秘密がある
なにか秘密がある。
内田麻衣は腕を組んで考え込んでいた。潰れるように押し上げられた胸は、肉感たっぷりにブラウスを張り、赤いブラを透けさせている。廊下を通り過ぎる後輩男子が、三度見していくが、内田はそのことに気がつかない。というよりも、まったく気にしていない。
膨らみ始めたころには周囲の視線に悩んだものだが、いつの間にかそういうことはどうでも良くなった。陸上部のユニフォームの露出が激しいせいだろう。
八月中は短縮授業。九月からは通常授業の予定ではあるが、文化祭までの三週間ほどは夏休みのロスタイムみたいな空気だ。どことなくみんな浮かれている。先生が授業中にする注意も、睡眠やおしゃべりではなく、作業をするなというものが多い。
それはそれとして、内田は今日も居眠りを注意されたが。
みんな真面目に準備に取り組んでいる。なにせ屋外開催ということで、言い出しっぺの黒沢と高梨は特に忙しそうにあれこれとやっている。
だけど何か、そう、何かがおかしい。
確信はないが、近頃の両親と同じ空気を感じていた。暗黙のうちに事態を進行しようとする空気というか、なんというか。
廊下の向こうから、中原千佳が歩いてくるのが目に入った。腕組みを解いて、ちょろっと駆け寄る。
「やあ」
軽く気取って挨拶をしてみると、思いのほか反応が良かった。
並んで歩くとその身長差に内田は悔しくなる。黒沢くんと同じぐらいか、と目測する。
「千佳ちゃんたち何するの」
「演劇」
「何役?」
「出ないよ、私」
「なんだ、冷やかしに行こうと思ったのに」
「冷やかしかよう」
渡り廊下で、陸上部の後輩の男の子とすれ違う。彼はスポーツ刈りの頭を下げて、気持ち良いくらいはっきりした声で、「こんちはっす」と言い、きびきび歩いて行った。
千佳は彼の背中を目で追いながら口笛を吹いた。
「超体育会系」
「なにそれ。っていうか、千佳ちゃんもバスケやってたんでしょ?」
「あー、うちはもうそういうのユルユルだったから」
「別にうちも……あ、そうだ。八組が何するか知ってる?」
「八組? 遠野のクラスか。喫茶店でしょ」
「じゃあなんで、眞鍋くんは絶対来るなって言ったんだろう」
先日、部活中に何をするかと訊ねてみると、
「たいしたことはしないから、絶対来るなよ、頼むから」と、言われたのだった。
「どうして、友達甲斐のない」
「友達だって思うなら、来るな、マジで」とまで言われてしまっては、内田としてもとりあえず引くしかなかった。
「さあ、なんでだろう。高梨にでも聞いてみる?」
「あ、高梨くんに会いに行くのか」
言われてみれば生徒会室の方面に向かって歩いていた。一号館の東階段を上がって西を向くと、三年一組から四組までと、生徒会室、特別教室しかない。
短縮授業の放課後はまだまだ日が高く、外を見ると中庭で遊ぶ女子の影は足元に落ちている。陽射しにはまだ夏の厳しさがあって、光と影は明確な境がある。
生徒会室のあたりは万年日陰である。空気まで淀んでいるようで、今は塗料のにおいに満ちている。うっかりマッチでも擦れば爆発するのではと思われた。学校正面の垂れ幕や、その他文化祭で使う道具であれば、塗料は学校側から支給される。生徒会室がその窓口だった。
生徒会メンバーは勢揃いで話し合いをしていた。知り合い二人の来訪に気がついて、高梨は席を立って入口に来る。
「ちょっと抜ける」
宣言してドアを閉めた。
「いいの?」
「後夜祭のプログラム決めだから。どうせ去年と同じ」
「あっそう」
千佳は鞄から紙の束を取り出す。「これ、判子よろしく」
「げ、ポスターかよ」
各クラス、部活動が、文化祭の出し物を宣伝するポスターである。生徒会承認印がないと貼り出しは許可されない。
「それ、なんでコピーじゃいけないの?」
「知るか。こっちだって知りてえよ。わざわざ全部チェックしていちいち判子捺すのダルいんだからな」
文句を言いながらポスターの束をぱらぱらとめくった。「毎年、目を引こうとして、ちょっといかがわしいイラストが混じってたりするらしいからってなあ。いっそコピーにすれば混ぜようなんて思わないのに」
「大変ね、高梨も」
「おう、わかってくれるか。ほんと大変。あ、で、内田は何用?」
「私は付き添い」
八組のことが頭にはあったが、忙しそうなので本番の楽しみにしておくことにした。
「なんだ、良かった」
「忙しそうだし私たち帰るね。仕事、頑張って」
内田が励ますと、高梨はがっくりと肩を落とす。
「えー? もうちょっと話そうぜ。帰りたくない」
「でも後輩の子、睨んでたよ?」
「サボってたって誰かがやるんだから、頑張りたくはないんだけどなあ」
文句を言いながらも、素直に生徒会室に引き返していくあたり、悪い人ではない。
「そういえばさ」
千佳がからかうような声を出す。「夏休み前、高梨に泣きつかれたんだけど。内田が怖いようって」
「え、なにそれ」
「修ちゃんのことでキレられたって」
「ああ、それか……」
別にキレたつもりはなかった。自殺未遂だとか成人の儀だとか願掛けだとか噂されていたあの飛び降りについて、どうせ関係しているのだろうと思って、事情を訊ねにいったのである。ただそのときは眠気がひどくて、たぶん目つきが悪く、声は低く、口調は刺すようだったかもしれない。
謝っておかなくちゃな。
内心反省していると、千佳がにやにやしていることに気がついた。
「なに?」
「べっつにぃ」
「千佳ちゃんもさ、どうなの」
反撃のつもりで曖昧に訊ねる。
「なにが?」
「八組の話で、最初に思い浮かべたのがあいつの理由」
それだけではない。そういえば遠野のことを何度か質問されたことがあった。
「……それはほら、一番頭が良いからね」
「ふぅん」
たっぷり意味ありげに声を漏らし、目を細めてやる。
「なによ」
「べっつにぃ」
彼女にもまた、秘密があるのだ。ほとんどバレていても、口にするのは恥ずかしい秘密が。
○
美術部所属の三年、大石昌義には秘密がある。
がらんどうの六畳間が描かれたキャンバスをじっと見つめて物思いに耽る。カレンダーのあった場所だけ日焼けしていない壁、長年ベッドが置かれて凹んだ畳。部屋を照らすのは窓から射す四角い夕陽だけ。
自分の部屋をモデルにした「夢のあと」という題の絵は、正直最高傑作だった。全体にぎりぎりピントが合っていないようなボケを入れたのが上手くいった。
「昌義くん、何考えてるの?」
後ろからの声に、大石はドキッとする。聞き間違えるはずもない、小林百合子の声である。
同じ美術部に所属する彼女は口数が少なく、眼鏡をかけ、直線的な前髪を自信なさげに垂らしているが、暗いとか重いとかいう印象は無くて、むしろどこかお嬢様的清楚感をかもし出す女子で、要するに地味美人である。派手美人筆頭のギャル美には及ばないが、しかし愛らしさではギャル美の上をいく――と、大石は思っている。
そしてなにより二人は交際関係にあった。
十人いれば九人までが柔道部だろうと予想し、残った一人はゴリラの仲間だと揶揄するような自分とでは、不釣合いだという自覚があった。ただひとつ、美術に対する感性だけは不思議と一致していた。
「仕上げをどうしようかと思ってな」
「えー、これで完成じゃいけないの?」
ついた嘘を後悔するほどに、同じ感覚である。
またむっつり考え込んでいると、入口が勢い良く開かれた。
「生徒会でーす」
高梨副会長の声だ。「精が出ますなぁ」と独りごちながら、出しっぱなしのキャンバスや画架の迷路を避けながら、すいすいと中へ入ってくる。
「ちゃんと健全な絵を描いてるか?」
「もちろん」
大石は肯いて、好きに検分しろと手でうながした。




