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走り出したら  作者: 肉団子
2章
37/124

駄菓子屋

「うわ、山の上に家があるぞ。アホだ」

「アホはおまえだ。こういう家には自転車なんてないんだぞ」

「マジで?」

 と、高梨は小さな石橋を渡り、おそらく敷地であろう家庭菜園と植え込みの向こうに消え、小走りに戻ってきた。

「マジだった」

「だろ?」

 得意気に笑って見せたが、坂の多い地域には自転車に乗れない人が多いと、前日のテレビで見ていただけである。

 しばらく歩くと道が下りに変わり、俺たちは喜び勇んで自転車に跨った。しかしいくらもいかないうちにまた長い上り坂になる。ぬか喜びさせやがって。

 真横を通る車に慄きながら、ペダルを漕いだ。楽をすることを覚えた脚は、早々に仕事を放棄するので、俺たちはしかたなくまた、えっちらおっちらと自転車を押して進む。

 道はなだらかなカーブを描いて木々の向こうへと消えている。つづら折りではない。対向車線だって現れているのだ。峠は近いはずだと自分に言いきかせて一歩ずつを踏みしめる。

 古来峠は国境であったという。ここ生駒山も奈良への県境であるはずで、どこからがそうなのだろうかとふと気になった。上を見るのが辛くて、足元ばかり見ながら歩いていたので、ひょっとするとすでに越えたのだろうか?

 大した違いはあるまい。同じ山なのだ。どの自治体であるかより、上りか下りかが重要だ。

 歩道などという優しい空間はなくて、俺たちは路肩を歩かされる。

 隣に並ぶことは危険で縦になっているせいで、会話がそもそも面倒くさい。大声を出す元気はないし、いちいち振り返る余裕もない。必然的に無口になり、一心不乱に山登りという苦行に挑む。すると精神を守るためか頭はまったく別のことを考え出す。

 こういう場合、未来のことを想像することはめったにない。大抵過去のこと、それもごく身近な出来事がほとんどで、要するに自分を見つめ直すということだった。

 そうだ……だからなのだ。

 だからさっきから、どうしてこんな苦しいことをするハメになったのだろうと考えていた。

 それは今朝の思いつきのせいで、その状況はプールへの飛び込みが原因で生まれたものであり、あの衝動もまた自分ではわからない理由に基づいているわけで。辿りたどっていったとして、どこへ行き着くのだろう?

 ふと背後を振り返る。高梨がゾンビみたいに俺を追って来ていた。

 圧縮されていた記憶が、突然に解凍されて復元する。もちろん、その瞬間を迎える要因はさらに過去に存在するだろうが、たぶん、今回のことの始まりは、こいつだ。

 そんな考えに至ったとき、脚がふっと軽くなった。

 峠である。山道の上りと下りの入れ替わる場所。

 高梨と意味のない握手をし、ペットボトルで乾杯して喉を潤した。車が途切れるのを待ってから俺たちは自転車に飛び乗った。

 一漕ぎ、自転車は加速する。二漕ぎ、重力はもっと速くと自転車を引く。

 すぐにペダルを回しても空転を始める。空気がごうごう音を立てて俺たちにぶつかる。景色は飛ぶように後方へと流れる。次第に意識は道路の先だけに集中してゆく。

 かいた汗の分だけ、身体がすうっと冷やされる。シャツの正面は空気に押されて身体に貼りつき、背中側では風を孕んで暴れている。ふと思い立ってハンドルを軽く動かしてみると、車体がガタガタと揺れ始める。俺は歯を食いしばって揺れを抑え込む。前輪の振動はそのうち置き去りになった。

 下手にブレーキをかけるほうが危なくて、延々と登った山をジェットコースターのように下り切る。

 平地に入ってもしばらくは慣性を頼りに進んでいく。緩やかになってきたころ、コンビニが目に入った。寄っていくぞと手振りで指示して、俺はそちらへ舵を切った。



 小学五年生のことだった。

 どんなバカをやらかしたのか、高梨が六年生にからまれているところにばったり遭遇してしまった。まだ喋ったことすらなかった俺に、ただクラスが一緒というだけで地獄に仏という感じに助けを求め、結果的に共犯のように俺までからまれることになった。

 上級生三人に殴り合いは分が悪いなと思って、大人しくしていたら、彼らはなぜか度胸試しをさせようと言い始めた。

 俺たちに二〇円を渡して、学校裏の駄菓子屋でお菓子を買って来いという。

 それで満足するならばと、泣きそうな高梨を引っぱって、フェンスの穴から外へ出た。職員室のガラスを割って来いと言われたら、絶対に逃げていた。

「ムリだよ……」

 俺の後ろでぐずぐずと泣く高梨に、軽く蹴りをくらわせる。

「おまえのせいだろ」

「そうだけどさぁ……」

「ま、泣いててくれたほうが良いよ。正直に言えば売ってくれるかもしれない」

 駄菓子屋の店主はいつから婆さんをやっているかもわからないような婆さんのくせに、いまだに元気が有り余っているらしく、子供の悪さを見つけようものなら説教と学校への通報を欠かさない。学校を抜け出しての買い物と弱い者いじめ。どちらに天秤が傾くかは彼女の良心次第である。

「……どっちもアウトかも」

 なにも犯罪をしようっていうんじゃないんだ。怒られたら怒られたときだ。

 駄菓子屋の店内は、広めの土間に無理やり商品棚を並べたように狭く、日中は電気を切っているため暗い。店主はたいてい奥でテレビを見ている。

 うまい棒を手にとって、堂々と店主を呼ぶ。奥から出てきた婆さんは、俺たちの姿を確認して眉をひそめた。

「なんや。あんたら学校はどないしたん」

 正直に話そうと思っていた俺の口は、しかしでまかせを言う。

「……おつかい。理科の実験に使うって」

「駄菓子を?」

「うん」

「何によ」

 冷や汗をかく。そんなの考えてない。脳裏に姉の教科書が浮かぶ。

「だえき」

「……ほうか」

 半信半疑という顔をしてお金と商品を引き換える。俺たちは足早に学校に戻った。さっきまで泣きそうだった高梨が、目をきらきらさせて俺を見ていた。

 何の勘違いがあったのか、高梨はこの日からやたらと俺に絡んでくるようになって、いつの間にかコンビのように扱われるようになった。



 コンビニでおにぎりを二つ買い、駐車場のタイヤ止めに座りながら、あっという間に食べた。俺が食べ終わる頃、高梨がカップ麺をこぼさないようによちよちと歩いて出てきた。

 ロケットを打ち上げたみたいに、高く伸びる入道雲を見上げてため息をついた。

「こんな暑いのにか」

「いいんだよ、美味いんだから」

 高梨の持ち込む厄介事を、あの手この手で解決していくのはそれなりに楽しかった。およそ意味などないことばかりだったけれど、大人にはいい顔をされない分だけ、同級生からはもっとやれと歓迎された。あの頃から高梨は、人の心を掴む才能があったように思う。

 俺のほうから高梨に何かを持ちかけるのは、もしかするとこれが初めてのことだった。

「そんで? 山は越えたけどどうすんの」

「奈良なら行くとこなんて――」

「奈良ならっ!」

 高梨は麺を噴き出した。笑いながら咳き込んで苦しそうだ。

「ダジャレじゃないから! 拾うなよ、そんなとこ」

「奈良ならって……奈良ならな……」

 ようやく落ち着いてきた高梨の鼻から麺が出ていて、今度は俺が噴き出した。

「大仏、見に行こう」

「あー……あれなー……。道、わかるの?」

「家出る前に地図見てきた。だいたいまっすぐだ」

「んなアバウトな」

「大通りをずっと行けば着くはずだって。途中からは看板とかあるだろ、たぶん」

「ま、オレは付き合うけどさー」

 スープを一口飲んでから、残りをゴミとして捨てて、高梨はぐっと伸びをした。

 昼食の休憩をとると、身体は元気になる。自転車を漕ぐ脚にも力が戻った。現金なものだ。

 現金な元気……いや、言えば絶対に笑われる。笑わせるのではなく、笑われる。

 山を越えても平坦な道は続かず、アップダウンを繰り返す。しかしペダルを踏めないほどではない。下手に歩くよりはマシだろうと立ち漕ぎで、車体を振って登っていく。財布やペットボトルを突っこんだ鞄は、肩にかけておく。荷物があると、前輪が無駄に重くて車体がぶれることに気がついたからだ。

 だんだんと自転車で長距離を走るコツがわかってきた。加速と減速が敵なのだ。リズム良く一定のスピードで脚を回転させるイメージで走り続けること。これが最も楽だった。

 ランニングと同じだ。いやきっとほとんどの物事は、同じ運動を続けることが、もっとも楽な継続方法だ。学校に通うことも、たぶん生き死にだって。

 それからこういう場合、シティサイクルではなくスポーツバイクを使うこと。

 俺たちが必死に走るのを嘲笑うように、ヘルメットを被ってやたら低い姿勢の自転車が追い抜いていく。

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