高まるフラストレーション
「どうして突然、そんなこと訊くんだよ」
「へ? あ、いや、男女ってこう、わかんないもんだなあ……って」
彼女の瞳が、きいてくれるなと揺れている。
「男同士だってわからんけどなあ」
「高梨くんと何かあった?」
俺のほうも、別に話を聞いて欲しかったわけではなかったが、内田は聞き逃さず、しかも一発で核心を突いた。なんだろう、友達が少ないと思われているみたいで悔しい。
「な、なんで高梨が」
「なんとなくだけど」
「まあ高梨なんだけど、それがな――」
隠すほどのことでもない。話せばすっきりするかと思い、事のあらましを、できる限り見栄え良く話した。見栄えが良いとはつまり、そもそもの動機をオブラートに包んで、俺がいかに巻き込まれているだけかということの強調である。
内田はうんうん相槌を打ちながら話を聞き、うーんと腕組みをして考え込み、うんと最後に大きくひとつ肯いた。
「高梨くんって、黒沢くんのこと好きだよね」
「あ?」
物凄く低い声が出た。下手をすると子供を脅す怪しい高校生である。
「や、もちろん変な意味じゃないですよ。友達として」
「どうだろうか、それは」
「絶対だよ。黒沢くんだって好きでしょ」
「どうかしてるぞ、それは」
クラクションが遠くで鳴った。空から降ってくるようで、方角さえつかめない。
「付き合ってあげればいいじゃない」
「嫌だよ、しんどいし」
「でも好きでしょ、そういうの」
「嫌いじゃないけどさ」
「素直じゃないんだから」
と、ぼやくように言って立ち上がる。
上体をひねり、肩を回し、アキレス腱を伸ばす。半分スパッツに隠された大腿筋がきゅうと浮き上がる。普段は目立たないけど力を入れるとこうして存在を主張するくらいが、健康的な女性の理想像だ。
見入っていたせいで、内田がじとっと睨んでいることに気付かなかった。
「やっぱり好きなんだね」
「嫌いじゃないよ、それも」
「ほんと、素直じゃないなあ」
内田は両手を突き上げて背を反らす。気持ち良いのだろう、目を瞑り吐息を漏らす。体勢ゆえ必然的にその身体にそぐわぬ胸がでんと張り出す。斜めを見て誤魔化す。いろんなものを誤魔化す。
「でも私、黒沢くんが中学のときに、もっと楽しそうに笑ってたこと知ってます。だいたい悪目立ちをして」
「また千佳にでも聞いたのか? あいつは本当に……」
「ううん、知ってる……と、それじゃ、そろそろ」
心のうちで何かがもやっと渦巻いたけれど、その正体は定かではなかった。
だから相手にしないことにした。
「おう」
「それからね、私のために来てもらってるのに勝手言うけど、明日からしばらく来れなくなると思う」
「どうして」
「中間試験あるでしょ。私いつも寝てるから、試験前はね」
「ああ。わかった。それじゃ、また」
「また」
片手を挙げたまま気味の良いリズムで走っていく。
見えなくなるまでその背中を追った。
必死に逃げたがゴールデンウィークの宿題は、あっさりと追いついた。
放課後に居残りをさせられて机にかじりついていると、こりゃ珍しいとギャル美に写真を撮られるのにも構えず、とにかくペンを動かす。
構う時間がないのだ。六ページに及ぶ英文を全て書き写し、新出単語の意味を調べ、全文日本語訳せよという。
アホかと怒鳴りたくなった。
こんなものが放課後の二、三時間で終わるはずがない!
「ゴールデンウィークの宿題だからね」
英語教師の小倉は、ばっさりと切って捨てる。
机に向かって作業をするのを横から見下ろすと、彼女の豊満なバストが物凄く立体的に見える。このまま無言でアピールし続けてみようかとも思うけれど、そんな非生産的なことは、さすがに面倒だった。
頭を下げながら、ものすごく反省したように拝み倒すとさすがの先生も折れてくれ、
「全文訳せとは言わない。でも、どんな文章かざっくりでいいから書いときなさい」
「胸と一緒で心が大きくていらっしゃる」
叩きやすい位置に突き出されていた俺の頭に、教科書の角が叩き込まれた。なんの遠慮もなくガツンときた。
触ってみると、血が滲んでいた。
かくして、俺はコピー機に成り果てた。
普段ほとんど使わない筋肉を使っているので、三ページ目にさしかかった辺りから腕がだるくなってきた。gからhの高低差が憎らしい。
誰もいない教室は、カリカリとシャーペンがノートを引っ掻く音が一番大きく聞こえていた。どこかで吹奏楽部が練習しているのだろう、壁伝いに音が届いてくる。
シャーペンの芯がいつもより折れやすかった。これは急いでいるためだが、はたしてそれだけだろうか。
カリカリ、カリカリ。
芯がぽきりと折れるたび、高まるフラストレーション。
頭を振って教科書に目を落とす。俺が今すべきことはこれであって、これでしかない。
カリカリと、ようやく課題を終えたのはもうすっかり日が傾いた後で、グラウンドでは運動部たちが影を長くして熱心に活動していた。それを窓から見下ろしながら職員室へ提出しに行く。
先生は俺をじろりとひと睨みしてからノートをチェックする。ボールペンの頭を唇に当ててカチ、カチと出したり入れたりを繰り返す。妙に色っぽい。
最後のページまできて、長い息を吐く。
「はい、よろしい。次からはちゃんと休みの間にやりなさい」
「いやあ、やる気はあるんですけどね、忘れっぽくって」
「覚えていたらきちんとやるの?」
「ケース・バイ・ケースですね」
「case by case」
と、発音を訂正された。
「もっと言えば、日本語のケース・バイ・ケースを英語にするとIt depends」
「It depends」
「そう。その後に、なにによるかを説明する。それにねえ、あんまり他の子と比べるのはダメだけど」
と、唇を尖らせる。その拗ねた感じが、二十代半ばには見えない幼さだ。彼氏に捨てられたと授業をストライキしていたが、これを捨てる彼氏というのはどんな男なのか。
「黒沢と仲のいい遠野とか高梨とか、一度も課題忘れたことないのよ。見習おうよ。遠野と比べちゃうとちょっと悪いけど」
「高梨? あいつ宿題なんてやってくるんですか?」
「知らないの? あの子、忘れ物は一度もないのよ。っていうか宿題なんてって言ったでしょう。そういう気持ちだから忘れてくるのよ。いつもそうやってつまんなそうな顔してるでしょ。もっと前向きに楽しもうとしなさいよ。だいたい授業のときだって……」
「あ、スーパーのタイムセールに間に合わなくなるんで。さよなら」
お小言が始まりそうだったので逃げた。
気持ちだけ頭を下げて、一目散に職員室から脱出する。
後ろでは先生がくどくどと説教を続けていた。
家に帰る前に食堂へ寄った。ジュースでも飲まないとやってられない気分だった。自販機の前で迷った挙句、コーヒーを買う。紙コップに液体が注がれるのを意味もなく眺め、できあがったコーヒーを適当なテラス席に座って飲む。
机も椅子も木製で、焦げ茶色をしている。なんとなく木目を指でなぞる。
そうしていると、食堂の陰から人が出てくるのが視界の端にうつった。見ると、体操服の男。眞鍋だ。
なんであんなところから? グラウンドには野球部が散らばっている。狭いグラウンドを分け合った結果なのだろうか。
あちらも俺に気がついて、ゆっくりと近付いてくる。




