あいつ修ちゃんだ……
野外ステージは(小体育館のステージもだが)、各教室から集めてきた机を並べ、脚をビニール紐で縛って固定して、その上にシートをかぶせて作ってある。担当をさせられたから、中原千佳はよく知っていた。
暗幕のようになった木立をバックに、ステージ上では落語研究会が漫才をやっている。例年そうなのだが、なぜなのだろう?
くすりとはくるけれど、大笑いというほどではない。実に文化祭的だった。
十一時から遠野が店番だからと、修一から一緒に行こうと誘われていた。彼なりの気遣いなのだろう。
万が一にも時間を忘れないように、初日の午前中は一人で過ごすと決めていた。野外ステージを選んだのは、一年のときから毎年見ている落語研究会の漫才目当てで、これが終われば屋内のステージどちらかで時間を潰す予定だった。
ざわめきを運ぶ風には爽やかさもあったけれど、まだ陽射しは厳しい。ちりちりと肌が熱を帯び始めている。
漫才が終わってステージが空く。
さて、移動するかなと思った矢先、中途半端に上げた腰を、思わずまた下ろすことになる。
ひらりとステージに高梨が現れた。あとから楽器を持った集団が登ってくる。
「えー、あー」
と、マイクを持った高梨が周囲を見渡し、ばっちり目が合った。にっと意味深に笑う。
中原は、暑さではない汗が一筋。
「みなさん! 田楽ボーイズです! えー、ね? オレは去年までステージなんか上がらなかったからわかるけど、このセッティングの時間ヒマでしょう? ですので、とりあえず、伴奏なしで歌います、スキャットマン」
直後、スピーカーから目の覚めるような声量と勢いで、何語かもわからないような歌が始まって、ほどほどの漫才に慣れていた耳が驚いた。階段や体育館の外廊下から、何事かと人が顔をのぞかせる。
言語はどうやら英語らしい。「アイム」という単語があった。背後のチューニング音さえ曲の一部なのではないかと疑いたくなるほど、高梨は楽しそうに、そして驚くくらい上手に歌う。通りかかった人が思わず足を止め、次第に観客が増えていく。だんだんと演奏が加わっていき、最後は全員が演奏に参加した。
曲の終り、中原は無意識に拍手を送った。
こんな特技があったなんて知らなかった。
「えー、改めまして田楽ボーイズです。リーダーが田楽好きだってんで、そんな名前みたいですけどね、オレ、田楽とか食ったことねえんですよ。ただみんな同じバンドが好きってことで、今日はそういう感じで、ひとつよろしく!」
そう言って始まったのは、たしか一昔前に流行した曲だった。演奏のレベルなど中原にはわからなかったが、素直な感想は「楽しい」だった。観客の反応を見る限り、それは自分だけのものではないとわかる。
上手いなと思った。歌もだけど、人を乗せるのが。
「高梨くんって軽音楽部だっけ?」
頭の上から内田の声がした。顎を上げて真後ろを見ようとすると、後頭部がやわらかいクッションにぶつかった。
「入部したなんて聞いたことないけど、申請しておけば有志で出られるんでしょう?」
「あ、それか」
実際にそういうかたちで出演した、という話は聞いたことがなかったが。
そのまま三曲を演奏し歓声に見送られながらバンドメンバーがステージを降りていく。高梨はステージ上で愛想をふりまきながら、
「明日のお昼にも小体育館でやるんで、よろしくっ!」と、宣伝も忘れない。
高梨がまだそうしているうちに、バンドメンバーと入れ替わるように、大きな板が運ばれてきた。
内田が驚いたように声をあげた。
「あれ? うちのだ」
「うちの?」
「ほら、迷路の」
「ああ」
いかにも重そうに、段ボール製の板を持ち上げ、ステージに上がってくる。高梨の困惑したような声がマイク越しに聞こえた。
「次ってダンス部じゃなかった?」「だよね?」と、周囲からも戸惑いの声。
ステージ上で板をくるりと一周させ、中央にどんと立てる。
次々に四枚が運び込まれ、同じ手順を踏んでコの字に立てかけられた板は、ステージ上に向かって開いていた辺に、最後の一枚が蓋をして四角形になる。
それらがそれぞれの方向に倒れると、中から学ラン姿で、真っ白に黒で目と口が書かれた仮面をつけた怪しい男が現れた。わっと観客が盛り上がる。
そいつは胸ポケットから赤いハンカチを取り出すと、右耳に詰めていく。それが終わると耳が聞こえなくなったような仕草をし、左側を下にして耳の水を抜くような仕草をし、左耳からハンカチを取り出す。
「あいつ修ちゃんだ……」
「えっ? 本当に?」
「たぶん。なんか動きがバカっぽいというか」
「えー……私はわからないなあ……」
声に悔しそうな響きがあって、千佳はくすりと笑う。
ハンカチを手の中に消すと、代わりにどこからか大きなカード一枚出し、それが増えたり消えたりしながら、最後に一枚残ったカードをステージ上で見ていた高梨に渡すと、観客に向けて頭を下げる。
笑いと拍手を送られた仮面男は、無言のまま手で合図を送り、倒れた板を立ててもらって、また板の箱へと消えた。
「えーっと、あ、メッセージが書いてあります」
高梨がカードを読み上げる。「ハロー、魔法使いです。私を捕まえられたら豪華賞品を進呈します……だって」
言葉を待っていたように板の箱がまた開き、今度は中にいたはずの人間が消えていた。どよめきと拍手が同じ熱量で起こった。
板を回収し、一号館のほうへ消えていく集団を見送る。
千佳は残暑の厳しい秋空に、長い息を漏らした。
何を考えているんだ、あいつらは……。
○
空は高い。三階渡り廊下で、ひとまずの成功を黒沢と称え合い、高梨は手摺にもたれかかるように背筋を反らせた。秋だなあ、と高梨は意味もなくそう思う。
空が高いってなんだろう? 浮かんだ疑問は、そのままの速度で消えていく。
「あんなん、いつ練習したんだ?」
高梨はそのままの姿勢で訊ねた。
「昔テレビで見たやつの応用だよ。まあ、こっちからだと見えただろうなあ……」
ぐるりと身体を反転させる。なるほど、渡り廊下からはステージが横から見下ろせた。
「高梨こそ、バンドなんていつ組んだんだ?」
「あれは二年の冬。カラオケ遊びに行ったとき、田楽ボーイズのギターボーカル、リーダーの奴な。それに歌ってくれって頼まれて。楽器やるんじゃないんだし、軽く引き受けてたんだよ。マジだって知ったのは、六月だったかな」
「へえ。おまえもすげえな。いっそ歌手にでもなれば?」
「歌手にはなれねえよ」
息を吐いてみた。しかし白くはならない。そのことがすこしだけ、寂しいなと思えた。
「中途半端に才能があるとな、わかるんだよな。素人とプロの境目が。オレはどこまで行ってもカラオケだよ」
「ふうん。わかんないけど」
「オレもよくわからん。それより見たか、壁新聞」
「いや」
「すっげえの、校長のヅラが取れてな」
そこまで言って、高梨は思い出し笑いで言葉を発せなくなる。
「そりゃ俺たちが企んだんだから、取れるだろ」
「じゃなくってな! ペットボトルロケット飛ばしただろ? それでな、虹がな」
「虹?」
校舎を指差し、見て来いとうながす。黒沢は首をひねりながら校舎へと消えていき、しばらくして笑い声と共に戻ってきた。
「あっははは、虹だな、虹」
「な? 虹だろ?」
校長の頭の真上に、立派な虹がかかっていた。ハゲ頭を強調するように。
ひとしきり二人で笑い合った。野外ステージで踊っているダンス部に拍手を送っていると、黒沢がやけに真面目な声で言った。
「ホームレスがさ、引っ越すんだって」
「……って、あのおっちゃん」
「そう」
「へえ、寂しくなるな」
「それだけ?」
「それ以外になにかある?」
「まあ、そうだな」
黒沢が彼に思い入れがあることは、なんとなく気付いていたが、寂しい以上の感情は想像ができなかった。実はこいつの父親、ということはないだろうな。
「文化祭に呼んだんだ」
「おっちゃんを? 来るの?」
「どうだろ。外からでも見られるだろ、あれ。だから、裏門から覗くだけで良いとは言ったんだけど」
「へえ。ま、おっちゃんのおかげだしなあ。良いんじゃないの」
高梨は手摺から離れて話題を変えた。「黒沢、この後は?」
「十一時から千佳と誠のとこに顔出す予定。おまえも行く?」
「ああ、いいな。じゃ、それまでに仕事とかやることやってる」
「おう」
「ま、仕事たって、来客がないから、そんなないけどな」
文化祭二日目は土曜日で、一般公開される。どちらかと言えば本番はこちらだ。
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