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走り出したら  作者: 肉団子
1章
12/124

五月晴れだね



 内田の用事はスパイクのピンだけだったらしく、俺たちは早速するべきことを失った。

「どうする?」と訊ねると「どうする?」と、オウム返し。目の前を派手ななりをしたカップルが行き過ぎる。

「それ、大会用?」

「そうだよ」

「そろそろだよな」

「うん。明後日」

「え? 練習はいいのか?」

「朝は練習あったよ。まあそれも、軽く流すだけだけど。うち、大会前は露骨に練習が軽くなるの。自分で調整しろって」

「そうなんだ」

「うん」

「あ、昼飯食べてきた?」

「うん、おうどん」

「良かった。俺も食って来たから」

「もう二時前だしね」

「そうだな」

「それにしても、よく晴れてるね」

「暑いくらいだな」

「五月晴れってやつかな」

「あ、五月晴れって梅雨の晴れ間のことらしいぜ。五月の晴れはただの晴れだって」

「えっ、本当ですか?」

「ああ。誠が言ってんだからたぶん本当」

「まこと?」

「遠野だよ、遠野」

「ああ、遠野か……」

「なに、知り合い? すっげえ嫌そうだけど」

「小学校から一緒。あいつ頭良いくせにうちの学校きてるでしょ? 自分の力だけで大学受験したいんだって。なんかそういうのが、好きじゃない」

「へえ、じゃあ俺と高梨みたいなもんか」

「そんなに仲良くないよ」

「仲良いかな」

「良いですよ。すくなくとも私と遠野よりは」

「お互いバカにし合ってるけど」

「男の子同士だもん。そんなもんだよ」

「そんなもんか」

「うん」

「あー……ほんと、天気良いな」

「そうだね。五月晴れだね」

 そんなことを話しながら、ぶらぶらと無目的に歩いた。じわりと汗の滲む陽気である。

 マンションの植え込みに赤い花が咲いていた。ツツジか、サツキか。区別があるらしいがよくはわからない。

 そこで足を止めた。

「なあ内田。ツツジの蜜って吸ったことある?」

「小学校の頃に流行ったよ。黒沢くんのところも?」

「俺も吸ったことはあるんだけどさ、そのときは蜜の味、しなかったんだ」

 花をじっくり観察する。花弁の中心におしべとめしべ。蜜で釣って虫に受粉させるとすればこの周辺だろうか。

「でもさ、自分だけ味がわかんなかったってのが嫌でさ、甘いって言ったんだよ、俺」

 覗き込んでみると、一滴の水があった。雨が降った記憶はない。花をむしって、付け根を吸う。一瞬、口の中に甘さが広がった。

 蜜というから蜂蜜のような味を想像していたが、シロップのような甘さだった。

「あ、甘い」

 これで俺もようやく、胸を張って花の蜜を吸ったと言えるのだ。

「こんな大きくなってやる人、はじめて見た」

 くすくすと笑いながら、内田も一輪摘む。唇をちょんと尖らせて咥えた。

「内田ちょっとこっち向いて」

「ん?」

 花を口に咥えたままこちらを向く。なんというか、物凄く可愛らしい。指でフレームを作ってみる。

「これ写真に撮ったら、学校の奴に売れそう」

 気を良くしたのか、首をかしげてポーズをとる。それがとても上手くて、どうして女子という生き物は、カメラにどう映るのかが理解できるのだろう。

 口に咥えた花をぷっと植え込みに飛ばして、しまったというふうに口を手で押さえる。

「あらやだ、お下品だったかしら」

「花むしって蜜吸った時点で上品ではないよ」

「お花を摘んだって言って欲しいな」

 話は子供のころの遊びになった。「探偵」をなんと呼んだか。世間一般では「ドロケイ」か「ケイドロ」のふたつが優勢らしいが、内田の地域も「探偵」だった。トランプの大富豪でのルールとか、だるまさんがころんだの進行方法とか、そんなに離れていないのにまったく違っているのが面白かった。

 線路沿いに歩いていき、土手に続く階段をのぼる。

 その隣を、臙脂色の阪急電車が追い越していく。

「あれ、こんなところ走ってたっけ」

「東のほうにもう一本あるよ。地下から出てくるの」

「ああ、だからか。私、父さんの田舎に行くとき、いつもそっちに乗るから」

 街を東西に流れる川は、先日の遠足で見たものとはまるで違っている。近年は改善してきているが汚く、膨大な水量が常に流れている。河口からおよそ十キロのところに堰があり、そこより下流であれば潮の満ち引きで川の流れが変わっている。

 対岸までは五〇〇メートル以上もあって、子供のころにはあちらは外国だと思っていたという話をすると、内田に本気で笑われた。

 両岸の堤は芝生に覆われている。俺たちの歩く土手の砂利道も、左右は草が茂っている。

 道の先に白い塊が落ちていた。最初それは猫か、あるいはビニール袋だろうと思っていた。近付くとてっぺんが赤くなっているのがわかった。その頃になるとそれが猫の形をしていないのがはっきりした。鳥だった。ニワトリだった。

 アスファルトの真ん中に、毅然と立っている。

 機敏な動きで周囲を警戒していた。首を回すたびに鶏冠がぶるるんと揺れている。

 のんきに飛行機を眺めていた内田の肩をたたく。

「あれ、なんだと思う」

「え、ニワトリ? ニワトリって野鳥だっけ」

「有名ではないよなあ」

 どこかから逃げ出してきたのだろうか。あるいは本当に野生の個体がいるとか。いや、それにしたってこんな街中では住みにくかろうに。

 近付いていくと、ニワトリがこちらを睨んで動きをとめた。さらに寄ると一目散に逃げていった。草むらを掻き分けて堤外へ逃げていく。

 背の伸びてきた草をがさがささせながら、彼は下の道路へ逃げ遂せた。

 養鶏場は、あんがいと近くにあった。

 ニワトリが走ってく先には、アスファルトが敷かれている。フェンスで公道と仕切られているため、たまの作業車以外は通らない道だ。そこの高架下の日影に、廃材を組み合わせたボロボロの小屋があったのだ。

 扉に張ってある金網の隙間にニワトリが滑り込むと、エサをたかりに来ていたのであろうスズメたちが慌てふためいて飛び去る。

 小屋の前に人がいた。なにかの作業でもしているらしかったが、騒動に気付いて顔を上げた。ゆっくりとこちらの方を向く。

 目が合った。

 その浮浪者には見覚えがある。途端に、忘却の彼方にあった記憶が堰を切って押し寄せてきた。

「おっちゃん!」

 叫ぶと。彼は大きく手を振った。

「内田、悪い。ちょっと寄っていいか?」

「いい、けど……」

 眉根を寄せ、戸惑いがちに肯いた。

 草むらを迂回して、道路に降りる。おっちゃんはわざわざ椅子を二脚用意してくれていた。椅子といっても、ビールケースと木材を組み合わせだけの簡素な、いや貧相なものだったが。

 座ってみると、作りがしっかりしているのか、ちっともガタガタしない。俺が座るのを見て、内田もあっさりと座った。女の子で、しかもおめかしをしているのに、だ。

「ちょい待ってな」

 おっちゃんは目を閉じて考え込む。

 彼はありていに言えばホームレスである。黒く灼けた肌と、骨ばった顔が不思議なほどハンサムな印象をもたせる。彫りの深い双眸は猛禽類のような鋭さだが、表情や態度は柔らかい。

 ちょうど俺からすると、親世代くらいだろう。

「ああ!」

 と、おっちゃんは声をあげ、目をくわっと瞠って、ぽんと手を打つ。「修ちゃんや! 修一くん!」

 満足げに、にかっと笑う。

「よく覚えてたなあ」

「そらな、目立ってたから。俺のこと覚えてたことのほうが意外やったわ」

「顔見たらピンときたよ」

「さよか」

 轟音が降ってきた。真上の鉄橋を、電車が走っていく。内田は両耳を塞いで何事かと頭上を見上げている。ニワトリたちは慣れたもので、一切騒ぐ様子はない。

 鳥小屋には雨よけのシートがかぶせてあり、近くにどこから拾ってきたのか、木材が詰まれていた。周囲にはそういう山がちらほらとあった。

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