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走り出したら  作者: 肉団子
1章
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走り方を教えて欲しい

 その日は午後から健康診断が行なわれた。

 校内各所を回り、あれやこれやと調べられる。一年生のときには学校を探検するみたいで楽しかったけれど、今となっては全部隣り合えばいいのにとしか思わない。

 視力検査待ちをしていると、廊下の先から俺たちのクラスの女子が歩いてくるのが見えた。

「なあ高梨くん」

「なんだい黒沢くん」

「内田ってあんなんだっけ?」

「あんなん?」

 ぞろぞろと目の前を行き過ぎる女子に目をやる。最後尾を妖怪のようにゆらゆら歩く内田を、俺たちは揃って右から左へと首を回して追った。

「胸は前からでかいだろ」

「そうじゃない。あんなトロい奴だったかってこと。もっと元気じゃなかった?」

「どうだろう。体育できるんだし、トロいってことはねえと思うけど」

「だよな」

 だとすると、あのゾンビはいったい誰なのだ。

「そういやよ、考えてくれたか?」

「なにを?」

「馬ッ鹿おまえ……」

 素早く周囲を確認、聞こえないように声をひそめる。

「モテてたいって話」

 一人前の羞恥心はあるらしい。もうすこしそれに影響されてくれはしないだろうか。

「今から全裸で校庭走ってくれば目立てるぞ」

「……それは手段だろ?」

 思いがけないほど的確な反論に、俺はしばし唖然とした。

「さすがに騙されてくれないか」

「あったりまえだろ……なに、そんなに内田のこと気になんのか?」

 言われて、内田の消えていった廊下を見ていたことに気がついた。

「いやそういうわけじゃないんだけどな」

「おまえも好きだなァ、おっぱい」

「あ?」

「中学の陸部にもいたろ、胸のでかいの。茅野だっけ。あれ今どうしてんだっけ?」

「知らない。卒業してから会ってないし」

 どうしてこう、どうでも良いことばかり覚えているのだろうか。余計な腹を探られたくなくて家に帰るまで、いかにして目立つべきかを話すハメになった。

 名案など浮かばずに、まったくもって無駄な時間を過ごした。



 会うこともあるだろうとは言った。そうなるべく、自分の言葉に従って公園を通るルートを走ったことは事実である。が、まさか昨日の今日で遭遇することになるとは思っていなかった。

 公園のグラウンドには、心もとないがナイター照明がある。大きなグラウンドの端っこのごく一部分だけを白く染め抜いている。街灯に群がる蛾のごとく、サッカーの練習に励む人たちがいた。

 彼らを尻目に、俺が公園のグラウンドを横断していると、昨夜座ったベンチに内田がいた。そのときより心持ち明るい色のパーカーで、フードをかぶっている。ほどよく鍛えられた両脚を前方に投げ出して、ぼーっと空を見上げていた。

「よっ、奇遇だな」

 言いながら隣に座る。「うわっ」と声を漏らした内田は、居住まいを正し、フードをちょいと深く引き下げた。

「こ、こんばんは。まさか本当に来てくれるとは……」

「そりゃ約束したもん。来るよ」

「ですよね」

 内田はあきらかに横目で俺をうかがう仕草をとる。昨夜もそこそこ不審ではあったが、今日は輪をかけて怪しい。

「フード、取らないの?」

「あの、黒沢くん。もしかして今朝、話しかけてくれました?」

「うん。挨拶を」

「うわあ……」

 内田は上体から力を失い、両手で顔を覆った。「別に気にしてないぞ」と言い終えぬうちに、かぶせるように捲くし立ててくる。

「違うの、悪気はなかったんだよ。ただ私、どうしても朝に弱くてね、寝起きが全然ダメなんです。最近は特にひどくて、学校でも半分くらい寝てて、だから目がちゃんと開いてなくて、声も思うように出なくて、だから勘違いしないでね?」

「お……おう」

 何を勘違いするのだろう。

 内田はようやく身体を起こし、慎重な手つきでフードをとった。照明の光は遠く、はっきりとは見えないが赤面しているらしい。

「春眠暁を覚えずだから。しかたないんですよ」

「そうだな。覚えないな」

 なんとなくお互いに相手を見づらくて、サッカーの練習に目を向ける。社会人か、いやおそらく大学生くらいだろう。

「内田って走る時間決まってる?」

「ううん。晩ご飯終わって、勉強して、息抜きに走るから。あ、でもまあ前後一時間くらいですね。黒沢くんは?」

「まあ……同じ感じだな」

 勉強が読書やテレビということ以外、である。いい格好をしたかった。

「でも九時からの映画がおもしろそうなときは走らない」

「あっ、わかる。十一時からかって考えると走りづらいよね」

 ふふふ、と息を漏らすように笑った。口元を押さえる仕草が女の子っぽい。

「そんなに面白いか?」

「こんな話するのはじめてだなって」

「へえ、意外。部活の連中としないの?」

「中学のとき、してた?」

「ああ、そういえば……」

 そんな話をした記憶はない。そもそも自主練をあまりやらなかったのだから当然といえば当然なのだが、それにしても陸上部内でプライベートな陸上競技の話をしたことなど一度もない。そこまで不真面目だったつもりもないのに。

 くすくす笑っていた内田が、突然まじめな顔つきになった。

「ねえ黒沢くん。私ね、来月、大会があるんです」

「大会?」

「うん。インハイの地区予選」

 インターハイ。たしか総体のことだったか。テレビでしか聞いたことがないので、いまいちイメージが湧かなかった。

「それがどうしたんだ」

「もし、良かったらでいいんだけど……私に走り方を教えてくれませんか」

「そんなもん、顧問に頼めよ」

「教えてもらってるよ。でもそうじゃなくて、なんて言ったらいいのかな……」

 内田は小首をかしげながら腕を組んだ。その腕に、存在感たっぷりの胸が乗る。まあ、なんというか、非常に刺激的な光景だ。薄暗さが本能を増長させる。

「そ、それにな」

 意識的によそを見る。「たぶんだけど、内田のほうが足、速いだろう」

 釈迦に説法である。

「そんなことはないと思うけどな」

「どっちにしたって、三年前にやめた奴と、現役の内田なら、おまえのほうが詳しいだろ。俺が教えるようなことなんて、何もないよ」

「それなら、黒沢くんがどういうこと意識して走ってるとか、そういうことだけでもいいんです。黒沢くんの走り方を教えて欲しい」

 そらしていた視線を戻すと、えらく真剣な眼差しで俺を見つめていた。

「なんで?」

「最後だから。後悔したくない」

 黒目がちな瞳は、闇の中でも爛々と輝いている。素直に引かれた眉毛が、内田の性格そのものだろうと思われた。

「大会前にフォーム崩したら大変だろ」

「大丈夫。参考にできそうじゃなかったら忘れます」

「……わかった。何ができるか知らないけど、とりあえずやってみよう」

 どうして俺から走り方を教わることが後悔しないことにつながるのかはわからなかったけれど、彼女は何かを確信しているようであった。

「ただし、今日じゃない。走り方なんて俺も忘れてんだから。次の機会ってことでいいな?」

「うん、ありがとう。無理言ってごめんね」

 安心したのか、ふにゃっと表情の緩んだ内田は、背丈相応の子供みたいだった。

 それから数日間、俺は記憶を頼りに短距離走の練習をする日々を送った。

 準備運動から筋トレまで、当時と同じようなメニューをこなしてみると、だんだんと身体が思い出す。さすがにちょうど良いチューブやメディシンボール、バーベル、スターティングブロックは家にはなく、あくまでもなぞる形になったけれど。

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