場末の娼婦の話
拙い文章ですがよろしくお願いします。
「・・・・ごほっ、ごほっ、ごほっ」
喉下からせり上がる錆付いた味とここ最近止まらない咳。
なかなか止まらなくて苦しくて体を折り曲げてしまう。
アバラの浮いた身体に薄いドレスを身に着けた私はこれでもかと言うほど貧相で、3年前の健康的で上等なドレスを身に纏っていたあの頃とはあまりにもかけ離れすぎていた。
あまりにも辛い息苦しさに苛まれ、しかし、あんなにも気高かかった自分が今晒している醜態に自嘲が漏れて、潰れた喉がヒッヒッと耳障りに鳴り笑い出す。
ああ、苦しい。なんと、まともでいるのは苦しい事なのかしら。
歓楽街の外れに立ち並ぶ娼館。夜の無い極彩色に輝く街。その片隅で冷たい風の吹く路地の前。そこが私のお店。
落ちぶれた私の最期の住処。
なぜ侯爵令嬢と呼ばれ花よ蝶よと育てられた人間がいるのか。それは実に愉快な大衆演劇にも顔負けな人生があったからだ。
そう、愉快な嫉妬と裏切りで作られた転落という人生が。
『貴女のような性根の曲がった者を我が公爵家に迎えれるのは無理だ』
『クスクス、土台がなに騒いでるのよ。彼が決めたのは私なの!アンタはいらないんだってさぁ!アハハハハ!』
『・・・・・なんと馬鹿な事をしたのだ。もういい、お前には失望した。出て行け!我が家の恥が!!』
『あーあ、噂の女がどんなのか試しに来たけど、期待はずれだな。元侯爵令嬢様』
侮辱に染められ、ありもしない罪を言われ、親には見捨てられ、下種な笑いの種にと身体を買われ続け・・・・・。
何時になれば狂えるのか、終わりはまだなのかと心底願う日々。
最初は誰かが、親切な人が救ってくれると信じていた。
でも、そんなものは只の希望でしか無くて幻の光だ。
そんな下らない事実に気付いた時、私の心は冷たく固まった。
後はそのヒビが入った心を砕いてくれるだけ、それで私は救われるのだ。
気づけば壁に背もたれて座り込んでいた。
手が赤い。どうやら吐血をして気を失っていたみたいだ。
「・・・・・口紅代が浮いたわね」
赤い赤いルージュはどんな化粧品よりも映えるだろう。
指先にこびり付く血を捏ねながら、これでお客が獲れるかしらと馬鹿な事を考えていた時だった。
「・・・・・ミリア?」
「?」
私の名前を呼ぶ声がした。
お客かしら?
栄養失調と病で落ちた視力では、顔が判別できない。
声で若い男だというのは分かるのだけど、こんな所で春を売る女に声を掛けるなんて物好きだわね。
ま、お金を払ってくれるならどんなお客様でも大歓迎だわ。
「まぁ!旦那様、私を買ってくださるの!?此処でしたいなら奥の路地か、ベッドが良いならお隣の安宿でのどちらかですわ。私はお宿の方が良いと思うのだけど〜」
ああ、気色の悪い声。
甲高い声で媚びへつらって私の大事な人を盗ったあの女みたいだ。
ぼんやりした人影は膝まづくと座り込んでいた私の顎に触れる。
懐かしい色合いの金髪にドキリと心臓が脈打つ。
男は戸惑った色をのせた低い声を放った。
「ミ、リア?・・・・・俺だ、ダレンだ。その血は、なんだ?」
ダレン、ダレン、ダレン。
頭の中を反響する言葉。
次々に思い出す愛しかったあの人の姿が、胸を掻きむしりたいほどの憎しみと焦がれ続けた恋情を呼び覚ます。
忘れていたのに!忘れかけていたのに!やっと諦めたのに
!!
どうして!!!
私は走った。
逃げるために。
光から、火に飛び込む蛾にならないために、暗闇へと。
「待ってくれ!ミリア!!」
ダレンが大声で呼び止めている。
静かを好む彼が、切羽詰まった声で。
ありえない。
信じられない。
嘘だ。
偽物だ。
罠だ。
また、奪うのか。
もう何も、命しか残っていないのに。
・・・・・だったら、くれてやろうか。
奪われるなら、私から差しだそうか。
ああ、それが良い。
愉快だ、痛快だ。
弱った身体は走る事もできやしない。だけど、割れたガラス瓶を喉に突き刺す事はできる。
「!、駄目だ!止めるんだ!ミリアッ!!!」
私が何をしようとしているのか気付いたのか、ダレンの叫び声と靴音が近づいてくる。
私は略奪者の彼に見せつける為に背後に振り返る。
ボンヤリとした視界に片手を伸ばす彼の姿と、背景の色とりどりの灯りがやけに綺麗に思えて、明瞭に見えないのが残念だと思った。
馬鹿馬鹿しい。今さらな感情に笑いが出る。
「ひっひっひっひっ」
ズグッ。
魔女の笑いみたいだと、手に伝わる肉を突き刺す感触を感じながら思った。
身体が倒れる、全身に鈍い衝撃が広がる。
視界が赤い。
私の血だ。
ダレンが何かを叫び、私を抱き上げる。
馬鹿ね、高い服が汚れるわよ。
喋ろうとすると声の代わりに血がゴポッと出た。
「しゃべ-な!---!来い!-車-急げ!」
ダレンは胸ポケットからハンカチを取り出し、朦朧とし始めた私の血が吹き出す喉を押さえ誰かを大声で呼んでいる。
明滅し始めた視界に入り込んだ、大判のハンカチの片隅にあるスミレの刺繍。
・・・・・これは、私が初めて贈った、彼の瞳と同じ色の花をモチーフにした、・・・・・不出来で歪で仕上げるまでに指が絆創膏だらけになった、あのハンカチ?
なんで?
持っているの?
冷たい目で刺繍を見てたじゃない。
捨てたんじゃなかったの?
目障りだったんでしょう?
いらなかったんでしょう?
邪魔だったんでしょう?
好きじゃないんでしょう?
ねぇ、
なん、で?
ーーーーーーーーーーーーー
「俺は大馬鹿物だ。許されない事をした」
柔らかなベッドの横、椅子に腰掛けたダレンは顔を手の平で覆い、低い声で話し出した。
学園で起こった、あの忌まわしい糾弾の後の話を。
私を裏切った元親友の彼女は、あの後、自国の王子に手を出し、外国の王子に媚を売り、教主様へ愛を捧げ、他にも道連れで主要な貴族、大臣をたらしこんで、国を傾かせようとしたらしい。
そのままであれば隣国との戦争になっていたらしいが、深淵の魔女と呼ばれる賢者と現王が彼女の尻尾を捕まえ、その所業が明るみになった。
そして、私と同じように言われのない汚名を着せられた者、国を追われた一族、そして処刑された人達もわかったのだのだそうだ。
その者達には復権、国からの慰謝料が払われる権利があり、私のように所在の消えた者を捜していた、とうとうの話を聴かされた。
だから、なんだ。
今さらな話だ。
・・・・・くだらない。
私はその気持ちを隠す事無く、紙に書くと彼に見せた。
「っ、そうだよな。君を、ミリアを信じられなかったのは俺の所為だ。すまない」
辛そうに目を伏せ秀麗な眉を苦しげに寄せ、何度目かの謝罪を言う。
私が起きてから毎日顔を見せに来るたび同じような表情で、「すまない」と告げていく。
信じられなくて、すまないと。
守れなくて、すまないと。
こんな身にさせて、すまないと。
声を奪って、すまないと。
その後、必ず私の喉に巻かれた包帯を触るのだ。
恐る恐る、慰めるように、優しく、労わる様に。
その間、私は目を閉じ視界から彼を追い出すと、不本意だが首筋を触る彼の指先の感触をより強く感じて、安堵してしまっている。
裏切られても、信じてもらえなくても、愛されていなくても、今彼が私に向けている感情が憐憫だとしても、やはり、私は彼の事がダレンが好きなのだ。
馬鹿馬鹿しいけど、私が壊れないのは心の中心にダレンへの思慕があるからなのだと思う。
愛と憎悪が。
・・・・・だから私は彼を許さないだろう。もう二度と離さない為に。自己の為に。
首の傷は彼を繋ぐ鎖。
失くした声は彼に着けた首輪。
残った命と壊れかけの心を見せ付けて保護欲を煽り立たせ、私を離せなくしてあげるのだ。
永遠に。
永久が二人を別つまで。
喉が震える。ああ、出ない笑い声がこんなに嬉しい事とは!
ほら、ダレンを見て!なんて泣きそうな顔をしているのかしら!
また、すまないって口にする度に私から離れられなくなっていくのよ!
その度に私は喝采するのだろう、不道徳でしかなくて、神様でも醜悪に目を背ける、私のダレンを巻き込んだ演劇みたいな人生を!
・・・・・でも、いつかは、何十年先でもいいから、
『愛してる』
って言って欲しい。
そう願ってもいいよね?
ダレン。
補足・・・・・するものが無い。 orz