先輩のペース
ナスが頼んでくれたおかげで、草野が雫のドレスを作ってくれることになった。俺は、ナスに一つだけ【ドレスの条件】を申し出た。それを聞いたナスは
「へえ、似合いそうやな!よっしゃ!京子に言っとくわ」
と、快く承諾してくれた。デザインや生地などは全部草野に任せる。俺には、どうしても雫に着せたいドレスのテーマがあった。きっと雫に似合うはずだ。
「どうしたの?タク、何か考え事?」
雫に言われて、今は朝ごはんの途中だということに気が付いた。
「あ、ああ。ちょっとだけナスの相談事を考えてた」
「那須君、大変なの?私に出来ることがあったら何でも言ってね」
「うん、おおきにな。なんかあったらその時は言うわな。あ、はよ食わな遅刻してまうわ」
「急いで、でも喉詰めたらダメだから急がないで」
「あはは、どっちやねん」
俺は急いで朝ごはんを食べ終え、会社に向かった。
会社に着いたのはギリギリだった。
「やば、入社早々遅刻なんて絶対あかん!あ!ちょっと待って!!!」
閉まりかかるエレベーターに向かって声をかける。それ逃したら絶対遅刻や!俺は必死で走った。
「・・・はぁはぁ・・・すいません、ありがとうございます」
「朝から走ってお疲れ様。遅刻するところだったわね」
「あ、はい、すいません・・・」
エレベーターを開けて待ってくれたのは同じ課の3つ年上の先輩、川崎杏だった。
「慌てて家出てきたんじゃない?何か忘れ物してたりして」
川崎さんに言われて、俺はハッとした。しまった!お弁当!!!
「・・・昼飯の弁当、玄関に忘れてきたみたいです・・・」
「あらら・・・お母さんに作ってもらってるんだ?」
「いや、彼女です。ああ、どうしよ」
「忘れたら仕方ないんじゃない?後で彼女に連絡しとけば」
「・・・そうですね、はい。そうします」
エレベーターが止まり、俺は川崎さんにペコリとおじぎをして、机に向かった。
”雫、ごめん。弁当持ってくの忘れた。今日だけ代わりに食っといて。俺、外食するから”
机の下でこっそりと雫にメッセージを送る。
”わかった。私も届けること出来ないから、仕事終わったらタクのお弁当食べとくよ”
とりあえず、雫に連絡がついてホッとする。ふと、顔を上げると川崎さんがこっちを見て、笑ってうなづいている。行動を全部見透かされているようで、俺は恥ずかしくなった。
午前中の仕事を終え、俺は社員食堂に向かおうとエレベーターを待っていた。
「木原くん、結局お昼どうするの?」
背後から声をかけられ、振り返ると川崎さんが立っていた。
「今日は食堂で食べます。定食っていくらか知ってますか?」
俺は財布を開けた。札が1枚もない。小銭入れの中をジャラジャラと確認する。
「定食は一番安いので400円だったかな?・・・大丈夫?なんかお金なさそうだけど」
川崎さんの目線が完全に俺の小銭入れの中に向いていた。
エレベーターの扉が開き、俺と川崎さんと他の課の人たち数人が乗り込む。俺は焦っていた。さっきちらっと見た小銭入れの中は、100円玉がかろうじて1枚、あとは10円玉と1円玉が数枚ずつ見えた。きっと、寄せ集めても170円ぐらいしかないような気がする。
「食堂ってパンとか売ってましたっけ?」
普段、ずっと欠かさずお弁当を持ってきていたから食堂のことは全くわからなかった。
「パンはね、近くのベーカリーが売りに来てるけど、結構お高いわよ。1つ160円ぐらいするかな」
「そうなんですか」
外に出てコンビニまで行こうかな。おにぎり1つぐらい買えるだろう。そう思った時だった。
「お金持ち合わせなくて困ってるんでしょ?ご馳走してあげるよ。ついておいで」
と、川崎さんが言ってくれた。
「え、いや、でも・・・」
「近くにね、美味しいランチの店あるんだけど、そこ、一人じゃ行きにくいのよ。だからついてきて」
「え、でもお金・・・」
「ついてきてくれる代わりにご馳走するから。ね、お願い!今日はどうしてもそこのランチの気分なのよ」
半ば強引に誘われて、ついて行くしかない状況だった。一人で入りにくいランチの店って、どんな高級店なんや?・・・俺は少し遠慮気味に川崎さんから一歩遅れてついて行った。
「ここよ」
川崎さんが立ち止まる。ついた店は、こじんまりとした定食屋だった。見る限りでは、高級そうな雰囲気もしないし、誰でも気軽に入れそうな店だ。そもそも、ランチというより定食って感じやし。なんで、ここに一人で入りにくいのかな。俺が変な顔をしたからか、川崎さんが言った。
「なんで一人で入れないの?とかって思った?」
「え、どうしてわかるんですか」
「そんな顔してたからよ。とにかく、私は一人で入れないの。さ、入るわよ」
川崎さんに連れられて店の中に入る。小さい店だが、一品料理の品数の多さにはびっくりした。並べられた小鉢の中に、いろんな惣菜が入っている。
「定食もあるし、この小鉢の好きなやつ取ってもいいし、楽しいでしょ」
そう言って、川崎さんは南瓜の煮付けと春キャベツのお浸しの小鉢を取り、
「すいません!あと、サバの味噌煮定食くださ~い」
と、お店の人に声をかけた。そして、俺の方を振り返り、
「なんでも好きなもの食べてよ、遠慮しないで」
「えっと、いっぱいありすぎて・・・」
「じゃ、私と同じのでいい?すいません!サバの味噌煮定食もう一つ!ご飯大盛りで!」
すっかり、川崎さんのペースに引き込まれてしまっていた。なんだろう、この人、強引なんだけど嫌味がないというか、なんか上手だ。
「うまいですね!会社の近くにこんな店があるなんて」
「でしょ?私も入社してすぐの頃、課長に連れてきてもらってね、そこからは時々通ってるの」
「そうなんですか」
「野菜不足を感じたら、ここに来るといいわよ。和食中心だし、なんかいいでしょ」
「そうですね」
「あ、そうそう。木原くんに聞こうと思ってたの!」
サバの身をほぐしていた箸を止め、川崎さんが俺の顔をじっと見つめる。
「え、なんですか?」
「いつも彼女にお弁当作ってもらってるの?・・・同棲してるの?」
「ああ、はい。大学の時から同棲してて、もう近々結婚するんです」
「若いのに・・・そうなんだ。ああ、デキちゃったのか」
「違います。デキてないけど、同棲長かったし俺が就職したらすぐにでも結婚するつもりだったんです」
「ふうん。まだ20代前半でしょ?」
「はい、22歳です」
「早い結婚だわね。仕事もこれからなのに」
一体何が言いたいのか。半人前だから結婚するな、ってことか?俺は少し眉間にしわを寄せてしまった。
「ああ、別に結婚にダメ出ししてるんじゃないから、誤解しないでね。あ、早く食べよ」
「あ、そうですね。お昼休み終わってしまいますよね」
俺と川崎さんは、サバの味噌煮定食と小鉢を美味しく完食し、店を後にした。
その夜、家に帰った俺は、雫に弁当を忘れたことを謝り、今日のお昼のいきさつを話した。
「良かったね!先輩にお昼ご馳走してもらえて」
「うまい店やったで。今度、雫も一緒に食べに行こな」
俺はそう言いながらも、また一つ雫に嘘をついてしまった。川崎さんが女性だということをどうしても言えなくて、ついつい川崎さんの同期の男の先輩の名前を挙げてしまったのだった。
「滝川先輩にもし会うことがあったらお礼言わないとね」
「ああ、いいよいいよ。ゴチになるの、今日が最初で最後やろし。明日からはちゃんと雫の弁当持ってくから、今日はほんまにごめんな」
俺は雫の頬にチュッとして、雫の長い黒髪を撫でた。安心するようににっこりほほ笑む雫がとても愛おしかった。




