三大欲求ってさ、どっちなの?
ともかくそのようになって、ギャル美と鈴やんは先に行った二人を追いかけた。
遠く水平線から沸き立つような入道雲が見えた。空も海もまばゆいほどに青く、その雲ばかりが眼に沁みるほど眩い。
砂浜は灼けるように熱くて、ほとんど悲鳴をあげながら海まで走った。鈴やんが笑いながら後から来る。
「あんたみたいに足の皮、厚くないの」
「なんも言ってないだろ」
しかしその顔は、言葉以上に雄弁に、ギャル美の挙動がおかしかったことを馬鹿にしていた。
押入れから引っ張り出してきたシュノーケルとマスクをつけて浅瀬を泳ぐ。透き通ったそれは、夏の陽光をやわらげて、ゆらゆらと模様を描いている。小さな魚が波に揺られながら泳いでいる。
眞鍋が良いところだと奨めたのは、彼の祖父母宅の近くだった。車で三時間以上もかかてしまったけれど、その価値は十分にある。
助手席に座った内田と話しをしているうちに着いた。高速道路とは本当にありがたい。ほとんどオートマチックに長距離を移動できてしまう。
後ろから鈴やんが、しきりに運転について質問をしてきていたからあまり気にしていなかったが、そういえば黒沢はずっと大人しかったような気がした。
ひとしきり遊んでからビーチパラソルに戻ると、黒沢は砂を掘って斜面をつくり、そこにすっぽりはまるように寝転んでいた。
「なに……してんの」
「ギャル美って屋根で寝たことある?」
「ないけど」
「あれなあ、ちょっと足が下がってるのが気持ち良いんだよ。土手で寝転ぶのもそうだな」
ビーチチェアみたいなものだろうか。
「私、休憩するから泳いで来ていいよ」
「いやあ、とりあえず寝たい」
「体調悪いの?」
「そういうことじゃないんだけどな」
「黒沢ァ」
鈴やんがからかうような声で寄ってくる。「おまえ、まさかカナヅチか?」
「まさか」と、鼻で笑った。
高梨が内田と喋りながら戻ってきて、どこから聞こえていたのか「勝負するか?」と提案した。
「勝負なあ……」
言い方こそ気だるげだったが、黒沢はのそりと獲物に飛びかかる直前の猫のように滾っている。
「あの小島まで往復な」
高梨が言うと、なぜか本人と内田を含めた四人がスタートの構えを取る。全員が全員ともがギャル美を見る。
「はい、どん!」
投げやりに言う。ばっと巻き上がった砂がギャル美にかかった。なにもそこまで……。どんどん小さくなる彼らをちらちら確認しながら、ビニールシートと鞄に積もった砂をはらう。
競争は黒沢が一着で帰って来た。右手を突き上げてのっしのっしと砂浜を歩いてくる姿は、もっとまともな理由での争いならきっと様になっていただろう。
全員が戻ったタイミングで昼食になった。海の家で適当に注文する。運転するかわりに給油が必要だった場合それを含め、ギャル美はお金を支払わなくて良いという決まりだった。贅沢してやろうかとも思ったけれど、食い意地が張っていると思われるのも嫌で、カレーライスだけを頼んだ。
一番注文したのは、内田だった。ラーメンと焼きソバをぺろりと平らげて、「ちょっと近くを散歩してくる」と先に席を立った。その際、ちらりと目配せをされる。
「しっかし、あいつはよく食うなあ」
高梨が内田の背中を見て、感心したように言う。
「よく動くしな」
と、鈴やんが同意する。
「俺、ああいうほうが好きだな。食わずに痩せる奴の気が知れない」
黒沢の声に、全員が彼を見た。
「なに?」
「なにって事ァないけどな」
昼食を終えてしばらく、海の家で休息を取る。調理場をのぞく三方はひらけていて、海風が吹きぬけていく。日陰に置かれた畳はひんやりとしていて気持ちが良い。
「オレさ、ちょっと気になってたんだけど」
食後のソフトクリームを食べながら、高梨が真っ白なビーチを見ながら言う。「人間の三大欲求っての? あるだろ」
「五感も覚えられないくせに、よく覚えているな」
「うるせえ」
五感を覚えていない? ギャル美はまずその冗談に笑い、高梨が否定していかいことに気がついた。まさか、そんな高校生……。
「で、欲求がどうしたって」と、鈴やんが促す。
「たしかさ、食欲と睡眠欲と性欲だろ?」
「うん」
「内田ってよく寝てるだろ?」
「あれで成績がなんとかなるのが不思議なくらいにな」
「で、食うじゃん」
「女子にしてはな」
「いや、俺より食うぞ」
「三大欲求ってさ、どっちなの?」
「どっち、とは?」
鈴やんが眉をしかめる。黒沢は何かに気付いたように瞠目している。
「いやだから、他が強い分弱くなるのか、他が強いと引っぱられて強くなるのか」
「……おまえ」
「……バカか? いや、天才か……?」
「男子ってほんとバカね」
「バカ言うな! 大切な話だろこれは」
三人は内田の去っていったほうを見る。足跡がいっぱいで、どれが彼女のものかはもうわからない。
「聞いて来いよ、黒沢」
「はぁ? なんで俺が」
「一番仲良いだろ、おまえが」
「じゃあギャル美でいいだろ!」
「私は嫌。絶対に嫌。っていうかあんたたちが行くのも嫌」
「女子ってどうなの? その辺」
まったく無垢な顔をして高梨が訊ねた。鈴やんも興味深げである。
「どうって……」
と、黒沢を見ると、彼は少し眉尻を下げて、申し訳なさそうに見える。
「あるの? ないの?」
「ないってことは、ないけどね」
「女子ってさ」
鈴やんが飲み水の氷を噛み砕く。「そういう話、するの?」
夏の開放感が踏み込ませるのだろうか? かき氷を食べてもいないのに頭痛を覚えた。
「まあ、するよ。男子よりはちょっと生々しいというか、身近な話。少なくとも、腕を振っていれば胸の感触だーなんて馬鹿な話はしない」
ちょうど近くで話していたので、ギャル美も記憶していた。風呂場で手を鷲掴みの形にして素早く振ると、幻のおっぱいを揉めるのだと、男子数名がひたすら両手をぶらぶらさせていた。
話を聞いた黒沢が、机に突っ伏してピクピクと震えた。
「うわ……すげえ星……」
まさか高梨ほど素直に心をそのまま言葉にはしないが、ギャル美も同じ感想を抱いた。夜の闇の深さも、星の輝きも、まるで都会とは別物だった。暗さの分だけ、光点はシャープに浮かび上がる。
午後五時半に更衣室とシャワー室を備えた施設が締まるということで、時間いっぱいまで遊んでから着替えた。鈴やんが花火を買ってきたというので、それをしてから帰ることになった。
砂浜は西向きなのでみんなで夕焼けを見た。「もう熱くない」と言って素足になって黒沢と内田が、汀へと歩いて行った。気を遣ったのか、誰も後を追わない。ギャル美も邪魔をする気にはなれず、彼らと夕陽をぼんやりと眺めていた。キラキラと輝く海面を、黒沢の足が蹴り上げる。膝上にワンピースの裾をたくしあげた内田が、ひらりとかわす。思い立ってカメラを構え、二人の邪魔にならないくらいに近付いてシャッターを切る。内田が水を蹴るところ、二人が話しているところ、海を見ているところ。顔のアップ、バストアップ、シルエット……。思いがけずたくさん撮ったが、いつか感謝されるはずだろうとギャル美は思う。
近くで夕食を取ることになったが、歩けども歩けども、それらしい店がみつからなかった。結局三十分も歩いて、蕎麦屋とコンビニを見つけた。足が疲れたというギャル美の主張で蕎麦を食べ、同じくらい歩いてビーチに戻ってきた頃には、もうすっかりと夜だった。
コンクリートの桟橋の先端まで行くと、辺りは暗い海である。都会を流れる川は、たっぷりと街灯りをうけて白っぽいが、ここは宇宙の鏡のように深かった。
夜風はひんやりとしている。海辺だからなのか、緑が豊富だからなのか。一日の汗をさらうような心地良さだった。
蝋を垂らして蝋燭を立てて花火に火をつける。何かが噴き出すような音をさせて火花が飛び散る。きゃあきゃあと言いながら、ギャル美はそれを振った。
「そういえば、蛍、見に行ったんだ」
手持ち花火をふりふりしながら、内田が言った。
「蛍?」
鈴やんが素早く反応した。
「うん。遠足のとき話してたでしょう」
「いつ?」
「体育祭の前に」
「えー、なんだよ、誘えよな」
「私も突然黒沢くんに誘われたし」
「黒沢がぁ?」
鈴やんが疑わしげに黒沢を見る。花火ではなく星を見ていた黒沢は、ゆったりと振り返る。月光を受けて、いつもよりも良い男に見える。
「なに」
「何って事ァねえけどなあ」
「誘えよ、オレらをよぉ」
「いやあ、俺も流れでそうなったから……」
さらりとかわしたが、それはつまり内田と二人で蛍を見に行くような流れがあった、ということである。




