表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君のために出来ること。  作者: 桃色 ぴんく。
25/44

視線

 雫は、ここのところ、気持ちが落ち着かなかった。タクや那須君に、井上さんとの仲を変に思われてないかしら・・・そんなことばかり考えていた。

 井上さんは、今日もいつもの窓際の奥の席でノートパソコンを開き、仕事をしていた。

「雫ちゃん?」

 雫は、井上の呼びかけが聞こえないのか、窓に落ちる雨の滴をぼんやりと眺めていた。

「雫ちゃん!」

「きゃっ」

 雫はビックリした。井上さんがいつの間にか自分の横に来て、しかもまた腕を掴んでいるからだ。

「ああ、驚かせてごめん。呼んでるのに、気付いてもらえなくて、つい」

 雫の腕をそっと離し、井上がにっこりと微笑む。

「すいません、ぼーっとしてて。何かご用でしょうか?」

「いや、用なはいんだけどね、雫ちゃんの様子がおかしいからどうしたのかと思って」

「あ、いえ。ちょっと睡眠不足なだけです。心配なさらないで下さい」

 そう言って、雫は井上に軽く頭を下げ、カウンターの中へと戻って行った。雫の隣まで来ていた井上も席に戻った。





 雫は、考えていた。井上さんって親切な方なんだろうけど、この間から、度々手を掴まれたり、必要以上に私に近付いてきている気がする。大事な常連様だから、ご機嫌を損ねないようにしながら、少し距離を置いた方がいいのかも知れない。さっき、ちょっと腕を掴まれただけなのに、すごく力が強くて、なんだか怖かった。私を呼ぶだけなら、肩をトントンと軽く叩くだけでもいいんじゃないかなぁ・・・。雨が降っていて、お店が暇だったから、他のお客様に見られることもなかったけど、あまり親しげにしているところを他の人に見られるのも良くないよね。

 雫は、小さく息を吐き出し、仕事に専念することにした。そんな雫の様子をパソコンの画面越しに、井上がじっと見ていた。





「雫ちゃん、今日はお客さん少ないし、いつもより1時間早いけど、もう上がろうか」

 マスターに言われ、雫は本来15時上がりのところを14時で上がることになった。あと10分だし、最後に井上さんにランチを運んで今日は帰ろう。

「ランチどうぞ。あ、井上さん、私今日はもう上がりますので、食後のコーヒーはマスターにお願いしておきますね」

 いつも、ランチの時間も食後のコーヒーも雫が出すことになっているので、一言、井上さんに声をかけた。

「え?雫ちゃん、15時までじゃないの?」

 井上が驚いた表情を見せる。

「雨で暇だし、上がっていいと言われたので。では、失礼します」

 井上に頭を下げ、雫が席を離れた。雨は一向に止む気配はなく、強く降り続けていた。 





 雫は、店を出て、商店街の本屋に向かっていた。1時間早く上がれたし、そろそろ新しいレシピ本でも探して、またタクを驚かせちゃおう。激しく降る雨で前が見えない状態だったが、雫の心の中は弾んでいた。

 本屋に着き、まっすぐにレシピ本のコーナーへ向かう雫。初めてレシピ本を買いに来た時には、タクのお母さんに見られてて、一緒に選んでもらったことを雫は思い出していた。あの日に初めて料理を教えてもらいながら、作れるようになったのよね。本当に、お母さんには感謝だわ。そんなことを考えながら、拓斗の好みそうな料理が載っている本を探していた。

「よし、2冊買っちゃおう」

 雫は、レジに2冊のレシピ本を持って行き、会計を済ませた。






 本屋を出て、家に向かってしばらく歩いていると、後ろから声をかけられた。

「雫ちゃん!」

 この声・・・振り向かなくても、雫にはわかっていた。これは井上さんの声だ。雫は、ゆっくりと振り向いてみた。

「井上さん、どうしたんですか」

 いつもなら、まだランチを食べ終え、食後のコーヒーを飲みながら仕事をしている時間だ。

「ちょっと用事があってね。雫ちゃんは、どこかに寄ってたの?あ、本買ったの?」

と、雫が胸に大事そうに抱えている本屋の袋を見て言った。

「はい。本屋さんに寄っていました」

 雫の頭の中で、井上さんとあまり関わらないでおこうと決めた思いが蘇る。早々に、話を切り上げて、この場を立ち去らないと。

「雫ちゃん、俺もそっちだから、途中まで一緒に行こう」

 井上さんを避けようとしているのに、このままだとまた誤解されることになるかも知れない。

「そうですか。じゃあ・・・あっ、すいません。買い忘れた物がありました。失礼します」

と、雫はとっさに嘘をついて、井上さんに頭を下げ、商店街に引き返した。これぐらいの嘘なら、失礼にならないわよね。

そして、買い忘れたわけではないが、商店街の果物屋に寄り、拓斗と一緒に食べるための食後のフルーツを選ぶふりをして、ちらっと井上さんに声をかけられた辺りの道を見た。遠目に見える、井上さんは歩き出してだんだん小さくなった。これで、大丈夫。雫は、拓斗の好きなスイカを買って果物屋を後にした。





 雨がだんだん小降りになってきた。本屋の袋を抱え、スイカの入った袋をぶら下げて、傘をさしながら歩いていた雫は、いろいろ考えていた。そう言えば、以前マスターに聞いたことがあるが、井上さんが喫茶店に来るのは、決まって私が仕事の日だけだと。私は、いつでも井上さんが店にいるから、毎日来てるものだと思い込んでいた。でも、それは私のシフトと重なっていただけで、実際には週に4日ほどしか来てないらしいのだ。そして、喫茶店での滞在時間も、私が帰ると仕事を終えて店を出て行くらしい。たまたまなのか、それが井上さんの生活リズムなのか、それとも故意なのか・・・。今日だって、私の仕事が予定外に1時間早かったことで、あの時間からランチを食べ出したはずの井上さんが、本屋を出た私に声をかけてきたのも、不自然な気がする。本屋にいたのはせいぜい10分ぐらいだったし、いつもの井上さんの食べ方や仕事の感じだと、どう考えても時間的に無理がある。もしかして、井上さんは、私に対して行きつけの喫茶店のウエイトレス以上の感情を持っている・・・?

「まさか、ね・・・」

 雫は自分が変な風に考えを起こしてしまったことを忘れるように、小刻みに頭をフルフルッと振って、マンションの中へと入って行った。






 そんな雫の様子を、物陰から井上が見ていた。雫が商店街に戻った後、少しだけ道を進んで、横道に入って、雫が来るのを待っていたのだ。さすがに、また声をかけると不審がられるから、今度はそっと後ろから付いて来ていたのだった。井上は、仔猫を保護した時の、雫の挨拶を思い出していた。

「木原雫です」

 確か、そう名乗っていた。井上は、傘の中から雫の住むマンションを見上げ、フッと微笑んで、その場を立ち去った。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ