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走り出したら  作者: 肉団子
3章
64/124

俺もバカなんだよ

「大胆だね、黒沢くん」

 俺の後をとことこ歩きながら、内田が茶化してきた。

「急いでたから」

 空を見上げる。まだ青い。けれど、もういくらも時間はないだろう。秋の日はなんとやらだ。

 三号館の東側には非常階段がついている。鉄製で踏むたびにガンガンと音が鳴る。三階より上には、柵の扉があって上れないようになっている。

 しかしこれは、手摺に乗って外から回れば簡単にクリアできる。「悪いこと思いつくなあ」と言いながら、内田もするりと乗り越えた。

 後はもう普通に階段を上れば屋上に出る。塔屋のでっぱりの向こうに夕焼けが見えた。

間に合ったぞと一安心する。

 壁面についた梯子を登っていけば、五階相当の高さになる。

 正面に沈みゆく夕陽が見えて、空の高いところに見える雲が赤々と燃えていた。ビルのシルエットに、窓が反射させた夕陽が輝いている。

「綺麗」

 内田がぽつりと呟いた。彼女の黒い瞳に、小さな夕陽が浮かんでいた。

「だろ? 俺のお気に入り」

 自慢するように言って、膝ほどの高さの縁に尻をのせた。「まあ、なんだ……色々タイミングが合わなくて、何も説明できなくてごめんな」

 内田は夕焼け空を見つめている。ほんのり橙に色づいた横顔は、綺麗な形をしている。瞳に太陽が宿っている。

「いいよ、別に。エロ本売りさばく仲間になんて、なりたくないもん」

「げっ、バレてたの?」

「高梨くんにしつこく聞いたから。黒沢くん、絶対に口割らないでしょ」

「まあな」

「だから別に良いよ」

 なにがおかしいのか、くすりと唇をやわらかく崩した。内田は自分が笑ったことに驚いたように、口元に手を当てる。

「だからまあ、これはその埋め合わせ的な」

「うーん……どうせなら、もっと別の理由で誘って欲しかったなあ」

「別の?」

「というか」

 内田は首だけでこちらを振り向いた。顔の半分が影になる。 

「黒沢くん、いつからこんなところに来てたの?」

「一年の文化祭だったかな。ずっと上がれるよなって気になってて、機会をうかがってた」

「ずっと独り占めしてたわけか」

「そうなるな」

 東の空を見ると、夜が昇ってきている。次第に校庭での作業は見えなくなり、ぼんやりとシルエットだけが残った。体育館は遮光カーテンが引かれている。中の様子はわからないが、まだ盛り上がっているのだろう。

 昼と夜のせめぎ合いは次第に西へと移ってゆき、藍色の夕闇が、押し潰された分だけ色を濃くした橙色の昼を、ぐっと地平に押しこもうとしている。あたりはすっかり夜だった。

 頭の片隅に焚火がちらりと揺れて、その向こうにホームレスがいた。彼は来てくれたのだろうか。陽炎のようにゆらめいた幻影は、心配と共にかき消えた。

 暗い校内で唯一明るい体育館前に、人が溢れ出してきた。

「あ、終わったんだ」

 その様子に気がついた内田が風にまぎれる声を出す。

「後夜祭、見たかった?」

 考えてもみれば、彼女にどれぐらい時間がかかるかも伝えずに連れ出していた。

「ううん、そうじゃないよ。ただ、最後の文化祭がもう終わったんだなあって。今年が一番、準備に時間がかかったし、寂しいなって」

「俺も毎年思ってた。これで終りなのかって。消化不良なんだよ」

「どういうこと?」

 内田の質問に、なにか気の利いた返答はないだろうかと考えていると、放送の始まるノイズが、スピーカーから響いてきた。


          ○


 それは女の声だった。

『こちら放送室。こちら放送室。みなさん、後夜祭は楽しかったでしょうか? まだ物足りないという方のために、これよりグラウンドにて最後のイベントを行ないます。どうぞグラウンドの見える場所にお集まりください』

 中原千佳がその放送を聞いたのは、自分の教室に向かう渡り廊下の途中だった。

 聞き覚えのある声にまさかと思って行き先を変更し、三階の教室ではなく二階の放送室に向かった。いち早く駆けつけた島田先生と、野次馬の生徒がすでに放送室前に集まっていた。

「おい! 開けんか! ブチ破るぞ!」

「先生、それはやめてください……」

 放送部の部長が、宥めるように声をかけている。

 野次馬から少し離れた場所に立ってその光景を眺めながら、中原は首を傾げた。こんな逃げ場のない情況に追い込まれるようなことをするだろうか?

「職員室の鍵、ありませんでした!」

 生徒が職員室から奔ってくる。中原には放送室の構造がわからなかったが、なかに鍵を持ち込んで施錠したのだろうか。昔、父が出かけた先で、インキーだインキーだと慌てていたことがあったことを思い出す。

「よう」

 そんなことを思い返していた中原は、とつぜん声をかけられて心臓が止まるかと思った。中にいるはずの彼が、どうしてここに?


          ○


 遠野誠はそこに中原千佳がいることに、内心驚いていた。窓枠に放送室の鍵を置く。

「せっかくだし見に行こうぜ」

 歩き出した遠野を、足音が追って来る。

「どうして? だって放送室……」

「放送室の外には木があるんだよ。ちょうど三階まで届く。そして放送室の窓は開いている」

「えっ、じゃあ窓から?」

「出たと思うだろう? それが狙いだ」

 渡り廊下に光がちらついていた。赤や緑や黄に色を変えながら明滅していた。

「どういうこと?」

「校内放送ができるのは放送室だけじゃない。職員室もそうだし、生徒会室からもできる」

「じゃあ生徒会室から?」

「そういうこと。計画したのが高梨たちだからできたことだけどな」

「あっ!」

 先に気がついたのは中原だった。彼女は廊下の窓辺に駆け寄る。

 校庭を、暗い校舎を染めるように、色とりどりの花火が咲いていた。窓ガラスにごつんと額をぶつけてそれを見る。「花火だ」と、意味のない呟き。

 隣に遠野が立つと、はっと恥ずかしそうに一歩ひいて、ちらりと視線をくれてから、夜空を見あげた。

 パンパンと、軽い炸裂音が続く。それは決して大きくも派手でもない、市販の打ち上げ花火だった。しかしそれでも次々と連続して上がると、それなりに派手にも見えるし、美しくも感じる。

「どうしてそんな面倒なこと」

「さあ? そのほうが面白いって思ったんだろ。それに面倒だって言うなら修一の奴、わざわざ何度も落し物の放送かけさせて、『こちら放送室』って言わせてた。バカだよ、あいつは」

「遠野はさ、どうして手伝ったの?」

「泣きつかれたから」

「嘘でしょ」

「まあ、嘘だ」

 どうして、か。友達だから? 逃げ道を用意されていたから? 違うな。面白そうだったから、だろう。

 夜空に弾ける閃光を眺めながら考える。遠野誠は閃かない。まともな思考を順序良く踏んでいれば、学校で花火を上げようなどという発想は生まれない。

 たぶん世の中、そういうことを考える人間は山ほどいるのだろう。しかしその中で実行に移す人間はどれくらいいるだろう。そのうちから、馬の合う人間はどれほどいるだろうか? 自分は黒沢とも、高梨とも違う人間だ。友達でもなければ軽蔑さえするだろう。

 望みなどしないが、望んだとしても彼らのようにはなれない。

 それで良い。違うから良い。自分では考えつかないことをするから、面白いのだ。

 花火を真下で見るよりは、すこし離れたほうが美しい。適度な距離というものがある。この距離感が心地良い。

 自然と頬がゆるむ。

「遠野ってさ」

「うん?」

「勉強はできるけど、バカでしょう」

 中原の顔を見る。きりっとした一重瞼に、黒々とした瞳が嵌っている。曲面に歪んだ花が開いて、閉じて、また開く。やわらかそうな頬が、同じ色にほんのり染まる。なにがおかしいのか、口元はやわらかく笑みをこぼす。

「ああ」

 遠野は無性に嬉しくなる。「俺もバカなんだよ」

「いやだわ、男の子って」

 ちょっとおどけたふうに言って、中原は花火に目を向けた。

「ほんと、バカなんだから」


          ○


「あの、鍵、落ちてました」

 しばらく閉じられたドア越しに説得を続けていたところ、生徒にそう言われて、島田はまさかと思って振り返る。別の鍵だろうと思っていたが、キーホルダーのプレートには「放送室」の文字がある。

 ドアを開けると室内は真っ暗だった。人の気配はない。動くものといえば、窓辺のカーテンが風に揺れているばかり。

 カーテン?

 窓が開いている。街灯をバックに、木のシルエットが見えた。窓辺に駆け寄って、下を覗きこむ。二階だ。幹も枝も太い。

 悔しさを噛み締めていた脳裏に、放送の言葉が甦る。グラウンドの見える場所?

 まさか――


          ○


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