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走り出したら  作者: 肉団子
3章
45/124

スリッパは脱げよ

 振り返って見ると、入口に内田が立っていた。白っぽいTシャツにスパッツを着ている。おろした髪を見るのはひさしぶりだ。

「なんだ、内田か……びっくりした」

「今度は盗みですか? 感心しないなあ」

 口を尖らせて、責めるような声音を作っているが、不慣れなのかわざとらしい。千佳はこれが物凄く上手である。

「ちょっと使うだけだっての」

「何に? ……あ、もうそんな時間?」

 内田は素早く振り返ると、「文化祭の準備だからー!」と、おそらく陸上部員に報告する。

「こんな暑いのに部活ですか」

「気持ちいいよ。黒沢くんもどう?」

「三年の夏から入部するのってありなのかな」

「さあ? 着替えるの待っててもらえる?」

「うん」

 返事を聞くと肯いて、更衣室へ消えていく。

 体育用具室と男女の更衣室は、体育館のグラウンド側にドアがついている。その並びにウォータークーラーが二台と、隣に長椅子が一つ。そこに腰かけてサッカー部と陸上部を眺めていると、なぜか身体がうずうずしてくる。

 素直に運動がしたいと思うのは、いったいどれくらいぶりだろう。

 やたらと眩しくて目を細めながら、夏の幻みたいな人影を、俺は寂しく見つめていた。

 内田が制服に身を包んで出てくるまでに、それほどの時間はかからなかった。ゴムでくくった髪が、彼女の後ろで揺れている。

「あのさ」

「うん」

「心配かけたみたいで、ごめんな」

「あら、どうして私が心配するんですか」

 内田がとぼける。しかし、たしかになぜ内田が心配するのだろう?

「友達思いだからだろ」

「……私、心臓止まるかと思ったんだからね」

「本当にすまん。あんな無茶は、たぶんもうやらないと思うから」

「たぶん、ねえ」

 並んで歩いていると、内田がすっと距離を取ったように感じた。

「なに?」

「なにが」

「距離」

「汗くさいかなって」

「いや、気にならないよ」

「気にするの」

 そのまま教室まで辿り着く。ドアを開けるとそこに、男子数名が縦に並んで寝転んでいた。あやうく踏みそうになりながら教室に入る。頭同士をくっつけて、足同士をくっつけて、四人が連なっている。

 おしゃべりをしていた女子が、その様子を携帯電話のカメラで撮っている。

「なにやってんだ」

「いやな」

 と、ドアのところに寝転がっていた長谷部が俺を見る。「身長を足せばわかるんじゃないかって話になって、頭に足を乗せたくないだのなんだのって結果、こうなったんだ」

 人間尺をたどって見れば、教室の端には届いていない。

「足りてないけど、いろいろと」

「みんなバカらしいだの、恥ずかしいだのって」

「……まあ、やるにしてもスリッパは脱げよ」

「ああっ、そうか!」

「っていうか、メジャー持ってきたから、これで測るぞ」

 立ち上がる彼らが赤面していることは指摘しないでおくことにした。

「そんなの、どこにあったんだ」

「体育用具室」

「勝手に持ってきたん?」

「借りてきたんだよ、無断で」

「それを勝手に持ってきたって言うんだけどな」

 雑談をしながらでも簡単に測れるのが巻尺の良いところだ。縦一〇・横八メートルほどだった。

 今度はそれを基に、紙の上に迷路を書いていく。どういうものがいいか、そこにいた全員でやることにした。

「通路の幅、どうする?」

「一メートルだとちょっと狭いかな」

「一メートル半?」

「じゃあまあ、そのくらいで」

 曲線などの複雑な形は、再現するときに面倒なので、適当に格子状に線を引き、通路を消していくことにした。そうすれば実際にはすべて柱間の直線で済む。

「メジャー返さなくていいの?」

 作業をしながら、信楽君が言う。

「帰る前に返しとくよ。外暑いもん」

「また怒られるぞ、島田に」

「でもよ」

 と、加藤が話に入ってくる。「俺、あいつパチ屋で見かけたぞ。どうなの、生指がパチンコ通いって」

「いかんなあ」と、俺。

「いかんですなあ」と、信楽君。

「何がいけないって、今の言い方だと加藤、パチンコ打ってることになるのがな」

「……まあそれは置いておけ」

 雑談に花が咲くのは、この迷路作りが簡単だからではない。逆で難しいからだった。適当に分かれ道を作っただけでは、どうにも単純すぎる。それになんとも下手くそに見えるからだ。

 作るのが面倒になるだろうけれど、机なんかを置いて立体迷路にする、とかはどうだろうか? 悪くはないが、渋滞や事故が心配だ。

「これってさあ」

 何気なく口を開く。頭の中を整理するためだ。「入口から入って出口から出ないといけないわけ?」

「なに? 出口から入りたいの?」

「そうじゃなくて、入口と出口が実は同じだったとかそういう……」

「実現できるかはともかく、黒沢って性格悪いなー。フェアプレイの精神はないわけ?」

「迷路のフェアプレイってなんだよ」

 と、俺を貶した加藤のほうを見る。彼の向こう、廊下側の壁の下部に、小さな扉があることに気がついた。

「あの下のやつが出口ってのは?」

 周囲の人間が、つられてそちらを見る。

「やっぱり性格悪いなあ、おまえ」

 そのうちに内田が肩を落として近付いてきた。心なしか猫背で、手に持った紙を俺のほうに渡してくる。

「私、こういうの向いてないみたい」

 もはや迷路なのか通路なのかわらかないデザインがなされていた。考えあぐねた末に、いかに教室を長く歩くかという別競技が始まった感がある。

「他にすること、ない?」

「あー……それじゃ、段ボールをひろげて」

「うん、わかった」

 内田に倣い、頭より体を動かそうという連中が段ボールへと向かっていく。

「そういや、壁のデザイン、どうする?」

 俺の問いに、段ボール班の中から応答がある。

「どうって?」

「段ボールそのままじゃ物足りないだろ。だから木か煉瓦風に絵を描いたほうがいいと思うんだけど」

 それにロゴや文字を目印にされても悔しい。できる限り統一感があったほうが良いだろう。

「壁もだけど、結局どうやってお客さん集めるの」

「渡り廊下にも簡単な迷路作って、ポスターでも貼っとけば?」

「それは作業が面倒だよ、面倒」

 詳細は決まらないまま、暫定的な作業で一日を過ごした。文化祭まで日数はあるとは言え、いささか不安を覚える。

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