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走り出したら  作者: 肉団子
2章
27/124

なんでこんなことになったのだろう

 山をのぼり始めて、どれくらい経っただろうか。自転車はもはやただの重量物でしかなかった。

 全身を使ってペダルを踏む。熱と抵抗でクランクが曲がるのではないかと危惧しながら、全身を使って一踏み。右のペダルが下まで回ると、ふらふらしながら左脚に力を込める。

 筋トレだってこんなに辛くはない。汗を滴らせながらペダルを回した。

 右手を斜面に、左手を背の高い木々に挟まれて、風は死んでいた。それなのに真夏の太陽ばかりが、俺を責めるかのようにのしかかってくる。陽光には確かな質量があった。

 木々の切れ間に、小さくなった街が見えた。

 ずいぶん高くまで登った気がするのに、まだまだ終わりは見えてこない。

 ゆっくり呼吸をしてみても、溺れているのではと錯覚する湿度。

 登坂力を見せつけるようにして、トラックが熱い空気をまき散らしながら俺を追い越していく。

 心がぽきりと折れた。自転車をおりて、押して歩く。

 どうして俺はこんなにも苦しんでいるのだろうか。

 これといった理由はない。衝動なのだ。若さが爆発したのだ。

 よくわからないけど、たぶんそういうことだ。

 かいた汗は肌の上でどんどんと熱くなる。皮膚が焦げていくのがわかった。

 坂道の先は蜃気楼に揺らめいている。

 すべてが夏色だった。

 緑は濃く、青空は深く、黒いアスファルトだけが白く照り返し、影との境界を目に痛いほど浮かび上がらせる。ぽたりと垂れた汗が、なお暗い染みになる。

 夏の高気圧は一日の快晴を約束しているらしい。

「なんで……」

 なんでこんなことになったのだろう。


          ○


 教室が明るくなった。男子は学ランを、女子はブレザーを脱ぎ、白いシャツを露にし始めたからである。

 暑くなりつつあったが、それ以上に湿度が上昇している。梅雨前線が列島に横たわっているらしい。

 梅雨の晴れ間を「五月晴れ」というそうだ。適度に気温が高く、湿度は不快にならない程度。つまり五月晴れとは、サボり日和というほどの意味だった。

 学校には四〇〇メートルトラックがないくせに、なんと弓道場がある。三号館の北に食堂があり、そのまた北にはクラブハウス。その東側、敷地の北東の角に、ひっそりと佇んでいる。

 校舎からは見えず、芝生があって心地良い。週に一度か二度、そこへ出かけて昼寝をすると、それだけでなんとなく学校に来る意味がある気がした。

 三年七組は現在、現代文の授業中である。本を読めば良いだけの教科で、いったい何を教師から学ぶというのだろうか。

 初夏の太陽の安らぎに身を委ねているほうがずっと幸福になれるのだ。

 そんな言い訳を、誰にするでもなく口にして、俺は意識を手放した。



「それで、あれだけやってどうなの?」

 二号館の東非常階段の二階部分から繋がる、下足ロッカー広場上の謎の空間で、高梨と誠と弁当をつつきながら俺はたずねた。

「モテるのどうのって」

「なにそれ」

 誠が食いついた。

「いやな、体育祭でこいつ、ぶっ飛んだろ。あれって、こいつが目立ってモテるためだったんだよ」

 ここは人が来ないので、俺は遠慮なく言った。

 それもそのはず、この東非常階段には「立ち入った者は喫煙者とする」という謎の立て看板のせいで、誰も近寄らないのである。しかも二号館の北側に位置し、三階部分にも何かの施設があるおかげで、昼時は日陰になっていて快適だ。

「くっはは」

 誠はいかにも堪えきれなかったという笑いを出した。「高梨は相変わらずだな」

「だからどうなのかなって」

「ま、声はかけられるようになったかな。モテてるかどうかはわからん」

「っていうか、今さらモテたってすぐに卒業するだろ」

「これだから頭の良い奴はいけないな。いいか、遠野くん。モテずに卒業するのと、モテて卒業するの、どっちが幸せかね?」

「そのぶん真面目に勉強して、良い大学に行けば大学四年間でその倍は良い思いができる」

 誠は即答した。質問には答えていないが、まったくもって間違っていない。ただしそれを実現できるかどうかは、個人の資質によるのである。

 優秀な人間はえてして、それができない人間がいることを視野にいれない。

「……ま、それは置いておいて、だ」

 負けを悟った高梨はあっさり話題を変える。「知ってる? 六月の二十日」

「知ってる」と、俺。

「毎年あるな」と、誠。

「そういう話じゃねえから。何の日か知ってるかってこと」

「テニスコートの誓いの日」

 誠はさらりと答えた。

「なんだっけ、それ。聞いたことある」

「教科書を読め、教科書を」

「だからそんな話でもねえんだよ! いいか、創立記念日なんだよ、ここの」

「へえ」

「へえ」

 俺と誠の声が揃った。

「へえってな、おまえら。よく考えてみろよ、六月二十日は何がある?」

「創立記念日だろ」

「創立記念日だろ」

 と、やはり声が揃う。

「アホと喋ってると、ききとして進まねえな」

「嬉々として?」

 俺が頭に疑問符を浮かべていると、誠が解説してくれる。

「たぶん、遅々としてって言いたいんだろ。バカにしようとして自分がバカ晒したわけだ」

「……と、に、か、く!」

 高梨が米粒を飛ばして叫んだ。「平日なのに学校があるって話!」

 誠は「は?」と眉間に皺を作る。

「なるほど、それはまずいな」

 と、同意した俺に、誠は信じられないという顔を向ける。

「中学までは休みだったもんな」

「だろ? 一年の頃から思ってたんだよ。これはいかんなって」

「おいおい修一。おまえどうしたの。頭でも打った?」

「俺は元々こうなんだよ」

「ああ、そう」

 と、誠は食べ終わった弁当を片付けて立ち上がる。「まあ、どっちでもいいけど、俺を巻き込むなよ」

 肩越しに手を振りながら逃げていく。その背中を二人して見つめた。

「オレにはまだ遠野って人間がよくわからんのだが、あれは誘えってこと?」

「何も言ってないのに巻き込むなって言うってことは、そうかもしれないな。まあ、またの機会にしよう」

「だな」

 高梨は俺のほうに向き直る。「今は創立記念日だ」

「って言ったって、休みになんてできないぞ」

「それはわかってるけどよ、なんかこう、祝おう」

「祝う、ねえ」

「昔さ、校庭に落書きしたろ? あんな感じで」

「小学校のときだろ。高校生がやるのとじゃ、問題の度合いがな……。ま、考えとくよ」

「頼む」



 その日の放課後、というよりいつものことだが、俺は暇を持て余していた。どうしようかと考えた末、立ち読みに寄ったコンビニでカップ麺をふたつ買って、ホームレスのおっちゃんを訪ねることにした。

 鉄橋下の養鶏場には誰もいなかった。そういえば、ここにテントらしきものはない。家は別にあるんだろうか。

 木材の山や、ブルーシートの束などはある。ある程度の頻度で通っているのは確かだろう。

 置きっぱなしだった椅子に腰かけて、夕陽を浴びながら目を閉じる。

 エサをたかりに来た小鳥の鳴き声に混じり、遠くから子供が騒ぐ音がしている。その辺の公園からだろう、自動車の走行音も、距離があると心地良い。それなりの頻度で、耳に悪い騒音をたてて電車が通りすぎることを除けば、ここで過ごす夕暮れは、案外と心にやさしい。

 うつらうつらとしていると、

「こらっ!」

 という声が降ってきて、俺は驚いて目を覚ます。

 見上げると、おっちゃんがいた。

「なんだよ、びっくりするだろ」

「びっくりしたんはこっちや、こっち。なにしとるんや」

 おっちゃんは言いながら、自分の引いてきたリヤカーから、拾い集めてきたのだろうガラクタを仕分けていた。

「何ってことはないけどさ。ちょっと話しようぜ」

「話ってなあ。自分、受験生やろ。勉強はええんか」

「だから、息抜きだよ、息抜き」

 口にして苦い記憶を思い出す。すこし前にした姉にも注意され、同じような言い訳をしたところ「たまには息を吸わないと死ぬわよ」と言われた。

 内容そのものは、反論の余地がないのだから諦めるとして、何がむかつくかというと、あの言い終わったときの、「言い返してみれば?」というようなしたり顔だ。たった二年早く生まれたことがそれほど偉いのか。

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