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走り出したら  作者: 肉団子
3章
53/124

エロ本

 大石は肯いて、好きに検分しろと手でうながした。

 何年も前の先輩が、文化祭に裸婦画を出した。それ自体なら芸術として黙認されたかもしれないが、そのモデルはなんと当時の部員であり、作者の彼女であったというから悶着があった。翌年から裸婦画禁止令出された。ところが、表現の自由を侵害していると憤った時の部長が、なんと自分をモデルに裸夫画を提出した。

 さらに翌年には「人物を描く場合は局部を隠し、学校指定の水着以上の露出を許可しない」とされた。職員室と生徒会の二重のチェックが始まったのもそれからのことらしい。

 大石もどちらかと言えば、彼ら側の人間だった。傘を忘れた雨の日には堂々と濡れて帰るくらいには、無意味な反骨心を滾らせたりしてしまう。今年の春ごろ、ジュゼッペ・アルチンボルド式に、まったく別のものの集合体がたまたま裸の女に見える、というのはどうだろうなどと結構真剣に考え込んでいると、その様子にぐっと来たらしい百合子にアプローチされた。

 もちろん、理由はそれだけではない。逞しいとか、それでいて繊細だとか、頼りがいがあるとか、たくさん褒めてもらった。大石にしても百合子の美点はいくらだってあげられるわけで、付き合わない理由は見つからなかった。

 問題はそこからだった。

 二人ともが三年生で、つまりは受験生である。勉強会と称して相手の家に誘われたとき、忘れていた大問題を思い出した。

 彼の六畳間は、エロ本でいっぱいだったのである。代々ゴリラのような芸術家肌の大石家には、不思議な風習があった。特定の相手が見つかり不要になったエロ本を、自分より年下の男にまとめて譲るのだ。おそろしいことに中には春画まで混じっているので、馬鹿馬鹿しいとは思いながらも捨てられずにいたそれは、今も自室のあちこちに置かれている。それはもうあらゆる収納スペースからはみ出ていて、もっと言えば床の踏み場以外はエロ本だ。

 呼べるわけがない。そんな家に呼べるわけがない。

 叔父から譲られたそれを、大石には譲る相手がいなかった。捨てるのも忍びないと思うのは男の性であろう。古本屋に売るにしても、大量のエロ本を持ち込む勇気はわかず、悩みに悩んでいたころ、一度目の検分にやって来た高梨に相談したのである。

 大石が彼を頼ったことに、さしたる理由はない。ただ体育祭の棒高跳びで壁を飛び越える姿を思い出し、なんとかしてくれるかもしれないと淡い期待を抱いたのである。

「まかせろ」

 と、どんと胸を叩いた高梨には後光が差して見えた。

 それからやきもきするほど時間が流れ、八月中旬に「引き取り先が見つかった。また連絡する」と電話越しに言われた。

 その瞬間に、今回の作品のイメージが浮かんだ。

 しかし、である。いまだに引き取りに現れないのはどういうことだろう。作品を調べ終えて帰る高梨を追って廊下に出る。

「おい高梨」

「なに?」

「いつなんだ?」

「いつとは?」

「いや、だから……」

「ああ、はいはい」

 と、携帯電話を取り出す。「もうほんと、分刻みよ、オレ。予定書かなきゃ忘れちゃう」

 ちらりと液晶画面を覗くと、練習だとか打ち合わせだとか作業だとか、とにかく文字がずらりと並んでいた。

「……文化祭が終わるまでには」

「ああ、それは大丈夫。えっとな、その前日か、前々日になるかな」

「そうか」

 大石は一安心する。文化祭まではそちらに集中したいと言い訳がたち、その後には何の憂いもなく家に招待できるわけだ。

「ありがとう」

 自然と右手を差し出した。高梨はにやりと笑って、その手をとった。

「儲けが出たら、全部渡したほうがいい?」

「儲け……?」

 処分だけでなく儲けが出る当てがあるのか。大石は左手で高梨の右手を包んだ。


          ○


 手を握りなおして、俺は合図を待つ。

「どん!」

 用意を抜かした合図に一瞬出遅れたが、すぐに押し返し、誠の手の甲はテーブルについた。

「左でも俺の勝ち」

「なんだよ、この筋肉野郎」

「そんな筋肉だらけじゃないだろ」

 俺は食堂の壁に背中を預け、わざと両手を突き上げて喜びを噛み締めた。「コーヒーな。氷入れて」

「……おかしいな」

 誠は首をかしげながら自販機のほうへと歩いていった。内田から中学時代に腕相撲で誠をこてんぱんにやっつけたという話を聞いてからかいに行くと、

「成長期を舐めるなよ」

 と、なぜか勝負を挑まれた。右手で圧勝した後、左なら勝てると言い出したので、飲み物を賭けて勝負をしたのである。

「ほら」

 悔しそうに差し出してくるコーヒーを、満面の笑みで受け取った。誠は隣に座り、自分のコーヒーを飲む。ホットだ。大人である。

 文化祭は今週末に迫っていた。先日台風が通り過ぎ、向こう一週間はお天気マークが並んでいた。とりあえずは、一安心である。

 おおかたの準備も済み、予備を作り、本番での作業などの確認に時間を費やしている。演劇をやるクラスはこれからが一番大変だろう。衣装のまま廊下を走っている姿を何度か見かけた。

「勉強はどう?」

「順調だ。妹がちょっと鬱陶しいけど、親はこっち任せにしてくれるからな」

 親と聞いて、今年は本当に八月に父親と会わなかったなと思い出す。この分であれば年末にも会わないのだろう。夕方の空気がひんやりしてきているせいか、寂しさを覚えた。

 親の都合で子供を作ってそして別れ、月に一度の面会をし、それが気付けば間引かれ隔月になって、いまや半年に一回会うだけで、今年に至っては会わないのである。

 会いたいと思ったこともないけれど、会えないとなると理不尽に思うのはなぜだろうか。

 コーヒーを一口飲んで、頭を切り替える。

「真理ちゃんさ、あの子も受験だろ。どこ行くの」

「さあ? 北高、だったかな」

 地元では一等の進学校の名前が当然のように出てきた。

「へえ。兄としては悔しいもん?」

「いやいや、俺だって行こうと思えば行けたから」

「強がりでなくそうなんだろうけど」

 本当、たいした自信家だな。「後悔とかない? こっちの学校にきたの」

「後悔はないな。おまえに会えたし」

「誠くんね……そういうのは女に言うものだよ」

「冗談だ。ま、北高に入ったって、同じぐらいの満足と後悔があっただろう、と思う」

「はあ、大人ぁ」

 俺は子供なので下らないことをぐちぐちと考えてしまうし、暑ければアイスコーヒーを飲むのである。というか、寒くてもアイスのほうが好きなのだが。

「修一こそどうなの」

「俺は何も考えず選んだしな」

「そっちじゃなくて。受験するんだろ、一応」

「一応じゃないけど。さあ、どうだろう。やってるつもりだけど」

「ふわふわしてるな、おまえ」

「だってさ、受験勉強ってそもそも、何するの」

「過去問とかやったか?」

「いや。試験前で良いだろ」

 はあ――と、物凄いため息をつかれた。

「だからだよ。過去問ってのは最初にやるもんなんだよ」

「それじゃ解けなくない?」

「それでいいんだよ。で、どれぐらい距離があるのかってことを確認して、問題に合わせて必要な勉強をしていって、受験に挑むんだ。本番の少し前に過去問やったとして、それで悪かったらどうするの」

「……ああ、なるほど」

 どうして教師はそういう大切なことを教えないのだろう。いや言っているのを俺が聞いていなかっただけかもしれないけれど。

「聞いたことなかったけどさ」

 俺は切り出す。先ほどの冗談で、ふと思ったことだった。「誠って、こんな女が好き、とかあるの?」

「ないな。あえて嫌だって条件をあげれば、身長差が大きいのと、寝てばっかりなのと、あと運動が得意すぎるのも嫌だな」

「内田じゃないか」

「実際、腕相撲で勝てない相手が彼女って、嫌だから」

「それはまあわからなくもない」

 俺もかつてはチビだった。悔しい思いは何度もしている。

「黒沢こそどうなんだよ」

「そうだな……話が合って、よく笑ってくれて、俺って案外出不精だからさ、外に誘ってくれる奴がいいかな」

「内田じゃないか」

「ええっ、まさか!」

 俺はわざと大仰に驚いてみせる。

「なんだよ、わざとかよ」

 誠は椅子に浅く座りなおして脚を投げ出した。俺は紙コップに残った氷を、口に流し込んでバリバリと噛み砕く。

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