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走り出したら  作者: 肉団子
1章
20/124



 南西の空に月が浮かんでいた。半分ほどが欠けた月。これから満ちていく月だ。

 体育祭を翌日にひかえ、軽いランニングだけにして、俺は公園のベンチでぼんやりと空を見上げて時間を潰していた。

 月の他には、何も見るべきものがない。ずっと月を眺めていると、光の当たらない欠けた部分も、実はちゃんと見えることに気がついた。

 飽かずにそうしていると、俺の耳に心地良い足音が届いた。だんだんと近付いてくる。スピードを緩めて、手前で止まる。

「久しぶりだな」

 口にしてから目を向けると、やはり内田が立っていた。

「一ヶ月くらい?」

「あー……その、なんだ。もしかして毎日来てた?」

「黒沢くんの中間試験は長いなあって思ってたよ」

「それは、すまん」

 内田は相変わらず、パーカーにスパッツである。パーカーは半袖に衣替えしており、すらりと伸びた腕は、暗い中にも健康的な色形だとわかる。

「お詫びってほどのこともないけど、ちょっと連れて行きたいところがあるんだけど」

「うん? いいよ」

 住宅街の路地を歩いていると、初夏めいたぬるい風が俺たちを追い越していく。

 この一ヶ月の間で、インハイの府大会があったことを思い出した。

「そういえば大会、どうだった」

「予選落ち。コーチがストライキしたからかな」

「これは……土下座とかしたほうがいいかな」

「冗談ですよ。やっぱりみんな速かった。惜しくもなかったよ」

 屋根が切り取る夜空へと、内田はぐぐっと手を伸ばして、指先を見ながら言う。どこか寂しそうだった。

「これで引退?」

「一応、だけどね。記録会やって、続けたいなら練習は参加できるけど、うちは」

「内田はどうするの」

「真っ直ぐ家に帰ってもね。良い運動だと思って、しばらくは続けるつもり」

「まねできないな」

 口ではそう言うけれど、気持ちは理解できた。部活を引退した途端に自主練習を始めたころを思い出す。

 道なりに歩いていき、低い高架下を抜けて、貨物線に沿って西へ。

「そういえば」

 と、内田が手を合わせた。「中間、どうだった?」

「点数はいつもと同じくらいだったけど、他が伸びてるからな。順位でいうと結構下がったよ」

 受験を意識して焦っている連中だ。本気でやれば俺よりできるのだから、いつもそうしていれば良いのになと思う。宝の持ち腐だ。

「いつもってどれくらい?」

「七十とか八十とか。クラスでならギリ一桁」

 会話が途切れた。足音もひとつ減った。なんとなく反応は予想できたから、むっとした表情を作りながら振り返る。目と口を可愛く開いて、内田は固まっていた。

「なにその反応」

「えっ、だって黒沢くん、えっ? 嘘ですよね?」

「おまえなあ、これでもその昔は賢い賢い言われてたんだぞ」

「いつですか」

「小学校」

「そんなの参考にならないよ。その頃だったら私も身長は平均以上あったんだから。かわりに運動は全然ダメだったけど」

 独特の音を響かせて、貨物列車がやってきた。来たな、と思う間に追いつかれ、まだ続くのかと思うほど長いコンテナの列を見せつけ、最後にはあっさりと追い抜いて走り去る。

「そういえばどこに向かってるの」

「電車か?」

「ううん、私たち」

「あれだよ」

 線路の立体交差を行き過ぎると、目的地は目の前に見えた。スカイビルと呼ばれる超高層ビルである。駅前の繁華街からすこし離れていることもあって、明らかにそこだけ高さが違っている。

「行ったことある?」

「ないかも。黒沢くんはあるの?」

「子供のころにな。展望台にいけば海とか空港まで見える」

「でも私、今日はお金持って来てないよ」

「あー、期待させて悪いけど、上には行かない」

 二棟のビルが並び、その上部だけが展望台として繋がっているという、独特の外観をしている。施設の敷地自体はビルよりもずっと広く、北側と南側にそれぞれ違った趣の自然を(人造の自然を、自然と表現するかはともかく)楽しめる造りとなっている。

 ビルとビルの間を抜けて、階段を下りていく。すぐに左右を木に挟まれて、外の光は遠くなる。転ばないように注意しながら進んでいくと、やがて人ごみにぶつかった。

 人々の後ろを通っていき、小さな橋の上まで歩く。足下には人工の川が流れている。

「ねえ、この人ごみはなに?」

「見ればわかるよ」

 ちょうどよく空いた欄干に、二人で並んで立った。体重を預けて、川に、周囲の岩や草むらに目を凝らす。その淡い光はすぐに見つかった。

「ほら、あれ」

 内田に指で位置を教える。指のさす先に、黄緑色の光は明滅を繰り返している。

 とても弱々しいけれど、だからこそ美しいと感じる。

「あれって、蛍?」

 息を呑む音。なくしていた玩具とようやく再会した子供のように瞳を輝かせ、大きく身を乗り出してその光を見つめていた。

「はじめて見た」

 きっと誰に向けられているわけでもないだろう言葉。自分の口から出たことにさえ気付いていないように、内田はなんの衒いもない表情をして、蛍の光を追っていた。時折、「わあ」と感嘆の声を漏らす。

 都会ではあまりに儚すぎる求愛の光を、蛍たちは懸命に発していた。

「ねえ、黒沢くん」

 じいっと岩の上にいる蛍を見つめたまま、内田が言った。

「私ね、眞鍋くんに告白されたんだ」

「へえ」

「気になる人がいるからって断ったの」

「そっか」

「もしそのせいなら……」

「違うよ」

 俺はきっぱりと断じた。「きっかけはそれかもしれないけど、こんな形にしたのは俺の打算だ」

「それなら、いいんですけど」

 それから、いたずらっぽい視線を俺に向けた。

「そういえば私、黒沢くんにも告白されたらしいですね」

「らしいな」

「黒沢くんが勝ったら、付き合うんですか」

「振られる予定だったんだけど」

「……私のこと、好きじゃない?」

「嫌いでは、ない」

「そっか」

 内田はまた蛍に夢中になる。その口元に笑みがこぼれていた。

 俺は彼女の横で同じように蛍を見る。自分はどういう表情なのだろう。考えてみたけれどわからない。静かに、けれども激しく明滅を繰り返す小さな虫を、どんな顔をして眺めているのだろう。

 光のひとつが、ふわりと浮かび上がった。空中で消え、移動した先でまた光る。まったく上手ではない、ふらふらと飛んでいる。周囲の人たちは、みんなその蛍を目で追った。危なっかしい飛び方で、俺たちの上を越えていく。

「内田」

 はしゃぐ彼女の名前を呼んだ。嬉しそうな顔を俺に向ける。

「明日、勝とうな」

「もちろん」



 翌日はあいにくの快晴だった。

 一日中外にいることを考えれば、曇ってくれるくらいでちょうど良い。夏を先取りしたような陽射しで、傘の心配はいらないと言うお天気お姉さんが「でも日傘が必要かもしれません」と冗談を言ったのに、ちょっと腹が立つ。

 予報通り陽射しはきつい。朝から肌や髪がちりちりと灼けるのを感じた。けれど湿気は少なくて、実に体育祭日和だった。

 学校について外靴からスリッパに履き替えて教室に向かっていると、三号館の壁面に体操服姿の男たちが張り付いていた。巨大なヤモリの集団のようだった。

 その中に高梨の姿があった。

「なにやってんの」

「覗きに決まってんだろ」

 窓にはきっちりとカーテンがされている。

「見えないだろ」

「たまーに揺れて中が見えそうなんだよ」

「アホらしい。間違えたふりして入ってこいよ」

「そんな卑怯なマネ、できっかよ」

 覗きをしている男に卑怯と罵られるのは心外だったが、これ以上相手をするのも面倒だった。仲間とも思われたくない。

 立ち去ろうとする俺を高梨が呼び止めた。

「先に謝る。すまんかった」

「なにが?」

「まあ、そのうちわかるよ」

 よくわからなかったが、遠い目をして微笑む高梨をその場に残して教室へ行く。そこで俺は、気にもしていなかった問題を思い出した。

 全校生徒が一斉に使えるだけのキャパシティの更衣室はない。必然的な解決策として、隣り合う教室同士で奇数クラスに男子が、偶数クラスに女子が移動して着替えをすることになっている。

 俺は七組で、真鍋が八組なのである。

 深呼吸をしてからドアを開けると、やはりというか眞鍋がいた。一度こちらに視線をくれ、友人との会話に戻る。居心地が悪いので、俺はさっさと着替えて部屋を出た。

 グラウンドで体育委員の長谷部が設営をやっているのを見つけたので手伝ってやる。ただぼんやりしていると、まるで俺が逃げ出したみたいで嫌だったから。

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