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走り出したら  作者: 肉団子
4章
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高く澄んだ秋空に

 九月末で前期生徒会は解散し、高梨は晴れて自由の身となった。

 学校内の変化といえば、生徒会役員と文化部を含めたおおかたの部活動から三年生が姿を消したことくらいだ。学年に限って言うならば、いよいよ受験が本格化し始めた気配がある。指定校推薦の校内選考は終了し、彼らは小論文や面接の練習に追われている。それから、就職組の生徒から内定者が出た。進路決定の第一号である。

 それから漂い始めた肌寒さのように、学校が俺たちを追い出す準備を着々と進め始めていた。具体的に言えば、卒業アルバム制作委員の募集がかけられたことである。集合写真をどこでとるか、各クラスのページをどうするかなどの話し合いと、実際の作業があるらしい。当然俺は手をあげなかった。アルバム用にとカメラが持ち込まれ、休み時間や放課後、ときには授業中にもシャッターが切られた。

 そのようにして、俺の後期は始まった。



「おまえ、まだ決まらんのか」

 武内に呼び出され、体育教官室にのこのこと出かけたら、心底困り果てたというふうに言われてしまった。

 コーヒーと汗の臭いが充満している。壁越しに聞こえてくる青春の掛け声は、壁よりも分厚い一年の隔たりがある。整頓された机の一つもないのを、ぼうっと見ながら応える。

「まだ一ヶ月くらいありますし……」

「もう一ヶ月しか、だ。資料取り寄せたり、オープンキャンパス行ったりしなかったのか?」

「これがもうさっぱり。ああ、でも模試受けたとき配ってたんで、二冊はありますよ」

 ギャル美と遭遇したものと、別にもうひとつ受けていた。それぞれ会場が別の大学だったので、運良く手に入れたというわけである。

「あのなあ……せめて学部とかないのか」

「理系は無理でしょう? クラス、文系ですし」

「無理ってことはないが、まあ無理だな。でも黒沢、数学の成績良かったろ」

「それなりに」

「どうして理数クラスにしなかったんだ? 理科苦手か?」

「いえ。理科は好きです」

「ふむ。もし希望するなら――」

「いや、でも大学に行くほどでは」

 武内は大きなため息をつき、目頭を押さえて天井を見上げた。そのまま大きな手で頭を揉む。行き詰った中年サラリーマンという感じがして、むしろ行き詰っているのは俺なのになとおかしくなった。

 なぜ自分の進路のことなのに、こうも他人事なのだろうかと不思議におもう。

「そうだ、模試!」

 光明を見出したとばかりに、武内は顔を上げた。「結果はどうだった?」

「えっと……」

「……まあ、その結果と相談するか、やりたいことを見つけて絞るか、とにかく漠然と考えずに、どうしていきたいかを考えろ」

 話を始めたときより五歳ほど老けて見える武内が、手で帰って良いと指示する。頭を下げてから外に出た。

「どうしていきたいか、ねえ」

 高く澄んだ秋空に呟く。対蹠的に俺の頭には靄がかかったように不明瞭だった。考えようとすればするほど、脳みそは動きを鈍くする。これまで物理的に回っていたのではないかと思えるほど、停滞するのが感覚としてわかる。

 部活動に勤しむ集団に、ひときわ小さな少女がいる。内田麻衣。彼女のことを考えるときも、同じように頭が麻痺してしまう。どうにかしなければいけないとうことは嫌というほどわかっている。もがけばもがくほど深みにはまるようだ。

 告白の返事はまだだった。

 まっすぐ教室に戻る気になれなくて、ふらふらと校内を散策した。廊下をわたる誰かの声、黒板の落書き、千切れて残ったポスターの隅、低い金管楽器の音色にまで、学校が俺たちとの別れを惜しむように物悲しさが宿っている。

 たぶんそれは勘違いで、きっと俺自身が去り難いだけなのだろうけれども。

 たっぷり遠回りをして教室に戻る。アルバム委員が写真の選定をしている。そこに高梨が混ざっていた。

「おおう、やっと釈放か」

「釈放って」

「それじゃ、オレ帰るから」

 言って、高梨は鞄を持ってこちらへ来る。俺も自分の鞄を拾って、教室を出ようとしたとき、

「あっ、待って」

 と、ギャル美の声がした。

「ん?」

 二人して振り返った瞬間、シャッター音が耳に届いた。

「アルバム用にね、ってうわ、同じ顔してる」

「高梨と同じ?」

「冗談はよせよ」

 俺たちは声を揃えた。「俺のほうがかっこいい」

 互いに相手の顔の悪い部分をあげつらいながら帰路につく。それにもすぐに飽きてしまい、そのうちどちらも黙ってしまった。

 自転車で並走する高梨が、狙っていたように話題を変えた。

「告白されたんだ」

 俺は心臓を掴まれたような気持ちになる。

「えっ」

「だからァ、告白されたんだよ、オレ」

「あ、おまえがか……えっ? おまえが?」

 高梨のほうを見ると、照れたように頭をかいている。口元のはにかみがなんだか憎たらしい。

 車のクラクションで正気を取り戻し、俺は前に向き直る。

「えっ、誰?」

「二組の良子ちゃん」

「……いや、知らんけど」

 そうは言っても二年と半分を同じ学校で過ごしている。奥歯に詰まったもやし程度には、覚えがあるような気はする。

「で、どうすんの?」

「付き合うよ、当たり前だろ」

 その答えがあまりにもまっすぐで、俺は耳が痛かった。

「そうか。おめでとう」

「おう」

「じゃあ、もう目立つだのなんだのってのは、終わりで良いんだな」

「そうなるな」

 高梨の声は、いつになく弾んでいた。なんとなくこちらまで嬉しくなるのはどうしてだろう。



 日が暮れてしまうと、ぐっと気温が下がるようになった。息苦しい湿気はいつの間にかなくなっている。半袖だと寒いと思うほどだが、ランニングにはちょうど良い。いきおいペースは上がりがちだった。

 十二分に温まった身体をほぐしながら公園を歩く。いつものベンチに、内田がちょこんと腰かけていた。

 一足早く長袖に衣替えをしている。記憶違いでなければ、内田と初めて遭遇したときと同じ装いだった。黒い薄手のパーカーにスパッツ。髪を後ろで束ねている。

「よう」

「こんばんは」

 内田の隣に座って、ベンチの冷たさにひやりとした。一日を長いと感じるようになってから、一年がものすごい速度で過ぎていくようになった。

 虫の声は高い。その音色がまた涼しさに拍車をかける。

「そろそろ中間試験だね」

「そんなものはない」

「いやいや、あるよ」

 たしなめるように言う。彼女はいつも通りに見えた。こちらが後ろ暗い分だけ、不気味なほどに。

 返事を用意できていない身で話を蒸し返しはできないが、内田は内田で返答の催促をしてこない。ひょっとしたら聞き違いだろうかなんて虫の良いことを考えようとするが、やはりあれは事実だ。

 文化祭から半月以上経つけれど、内田はそのことに一度も触れようとしていない。

「まあ、いつも通り赤点は回避できるだろうし。心配はないんだけどさ」

「そこだよね。どうして? 私、試験勉強してやっとこさだよ」

「授業をちゃんと聞いていればな」

「聞いていればねえ」

 疑わしげに目を細める。たしかにあまり聞いていないかもしれないけれど。その分、教科書はちゃんと読んでいる。

「考えたら俺、試験勉強ってしたことないや」

「え? 受験は?」

「教科書見直したけど、それを受験勉強って言う?」

「ちょっと腹立ってきたな」

「なんで」

「遠野みたいなこと言うから」

「ああ」

 遠野誠と内田は小学校から同じだったはずだ。趣味嗜好からして相性が悪そうだ。

 きっと内田は思考が短距離型である。短絡的と言っても良いが、ゴールまでの最短距離を最速で駆け抜けることだけを考えるタイプだろう。対して誠は長距離型だ。駆け引きを含めたペース配分をきっちりと頭に置いて、機械的に処理していく。

 まあ、短距離は短距離で考えることがあるのだが。

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