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走り出したら  作者: 肉団子
3章
61/124

尾行

 島田龍一郎の背中はでかい。男は背中で語るものだと口で語っていた父からして、体格はクマのようだった。歳を食うごとに父に似ていく自分に驚きながらも、島田が唯一父から受け継がなかったのは、その陽気さだろう。父には笑顔がよく似合うが、彼は仏頂面が染み付いていた。

 来賓にスリッパを出すため、一号館の玄関に控えている高梨を見下ろして仁王立ちする姿は、まさしく仁王のようである。新聞紙を手にした生徒が、貫禄に驚いて、おっかなびっくりにお辞儀をして階段を駆け上がっていく。

 ときどき疎ましそうに島田を見ては、慌てて玄関に向き直る高梨は、文化祭を円滑にすすめるべき生徒会役員でありながら、文化祭に細々とした問題を起こす主犯格である。

 が、現行犯で捕まえねばならない。証拠がないのに生徒を叱るのは、生徒指導としての島田の主義に反していた。

 それに、だ。どうも島田には高梨よりも黒沢のほうが主犯に思えてならない。入学したばかりのときに、同学年の男子の鼻を折って職員室に連れて来られたことがあった。最初だからこそ厳しく叱ったつもりだったが、黒沢は堂々と、

「次は折りませんよ」

 などとぬかした。殴らない、ではないのだ。行為自体は一切反省する姿勢を見せなかった。ああいう芯のある悪行を働く人間は、そのまま悪の道をひた走るか、一転更生するかのどちらかだ。ことあるごとに指導してやろうと意気込んだものの、その後は驚くほどに大人しかった。学校に出前を頼んだときには面食らったが、その程度が精々だ。

 この三ヶ月ほどは、いきなり奇行が増えた。卒業を前に指導の機会を得たのだ。見逃す手はない。

「高梨、おまえの相棒は今どこだ」

「相棒って……ああ、中庭じゃないですか?」

「中庭?」

 それはすぐ後ろである。廊下の窓から覗くと、池の縁に座っている姿が見えた。たしかに黒沢である。

「何をしとるんだ、あいつは」

「釣りするって言ってましたよ」

「……釣れるのか?」

「無理だと思いますよ。針ついてませんし」

 何をやってるんだ、あいつは。

 しばらく観察していると、別の男子生徒が近付いてきて、しばらく一緒になって糸を垂らし、五分もしないうちに彼らは帰っていった。

「客か、あれ?」

「じゃないですか」

「……なんの客なんだ」

「釣堀の?」

「でも釣れないんだろう?」

「糸を垂らして無心になるとこだけやってるんじゃないですかね。釣りなんて、だいたいそれでしょう?」

 わからん。近頃の若者はわからん。

「そういえば高梨。ついでに一つ質問なんだが」

 玄関を振り返って高梨を見る。

「なんですか」

「2Bのシャー芯は何に使うんだ?」

「え……えっと……」

 高梨は視線を上に向け、ぴくりと頬を動かす。

「麻雀の賭けに使ってたんだろ。珍しいなと思って」

「あっ、えっと、シャー芯なんだから、勉強に決まってるじゃないですか。ほら、一応オレらも受験生ですし、濃いほうが力いらなくって楽なんですよ」

「ほう、そうか」

 しっかりと仕事をするように言い含め、島田は二階へと上がった。職員室前の窓から中庭を、そこで釣り……というより、糸を垂らしている黒沢を見下ろす。

 奴ならこんなミスはしなかっただろう。シャープペンシルの芯は筆記具である。HBであろうと2Bであろうと、物を書く以外の用途など基本的にはない。それなのに回答に詰まったということは、やはり2Bのシャー芯に秘密がある。

「書く以外の用途……なあ」

 おそらく性質的にシャー芯でなければならない理由はない。なぜならば、シャー芯に限定した用途であるならば、文化祭中にこそこそやりとりをする必要はないだろうし、もっと目立たない種類の物を選んだはずだ。

 目立つということは、他と見分けがつくということだ。

 だから、だからなんだ? 何かの合図になっている? おまじない?

 迷路は関係しているだろうか。たとえばあの中に誰かが潜んでいて、シャー芯を見せると良いことがある、とか。

 島田は窓枠に手をかけたまま屈み込み、肩の筋肉をほぐす。考えることは、正直に言って苦手だった。締め上げて吐かせるほうがよっぽど早い。しかしそれでは生徒に負けたことになるという、島田のプライドが許さなかった。それに子供は純粋だから、見下した大人になど絶対に従わない。良くて、いや悪ければ面従腹背になるだけだ。

 つまりこれは、知恵比べなのだ。

 気合を入れなおして立ち上がると、中庭の黒沢も立ち上がっていた。全身をほぐすように準備運動をすると、すたすたと二号館に向かって歩いて行く。島田は慌てて階段を駆け下りて、開けっ放しにされた扉から、二号館に入る黒沢を確認し、後を追った。

 知恵比べであるが、尾行が違反とは決まっていない。警察組織だってやっているのだ。正攻法と言えるだろう。

 一号館一階の廊下を西へと進んで行く。階段の陰から様子をうかがっていると、廊下の中ほどで教室側に折れた。そろりそろりと距離を縮めていく。生物講義室に入ったらしい。

 そっと室内の様子をうかがうと、中にいた係りの生徒と話しをしているようだった。島田は耳に神経を集中させる。「うわ、覗きだ」などという雑談は、シャットアウト。

「俺さあ、入学したときから思ってたんだけど、バイオアクティ部って名前、どうなんだ」

 黒沢の声だ。

「俺生物部じゃねえし」

「え? でもここって生物講義室だろ」

「間借りしてんだよ。山岳部が。奥が俺らの展示」

 バイオアクティ部は飼育生物の展示などをし、山岳部は高山などの動植物の写真を展示していた。親戚のような部類だからか、毎年こうした形態である。

「山岳部な。俺ずっと気になってたんだ」

「なに? 今さら入部希望?」

「いやさ、おまえらは普段何やってんの」

「筋トレとか、階段の上り下り」

「マジか。山岳部マジか」

「しょうがねえだろ、近くに山がねえんだから」

 その後、奥の展示に移動して、いちいち説明を真面目に聞いていた。たっぷり生物講義室を堪能し、軽い足取りでさらに東へ向かう。島田は見失わないように注意しながら、しかし十分に距離を取って後を追う。

 突き当りの扉から外へ出る。島田は小走りに近付いて、黒沢の行く先を確認する。グラウンド側、体育館までの道中に、中洲のように畳が敷かれてある。柔道部の出し物で、膝立ちからの寝技勝負で、勝てば景品が出るとか出ないとか、こちらは例年であれば見ないものだ。夏休み中に駆け込み申請があった。

「どう? 繁盛してる?」

「おかげさんで。おまえもやってく?」

「やってかないよ。去年授業で負けたの今でも悔しいんだから」

「じゃあリベンジをよ」

「もう一回負けるのは嫌だなあ……」

 しばらく世間話をした後、グラウンド脇の通路を西に折り返していく。柱に隠れてやり過ごし、柔道部員に声をかけた。

「ああ、島田先生」

「ひとつ質問なんだが、景品ってなんだ?」

「え? ちゃんと申請用紙に書きましたけど」

「俺は確認しとらんのだ」

「筆記用具です。学校で使うものだし、良いでしょう?」

 そう言って、柔道部員は景品ボックスとマジックで書かれた箱を開けて見せる。シャープペンシルの芯が入っていた。やはり2Bだった。

 小さくなりつつある黒沢の背中を横目で確認し、柔道部には安全にはくれぐれも注意するようにと言い残して、また後をつける。

 柔道部員は「おかげさんで」と言った。愛想でないならば、景品のことだ。しかしシャー芯を配り歩いて一体何になる?

 筆記具としてはそりゃあ使えるだろうが、それだけではないか? 特別な価値など――

 そう、そうだ! 黒沢とそんな話をしたことがある。パチンコの三店方式について訊ねられた。

 ひとついくらかでシャー芯を売り、麻雀賭博をし、どこかで換金をする。もっとも発見されるリスクのある賭け事の際、そこにあるのはただの筆記用具で、教師もその程度ならば黙認する……。

 だとすると、柔道部の出し物は、販売所というところか。組み合う振りをして現金の受け渡し、というのはさすがに滑稽だが、それに近い形で販売させている可能性は否定できない。

 柔道部を張るべきか、黒沢を尾行すべきか逡巡し、初志貫徹することにした。どちらにせよ奴が主犯格であることは間違いない。

 黒沢は三号館へと向かっていく。入口前のウォータークーラーで水を飲み、一度こちらを振り返ったが、何事もなかったように移動を再開した。心臓が止まりかけたが、平静を装った島田は、すこし遅れて三号館に入った。廊下側の窓には黒沢の姿はない。どちらに進んだかと廊下を見、階段を見上げると、壁に消えていく横顔が見えた。足音をさせないように駆け足で上って距離を縮める。

 黒沢は三階まで上がった。渡り廊下ではなく、三号館の廊下側に折り返していく。茶道部以外には何もない、人気のないフロアだ。

 島田は固唾を呑む。

 そろりそろりと距離を縮めていき、三階廊下を覗くと、黒沢は消えていた。別の男子生徒が二人、雑談をしていた。

「おい、黒沢こっちに来なかったか」

「黒沢って、七組の?」

「ああ」

「あいつなら、茶道部に行きましたけど」

「茶道部?」

 島田は頭に疑問符を浮かべて茶道部の部室へと走った。ここだけ入口が和風である。スライドドアであることは他の教室とは変わらないが、磨り硝子をはめ込んだ格子戸になっている。ガラガラと音をさせて玄関に入り、靴を脱いで奥へ行く。

「あれ、先生もサボり?」

 茶室手前の居間から声がした。布団の取り払われた炬燵に足をいれて寝そべる黒沢がいた。

「い、いや、そういうわけではないんだが……」

 完全に当てが外れてしまい、島田の頭は真っ白になった。もはやサボりだと堂々と言ったことを注意することも忘れて茶道部の部室を後にする。

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