スタンド・バイ・ミー
帰り道も二つ。坂か、トンネルか。
四対一でトンネルを選んだ。仲間はずれは鈴やんだった。多数決の被害者たる彼は、さんざん峠道の有用性を説いた。健康に良いとかダイエットになるとかいろいろ言ったが、最後の最後、入口で叫んだ悲鳴にも似た「怖いんだよ!」がなによりの本音だっただろう。
入ってしばらくは光が届いていたが、それもすぐになくなった。
背後に入口が白く残っていたが、自分の手さえ見えないほど真っ暗だ。天井には慎重すぎる距離を置いて、橙色の照明が連なっている。しかしそれも数が圧倒的に足りず、また薄暗い。光の当たる空間と、暗闇とが交互に並んでいる。
光が入らないせいか、ずっと風が通っているせいか、気温がぐっと下がったようだった。じわりと滲んだ汗が、冷たいほどだ。
絶えず吹き抜ける風に、トンネルは鳴いていた。
背筋がぞくりとする。鈴やんではないけれど、頭の片隅で嫌な想像をしてしまう。
道はゆるやかにカーブし、やがて入口の光さえ壁の向こうになった。
「鈴やん、掴むなよぅ」
高梨の鬱陶しそうな声。
「見捨てるなよ、俺を……」
鈴やんはいよいよ普段の様子からは、まったく想像できない状態だった。
「だいたいさ、入口と出口がつながってるなんて保障、どこにあるんだ……? 俺ら、元の道に帰れねえんだぜこれ……」
「ホラーでありそうだな」
「ホラーとか言うな!」
わんわんと反響する。普通の声ですらエコーがかっている。歌えばさぞかし気持ち良いだろう。
照明の下にくるたびに、鈴やんは周囲を確認している。さすがに怖がりすぎではないだろうか。
出口が見えてこないことを、だんだん不安に思い始めたころ、ふいにギャル美が言った。
「ねえ、なにか音しない?」
一瞬の間。
「こっ……怖いこと言うなよぉ!」
「抱きつくな! 鬱陶しい!」
鈴やんの悲鳴と、悲鳴に似た高梨の叫び声。
次の照明で、状況がわかった。鈴やんが高梨の腰に縋りつき、そのうえ腰がひけている。物凄くスタイルの悪いケンタウロスという感じ。歩きづらいことこの上ないだろう。
「ちょっと止まってみて」
ギャル美の提案で足を止める。
ギィ……と、なにかの軋む音。それから何かを引きずるような音も混ざる。
ぴたりと腕に手がふれる感触。
叫びそうになるのを堪えてそちらを見ると、内田の手がそっと俺の袖をつまんでいる。
「これって足音?」
内田の問いに、ギャル美が答える。
「たぶん」
無意識のうちに五人で集まって先に進む。それぞれの呼吸音さえはっきりと耳に届く。
「ほらあ……ホラーとか言うから出るんだって……。誰か歌ァうたってくれよ……」
「なんで」
「そうすると出なくなるんだろ?」
袖をつまんだままの内田が、すっぱりと言う。
「クマじゃないの、それ」
「どっちも同じだよ!」
「あーもうわかったから。歌ってやるからちゃんと歩け!」
高梨と鈴やんが小競り合いをしている。
「何がいい?」
「何だっていいよ……」
「高梨って歌得意なの? 意外かも」
ギャル美が驚いている。
「まあな。隠れた特技ってやつだ。なにがいいかな」
と、言いながら、すぐにふんふんと鼻歌を始めた。覚えがあるリズムだ。記憶を掘り起こすよりも早くに前奏が終わった。
「ウェンザナイ、ハズカム――」
そうだ、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」だ。同名の映画は見ていないが、曲はいろんなところで耳にしている。
自分で得意と言うだけあって、たしかに高梨は上手かった。洋楽どころか邦楽でさえそれほど嗜まない俺でも、こいつが上手いということはわかる。
小学校から一緒だったくせにちっとも知らなかった。
夜が訪れあたりが暗闇に包まれて
月明かりしかなくたって
怖くなんかない
ああ、怖くはない
君がいてくれる
それだけで怖くはないんだ
「そうそう、聞いた話なんだけどね」
そう前置きして、ギャル美が言う。声色に意地悪してやろうという気概がみられた。
「映画の『スタンド・バイ・ミー』ってあるでしょ。あれの原題、知ってる?」
「いいや。そんなのあるんだ」
「えっとね、『The body』っていうの」
やけに丁寧な発音だった。頭の中で英語を文字に直している間に、内田がぼそりと訊ねた。
「からだ?」
「ううん」と、とびっきりおどろおどろしい声を作って、「死体」
「うわあ――――ッ! 高梨ィ! 別の曲! その歌やめて!」
悲痛な叫びだった。サビに入って調子が出てきたのか、見る影もないクラスメイトなど気にも留めず、気持ち良さそうに歌っていた。オー、ステンバイ、ステンバイミー。そんなフレーズを何度も繰り返す。
一曲を歌い上げた頃には、トンネルの出口が遠くに見えていた。光を感じられるところまで来ると、鈴やんは一目散に駆けて行った。ようやく解放された高梨を労いながら俺たちもトンネルを出る。
開ききった瞳孔に、痛いほどの光が飛び込んでくる。眼球を鷲掴みにされているようだった。眩しくって痛くって、目を閉じずにはいられない。
何度か慎重に瞬いて、瞳を明るさに慣らしてやる。ようやくそれが済んでから、トンネルのほうを振り返った。
闇の中からおばあさんが、のんびりと歩いてきた。シルバーカーを押している。そのタイヤの付け根がキィキィ鳴っている。
俺たちの前を横切っていくときに立ち止まって、
「お歌、お上手ですねぇ」
と、しわくちゃの顔をさらに皺だらけにした。
曲がった背中を見送りながら、みんなして呆けていた。
「あのおばあちゃんにビビった人、手ぇ挙げて」
何の気なしに言ってみると、挙がった手は四つ。挙げなかったのは鈴やんだけだった。
途中でうどん屋に寄って昼食をとり、教師の待つなんとかという寺に行く。
あとは自由時間であるが、自由にして良いといわれても、特別することも見当たらない。
鈴やんは恥ずかしいのか、それこそ幽霊のごとく忽然と消えた。ギャル美と内田はそれぞれに友達と約束があるらしい。去り際、内田がちょいちょいと俺の手を引いた。
「なに?」
なんとなく声を小さくする。
「もしよかったらなんだけどね、ゴールデンウィークの初日、すこし付き合ってもらえませんか?」
「いいけど」
「ありがとう。詳しいことはまた今度」
ほうと息をもらして、内田は頭をさげて行った。
いいけど、大会近いのでは? 言う暇がなかった疑問は、何かの違和感に霧散した。
違和感の正体を探して周囲を見る。なんだか嫌な気分になる。見られている。真横を見たとき、高梨とばったり目が合った。
「なんだ、おまえか」
「黒沢、さっき遠野がさ、モンキーパークあるってよ、モンキーパーク」
「モンキーパーク?」
「なんかサル見れるって。行かねえ?」
「……パス」
「んじゃあ、オレは行ってくる」
「よろしく言っといて」
断ってみたものの、特にしたいことはなかった。ただサルを見て喜ぶ気分でもなかったというだけだ。
ぶらぶらと周囲を散策する。土産物を横目に歩き、紅葉のニュースで見る山を眺め、まだ深くない緑になんとなく感動し、川に沿って上流に向かい、賑やかささから離れた。
したいことなんて何もない。駅前の点呼の時間は、さて何時だったか。
川岸の石を蹴りながら、目星をつける。ある程度大きくて平たい石。暇潰しといえば水切りくらいしか思いつかなかった。
ちょうど良さそうな円盤型を見つけ、軽く投げる。思ったより高い軌道で、若干カーブする。三度跳ねて川底に沈んだ。
もう少し低く……まっすぐに……。進行方向がすこし上向くように……。
さきほどよりも大きく、そして遠くまで五度跳ねた。
そういえば水切りなんていつ覚えたんだっけ。家の近くにも河川はあるが、危険だからと小学校の頃は河川敷に行くのが禁止されていた。それに記憶にある最初の水切りは、周囲には緑と石と清流と、遠く下流に鉄橋がかけられている風景。
地元ではない。田舎も持たない。あれはどこだろう?
水面を滑るように石が跳ねていく。
そうか、父親だ。
あの頃はまだひと月に一度は会っていて、何が目的だったか山に連れて行かれた。その車中で父親に、水切り遊びをしたことがないことを驚かれたのだ。
まだ目の前の世界がすべてで、素直に父親を慕えていた。
俺は父親をなんて呼んでいたっけ……。
石を持つ手に力がはいる。斜めに振り上げた腕から放たれた石は、大きな弧を描いて水中に飛び込んだ。
空を仰ぐ。悔しさにではない。どっと疲れた気分だった。




