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走り出したら  作者: 肉団子
1章
19/124

ねえよ、んなもん



 週明けの壁新聞は、体育祭特集と銘打たれていた。

 共通出場種目と、学年別競技の一覧。応援団募集の告知など。それから追加取材で判明した訂正記事として、俺の話が載っていた。

「――Kから直接『真実と異なる点がある』と抗議を受け、我々は彼から話を聞く機会を得た。春ごろから仲良くなったUの、Mとの噂を耳にし、一度目の衝突を起こしたのが遠足のこと。ライバルの出現に焦ったKが告白を敢行、それに焦ったMが告白。まったく突然に二人の男に想いを告げられたUは困り果ててしまったという。そこでMは一計を案じ、Kに挑戦状を叩きつけた。体育祭で負けたほうが、告白を取り下げる。という内容だ(前回記事の写真はこのときのもの)。『少なくとも相手の有利には飛び込まない』と、Kは一〇〇メートル走に出場する意向を明かした。Uにインタビューしたところ、『足の速い人が好き』とのことだ」

 俺の曖昧な説明で、よくもここまで書いてくれたものだ。感心していると、高梨が「おうおう」と言いながら近付いてきた。

「それに一体どんな意味があるっての」

「ほんとおまえ、ちょっとは考えるってことをしたらどうだ」

「聞けばわかることを考えるのは時間のムダ。考えてもわからないからさらにムダ」

 一瞬、疑問符が浮かんだが、なんとなく納得してしまう。

 周囲の人の気配に注意しながら説明する。

「前のだと、なんか内田が悪い奴みたいになってたろ? これなら巻き込まれただけに見える。それに内田が言ってるわけじゃないってのがミソだな。付き合わなくたって、男二人がバカなことやったってだけの話だ」

「それもだけどさ、普通に違うって否定すりゃ良かったんじゃねえのってこと」

「……もし鈴やんがさ『お化け? 怖くなんかねえって。前のはフリだから』って言ったとして、信じるか?」

「信じねえな」

「だろ」

「ふうん、なるほどね。じゃ、内田のため? そんな良い奴だっけ」

「まあ俺は悪い奴じゃあないけどさ。これは俺のためでもあるし、おまえのためでもある」

「……ってえと?」

「ひとつは期限だな。人の噂もなんとやらとは言え、決着がついてないと、これから事あるごとに騒がれかねないだろ。体育祭で終わりだって示してやりゃ、そのうち静かになるだろ」

 というより、そうであってもらわないと困る。

「オレのためってのは?」

「体育祭にかける意欲の問題、かな。退屈だろ、学校って。自分と関係ない色恋沙汰に一枚噛めるってのは、良い退屈しのぎだろう」

「でも、一〇〇メートルで決着つけるんだろ?」

「そんな約束、してない。俺は一〇〇メートルに出るって言っただけ。体育祭で負けたほうが降りるって約束だ。まあ、そんな約束もしてないけどさ」

「……ややこしいな」

「だから、どっちかわからない以上、自分が手を抜いたせいでって思うのは、嫌じゃないかって話だよ。少なくとも手抜きはさせない」

「あー……でもいいのか? おまえ、悪役みたいだぞ」

「そりゃ、運動部のヒーローとヒロイン相手だもんな。俺が悪役になるしかないだろ」

「手、抜かれるんじゃないか? うちの組に」

「そこでおまえの出番ってわけだ」

 さすがにクラスメイトたちは力になってくれると信じたいが、下級生は別だ。部活に所属していない俺には、親しい後輩などいない。陸上部の縦の関係で、それなりに付き合いのある眞鍋のほうが圧倒的に優位だろう。

「応援団に入って、それとなく後輩たちに俺という人間の素晴らしさを説いてくれ。それから一〇〇メートルで勝負は終わらないということも」

 各組三学年から希望者による応援団が結成される。たいていこういうものに参加するのは、クラスでも人気者だとか元気のある、良い意味で目立つ奴で、彼らにさえ好印象を与えておけば、下級生も協力的になってくれるだろうという算段だ。

「黒沢の素晴らしさァ? ねえよ、んなもん」

 顔をめいっぱい歪めて冗談を言う。

 ……冗談だよな?



 中間試験は終わっていたけれど、俺は公園には行けなかった。

 体育祭までは二週間ほどしかない。三年もの間に鈍りきった体を、少しでも動かせるようにしたかった。

 筋トレ、柔軟、フォーム修正。やることは山ほどあるが、今さら体をいじめたところで、ダメージが抜けるのを待つうちに本番が来てしまう。硬くなった筋肉をほぐすこと、関節の錆を落とすこと、イメージと体の動きが合わせること。そういう調整が主だった。

 土手のスロープで坂道ダッシュをし、人工の砂浜を走って負荷をかけつつ、走るということを思い出していく。

 汗を流すほどに、体が軽くなっていくのを感じた。

 公園に行けないことを内田に謝ろうと思うけれど、学校ではどうにも視線が気になって声をかけられず、連絡先の交換をすっかり忘れていたせいで、それもできなかった。

 あるとき、家に帰り靴を脱いで、足についた砂を払っていると、突然頭に何かがのって、視界が暗くなった。

「あんた、最近汗だくになってなにやってんの?」

 姉がタオルを投げたらしい。顔と首筋、腕の汗を拭き、ついでに砂もぬぐう。

「なんでもいいだろ」

「ま、別にいいけど。千佳ちゃんに会ったとき訊かれたからね」

「あ? なんであいつが出てくるの」

「知らないわよ」

 アイスをかじり「どうでもいいけど勉強だけはしときなさいよ」と去っていく姉の背中を見ながら、タオルの礼を忘れていたことに気がつく。

 自分の落ち度なのに、姉に腹が立つのはなぜだろう。

 そうして夜間に俺が、部活動時代よりも真面目に短距離と向き合っているころ、学校では体育祭に向けて着々と準備が進められていた。出場種目決めや、応援の団幕、団旗作り。応援パフォーマンスの練習。

 授業前と後に、三年生の教室に集合するのが伝統らしく、応援団に入っていない三年生は、教室へ入ることも憚られ、廊下でたむろする受験生はこの時期の名物だ。

 六月も近付いてくると、気温も湿度も徐々に高くなる。朝とはいえ風通しの悪い廊下に景気の悪い顔をした連中がぞろぞろと集まると、いよいよ暑苦しい。

 鞄を教室前に置いて、新鮮な空気を求めて外に出る。

 すぐ正面に食堂があるが、ジュースやアイスが欲しいほどではなかった。

 ウォーター・クーラーの水を飲んで振り返ると、学ランを着て、しかもパーカーのフードを被った男がいた。椅子に浅く腰をかけ、脚を放り出し、テーブルに体重を預ける姿は、だらけるという言葉の図解のようだった。

「誠か、何してんだ」

「雲を見ている」

 わずかに首をまわして、心持ち顔がこちらに向いた。行くあてもないので、彼の隣に座る。

 遠野誠は入試に始まり現在まで、学年一位をひた走る男である。

 そもそもがもっと上の進学校に行くべき人間なのに、自分の力だけで大学入試に挑むために、わざとうちに来たという偏屈な男だ。

「中間試験、どうだった?」

 気まぐれに訊ねてみると、誠は身体を起こして俺のほうをあらためて見る。はらりとフードが落ちて現れたのは、中性的というよりは女顔。髪が長めということもあって、どこかガラの悪い女に見えなくもない。

「一位以外にあると?」

「すごい物言いだな。そんなんだからおまえ、内田に嫌われてるんだぞ」

「内田? ああ、そうか。面白いことになってるな」

 くくっ、と喉を鳴らすように皮肉っぽく笑う。そういうときの表情は、どこか乱暴な印象を与え、ちゃんと男らしい。

「面白いもんかよ。面倒だ」

「修一がこうも情熱的だとは思わなかったよ」

「だから成り行きなんだよ、これは」

「どこから?」

「それは難しい問題だ」

 ふむ、と前髪をかきあげる。

「内田のことは好きなの?」

「好きだけど、そういう好きじゃない」

「難儀な性分だな」

「本当だよ」

 自販機の補充にきたおじさんを、俺たちはなんとなく観察していた。

「七組だろ、修一。色は?」

「黒だけどさ、信じられるか? イメージが黒毛和牛だぞ」

「なんだよそれ」

 と、誠は腹をおさえて笑いだした。

「牛はいいよ、もう。でもバッファローだのバイソンだのってあるだろ。なんで食い物なんだ。加工するなよな」

 色ごとの各組は、それぞれがテーマやイメージを設定して、団旗や団幕を作る決まりである。

「で、そっちは?」

 誠は八組だ。つまりは眞鍋と同じクラスである。

「白。テーマが白虎だって。なんか山月記がどうのって」

「あれってホワイトタイガーなわけ?」

「知るかよ」

 しかし事実などどちらでも良い。応援が盛り上がり、教師受けが良ければそれが一番だ。そういう意味ではなんとなく格好良く、教科書から引っぱった白組は良い選択をしたといえる。すくなくとも、食肉よりはずっとマシだ。

「……だいたい俺、ダメなんだよな、山月記って」

 誠が独り言のように呟いた。実際、独り言だったのかもしれない。

「なんで?」

「李徴と自分が被るんだよな。秀才ってところとかさ。自伝読んでるみたいで、恥ずかしい」

「本当、秀才だよおまえは」

 鍛えていない冗談は、この程度なのだから。

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