うっかり夢想編
『夢』
夢を見ている。
同じ哺乳類なのだ。
狸だって夢くらいは見る。
夢にも色々とあるが、子狸さんの場合は「明晰夢」という分類に入るだろう。
つまり夢の中でも自分の意思で動くことができた。
とくべつな才能は必要ない。これは訓練の成果であり、子狸さんを育てた魔物たちが諸事情から寝る間を惜しんだためだ。
そして、このとき。
子狸さんは夢の中で火起こしに励んでいた。
理由はよくわからない。
ひょっとしたら、それは挑戦だったのかもしれない……。
子狸「…………」
無言で作業に没頭する子狸さん。
と、そのとき。
何かふわっとしたものが眼前に降り立った。
??「子狸さん子狸さん……」
囁くような声だった。
顔を上げた子狸さんが、その正体を見極めようとして目を細める。
子狸「馬のひと?」
??「お馬さんではありません。いえ、正体などどうでもいいのですが……。お馬さんではありません」
謎の未確認生物は、自分がお馬さんではないことを強調した。
しかし子狸さんは首を傾げた。
子狸「……でも馬のひとだよね。どうしたの?」
??「お馬さんではありません。お馬さんは今日ここにはいなかった。アリバイがあり、犯行は不可能なのです。いいですね?」
謎の未確認生物は、きっちりと念押しした。
そこまで言われては子狸さんも首を縦に振るしかない。
子狸「……密室というわけか」
??「おい。おれのアリバイを崩そうとするのはやめろ。お馬さんじゃねえって言ってるでしょ。やめてください。お願いします」
子狸「馬のひとさぁ、本気で競馬に出るの?」
??「出ねえよ!誰情報だよ、それ!」
子狸「蛇のひと」
??「おい、蛇の!お前……!……あ?……まぁそうだな。しかし単勝一点買いは……」
いったん気配が遠ざかる。
しばらく待っていると戻ってきた。
??「その件は後日にしよう。とにかく。いいですか、子狸さん。おれはお馬さんではありませんが……本日はお告げをしに来ました」
子狸「もう騙されないよ」
子狸さんは機先を制した。
先手必勝という言葉もある。先手さえ取っておけば無敵ということだ。
魔物たちの教えに従い、貪欲に勝ちを拾いに行く子狸さん。
??「騙されるも何も、お前いつも起きたら忘れてるじゃねーか。正直今回も期待はしてねーが……やらねーよりはマシだろっつう苦肉の策なんだよ。察しろ」
子狸「いつも、か……」
子狸さんは皮肉げに笑った。
子狸「いつもね。いつも、いつも。何度も試して、何度も何度も試してさ……。いつも、同じ結果に終わるなら」
子狸さんは静かに凄んだ。
子狸「苦労しないよな……?」
??「…………」
……だから嫌だったんだ。
謎の未確認生物は胸中で嘆息した。
この子狸は何もわかっていない。
それっぽい言葉を重ねているだけで、そもそも何の話をしているのか、誰の話をしているのかを理解していないのだ。
不安はある。
確実に人選を間違っているという不安だ。
だが他に頼れるものがいない。
これは、例えるならば悪意に満ちた選択問題だ。
提示された選択肢に正解はなく……
しかし真っさらな紙に落書きをする自由はある。
生きるということは、そういうことだ。
言った。
??「お告げをします」
ふわりと宙に浮く。
言い逃げするためだ。
フェードアウトしていく。徐々に。
??「お前の親父に試食会を中止するよう言いなさい。いいですか、子狸さん。やめろと言うのです」
言葉だけが響く。
??「誰も幸せにはなれません。いいですね、子狸さん……。試食会を中止するよう言うのです……」
子狸「試食会を……?」
ここで言う試食会とは、子狸さんの実父が定期的に開催する新作パンのお披露目パーティーのことだ。
去り行く幻影を惜しむように子狸さんが前足を伸ばした。
子狸「待て!お前は、いったい……」
余韻が丸く、輪を描くように子狸さんを取り巻き、そしてやがて散って行った。
子狸「何を……馬のひと!」
??「お馬さんではありません……」
最後にぽつりと言い残して、それきりだった。
取り残された子狸さんが、前足に視線を落とした。
試食会。
そこで何かが起こると言うのか……?
災い。それとも……
子狸「……おれが動くしかない、か」
子狸さんは決意した。
今回の試食会には勇者さんも参加する予定だ。
楽しみね、と語った彼女の笑顔を守りたいと思った。
そのためには……
子狸さんは悩ましそうに前足を組み、そして……
三歩、歩いた。
〜fin〜