芝居
拓斗は駅のホームで電車を待っていた。いつもの時間のいつもの電車だ。ドアの窓から川崎先輩の顔が見える。同じ車両に乗ることに決めているのだ。
「木原君、おはよう」
ドアが開くと、声をかけられ、拓斗の腕が引っ張られる。この時間はいつも満員なので、油断すると人の波に押されて奥の方まで行ってしまうのだ。
「すいません、いつも」
毎日、拓斗は川崎に腕を掴まれ、2人が離れないようにしてもらっているのだ。離れないというよりは、満員電車の中でかなり密着することになるのだが、もう慣れっこだった。
「今日もピンヒールだからよろけないように掴まらせて」
「はい、いいですよ。しっかり掴まってて下さい」
拓斗がそう言うと、川崎は自分の腕を堂々と拓斗の腰辺りに回してしがみつくのだ。最初はさすがにドキドキした拓斗だったが、しばらくするとそれが当たり前のようにも感じ、心地良いとさえ思うのだった。幸い、同じ電車に、他に会社の人はいないようだった。触れ合うのもたった3区間だけだし、それがまた2人を堂々とさせる原因でもあった。
拓斗の胸の辺りに川崎の顔がある。腰に手を回している川崎が拓斗に言う。
「木原君の匂いがするわ」
「えっ、俺・・・臭いですか」
「ううん。私の好きな匂いだわ。安心できる」
「そうなんですか。ビックリした、もう加齢臭出ちゃってるのかと思いました」
「私が毎日匂ってチェックしてあげるから大丈夫よ」
「あはは」
そんな話をしながら電車が会社のある駅に着いた。
「あ~あ、もう降りなくちゃだわ」
「そうですね」
「今度、このまま電車乗ってどっか行っちゃおうか」
「ええ~?会社サボるんですか!?」
「うふふ、冗談よ」
楽しそうに笑う川崎の顔を見ながら、拓斗は思うのだった。
『このままどっか行っちゃうってのもなんかちょっと楽しそうだな』
会社までの徒歩の道で、川崎が話し出した。
「そういえばさ、女優のSっているじゃない?」
「ああ、こないだ離婚した」
「そうそう、そのSって、ストーカーに狙われてたとかいう噂あったの知らない?」
「えっ?そんな噂あったんですか」
ストーカーと聞いて、思わず雫に起きた事件のことを思い出す。先輩にはそんなことは言えないが、何か例をあげて相談に乗ってもらうのもいいかなぁ・・・なんて拓斗は考えていた。
「聞いてる??」
「・・・あ、すいません。もう一回言って下さい」
「もうっ。そのSのね、ストーカーと思われていた男が、本当はただの恋人だったのよ」
「え?どういうことですか」
「家庭があって堂々と恋人だと言えないから、ストーカーっていうことにして『私は被害にあってるの』ていう芝居をしてたみたいよ」
「なんのために?」
「そりゃあ、旦那さんに浮気してるってバレないためによ。Sの場合、部屋に連れ込んでた男を旦那さんの母親に見られてしまって、とっさに、泣きながら『あの男がいきなり部屋に入って来たんです』って母親に助けを求めたらしいのよ」
「へえ・・・」
オカンから聞いた、雫とストーカーの話となんとなく重なって感じた。
「でも、後々、それが芝居でストーカーはSの恋人だったということが判明して、離婚になったってわけ」
「なるほど・・・」
「まぁ・・・Sは女優だからこんな話も公になったけど、一般の主婦とかもこういう小細工する場合があるみたいだから、木原君も気をつけて・・・って、木原君とこの奥さんはこんなことしないわよね」
「・・・当たり前ですよ」
「そうだよね~!あくまでも一般論だから、気にしないでね!」
「そんなの気にもしませんよ!さぁ、今日も仕事頑張りましょう!」
拓斗はそう言って、会社の玄関を入って行った。ストーカーに襲われたかのように芝居をするだって・・・?雫に限ってそんなわけがない。どんな一般論だよ。拓斗は余計なことを考えてしまわないように、仕事に専念することに決めた。
「そろそろ雫ちゃんも行くやろ」
「はい」
拓斗が会社について仕事を始める頃、雫と清子は木原家を出ようとしていた。雫を喫茶店まで送り届けるためだ。またいつ井上が現れるかわからないので、清子は周りを警戒しつつ、雫と共にマンションを後にした。
「ちっ・・・」
そんな2人の後ろ姿を井上が見ていた。喫茶店で雫を見るのはもう無理だから、と朝からマンションまで来ていたのだ。雫が一人で歩いていたら、声をかけられるチャンスがあるかも知れないのに、旦那の母親と一緒だとそれも出来ない。仕方ない。川崎と相談した作戦で行くしかない。井上はその場を立ち去った。
「じゃあ、そういうことなので・・・お願いします」
「わかりました。私がいるからここは大丈夫ですよ」
喫茶店まで雫を送り届けた清子が、マスターに簡単に事情を説明した。マスターも快く雫を守ることに協力してくれた。
「ありがとうございます。これからも仕事頑張ります」
「うちの店には雫ちゃんがいないとダメなんだから、元気に頼むよ」
「はい」
そんなやりとりを見た後、清子は安心した表情で、自分の職場へ向かうため、喫茶店を後にした。




