いつまでもガキじゃないからな
「だからぁ……モテたいの、オレは」
「言い直さなくたってわかってるって。そこじゃない、なに、突然」
「突然じゃねえんだな、これが。オレはずっと考えてたわけ」
「あ、おまえバカなんだ」
「バカは否定しないが、まあ聞けよ」
俺は黙って肯いた。
「もう高三だ。二年前の今頃にゃ、高校生になったんだから彼女の三人や四人くらいできるもんだと話し合ったろ?」
「まあな」
「それがどうだ、童貞よ。オレたちまだ童貞だ。結局彼女なんてできなかった」
「おい、勝手に俺を含めるなよ」
心外だという顔をしてみせると、高梨はまず笑い、そして真顔になり、最後に目を見開いた。
「え、マジで?」
「嘘だけど」
「んだよっ! ビビらせんなよ!」
テーブルを叩いてから大仰に上体をひねり、驚きと安堵を表現する。俺だって人のことを言えた義理ではないが、こいつがモテないのはこういうところだろう。しかしだからこそ、男子にはそこそこ人気者である。
「それで? モテたいからどうしたって?」
「だからな、どうすりゃモテるか考えてくれよって話」
ラーメンを食べきって、飲み放題の水を飲み干し、丁寧に口を拭うまで、じっくりと考える。
「まずは賢くなってだね……」
「人間にはできること、できねえことってのがあるんだ」
賢くはなれないと言う高梨はなぜか自信満々だった。
話を打ち切って逃げることは簡単である。けれどもその後がしつこいというのは、経験上知っていた。どうにかして煙に巻かねばならない。
「モテたいってのは誰かに? それとも誰でも?」
「誰でもいいよ」
清々しい男だ。欲望に忠実というか……。
「それじゃあな……とりあえず目立てば良いんじゃないか」
「目立つ?」
「まずは知られるってこと。良いことにしろ悪いことにしろ、名前と顔を覚えてもらえば勘違いする子は出てくるだろ、一人くらい」
「……なるほど、名前だけでも覚えて帰ってねってやつか」
「そうそれ」
どれだろう、と思いながら肯いた。
「いま学校でモテてるヤツを思い浮かべても、たしかに目立ってるもんな。ギャル美とか遠野とか、眞鍋もそうだし、二年の金髪の子も」
「え、誰って?」
「なんて言ったっけな、石……そうだ、御影!」
「それは金髪の子だろ。眞鍋って誰だっけ?」
「二年も通ってモグリかよおまえ」
「高校生にモグリもクソもあるか」
「家が金持ちで勉強も運動もできるって有名だろ。陸上部のさ」
「あー……長距離の」
「それそれ。陸上部って言えば、内田も結構モテるよな」
「ちんちくりんの?」
「おっぱいの」
面倒くさくて適当に言ったけれど、案外この「目立つ」というのは正解かもしれない。それぞれに外の関係もあるが、僕ら高校生は一日の大半を校内で過ごすのである。退屈な授業を、同じ格好をして受ける。目立つということは、刺激的であるということだ。
「答えは出たな。じゃ、俺帰るから」
立ち上がろうと腰を浮かせると、身を乗り出して腕を掴んでくる。
「待てよ、どうやって目立つのか考えてくれよ」
「……おまえはもう目立ってるよ」
学校一のバカとして勇名を馳せている。そして本人の頭もさることながら、学校一の天才と名高い遠野誠と仲が良いせいで、さながら光と影のように際立ってしまうのだ。
「だったらもっと目立つ方法をさあ。黒沢、得意だろそういうの」
「得意じゃない。俺は静かに生きたいの」
波風の立たない人生が、総合的に見てもっとも幸せだ。穏やかに、ゆるやかに、真綿で首を絞めるように。寿命を一日ずつ数えていれば、それで良い。
「得意だろ」
「だったら俺だって今ごろはモテモテだろうが」
「そりゃ、今のおまえがフヌケてるからだろ」
「あ?」
「そうだよ、一人で勝手に大人になりやがってさ。昔みたいに何かしようぜ」
「昔って……」
「小学校のときのさあ、全校集会乗っ取って漫才したり、学校抜けて駄菓子屋行ったり」
「やめろ、思い出したくもない」
「なんで? 楽しかったろ」
楽しかったからだ。だからこそ思い出したくない。
「黒沢、今楽しいか? ずーっとつまんねーってツラしてんだろ。昔はもっとケラケラ笑ってたろ」
そう言って高梨はつまらなさそうに唇を尖らす。子供っぽい仕草が、決してガキっぽくもあざとくもなく、高梨という人間の自然な表情としてあらわれる。
顔かたちはすっかり大人なのに、あの頃の面影がたしかにある。
「変わらないな、高梨は」
「黒沢は変わったよな」
「いつまでもガキじゃないからな」
「ガキだろ、高校生なんて」
わかっている、そんなこと。
早く大人になってしまって、誰にも文句を言われず、静かに生きていたい。だけどどうにもならない現実が歯がゆくて、腹立たしくて、学校が大きな檻に感じられて、毎日がつまらない。
高梨みたいに素直に認められたら、少しは楽になるのだろうか。彼はわずかに水の残ったコップを斜めに立たせようと試行錯誤している。
何も考えていないだけだ。
そうに違いない。
ぷんと甘いにおいをさせて姉が帰ってきた。最近買ったらしい香水のにおいが苦手だった。
夕刊から顔をあげて「おかえり」と言う。「ん」と返事なのか、靴を脱ごうとして声が漏れたのか判断のつかない返事を寄越す。
洗面所を経由し、リビングに入ってくる。甘いにおいがきつくなった。
「あんた勉強は?」
「普通にしてるけど」
「じゃなくて、今年受験でしょ」
「……それなりに」
姉はあきれたように溜息をついて、夕刊に目を向けた。
「受験ってのはね、甘くないのよ」
「わかってるよ」
「ま、どっちでもいいけどね。……あ、そういえば」
と、流れで思い出したように切り出す。こういう場合、こちらが本題だ。
「お父さんからメールがあったんだけど、あんたのとこには?」
「いいや、来てない」
「そう。今年はいつ会うかって話だったんだけど、あんた受験だから来年でいいって返事しといたからね」
気を遣われたようにも、バカにされたようにも感じられた。そうなんだ、ありがとう。そう言ってしまえばいいのに、その簡単な言葉がでてこない。どこの家庭でもそうだろうが、俺たち姉弟もまた、どうでも良い軋轢を抱えている。素直になるなど、割り切るなど、俺はまだできない。
「姉ちゃんのときは普通に会ってただろ」
「私はちゃんと余裕を持って予定を立てられるし、毎日こつこつ勉強もできる。あんたにそういうこと、できる?」
「でも、たった二日だろ」
半年に一日だけの面会である。さしたる支障があるはずもない。
「あんたはさ、その日が近付いてくると、そわそわしだすでしょ。どうせそうなったら勉強も手につかないんだから、最初からなしってことにしたほうが良いでしょ」
違う? と視線で念を押した。返事がないのを肯定と受け取った姉は、そのまま自室へと去っていった。