文化祭
『こちら放送室、こちら放送室。えー、一応原稿は用意したのですが、真上の階がさっさと始めろと床を踏み鳴らしていまして、ちょっとアレですので、省略させていただきます。それでは第六十八回文化祭を開催いたします』
気の抜けた挨拶のあと、歓声がわっと響いて校舎を揺らした。クラスメイトたちもわらわらと祭りに身を投じていく。三年七組の控え室は三号館一階東端にある、地学講義室だった。埃を被った望遠鏡と、よくわからない石、よく知らない学者のポスターに囲まれた、なぜか蛍光灯が弱い部屋だ。
「さて、オレも行くか」
高梨が立ち上がって、俺を見下ろす。「黒沢はどうすんの?」
「とりあえず一通り見て回る。時間空いたら連絡ちょうだい」
「了解、了解」
軽い足取りで廊下に消えた。ゆっくりと立ち上がり、俺も地学室を出た。三年八組の教室はそのまま三の八が喫茶店をやっている。その隣は駄菓子屋である。まさか、ただ駄菓子の転売をしているんじゃないだろうな。
校内はどこもかしこも装飾でいっぱいだった。どこのクラスがやったのか、階段にまで色紙の飾りが施され、風船まで並んでいる。毎年毎年、買い込みすぎたクラスがもったいないからと、こういう暴走をするのだ。
二号館はすでに人で溢れかえっていた。あまりの活気にたじろいでしまう。
ほとんどはシャツだが、ぽつぽつと学ランを見る。衣替えをしたのか、文化祭で必要なのかの判別がつかない。さらに少ないが、明らかに何かの衣装を着ている奴が歩いている。彼らはおおむね、段ボールなどに宣伝を書いて練り歩いている。
お化け屋敷やボウリングなど、教室前の看板を見ながら歩いていると人にぶつかった。軽く謝ってやり過ごそうとしたら、それは馬だった。
いや、黒馬のマスクに学ランという、謎の人物である。「ごめん」と言ったきり固まった俺の肩を、馬は許すようにぽんぽんと叩き、そのまま目の前の教室に案内した。
俺が教室に入ると彼は満足げに、大きく二度肯いて、廊下でパントマイムを始めた。
「あれなに?」
隣にいた女生徒に訊ねる。
「あれは……馬鹿です」
「……鹿が足りないなあ」
ようやく室内に目を向けると、壁にはずらりと団扇が並んでいる。「団扇屋?」
「あとミサンガも売ってます」
「へえ」
団扇は手作りのもので、墨で字が書かれている物と、数は少ないが水墨画風の絵が描かれているものがあった。
「これっておいくら?」
「文字のが四〇円。絵のが六〇円です。文字は好きな言葉でも受け付けてます」
「じゃあ、これとこれ、ください」
円とは言っても、現金をやりとりするのではない。一枚一〇〇円、あるいは二〇円の金券を使う。二〇円の金券を四枚渡して「愛が不足しています。ご協力下さい」と「扇げば涼しい」のものを買った。
店を出ると、馬はブレイクダンスをしていた。がつがつと壁を蹴っていた。
祭りの雰囲気だけを楽しみながら校内を練り歩く。二号館四階の東端には、視聴覚室がある。ここは終日軽音楽部が使用している。入口前には野外ステージ、体育館と小体育館のステージでの予定も書いてある。どれかは見てやろうと思うが、さてどうなるか。
視聴覚室と向かい合うように図書室がある。念のために覗いてみたが、出し物はやっていない。
来た道を引き返して東階段を降りていく。東端には全階特別教室が入っており、上から順に視聴覚室、音楽室、書道室、美術室である。一階まで降りると、正面は下足ロッカーに続く扉で、その脇にダビデ像が立っていた。
近付いて、その違和感に足を止める。目があまりにもリアルというか……。
「えっ、大石?」
ダビデ像がわずかに肯く。
「マジか美術部、マジか。それ一日やるの?」
「昼に交代」
「はー……マジか」
よくよく観察してみると、下は白い短パンを履いている。そこから生えた胴体も、両脚も美術部にしておくには惜しいほどがっしりとしていた。
わざわざスネ毛を剃る気合の入れようだ。
「そうだ、黒沢」
大石はポーズを崩さず、目線と小さな口の動きだけで語りかけてくる。「ありがとう」
「何が? ああ、あのエロ――」
「ば――ッ!」
耳元から発した大音声に、両耳を押さえてよろけてしまう。声は反響しながら廊下を渡った。視線がこちらに集まる。美術室からも何事かとこちらを伺っている。なんでもないと身振りで謝って、声を絞る。
「あれ本当にどうしてもいいの?」
「ああ。高梨にもそう言っている」
「そうか。じゃあま、店番頑張れよ」
外に出て真っ直ぐに迷路へと向かう。入口に一人、パイプ椅子に腰かけた店番がいた。
「よう、ご苦労」
「なに? 変わってくれんの?」
「違う。差し入れ」
買ってきた団扇を一枚渡す。
晴れたのは良いが、陽射しが強くて暑いのだ。一時間ほどとは言え、屋外でじっとしていたら辛いだろうと思ったのである。
「お、サンキュー」
「係りにだからな。ちゃんと次の奴に渡しとけよ」
「うわ、ケチんぼ」
「案外高いんだって、それ。そういや、客は?」
「三組と一人だったかな。まあ、始まってすぐ外に出ようなんて奴もあんまりいないだろ」
「ま、そうだな」
中は大混雑である。俺ならば人のいないところから、と考えるけれど、祭りの雰囲気を楽しむには下策かもしれない。
外周を確かめるように、校舎から見えない北側を回り、出口の係りにも団扇を渡し、そのまま体育館へ向かう。特別目的があるわけではなかった。適度に暗くて座れるので、休憩するのにはちょうど良いのである。
○
窓から黒沢修一の姿が見えた。店番のクラスメイトに話しかけ、体育館の方向へ歩いていく。
島田社会科教諭は絶対に何をしでかすと確信していた。
体格を見込まれて生徒指導の任を帯びてから数えても二十年。その経験が、奴をマークしろと言っている。ただでさえ体育祭の棒倒しで危険な勝ちを得て以来、奇行が続いていたのだ。今は落ち着いて見えるが、だからといって油断はならない。入学したばかりの頃、クラスメイトの鼻を折り「もう少し上手くやるつもりだった」などと平然と言った男だ。
しばし考え、迷路の入口へ向かった。
近付いて見るほどに、生徒が作ったものとは思えないほどの立派な迷路である。
「あれ、島田先生。どうしたんですか?」
「ん、いや、見回りだ」
受付の和田が、ぱたぱたと団扇で自分をあおいでいる。二年のクラスで売っていたものだ。さっき渡していたのはこれだろうか。
「ここいくらだ?」
「金は取ってませんよ」
取り出しかけた金券を、和田は制した。「これをどうぞ」
紙とシャーペンを渡された。紙は縦横にマス目が書かれている。
「これは?」
「行き止まりにクイズがありまして、クロスワードを完成させると賞品が出ます」
「なるほど」
ただ迷路を置いてそれで終りではないらしい。「しかし、賞品を出すならいくらか取ったほうが良いんじゃないのか?」
「俺もそう言ったんですけどねえ、金を取ると意地になるやつが出て危ないって、黒沢が主張するもんでして」
「……ふむ」
肯いて迷路の中に入る。
そういうことに気の回る男が、果たして文化祭で何かをしでかすのだろうか?
芽生えた疑念を振り払うように頬を叩く。経験則からいって頭よりは勘のほうが確かなのだ。
しかし……教師として生徒を信じることも必要なのでは……。
考えながら歩いていると、行き止まりに辿り着いた。机が置いてあり、正面の壁に問題文が貼り付けてある。
「問二.金属などを炎の中に入れると各元素特有の色を発する反応をなんと言うか?」
ううむ、わからん。聞いた事はあるが、さっぱりわからん。というよりも、問二か。問一の道はすでに通り過ぎたらしい。あくまで見回りだということを思い出し、周囲に目を配りながら歩き始めた。
左右の壁は段ボールで作ってあるようだが、絵の具で色をつけて板のように見せている。延々とそれが続くので、なるほど、現在位置がわかりにくい。それに外から見るよりも広さがあるように感じられた。
上手に作ったものだと褒めてやりたくなる。特別、悪さをしでかせそうな構造もしていない。だとすれば本人の動向にさえ注意を払えば問題はなかろう。
ようやく出口に辿り着く。出口の係りが紙とシャーペンを回収する。
「あれ? 先生、まっすぐゴールしちゃったんですか?」
「いや、たぶん結構迷ったぞ。見回りだったから解かなかっただけで」
「あ、そうなんすね。良かったです」
さて、と時計を見上げる。九時三〇分を回ったところだ。一日は長いぞと気合を入れなおす。とりあえず、野外ステージと体育館を見てから、職員室に戻ろう。さすがにまだ問題や、対応に追われるような事態は起こっていないだろうが、何があるかはわからない。
それが若さというものだ。
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