うっかり飛翔編
南砂国の教職員は研究者としての側面が色濃い。
過去に大きな戦争があって、戦火から逃れるために新天地へと移り住んだのが現在のドワーフたちだ。
砂漠でも生きていけるよう身体を作り替えたのだが、いつか故郷に帰れるのではという思いもあって完全には適応できなかった。
なにぶん急ごしらえだったので、不具合が出ることも多い。
だから子供たちを預かる学校の先生には、専門的な知識が必須だった。
子狸さんをモニターしている大人のドワーフたちの表情は明るい。
鯉「見ろ。健康そのものだ」
鯉「ああ、素晴らしい生命力だ。この生きものがどこから来たのかは知らないが……」
鯉「生態系が戻りつつあるのかもしれない」
これは世紀の発見だ。
もしもこの子狸が生まれ育った土地を特定できたなら、ドワーフたちは第二の故郷を見つけることができるかもしれない。
汚染されていない水資源と緑豊かな大地。かつては当たり前のように持っていて、そして失ったものだ。
だが、懸念もある。
ドワーフの一人がモニターの一点を指差して言った。
鯉「……やはり何か憑いているな」
子狸さんの横にはいつも青いのがいる。
鯉「凄まじいエネルギーだ。そして、おぞましいビジョンだ……」
あふれる力が器から零れ、身体の輪郭を歪めているかのようだった。
子ドワーフに召喚されてから、王都のひとはひとことも喋っていない。
印象を薄めると同時に、無害な生きものを装っている。
魔力測定器。異能持ちを特定する機器が存在するということは、その逆もあるということだ。
万が一のことを考えると、わざわざ自分の力を晒すつもりにはなれなかった。見せつけるのは、ほんの少しでいい。もしもドワーフたちが子狸さんにひどいことをしようとした場合、少し暴れる気でいたから、うかつには手出しできないと思うよう仕向けている。
何事も下準備が肝要だ。
スイカに塩を振るように。最大限の絶望を味わうためには、まず希望を与えねば。
いざとなれば何とでもできると思っているドワーフたちを、じっくりと見定めたい。
ぽよよん。王都のひとは嘲笑を押し隠し、できたての茶碗蒸しのように体表を揺すった……。
省エネモードの王都のひとを、ドワーフたちは非効率的な兵器の一つと判断した。
南砂国の悲劇とは、同じ人間同士で争い続けた戦争の歴史である。
いつか取り返しのつかないことになるとわかっていたのに、競争をやめることができなかった。
戦争も末期となると資料が散逸してしまっていて、今となっては用途すら定かではない旧時代の遺物が出土することもまれにある。
ドワーフたちは過去と決別した気でいたから、型落ちの兵器よりも脆くも美しい生命に興味しんしんだった。
鯉「貴重なサンプルだ。モニターから目を離さないよう気をつけてくれ」
鯉「少しでも異常が出たら知らせろ。即刻、実験を中止する」
十数名ものドワーフたちが別室の子狸さんをモニター越しに見守る。
新種の生物を発見したとなれば、政府に預けるべきではあった。
しかし彼らは教師であるよりもまず学徒であり、また子狸さんの健康状態を維持せねばならないという大義があった。少しでも間違いがあってはならないから、全霊をもってこの子狸の生態を解き明かさねばならない。
さっそく細胞を採取しようとしたら青いのにどつかれたので、原始的な手法で生命の神秘に挑むとしよう。
一限。家庭科
うぃーん、と天井の一部が開閉し、そこからひもで吊るされたバナナが出てきた。
バナナと言っても国によって様々だ。数ある果物類の中でもバナナポジションのフルーツということになる。完成した翻訳魔法に固有名詞などという概念は存在しないのだ。
もっとも、大陸の連結魔法に翻訳魔法はない。生命の根幹に関わる魔法であるから、人間たちが悪用しないよう封印した魔物たちはまるで天使のようだ。流氷の天使、クリオネとどことなく似ているし。
翻訳魔法はないが……光よりも速く南砂国の言語をマスターした王都のひとが、子狸さんを強烈に補佐していた。
子狸「Banana?(なぜバナナ)」
子狸さんはネイティブな発音で系而上学におけるバナナの役割について述べた。
バナナに次いで、うぃーんと開閉した床から踏み台と棒が出てくる。
子狸「…………」
王都「…………」
子狸さんは注意深く周辺の気配を探った。
朝ごはんを食べる間もなく召喚されてしまったから、お腹が空いていた。王都のひとにも何か食べさせてあげたい。
しかし……。子狸さんは不敵に笑った。
子狸「ふっ。見くびられたものだな」
どうやら自分は試されているらしい。そう察してのことだ。
後ろ足をひろげて重心を落とし、素早く目線を走らせた。踏み台と棒を一瞥し、あざ笑うように言った。
子狸「バナナはおやつには入らない……」
背を丸め、ぐぐっと前足に力を込める。
子狸「だが、冷凍バナナならどうだ!?
レゴっ……!」
冷凍魔法のスペルだ。凝縮した冷気を前足に、子狸さんは吠えた。
子狸「どんなにぶ厚い氷だって、いつかは雪溶けの日がやって来る。春の日差しを暖かいと感じるなら、それが嬉しいってことだ……!」
王都「……?」
この子狸は何を言っているのだろう。さしもの王都のひとも理解が追いつかなかった。連結魔法に翻訳魔法はないのだ。いや、あったとしても果たして助けになれたかどうか……。
しかし子狸さんはひとりではなかった。それは、常にそうだった。
子狸さんの魂が熱く燃え上がったとき、魔物たちのハートもまた灼熱の色を帯びる。
蛇「よく言った、子狸よ」
子狸「蛇のひと……!」
今、国境を乗り越えて馳せ参じた蛇のひとが、子狸さんの成長に目を細めた。
蛇「ひとには、未来が必要なのだ。可能性という未来がな。……それは、しばしば馬連という形をとる」
外した馬券にすら夢は宿るということだ。
なるほど、たしかに自分はバウマフ家の全財産を持ち出してスッたかもしれない。取り返そうとして借金を重ねたかもしれない。
だが、未来を信じて夢を追いかけたことが間違っていたとは思えない。いや、思いたくないのだ。
それが、きっと、ひとの可能性だから……。
骨「そうさ」
子狸「骨のひと……!」
単勝一点買いの骨のひとだって同じだ。
完全に勝てたレースだった。魔王軍最強の戦士が落馬で失格なんて、いったい誰が予想する?
それでも世の中に絶対ということはない。だから、あがく。どんなに見苦しくても、生きたいと願う気持ちに、嘘は吐けないから。
亡霊「ふっ。お前の声が……聴こえた」
子狸「見えるひと……!」
今、ここに競馬場で散った戦士たちが集結しようとしていた。
王都「ふん……」
忌々しげに鼻を鳴らした王都のひとも、どこか嬉しげで……。
王都「どうやらここまでのようだな」
王都のひとは、振り返ってキッと監視カメラを睨みつけた。
王都「話がしたい。ドワーフ……いや、第三世界の人間たちよ」
魔物とは、魔法が見ている夢だ。
だから信じたい。ひとの、可能性を。
王都「おれは、イド。お前たちが憎み、妬み、しかし焦がれる……第五世界に連なる縞世界、法典よりきたれし使者だ」
散りゆく馬券が、新たな未来を切り拓こうとしていた。
〜fin〜




