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走り出したら  作者: 肉団子
6章
111/124

同じ一個でも



 帰るタイミングを失って、いっそ追い返されるまで居座ってやろうかとも思う。高梨に英単語帳を渡して、適当な問題を出してもらっていた。

 しばらくそうして変化のない時間が流れていたが、それを破るようにガラガラと音を立てて、食堂のドアが開いた。そちらを見ると、ドアから覗き込むように内田が顔を出していた。

「あれ、内田じゃねえか」

「おっす」

 手をあげて挨拶する。

「ほんとにいた」

 と、とことこ歩いてきて俺の隣に座った。

 部室の掃除をしていたらしいが、格好は普段通りの制服だった。後ろで無造作に束ねた髪と、うっすら赤くなった頬、ほんのり香る汗のにおいが、一人きりの掃除に励んでいたことをうかがわせる。

 手に持っていたマフラーを机の上に畳んで、内田は不思議そうに言った。

「二人は何しに来たの」

「追試」

「自習」

「はー、真面目だ」

「いやいや。真面目じゃないから追試なんて受けてるんだぞ、こいつは」

 と、高梨を指差すと、彼はその手をとり、俺の方向へとぐいっと曲げる。

「そうそう。真面目じゃねえから、今ごろ受験勉強やってんだ」

 やりとりがおかしかったのか、内田はくすくすと笑う。薄く割れた唇から、ちらりとのぞく白い歯に、自然と注意がひきつけられる。

 ふいと向けられた内田の半目と視線がかち合い、高梨のほうへと逃げてしまう。

「黒沢くんって、そういえばまだ決まってないんだったね」

「お恥ずかしい限りですわ」

 テーブルに肘をつき、手のひらに顎をのせて、目一杯忌々しげにため息をつく。高梨の「自業自得だ」という言葉には「漢字で書けるかよ」と返しておく。

「残ってるのって、私立の後期だよね。どこ受けるの?」

「うーん……考えてるとこ。一応、二月いっぱいまではいけるみたいだし」

 それが人生を左右する選択だと思えばなおさら慎重にならざるを得ない。まったくもって今さらながら、俺はそんなことを考えている。

 適当に受かるところを探し出して受ければ、千佳に言われた「幸せになろうとしていない」状態を、そのまま続けるような気がした。

 その選択が間違いだった、とは思わないが、そもそも高校はそういう理由で選んだのだから。

 将来の夢とか、無かったかな……。

 俺のまだ決まらぬ大学の話を二人がしている。どの辺りだとか、時間がいくらぐらいかかるかだとか。

「そういえば、内田ってどこ大に行くの」

 高梨が何気なく発した質問に、内田が答えた大学名を聞いて俺は少なからず衝撃を受けた。おそらくは不合格だろうと思いながら練習のつもりで受けた、そこそこ頭の良い私立大学だったからである。

「うぇ、意外」

「ま、私だってそれなりに勉強したからね」

 内田が胸を張ると、ブレザーのボタンが苦しそうになる。ふと視線を感じて高梨を確認すると、横目で盗み見ていたのに気付かれたのか、にやにやとしている。

「んだよ」

「いやあ、黒沢まだ大学決まってないんなら、内田と同じとこで良いんじゃねえの?」

 思いがけない提案に、俺はうっとこわばった。ゆっくり目玉を動かして隣を見ると、内田も眉と上瞼をおおきくあげて、俺のほうを見ている。

「って言ってもな……一回落ちてるし。後期って余計厳しいだろ」

 口でそう言いながら、頭では高梨の思いつきについて想像をめぐらせていた。

 隣で内田が、安堵とも落胆ともつかない息を漏らして肩をすぼませる。

「倍率がどうでも、一番取れば合格するだろ?」

 気楽そうに高梨が言う。

「まあ、誰かは合格するわけだしねえ」

 呑気そうな調子で内田が肯いた。

「……俺はたまに、バカってのは偉大なんだなって思うよ」

「おっ? オレのことバカにしてんのか?」

「褒めてんだよ、バカ」



 部室掃除の後始末がまだだったという内田と一度別れて進路指導室に寄った。先生にえらく気の毒そうな目で見送られ、そのあたりの廊下で雑談をしていると、一仕事を終えた内田が駆け足で現れた。

「手伝わなくて良かった?」

「砂を掃き出すだけだったし」

 空気は冷たく澄んでいる。まだ春の気配は遠く、窓を叩く北風は荒れていた。寒気が流れ込んでいるとか、気圧配置がどうだとか、同じ話を一日中テレビで言っている。また東京では電車が止まったらしい。いい加減、全線地下に埋めるかトンネル構造にすれば良いのにと冗談を言い合った。

 日向に一歩出れば、太陽は暖かい。屋外に出た途端凍り始めていた皮膚が、じんわりととけていく。高梨は両手を広げできる限りの面積を陽光にさらし、しっかり両面焼きをする。

「遊んでると置いて行くぞー」

「あっ、待って待って」

 高梨は慌てて自転車を引き出して後を追ってくる。

 自転車を漕ぎ出すとぶつかる風は刺さるように痛い。冷えは皮膚の表面を貫通して、内側から始まったような感覚である。

「もう卒業かあ」

 白い尾を引きながら、高梨は抜けた青空に呟いた。「早いよなあ」

「一年ってどんどん短くなるよね」と、内田も寂しげな声だ。

「そうそう。オレまだ、二年くらいしか通った気がしない」

「それじゃあ高梨は、留年しても良いんだぞ。俺は大学へ行く」

「そういうのは、大学に受かってから言え」

 ぐうの音も出ない。悔しいので高梨の自転車のスタンドに体当たりを繰り返していると、鬱陶しそうに、高梨は俺の横に並んだ。

「にしたってよ、一個ってのはむなしいよな」

「そうかぁ? ゼロだって思ってたから、これでも儲け物だけど……あ、待てよ。姉ちゃんの友達が今日来るらしいから、もう一つ貰える」

 酒井さんという小学校からの同級生で、お菓子作りが趣味という実に女子っぽい女子である。毎年手の込んだチョコ菓子を、姉と俺の二つ分届けてくれる。これがまた美味いのだ。美味い義理チョコほど、ありがたいものはない。

「なにそれ、ずっけえ。オレの分は?」

「あるわけないだろ」

 雑談を繰り広げながら自転車を漕いでいると、「あっ」と内田が声をあげた。

「ちょっとコンビニ寄りたいんだけど」

 前方にコンビニの看板が突き出しているのが目に入る。

「了解」

 コンビニ前に自転車をとめて自動ドアをくぐっていく内田を見送った。残った俺たちは近くのガードレールに腰かけて、また雑談を、すこし猥談をする。途中ですれ違った女性のタイツがエロかったという話から、妙に枝葉が広がってしまった。

「しかし長いな内田」

 高梨が、コンビニのほうを見て言う。「大きいほうか?」

 無言で背中をたたく。バランスを崩して歩道に落ちて、そのままガードレールに背中を預けて座った。

 高梨は冷やかすような視線をくれる。

「でも内田のは大きいだろう?」

「何が? 胸?」

「そう。いやあ、三年間癒しだったなあ」

「おまえほんと、おっぱい好きだな」

「それは黒沢だろ?」

 ごく当然そうな表情で、高梨は俺を見上げている。たぶんその言葉の裏には、内田ではない別の人間も含まれている。もう顔さえはっきりと思い出せない同級生、茅野のことだ。

「……嫌いな人間はいない」

 逃げるように視線を逸らすと、コンビニから出てくる内田が見えた。

 小さな袋をだらりと持って、やけにせわしなく周囲を見ながら近付いてくる。まさか本当に高梨の言う通りで、色々誤魔化すために買い物をしたのではないかと、頭をよぎった考えをシャットアウトする。

 地べたに座っていた高梨を不思議そうに見ながら、内田は買い物袋をごそごそと漁った。

「今日がバレンタインデーってすっかり忘れてたよ。はいこれ」

 と、ブラックサンダーを差し出す。「高梨くん、ブラックとかサンダーとか好きそうだから」

「まあ、そこまで子供じゃねえけど、ありがとう」

「うん。で、黒沢くんにはこれ」

 そう言って手渡されたのは、チロルチョコである。ちょこんと手のひらに馴染む大きさだ。

「ありがとう」

「いえいえ」

 内田は丁寧に袋を畳んで、ポケットにしまった。

 ほんの数十円のチョコ菓子が、どんなに美味い手作りチョコよりも嬉しいのはどうしたことだろう。受け取るときに触れた内田のやわらかい指先を思い出して頬が緩む。

 すでに齧った自分の物と、手で弄ぶ俺の物を見比べて、高梨はほうと息をつく。

「同じ一個でも、同点に思えないのは不思議だなあ」


          ○


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