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走り出したら  作者: 肉団子
3章
56/124

あいつ修ちゃんだ……

 野外ステージは(小体育館のステージもだが)、各教室から集めてきた机を並べ、脚をビニール紐で縛って固定して、その上にシートをかぶせて作ってある。担当をさせられたから、中原千佳はよく知っていた。

 暗幕のようになった木立をバックに、ステージ上では落語研究会が漫才をやっている。例年そうなのだが、なぜなのだろう?

 くすりとはくるけれど、大笑いというほどではない。実に文化祭的だった。

 十一時から遠野が店番だからと、修一から一緒に行こうと誘われていた。彼なりの気遣いなのだろう。

 万が一にも時間を忘れないように、初日の午前中は一人で過ごすと決めていた。野外ステージを選んだのは、一年のときから毎年見ている落語研究会の漫才目当てで、これが終われば屋内のステージどちらかで時間を潰す予定だった。

 ざわめきを運ぶ風には爽やかさもあったけれど、まだ陽射しは厳しい。ちりちりと肌が熱を帯び始めている。

 漫才が終わってステージが空く。

 さて、移動するかなと思った矢先、中途半端に上げた腰を、思わずまた下ろすことになる。

 ひらりとステージに高梨が現れた。あとから楽器を持った集団が登ってくる。

「えー、あー」

 と、マイクを持った高梨が周囲を見渡し、ばっちり目が合った。にっと意味深に笑う。

 中原は、暑さではない汗が一筋。

「みなさん! 田楽ボーイズです! えー、ね? オレは去年までステージなんか上がらなかったからわかるけど、このセッティングの時間ヒマでしょう? ですので、とりあえず、伴奏なしで歌います、スキャットマン」

 直後、スピーカーから目の覚めるような声量と勢いで、何語かもわからないような歌が始まって、ほどほどの漫才に慣れていた耳が驚いた。階段や体育館の外廊下から、何事かと人が顔をのぞかせる。

 言語はどうやら英語らしい。「アイム」という単語があった。背後のチューニング音さえ曲の一部なのではないかと疑いたくなるほど、高梨は楽しそうに、そして驚くくらい上手に歌う。通りかかった人が思わず足を止め、次第に観客が増えていく。だんだんと演奏が加わっていき、最後は全員が演奏に参加した。

 曲の終り、中原は無意識に拍手を送った。

 こんな特技があったなんて知らなかった。

「えー、改めまして田楽ボーイズです。リーダーが田楽好きだってんで、そんな名前みたいですけどね、オレ、田楽とか食ったことねえんですよ。ただみんな同じバンドが好きってことで、今日はそういう感じで、ひとつよろしく!」

 そう言って始まったのは、たしか一昔前に流行した曲だった。演奏のレベルなど中原にはわからなかったが、素直な感想は「楽しい」だった。観客の反応を見る限り、それは自分だけのものではないとわかる。

 上手いなと思った。歌もだけど、人を乗せるのが。

「高梨くんって軽音楽部だっけ?」

 頭の上から内田の声がした。顎を上げて真後ろを見ようとすると、後頭部がやわらかいクッションにぶつかった。

「入部したなんて聞いたことないけど、申請しておけば有志で出られるんでしょう?」

「あ、それか」

 実際にそういうかたちで出演した、という話は聞いたことがなかったが。

 そのまま三曲を演奏し歓声に見送られながらバンドメンバーがステージを降りていく。高梨はステージ上で愛想をふりまきながら、

「明日のお昼にも小体育館でやるんで、よろしくっ!」と、宣伝も忘れない。

 高梨がまだそうしているうちに、バンドメンバーと入れ替わるように、大きな板が運ばれてきた。

 内田が驚いたように声をあげた。

「あれ? うちのだ」

「うちの?」

「ほら、迷路の」

「ああ」

 いかにも重そうに、段ボール製の板を持ち上げ、ステージに上がってくる。高梨の困惑したような声がマイク越しに聞こえた。

「次ってダンス部じゃなかった?」「だよね?」と、周囲からも戸惑いの声。

 ステージ上で板をくるりと一周させ、中央にどんと立てる。

 次々に四枚が運び込まれ、同じ手順を踏んでコの字に立てかけられた板は、ステージ上に向かって開いていた辺に、最後の一枚が蓋をして四角形になる。

 それらがそれぞれの方向に倒れると、中から学ラン姿で、真っ白に黒で目と口が書かれた仮面をつけた怪しい男が現れた。わっと観客が盛り上がる。

 そいつは胸ポケットから赤いハンカチを取り出すと、右耳に詰めていく。それが終わると耳が聞こえなくなったような仕草をし、左側を下にして耳の水を抜くような仕草をし、左耳からハンカチを取り出す。

「あいつ修ちゃんだ……」

「えっ? 本当に?」

「たぶん。なんか動きがバカっぽいというか」

「えー……私はわからないなあ……」

 声に悔しそうな響きがあって、千佳はくすりと笑う。

 ハンカチを手の中に消すと、代わりにどこからか大きなカード一枚出し、それが増えたり消えたりしながら、最後に一枚残ったカードをステージ上で見ていた高梨に渡すと、観客に向けて頭を下げる。

 笑いと拍手を送られた仮面男は、無言のまま手で合図を送り、倒れた板を立ててもらって、また板の箱へと消えた。

「えーっと、あ、メッセージが書いてあります」

 高梨がカードを読み上げる。「ハロー、魔法使いです。私を捕まえられたら豪華賞品を進呈します……だって」

 言葉を待っていたように板の箱がまた開き、今度は中にいたはずの人間が消えていた。どよめきと拍手が同じ熱量で起こった。

 板を回収し、一号館のほうへ消えていく集団を見送る。

 千佳は残暑の厳しい秋空に、長い息を漏らした。

 何を考えているんだ、あいつらは……。


          ○


 空は高い。三階渡り廊下で、ひとまずの成功を黒沢と称え合い、高梨は手摺にもたれかかるように背筋を反らせた。秋だなあ、と高梨は意味もなくそう思う。

 空が高いってなんだろう? 浮かんだ疑問は、そのままの速度で消えていく。

「あんなん、いつ練習したんだ?」

 高梨はそのままの姿勢で訊ねた。

「昔テレビで見たやつの応用だよ。まあ、こっちからだと見えただろうなあ……」

 ぐるりと身体を反転させる。なるほど、渡り廊下からはステージが横から見下ろせた。

「高梨こそ、バンドなんていつ組んだんだ?」

「あれは二年の冬。カラオケ遊びに行ったとき、田楽ボーイズのギターボーカル、リーダーの奴な。それに歌ってくれって頼まれて。楽器やるんじゃないんだし、軽く引き受けてたんだよ。マジだって知ったのは、六月だったかな」

「へえ。おまえもすげえな。いっそ歌手にでもなれば?」

「歌手にはなれねえよ」

 息を吐いてみた。しかし白くはならない。そのことがすこしだけ、寂しいなと思えた。

「中途半端に才能があるとな、わかるんだよな。素人とプロの境目が。オレはどこまで行ってもカラオケだよ」

「ふうん。わかんないけど」

「オレもよくわからん。それより見たか、壁新聞」

「いや」

「すっげえの、校長のヅラが取れてな」

 そこまで言って、高梨は思い出し笑いで言葉を発せなくなる。

「そりゃ俺たちが企んだんだから、取れるだろ」

「じゃなくってな! ペットボトルロケット飛ばしただろ? それでな、虹がな」

「虹?」

 校舎を指差し、見て来いとうながす。黒沢は首をひねりながら校舎へと消えていき、しばらくして笑い声と共に戻ってきた。

「あっははは、虹だな、虹」

「な? 虹だろ?」

 校長の頭の真上に、立派な虹がかかっていた。ハゲ頭を強調するように。

 ひとしきり二人で笑い合った。野外ステージで踊っているダンス部に拍手を送っていると、黒沢がやけに真面目な声で言った。

「ホームレスがさ、引っ越すんだって」

「……って、あのおっちゃん」

「そう」

「へえ、寂しくなるな」

「それだけ?」

「それ以外になにかある?」

「まあ、そうだな」

 黒沢が彼に思い入れがあることは、なんとなく気付いていたが、寂しい以上の感情は想像ができなかった。実はこいつの父親、ということはないだろうな。

「文化祭に呼んだんだ」

「おっちゃんを? 来るの?」

「どうだろ。外からでも見られるだろ、あれ。だから、裏門から覗くだけで良いとは言ったんだけど」

「へえ。ま、おっちゃんのおかげだしなあ。良いんじゃないの」

 高梨は手摺から離れて話題を変えた。「黒沢、この後は?」

「十一時から千佳と誠のとこに顔出す予定。おまえも行く?」

「ああ、いいな。じゃ、それまでに仕事とかやることやってる」

「おう」

「ま、仕事たって、来客がないから、そんなないけどな」

 文化祭二日目は土曜日で、一般公開される。どちらかと言えば本番はこちらだ。


          ○


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