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走り出したら  作者: 肉団子
1章
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スタンド・バイ・ミー



 帰り道も二つ。坂か、トンネルか。

 四対一でトンネルを選んだ。仲間はずれは鈴やんだった。多数決の被害者たる彼は、さんざん峠道の有用性を説いた。健康に良いとかダイエットになるとかいろいろ言ったが、最後の最後、入口で叫んだ悲鳴にも似た「怖いんだよ!」がなによりの本音だっただろう。

 入ってしばらくは光が届いていたが、それもすぐになくなった。

 背後に入口が白く残っていたが、自分の手さえ見えないほど真っ暗だ。天井には慎重すぎる距離を置いて、橙色の照明が連なっている。しかしそれも数が圧倒的に足りず、また薄暗い。光の当たる空間と、暗闇とが交互に並んでいる。

 光が入らないせいか、ずっと風が通っているせいか、気温がぐっと下がったようだった。じわりと滲んだ汗が、冷たいほどだ。

 絶えず吹き抜ける風に、トンネルは鳴いていた。

 背筋がぞくりとする。鈴やんではないけれど、頭の片隅で嫌な想像をしてしまう。

 道はゆるやかにカーブし、やがて入口の光さえ壁の向こうになった。

「鈴やん、掴むなよぅ」

 高梨の鬱陶しそうな声。

「見捨てるなよ、俺を……」

 鈴やんはいよいよ普段の様子からは、まったく想像できない状態だった。

「だいたいさ、入口と出口がつながってるなんて保障、どこにあるんだ……? 俺ら、元の道に帰れねえんだぜこれ……」

「ホラーでありそうだな」

「ホラーとか言うな!」

 わんわんと反響する。普通の声ですらエコーがかっている。歌えばさぞかし気持ち良いだろう。

 照明の下にくるたびに、鈴やんは周囲を確認している。さすがに怖がりすぎではないだろうか。

 出口が見えてこないことを、だんだん不安に思い始めたころ、ふいにギャル美が言った。

「ねえ、なにか音しない?」

 一瞬の間。

「こっ……怖いこと言うなよぉ!」

「抱きつくな! 鬱陶しい!」

 鈴やんの悲鳴と、悲鳴に似た高梨の叫び声。

 次の照明で、状況がわかった。鈴やんが高梨の腰に縋りつき、そのうえ腰がひけている。物凄くスタイルの悪いケンタウロスという感じ。歩きづらいことこの上ないだろう。

「ちょっと止まってみて」

 ギャル美の提案で足を止める。

 ギィ……と、なにかの軋む音。それから何かを引きずるような音も混ざる。

 ぴたりと腕に手がふれる感触。

 叫びそうになるのを堪えてそちらを見ると、内田の手がそっと俺の袖をつまんでいる。

「これって足音?」

 内田の問いに、ギャル美が答える。

「たぶん」

 無意識のうちに五人で集まって先に進む。それぞれの呼吸音さえはっきりと耳に届く。

「ほらあ……ホラーとか言うから出るんだって……。誰か歌ァうたってくれよ……」

「なんで」

「そうすると出なくなるんだろ?」

 袖をつまんだままの内田が、すっぱりと言う。

「クマじゃないの、それ」

「どっちも同じだよ!」

「あーもうわかったから。歌ってやるからちゃんと歩け!」

 高梨と鈴やんが小競り合いをしている。

「何がいい?」

「何だっていいよ……」

「高梨って歌得意なの? 意外かも」

 ギャル美が驚いている。

「まあな。隠れた特技ってやつだ。なにがいいかな」

 と、言いながら、すぐにふんふんと鼻歌を始めた。覚えがあるリズムだ。記憶を掘り起こすよりも早くに前奏が終わった。

「ウェンザナイ、ハズカム――」

 そうだ、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」だ。同名の映画は見ていないが、曲はいろんなところで耳にしている。

 自分で得意と言うだけあって、たしかに高梨は上手かった。洋楽どころか邦楽でさえそれほど嗜まない俺でも、こいつが上手いということはわかる。

 小学校から一緒だったくせにちっとも知らなかった。

 夜が訪れあたりが暗闇に包まれて

 月明かりしかなくたって

 怖くなんかない

 ああ、怖くはない

 君がいてくれる

 それだけで怖くはないんだ

「そうそう、聞いた話なんだけどね」

 そう前置きして、ギャル美が言う。声色に意地悪してやろうという気概がみられた。

「映画の『スタンド・バイ・ミー』ってあるでしょ。あれの原題、知ってる?」

「いいや。そんなのあるんだ」

「えっとね、『The body』っていうの」

 やけに丁寧な発音だった。頭の中で英語を文字に直している間に、内田がぼそりと訊ねた。

「からだ?」

「ううん」と、とびっきりおどろおどろしい声を作って、「死体」

「うわあ――――ッ! 高梨ィ! 別の曲! その歌やめて!」

 悲痛な叫びだった。サビに入って調子が出てきたのか、見る影もないクラスメイトなど気にも留めず、気持ち良さそうに歌っていた。オー、ステンバイ、ステンバイミー。そんなフレーズを何度も繰り返す。

 一曲を歌い上げた頃には、トンネルの出口が遠くに見えていた。光を感じられるところまで来ると、鈴やんは一目散に駆けて行った。ようやく解放された高梨を労いながら俺たちもトンネルを出る。

 開ききった瞳孔に、痛いほどの光が飛び込んでくる。眼球を鷲掴みにされているようだった。眩しくって痛くって、目を閉じずにはいられない。

 何度か慎重に瞬いて、瞳を明るさに慣らしてやる。ようやくそれが済んでから、トンネルのほうを振り返った。

 闇の中からおばあさんが、のんびりと歩いてきた。シルバーカーを押している。そのタイヤの付け根がキィキィ鳴っている。

 俺たちの前を横切っていくときに立ち止まって、

「お歌、お上手ですねぇ」

 と、しわくちゃの顔をさらに皺だらけにした。

 曲がった背中を見送りながら、みんなして呆けていた。

「あのおばあちゃんにビビった人、手ぇ挙げて」

 何の気なしに言ってみると、挙がった手は四つ。挙げなかったのは鈴やんだけだった。



 途中でうどん屋に寄って昼食をとり、教師の待つなんとかという寺に行く。

 あとは自由時間であるが、自由にして良いといわれても、特別することも見当たらない。

 鈴やんは恥ずかしいのか、それこそ幽霊のごとく忽然と消えた。ギャル美と内田はそれぞれに友達と約束があるらしい。去り際、内田がちょいちょいと俺の手を引いた。

「なに?」

 なんとなく声を小さくする。

「もしよかったらなんだけどね、ゴールデンウィークの初日、すこし付き合ってもらえませんか?」

「いいけど」

「ありがとう。詳しいことはまた今度」

 ほうと息をもらして、内田は頭をさげて行った。

 いいけど、大会近いのでは? 言う暇がなかった疑問は、何かの違和感に霧散した。

 違和感の正体を探して周囲を見る。なんだか嫌な気分になる。見られている。真横を見たとき、高梨とばったり目が合った。

「なんだ、おまえか」

「黒沢、さっき遠野がさ、モンキーパークあるってよ、モンキーパーク」

「モンキーパーク?」

「なんかサル見れるって。行かねえ?」

「……パス」

「んじゃあ、オレは行ってくる」

「よろしく言っといて」

 断ってみたものの、特にしたいことはなかった。ただサルを見て喜ぶ気分でもなかったというだけだ。

 ぶらぶらと周囲を散策する。土産物を横目に歩き、紅葉のニュースで見る山を眺め、まだ深くない緑になんとなく感動し、川に沿って上流に向かい、賑やかささから離れた。

 したいことなんて何もない。駅前の点呼の時間は、さて何時だったか。

 川岸の石を蹴りながら、目星をつける。ある程度大きくて平たい石。暇潰しといえば水切りくらいしか思いつかなかった。

 ちょうど良さそうな円盤型を見つけ、軽く投げる。思ったより高い軌道で、若干カーブする。三度跳ねて川底に沈んだ。

 もう少し低く……まっすぐに……。進行方向がすこし上向くように……。

 さきほどよりも大きく、そして遠くまで五度跳ねた。

 そういえば水切りなんていつ覚えたんだっけ。家の近くにも河川はあるが、危険だからと小学校の頃は河川敷に行くのが禁止されていた。それに記憶にある最初の水切りは、周囲には緑と石と清流と、遠く下流に鉄橋がかけられている風景。

 地元ではない。田舎も持たない。あれはどこだろう?

 水面を滑るように石が跳ねていく。

 そうか、父親だ。

 あの頃はまだひと月に一度は会っていて、何が目的だったか山に連れて行かれた。その車中で父親に、水切り遊びをしたことがないことを驚かれたのだ。

 まだ目の前の世界がすべてで、素直に父親を慕えていた。

 俺は父親をなんて呼んでいたっけ……。

 石を持つ手に力がはいる。斜めに振り上げた腕から放たれた石は、大きな弧を描いて水中に飛び込んだ。

 空を仰ぐ。悔しさにではない。どっと疲れた気分だった。

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