愛しき日々にさよならを
なんとなく流れで自己紹介した王都のひとだが、扉は重く閉ざされたままだった。
蛇「…………」
骨「…………」
亡霊「…………」
じっと見つめてくる三人に、王都のひとはやれやれと肩をすくめる。
王都「あ~あ」
残念そうにため息を漏らすと、懐から油性ペンを取り出した。にゅっと触手を伸ばし、きゅきゅきゅっと蛇のひとの顔面に落書きをはじめる。
王都「やっぱりお前らじゃダメだよな。まず見た目が良くねえよ、見た目が」
蛇のひとは体長十メートル超の大蛇である。お腹で身体を支えて首を持ち上げているだけで十メートルを越えているのだから、身体を伸ばせばもっと行くだろう。
その無駄に大きな図体はもちろんのこと、鋭くとがった牙や縦に裂けた瞳孔は見るものに意思の疎通を諦めさせる剣呑さがあった。
殺伐とした雰囲気が少しは緩和されればいいなと、青いのは蛇のひとの頬っぺたに渦巻きのマークを書き込んだ。
王都「これでちょっとはマシになったんじゃねえの」
続いて、ひたいに流暢な筆記体で「Me too」と書いてあげた。
蛇「…………」
蛇のひとはされるがままになっている。
出来栄えに満足した王都のひとが、再びにゅっと触手を伸ばして蛇のひとのひたいを軽く小突いた。
王都「どーん」
蛇「…………」
完全に小ばかにしたような態度であったが、もちろん蛇のひとはこの程度で腹を立てたりはしない。青いのから油性ペンを受け取り、骨のひとに渡す。じっと見つめると、骨のひとは深く頷いた。
王都のひとに歩み寄った骨のひとが、その青いボディに落書きをはじめる。
目。そして口を書き込まれた王都のひとに、黙って見守っていた見えるひとがくすくすと笑う。
蛇のひとが言った。
蛇「見た目も大事だけどさ~。やっぱり内面からにじみ出るものってあると思うんだよね」
王都のひとをはじめとするポーラ属には目、口、鼻がない。街中でじっとしていたら大きめのグミと間違われるかもしれない。そういう感じだ。
しばしば「目を見張った」とか「口を開いた」とか言ってきたが、それはあくまでも雰囲気だ。
蛇「とくにお前は腹で何を考えてるか知れたもんじゃねえしな」
表情は大事だぜ、と蛇のひとは結んだ。
王都「…………」
二人はしばし無言で見つめ合った。
同じ大陸で生まれ育った二十四人の魔物たちは、言ってみれば家族のようなものだ。
二十四という数には意味があり、もっとも公約数が多い十二の倍数ということになる。十二では少なく、三十六では多かった。
同時に扱える圧縮弾の限界が十二発であるのと同じように、「四天王」とか「六魔天」とかを作りやすい数になっている。
見つめ合う二人をよそに、骨のひとと見えるひとは子狸さんを応援していた。
今、子狸さんは試されている。
孤立無援、絶体絶命の状況下、ひとの資質は問われる――。
吊り下がったバナナの下をぐるぐると回り、自分の距離を探っているようだ。
決然とバナナを見上げる眼差しには一片の油断もない。
子狸さんは、冷気をまとった前足を突き上げて喚声を放った。
子狸「ラルド・タク・グノー!」
特定の対象に魔法をぶつける場合、活躍するのが固定魔法だ。
面倒くさい理屈は端折るが、圧縮弾を例に挙げると圧縮魔法は「先に進む力」、固定魔法は「後に進む力」である。
子狸さんの前足から放射された冷気が、たちまちバナナを凍らせる。
子狸「よしっ」
効果はばつぐんだ。子狸さんは会心の笑みを浮かべた。
しかし喜びも束の間、どしゅっと打ち出された王都のひとの触手が冷凍バナナをもぎ取る。
子狸「ああっ……!」
子狸さんの悲鳴を無視して、王都のひとは冷凍バナナを自分の口に放り込んだ。
王都のひとは蛇のひとから視線を離さない。冷凍バナナを皮ごと噛み砕き、言った。
王都「バナナは苦手だが、好き嫌いは良くないからな……」
子狸さんが目を見張った。
バナナが苦手なんてはじめて聞いたのだが……
子狸「偉いじゃないか、王都のひとっ」
よしよしと前足で王都のひとを撫で回す。
王都「ふっ」
もちろんバナナが苦手というのは嘘だ。嘘だが……ここ南砂国のバナナと大陸のバナナはまったくの別物だった。
それは、例えるとすればエルフの里に建ち並ぶ立体型の仮想マンションが「家」と呼ばれることと似ている。
王都のひとは、勝ち誇った笑みを蛇のひとに向けた。
蛇のひとが舌打ちする。
蛇「ちっ、次だ。……何をしている? さっさとしろ、ドワーフどもぅ!」
蛇のひとは魔王軍でも一、二を争う実力者である。
上位都市級。魔人に匹敵するとさえ言われる、砂漠の蛇の王、ズィ・リジル……。
なお、人間たちからは「ディ・リジル」とか呼ばれるが、それは魔物たちがその日の気分やストーリーの事情で巨大化したり精鋭化してきた結果である。
見た目は同じでも個体によって大きく実力が異なっていたりするから、大陸の騎士は正確な報告を行うために魔物たちを「メノゥ」だの「メノッド」だのと区分けして呼ぶ。
蛇のひとの場合は「メノッドズィ・リジル」と呼ばれていたのが、やがて「メノッディ・リジル」と省略されていった悲しい例だ。
「メノゥ」は比較級、ノーマルな状態の魔物を示し、「メノッド」は強化版、もしくは単一の種であり上位種の実在が確認されていない場合に用いられる。
人格を認めない、差別的な言葉なので、魔物たちは「メノゥ~」とか呼ばれることを嫌っている。
とくに蛇のひとの場合はそれが顕著だった。
「ディ」は連合国の古い言葉で否定を意味し、「ディ・リジル」は「蛇に非ずもの」とかそんな意味になる。いや蛇ですから、みたいな――「怒り」が紫電となって蛇のひとの体表をうねる。
砂漠の蛇の王――ズィ・リジルは吠えた。
蛇「おろかなニンゲンどもめぇっ……! お題を出せッ、思い知らせてやるッ、魔獣種の真の力をなァーッ!」
魔物たちは自分たちを格上と見なしているから、「これでボケて」と言われたなら人間たちよりもうまくボケる自信があった。
全てにおいて上に行かなければ気が済まないのだ。
はたして、ゆっくりと迫り上がってきたスポンジ状の図形パズルに――蛇のひとは息をのんだ。
丸、三角、四角……。穴が空いたパネルに、対応するピースをはめていくものだ。
蛇「うっ」
王都「くっ……!」
王都のひとですら苦戦の予感を禁じ得ずにいる。
なまじ答えが見えているだけに困難が予想された。
子狸「ふむ」
のこのこと近寄って行った子狸さんが、無造作に丸いのを前足にとる。
ハッとして骨のひとを見た。
骨「……?」
声援を送っていた骨のひとが、子狸さんの不穏な眼差しに動きを止めた。
子狸「……いや。まさかな」
子狸さんは胸の内に芽生えた疑惑を振りはらように首を左右に振った。
骨「なんだよ。言えよ」
骨のひとの詰問。ときとして核心を突くような発言をするから、この子狸はあなどれない。
亡霊「あっ……」
子狸さんと骨のひとを交互に見比べていた見えるひとが、何かを察した。すぐさま自重し、口をつぐむ。
骨「なんだよ」
骨のひとは、だんだん不安になってきた。
亡霊「いえ、大したことではありません」
とつぜんよそよそしくなった相棒の態度に、骨のひとの不安は増していくばかりだ。
骨「いや、騙されねーよ? けっきょく何でもなかったっていうオチなんだろ? おれは騙されないよ? だから言えよ」
見えるひとに詰め寄る骨のひとに、子狸さんが背後から忍び寄る。
子狸「…………」
前足を器用に使って骨のひとの頸椎をくいっとひねり、頭蓋骨を取り外した。代わりに丸いのを乗せる。
骨「おい、聞いてんのか?」
骨のひとは子狸さんの所業に気付かず話し続けている。
子狸さんは、骨のひとの物言わぬ頭蓋骨を悲しそうに見つめた……。
骨「んっ? あ!」
違和感を覚えた骨のひとが、素早く子狸さんから自分の頭を奪い返す。
その直前に王都のひとの触手が走り、四角いのと入れ替えた。
骨「まったく、油断も隙もない……」
ぼやいた骨のひとが、丸いのと四角いのを交換した。
頭の角度を微調整し、「よし」と頷く。
これには見えるひとも苦笑い。
蛇「え……?」
ぎょっとした蛇のひとが硬直した。
どうやら骨のひとの本体は頭ではないらしい。
見えるひともそうだが、魔物の生態には謎が多い。
信じられないといった様子で骨のひとを見つめている蛇のひとに、王都のひとが口元をゆるめた。
王都「なんだ、その顔」
蛇「え? え?」
亡霊「冗談だよ、冗談!」
あっはっは。
触手を伸ばした王都のひとが蛇のひとの肩を叩き、見えるひとがお腹を抱えて笑い転げた。
蛇のひとと目が合った骨のひとが「ふっ」と不敵に笑い、くいっと頭の角度を調整した。
蛇「な、なんだよー!」
もう! と憤慨する蛇のひとに、魔物たちはいよいよ我慢できなくなって吹き出した。
あっはっは。あっはっは。
笑い声の絶えない日々。
気の合う仲間たちと過ごす、平穏な暮らし。
しかし物語は――
このとき、佳境を迎えようとしていた。
子狸「…………」
バラバラだったピースが出揃い、一枚のパズルが完成する。
序章は終わりを告げ、時代の奔流がうねりを上げようとしていた……。
~fin~