夢、まぼろしか・あるいは新たな文学の確立(一夜限定スズナリの会)
芋虫
小さな畑の片隅にあるキャベツの葉の裏に、卵があった。ある日、その卵の殻を破り、小さな小さなアオムシが生まれた。
自らが破り出た卵の殻をむしゃむしゃやって、アオムシはうすらぼけた視界をあちらこちらと振ってみた。
見えるのは、近く足元の何かと遠く頭の下の何かだけ。それさえ、しっかりと見えるわけではない。けれども、それでじゅうぶんだった。
己の張り付いているこの場所が何であるか、わからない。それはどうでもいいことだ。とにかく、早くしなければ。
何を急がねばならぬのか、アオムシにはわからない。ちっぽけなこの身で何ができるともわからない。わからないが、じっとはしていられない。
アオムシは這い回った。勝手はわからないが、細長く柔らかい緑色の体をむずりむずりと動かしてみる。歩くたびに口から細い糸が出る。その糸に足とも手ともつかぬ腹側の突起でしがみつき、葉の表と言わず裏と言わず、あちらこちらを這い回った。
少しも這わないうちに腹が減る。考えるまでもなく、かぶりつく。
とにかく、食べる。食べてみて、硬い葉ならば場所を変える。柔らかい葉ならば、ひたすら食べる。
葉を食べ、糞を放り、場所を変える。また食べ、放り、動く。
ふと、体が窮屈に感じて、足を止める。
訳は分からないが、窮屈だ。どうにかならぬか、とむずむず体を動かせば、背中がぱかりと破れてもぞもぞと窮屈から出ることができた。
そうすると、先よりも少し硬い葉であっても食べられるようになる。
食べられるから、食べる。放る。動くを繰り返す。
繰り返しながら何度か窮屈から抜け出したころ、アオムシは唐突に、もういいだろう、と感じた。
何かはわからないが、もういいのだ。だから、アオムシは這った。
これまでは葉の上ばかりを這い回った。しかし、もういいのだから、葉から降りる。降りて這い、さらに這い続け、何かにぶつかった。何かわからないから、見えぬ目で見ようと頭をふる。
登れる。ふと、アオムシは気がついた。うすらぼけた視界では、何が見えたやらわからない。けれど、登れるならば、行こう。
糸を吐き、足でつかんで登ってゆく。ずいぶん登ったのだろうか。アオムシにはよくわからない。わからないが、己の体は知っていた。ここでいい。
動きを止めたアオムシは、どぼりと大量の糞を放る。体が軽くなったなら、糸を吐かねばならない。なぜか、そう思う。
糸を吐きつけて体をぶら下げたアオムシは、さらに糸を吐いて己の身を覆いはじめる。
しゅるしゅると糸を吐くごとに、ぼやけた視界は狭まっていく。
すっかり自身を覆ってしまうと、アオムシは眠りについた。深く、己の全てが溶けるような眠り。
どろどろに溶けた己を再び掻き集めて、己を作り上げるが、アオムシは己を見たことがない。わからないものは作れないから、ただ在るものがあるべき場所にいくように、作り上げる。そうして出来るものが何かはわからないが、作り続ける。
やがて、己を作り終えたアオムシは身をよじる。
窮屈だ。
もがく。
窮屈だ。
身をよじる。
窮屈な殻が割れて、そして……。
埼玉
目を覚ました私は、パソコンに向かう。顔を洗う暇もなく、キーボードを叩く。
「どうしたの、今日はやけに早いのね」
「夢を見た。飛べたんだ。今なら掴めそうだ。書ける気がするんだ」
声をかけてくる妻への返事もそこそこに、私は先ほどの夢を文字へと落としていく。
今しがた身を以て感じたすべてを文字にできたならば、それは重大な道しるべとなるに違いない、という確信があった。永く試行錯誤を繰り返してきた機甲文学の確立に向けて、飛び立てるに違いない。
ひと文字を打つごとに、私は胸が熱くなるのを抑えられなかった。
お題「夢のかよひ路」「埼玉」「錫さんと奥さま」
錫 蒔隆さんへ、感謝を込めて。
いつもお世話になっております。
伝わるか怪しいところですが、自分なりの尊敬の念を込めております。本当です。