『特別な日』
拓斗は、雫が作ってくれた海鮮丼を食べながらも、表情は重く暗かった。
「タク?どうかした?」
雫が声をかけてくる。写真のことを聞くべきか、聞かないべきか拓斗はまだ迷っていた。
「いや、なんもないよ。今日もご飯美味しいな」
「なら良かったけど・・・なんか元気ない気がする」
「ちょっとな、会社でミスしてしもてな」
「えっ大丈夫なの?」
「大丈夫や。心配はいらん」
「そっかぁ・・・仕事のことは私はわからないから・・・ごめんね」
「俺のことはええわ。それより、雫は大丈夫か?」
「え?」
「井上とかいう奴、近付いてきてないか?」
突然、井上の話を出したせいか、雫の箸が止まる。
「大丈夫。あれから何もないわ」
「何も変なことされてないよな?何かあったら言うてな」
「・・・うん。何かあったらちゃんと話すよ・・・」
雫の返事の語尾は消え入りそうだった。何か隠し事をしているように思える。やはり、あの写真の男が井上で、もし、無理やりにでも何かされたのだったら俺に話すはずだ。何もない、と言う時点で、雫は俺に嘘をついている。井上と雫は人に知られたくない仲ってことなのか・・・?
「そうや、明日、会社の飲み会やねん」
拓斗は突然話題を変えた。やっぱり、嫌なことは忘れてしまった方がええ。
「飲み会?」
「そうやねん。俺が今日ミスして元気ないから、明日みんなでパーッと行こうか~ってなってん」
「そうなのね。いい人たちだね。じゃあ晩御飯はどうしたらいい?」
本当は川崎先輩と2人きりなのだが、これも言いにくい。先輩は俺のことを気遣って、元気付けてくれようと誘ってくれてるだけなんだけど、雫が変に思ってしまうかも知れない。
「結構な人数で行くし、みんな酒飲みばっかやからな~、そんなにすぐには帰れへんし、遅くなるやろから、お茶漬けが食べれる状況やったら助かるかな」
「そっか、わかった。じゃあそのつもりにしておくね」
「一人にしてすまんな。戸締りちゃんとしといてや」
「うん。気にしないで。たまにはいっぱい飲んで発散してきて」
「おおきに。飲み会の合間にも連絡出来たらするわな」
雫は俺の言葉を何も疑う素振りもなく、晩御飯の後片付けを始めた。あっさりと『飲み会にいってらっしゃい』とか言うんやな。会社のみんなと、となれば女性もたくさんいるし、そういうのも気にならなくなってしまったんかな・・・ストーカーに狙われてるかも知れないのに、私を一人にしないで!とかも言わないんやな・・・俺の行動を疑わへんし、一人になることも怖くないとか・・・やっぱり、他に恋人がいて、俺が留守の方が都合ええんやろか・・・拓斗はそんなことを考えていた。
翌朝。この日は台風の影響か、朝から空が薄暗かった。
「おはよう。ちょっとお天気心配だね」
「おはよう・・・ほんまやな~暗っ。夜は降るかな」
「そうだね。台風が近付いてきてるみたいだから」
朝ご飯をテーブルに並べながら、雫が拓斗に声をかける。
「タク、今日は飲み会だし、お洒落して行かないとね。あのシャツ出しておいたよ」
雫の目線を追って見ると、俺のお気に入りのシャツとネクタイが出してあった。これは、何か特別な日にしか着ないと決めていたシャツとネクタイだ。
「俺の特別バージョンやん。ただの会社の飲み会やのに~」
「ただの、って、何言ってるの~大事な日じゃない。みなさんがタクのために飲み会してくれるんでしょ」
「そ、そうやな。おおきに、特別バージョンで行くわ」
「うん。飲み会の雰囲気壊すのも悪いから、連絡は特に無理しなくていいからね」
「ああ、ありがとな」
俺は急いで朝ご飯を食べ終え、髪の毛をセットした。今日は寝癖付けて行くわけにはいかない。そして、数か月ぶりにお気に入りのシャツの袖に手を通した。『特別な日』か・・・
「おはよう、木原君」
いつもの電車のいつもの車両で今日も川崎さんと合流だ。
「あらっ、今日はなんかいつもと違う感じのシャツ着てるね」
「気付きましたか?これ、俺が特別バージョンって呼んでる『特別な日用』なんです」
「へぇ、なかなかおしゃれだわ。ネクタイも似合ってる」
「ありがとうございます」
「今日はいっぱい飲んで楽しんで『特別な日』にしましょ」
と、川崎さんが俺に軽くウインクをする。
「はいっよろしくお願いします」
会社についてからも、拓斗は少し上機嫌だった。定時まで働けば、今日は楽しい飲み会だ。実は、以前から川崎先輩と数回、昼休みに定食屋に行っていて、ずっと思っていたことがあったのだ。なんていうか、先輩には人を魅了する力がある。いつもは昼休みという限られた時間内で、先輩の話を楽しく聞いていたのだが、時間があればもっと長く話したいといつも思っていたのだ。それが、今日の飲み会でやっと実現されるのだ。先輩と話せば、きっと昨日の嫌な写真のことも気にならなくなる。【嫌なこと・悲しいこと】以上に、【素敵なこと・楽しいこと】があれば、きっと忘れられる。やっぱり今日は『特別な日』になるかも知れない。仕事をしながら拓斗はそんなことを考えていた。




