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走り出したら  作者: 肉団子
2章
38/124

謝ったら、許してくれます?

「そういやさぁ!」

 俺は背後に向けて声をあげる。「千佳、いるだろ!」

「中原?」

「そう。あいつ、誠のこと好きなんだって」

「マジで?」

「らしい。本人が言ってた」

 下手に歩道を走るより、車道を走り続けたほうが段差がなくて尻に優しい。ただし時々追い越していく大型トラックに心臓が止まりそうになる。

「オレさあ、あいつは黒沢のことが好きなんだと思ってた」

「はぁ?」

「そんで、おまえも中原が好きなんだと思ってた」

「ないって、それはない」

 今はない。

 そんなふうに思っていた時期も、確かにあったような気はするけれど。それこそ小学校のころだ。

「なんだったら結婚するんだろうなって」

「それ……はあるかもしれない」

 その想像は驚くほど自然にできる。ぞっとする将来の想像を、俺は大声でかきけした。

「っていうか、あいつが俺を好きだと思ったの、いつの話だよ」

「えっと、中学くらい?」

「そんな昔の話されたってなあ」

 しかも高梨の想像だ。くわえて高梨は馬鹿だ。振り返った路上にゆらめく陽炎と同じような不確かさだろう。

 すべては夏の幻だ。

 過去を回想すること、未来を妄想すること。どちらも夢を見ているのと変わりはしない。どれだけ鮮明にトレースできようと事実は覆らないし、どんなにリアリティのある想像をしたところで、その未来に行き着くわけではない。この世にあるのは今だけだ。

 どうしてこんなことをしているんだろうと悔やんでも、クーラーの効いた部屋に瞬間移動はできない。今すぐ引き返すにしても、大仏に会うにしても、その選択をし、辿り着かんとペダルを踏むことしか俺にできることなどない。

 とはいえ……。

 いくら頭でわかっていても、心はそれを受け入れない。どうしてこんなことしてるんだ。誰のせいなんだ。何が原因なんだ。

 考えてもしょうがないことばかりが頭の中をぐるぐると回る。


          ○


 ナスカの地上絵を描きたいと高梨が言い出した。

 長い紐を使うのだと聞いたことはあったけれど、二人で上手くこなせる自信がなかった。そこで、ノートに元になる絵を用紙して、それを一センチ四方に区切り、校庭には一メートル四方で再現していく方法で、なんとか地上絵を再現した。

 翌日、朝一番に名指しで放送がかかった。証拠はないはずなのに、教師は俺たちだと決めつけていた。

「またおまえらかッ!」

 あんまり強く机を叩いて、担任教師はその手をさすった。

「どうして俺たちなんですか」

「おまえら以外に誰がやるんだ?」

「……さあ?」

「シラぁ切る気か? それなら――」

「やーりました! やりましたよ! でも上手くできてたでしょう」

「元の絵が下手くそだから再現するのが難しかったな」

「バカもんッ! 下手だからダメ、上手いから良いって問題じゃないんだ!」

 今度は拳を握って小指を机に叩きつける。痛そうに顔をしかめたが、意地なのか今度はさすらない。

 他の教職員もびっくりしてこちらを見ていた。

「でもガラスを割ったとか、机を壊したとかじゃないんですから。グラウンドだってちょっとブラシかけりゃ……」

「白線引きの粉は減るだろ」

「体育用具入れのロッカー、鍵修理したほうが良いですよ」

「ん、まあそれもそうだが……いや、そうじゃない! まず夜中の学校に忍び込むなと言ってるんだ。どうしておまえはこう、素直にすみませんが言えないんだ」

「謝ったら、許してくれます?」

「考えてやる」

「すみませんでした」

「もうやりません」

 高梨と揃って頭を下げた。衝撃が頭に響いて、膝から崩れおちた。

「ッてえ!」

 許されるとは思っていなかったけれど、この野郎殴りやがった。たんこぶににならないように揉んでいると、先生は遠くに投げかけるように声を出す。

「ああ、中田先生。先生からも何か言ってやってくださいよ」

 中田とは陸上部顧問の爺である。

 すでに総白髪で、皺だらけの顔をしている。ヘビースモーカーかつ飲兵衛の定年間近だというのに、細身の身体にありあまる力は陸上部で一番だった。

「黒沢ぁ、おまえもほんに落ち着かん奴やなァ。今度は何させられたいんや」

 梅雨のころ、水に濡れるとやけにすべり、しかもバカみたいに痛い廊下を利用して、人間ボーリング大会を開催したときは、吐くまで走らされた。吐いても走らされた。気絶というものを人生で初めて体験した。

「あの、校庭整備するんで……それで許しては……」

「そっちの、高梨やったか」

「ハイッ」

 俺がビビっているせいか、高梨まで緊張しているようだった。

「おまえは陸上部やないし、田浦先生に任すとして、黒沢、一時間目までに校庭のアレ消しとけ」

「え? それだけでいいんですか?」

「アホか。放課後までに体育用具室の掃除。特別メニューは部活までに考えとくからな」

 それだけ言うと、上機嫌に職員室を出ていった。怒っているよりも怖いのは、なぜだろう。



 翌朝の登校中、千佳とばったり会ってしまった。

「修ちゃん、昨日帰ってくるの遅かったんだって?」

「なんで知ってんだよ、っていうか修ちゃんやめろよ」

「お姉ちゃんと話したから」

「あっそう」

 姉はお年頃なのか、最近特に俺を邪険にする。挨拶さえ返してくれないので、いつの間にか会っても会話をしなくなった。どこでも兄弟姉妹なんてそんなものだろうけれど。

「罰で走らされてたから」

 なにをやらされるんだと怯えながら部活に出ると、普通に練習が始まった。先輩にあれこれとからかわれる他は特になにもなく、むしろ楽なメニューなくらいで、心地良い披露とともにダウンを始めようとしたところを、顧問に呼び出された。

 そこからハーフマラソンである。短距離だから、というわけではないけれど、俺は長距離が苦手だった。しかも自転車で俺を追い、ペースが落ちると尻を竹刀で叩かれたのである。

「いい加減、落ち着けば?」

 千佳は俺を見下すように視線をくれる。いや、実際に見下されている。物理的にも精神的にも。中学一年生の身体測定で気がついたが、成長期が先に来た彼女は、俺よりずっと大きかった。それに最近少し大人っぽくなって、なぜかうちの姉に似てきた気がする。

 それが腹立たしい。

「そういうのは高梨に言ってくれよ。あいつがやろうって言うんだもん」

「じゃ、断ればいいじゃない」

「おもしろそうだからなあ。それにみんなだって楽しんでくれてるし」

 人間ボーリングのときも、その前にやった校舎ターザンも、小学校卒業のときにやったバンジーも、周囲には笑顔があった。

「男子ってほんと子供」

「女子はそうやって男子見下していい気になるけどな、先に成長期がくることがそんなに偉いのかよ」

「……そうやって意味もなくつっかかってくるとこが子供なの」

 正門が近付いてくると、どちらともなく口を閉ざし、歩くペースを意識的に変える。つかつかと歩いていく千佳の背中を、なぜか寂しい気持ちで見ながら、だらだと歩いた。

 教室でのんびりしていると、顎にガーゼを貼り付けた高梨が登校してきた。俺と目が合うと、にかっと笑う。その目元にも絆創膏が貼ってあった。

 そういうことは、何度かあった。俺だって痛い目をみたことはある。悪目立ちをすると、それを気に入らない連中がいるものだ。狭いコミュニティの常である。

「派手にやられたな」

「まあな」

「誰? また浜崎?」

「いや、二年の先輩。名前は知らんけど」

 高梨はガーゼの上を慎重に撫でた。「敵討ちに行くなんて、言うなよ」

「なんで俺がそんな面倒なことしないといけないの」

「……そこはおまえ、行くって言えよな」

 次々登校してくるクラスメイトにからわかれる高梨は、恥ずかしそうな誇らしそうな、複雑な表情で笑っていた。

 昼は弁当なのに、教室で食べるという決まりだった。それもいちいち、班ごとに五、六個の机をくっつけなければならない。班員たちと適当な話をしながらさっさと弁当を食べ終わり、さて昼休み何をして暇を潰そうかと考えていると、ドアのところから、

「黒沢ぁ」

 と、気弱そうな声が飛んできた。「なんか、お客さん」

 クラスメイトの隣には、一回り大きい体つきの男子生徒がいた。どうせそうだろうと思い高梨を見ると、頬がぴくぴくしていた。

 ちょっとは面白くなくなってきたぞ。俺は逃げてやろうか考えながらドアへ向かう。昼休み中鬼ごっこをするなら、逃げ切る自信はある。ただ俺が逃げたせいでまた高梨が殴られるのは、ちょっとばかり心苦しい。

「黒沢ですけど」

「高梨の仲間だな?」

「仲間……まあ、友達です」

「じゃあ着いて来い」

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