終わったから」と言って代わってくれた。

 鈴やんとは、もちろんあだ名だ。

 一年生のとき「鈴木くんヤンキーなの?」と、彼のクラスメイトが訊ねたのを面白がってからかっているうちに定着してしまったらしい。らしいというのは、俺が鈴やんを知ったときにはすっかり鈴やんと呼ばれていたからだ。

 ヤンキーと言われてもしょうがない態度と長髪が目立つが、基本的には気の良い奴である。学校をサボったり、たまに喧嘩をしたりする程度のもの。サッカー部で汗を流す姿は案外まじめなスポーツ少年である。

「あ、そういやさ、遠足の班分け聞いた?」

 鈴やんはこちらも見ずに、

「聞いてねえけど」と答える。

「おまえサボってたから、うちの班に入れといたぞ」

「他は?」

「高梨とギャル美と内田」

「げ」

 鈴やんは唇をひしゃげた。「なにその組み合わせ」

「武内が男女混合って決めやがったから」

 話し合いが始まって、昼寝に没頭するあまり存在を忘れられかけていた内田を、面倒見が良いのかギャル美が拾い、人数の問題でいつものメンバーと違う班にいくことになってあぶれていたのを、遠足で何か目立てないかとわけのわからない相談をされていたせいでまだ二人だった俺と高梨のところに合流した。そして唯一、四人グループだったところが鈴やんを引き取った、というのが一連の流れだった。

 わざわざ彼に語るほどのこともないけれど。

「ま、いいや。了解」

 どうでも良いというふうな仕草で、鈴やんは話を打ち切った。

 スタート位置に戻り、トンボをかけている間に靴に入った砂を出す。靴を履き直しながら周囲を見れば、もう俺の他には二人しか残っていない。あとは適当に列を作って座っている。なんとなく気配を感じて背後を見ると、体育館から更衣室へむかう女子の数人が、わざわざ足を止めこちらを見ていた。素直に戻ればいいのに。

 なんだか緊張してきた。小心者だと自嘲する。

 意識して呼吸を深くする。踵を浮かせて身体を上下させる。拇指球に体重が乗る感覚をたしかめてから地面を蹴った。リラックスして足を伸ばす。踏み切りラインが迫る。

 踏み切り一歩前の左足を大きく出し、歩幅があっていないことに気がつく。まずいと思うと同時、白線上につま先を無理やり落とし、つんのめりそうになる力をぐっと右脚にため、窮屈な態勢から、弾けるように足裏で地面を叩いた。

 身体が弓なりに反る。宙をかくように、歩くように手足が動く。両足が砂場に刺さり、重心が後ろにあった。前に引っこ抜く力はなく、そのまま落ちていく。せめて手はついてなるものかと、必死に抵抗して尻だけを砂場につけた。

 靴やズボンに入った砂と格闘するうちに、記録係は仕事を終えて列に入っていた。記録を聞き逃してしまったが、あんなギリギリの跳躍で記録が出たとは思わなかった。

 自分のスペースの空いた列に加わる。武内体育教諭が記録容姿に目を通していた。

 信楽焼きのたぬきに似ているからという理由で、信楽君と呼ばれるクラスメイトに「転んでやんの」と肘でつつかれた。「うるせえ」とつつき返す。

「今のとこ学年一番は五組の山本だけど……あー、記録更新はないな。この中だと、おっ、五メートル四七で黒沢が一番だな。次が五メートル三五の眞鍋か。他のみんなも良く跳べてるぞ。去年なんかひどいもんだった」

 肘をぶつけ合ったまま、信楽君と目を合わて固まった。五メートル半?

 にわかには信じられないままチャイムが鳴った。外靴を校内用のスリッパに履き替え、更衣室に入る。

 更衣室は体育館の一階にあり、コンクリートの箱である。出入り口からみて左右に、鉄製のうんていのような棚が並んでいる。汗と、汗拭きシートや制汗スプレーのにおい、それから埃と土のにおいがまじった、独特の空気が滞留している。

 青春の臭いといって相違ない。

 照明がつけられることはほとんどなく、天井付近の高いところから入る光だけが、頼りなく室内を照らしている。

 体操服を脱いだ瞬間、バチン! と背中を叩かれた。

「――ッてえ!」

 身をよじりながら振り返ると、俺が犯人だと言わんばかり、右手をひろげた高梨がニィっと笑っていた。

「すげえな、黒沢。五メートルいくらって、すげえな!」

 反撃してやろうにもすでに学ランまで着終わっている。ビンタしてやろうかという気持ちをぐっとこらえ、背中をさする。

「今のおまえの言葉、自分で思ってるよりずっとバカっぽいからな」

「んだよ、褒めてんのに」

「って言われてもな。転ばなきゃもっと記録伸びたって思うと」

「あーあれな。でもおまえ、良い場面でポカやらかすの特技だろ」

「そんな特技はない」

 特技はないが、思い当たる節はあった。

「つうか黒沢、俺より目立つんじゃねえよ」

「あ?」

「興味ねえって感じだったのに」

「体育をまじめにやって責められる日がくるとは思わなかったよ」

「そういや特技で思い出したけどよ、この前の話」

「この前?」

 学ランのボタンをとじながら問い返す。モテたいのなんの以外になにかあっただろうか。

「健康診断のときに内田がどうのって話、したろ」

「ああ」

「クラスの子に聞いたけど、いつも寝てるか寝ぼけてるかだよねって」

「それはこの一、二週間で見て知ってる」

「あと、よく食べるのに痩せてていいなって」

「内田は運動してるからな。最近の子は、動かず痩せようとするからいけない」

 目先の数字にとらわれすぎなのだ。人間の目は、体重計や体脂肪計ほどの高性能ではない。健康的か不健康的かしか見抜けないものだ。

「ま、つまりはいい子だってことだよな。よく食べてよく寝て。そのわりには育ってないけど。一部以外は」

「寝るのが学校ってのは、どうなんだ」

 気付けば他の連中はほとんど更衣室から出て、次の授業にむかっている。さりとて慌てることなどないが。

「あれ? 黒沢、内田のこと見てんの? ……あー! そういうことね!」

 頭は悪いくせに、妙なところで鋭い男だ。なんと言って否定したものか、口を開きかけたとき、ふいに視線を感じた。

 きょろきょろと更衣室内を見渡す。更衣室で次の授業をサボろうとしている奴、趣味話で盛り上がって、時間など気にしていない奴ら。流しにある鏡で、髪を整える連中。誰とも視線は交わらない。

「黒沢。どったの?」

「いや……誰かに見られてる気がして」

「おまえー、今の自分で思ってるよりバカっぽいぞー」

 ここぞとばかりにやり返してくる高梨。

「アホか。第六感ってのはあるんだぞ。まあ五感も覚えてなさそうな高梨には関係ない話だけどな」

「そこまでじゃねえよ」

「じゃあ言ってみろよ」

「目が視覚だろ? 耳が聴覚。鼻が嗅覚で、舌が味覚……いまいくつ?」

「四つ」

「ええっ」

 高梨は不安そうに声をあげ、ひとつひとつ触りながら確認していく。

「しょ……触角?」

 と、自分の額に指で角を生やし、高梨は言った。

「おしいなあ」

 よくもまあ、高校生になれたものだな。

 ひらがなで部分点をもぎ取ったのだろうか。

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