うっかり宣告編
ここは王宮。
王さまの家だ。
国でいちばん偉い人が外出すると護衛やら何やらでお金が掛かるため、王さまの家は職場と一体になっている。
とても豪華な家だ。本音を言えばもっと暮らしやすい家に住みたいのだが、さすがに国でいちばん偉い人が質素な暮らしをしていては沽券に関わる。もう少し具体的に言うと、帝国と連合国にばかにされる。
よって、無駄に広く無駄に長い廊下を毎日行ったり来たりすることになる。
殿下「エリザベス〜! エリザベス〜!」
廊下を早歩きしながら声を張り上げているのは、この国の第一王女、殿下さんだ。
家で飼っている小さな緑のひとを、彼女はエリザベスと呼ぶ。
ここまで言えば、おわかりだろう。
そう、この日、緑のひとはついに家出をした。
原因は色々とあるのだろうが、自分でインスタント食品を開けて食べるというライフスタイルに疑問を抱いたのかもしれない。
殿下さんは殿下さんなりに、無駄に豪勢な晩ごはんを分け与えたりもしていたのだが、一緒に寝るとゴツゴツして痛いし、素人が抱っこしてると腰を痛めるほど重いしで、夢に描いていたペットがいる暮らしと現実との落差があったことは否めない。まずふつうに喋る時点で何か……「違うな」とは感じていたのだ……。
そうした思いが、態度の端々に表れてしまったのかもしれない。殿下さんは後悔していた。もっと優しく接してやれば良かった。ちょっと面倒くさいなと感じていたペットも、いざ居なくなってしまうと寂しい。
見目麗しい近衛兵たちをぞろぞろと引き連れながら、殿下さんは家出したペットの捜索を続ける。
T字になっている廊下の突き当たりを、子狸さんがのこのこと横切ったのはそのときだ。
思い通りに事が運ばない苛立ちもあってか、きゅっとまなじりを吊り上げた殿下さんが即座に近衛兵たちへと命じた。
殿下「とらえよ!」
すると近衛兵さんたちは、「え?」という顔をした。
……ここだけの話だが、魔物たちは三大国家の首脳陣と裏で通じている。
魔物たちの管理人が王宮内で不審者扱いされると話が進まないため、バウマフさんちのひとがそこら辺をうろついていても問題ないようフィルターを掛けてあった。
顔を見合わせた近衛兵さんたちであったが、すぐに王女殿下の命とあらばと頭を切り替える。よくよく考えてみれば、どこの馬の骨ともしれない子狸がうろついていて良い場所ではない。
パッと飛び出した近衛兵は二人。必勝を期してのフォーメーションだ。
迫り来る刺客に気が付いた子狸さんが、ぴたりと立ち止まって不敵な笑みを浮かべる。
子狸「ふっ。遅い」
殿下さんの近衛兵は、能力ではなく外見を重視して選ばれた精鋭だ。練度はあまり高くない。攻めるより守るほうが得意というのもある。
近衛兵の掌底をあっさりと避けた子狸さんが、未熟をあざ笑うようにまぶたを閉ざした。視覚に頼ることすらなく、近衛兵の連続攻撃をひょいひょいと避けていく。
子狸さんは言った。
子狸「本当はわかってるんだろう? 魔法使いの感覚や想像力は、外付けなんだってこと……」
参戦してきた二人目の近衛兵が、横合いから掌底を振り下ろした。
だが、それすら今の子狸さんには……
(避けられねえ)
いかな子狸さんといえど、一対二とあっては分が悪かった。
イイ角度で入った掌底が子狸さんの三半規管を揺らす。
子狸「んぅっ……」
ひざから崩れ落ちた子狸さんが、ずしゃあッと廊下に倒れ伏した。
ひとは、超人にはなれないのだ。
王都「ぽ、ポンポコさーん!」
王都のひとの慟哭が、宮廷に虚しく響いた……。
*
あえなく捕獲された子狸さんは、無駄に豪華な中庭に連行された。
噴水がある大きな庭だ。
子狸「ハッ」
ダメージが残らないよう王都のひとがひそかに調整していたこともあり、子狸さんはほどなく意識を取り戻した。
いかにもお洒落をわかってますよと言わんばかりのテーブルセットで、殿下さんが午後のティータイムに突入していた。
まさか、と子狸さんが目を見開く。
子狸「殿下さん……本物の?」
殿下「さん付けをするな。逆に失礼だと何度言えばわかるのじゃ」
子狸さんが王国の第一王女を「殿下さん」と呼ぶのは、子狸さんなりの敬意の表れだ。小さい頃に本人からもっと敬えと言われた結果、辿りついた解答なのである。
子狸さんは慌てて椅子から立ち上がると、地面にひざまずいてこうべを垂れた。
子狸「仰せの通りに」
そして、せっかく座らせてくれていたのに移動するのもおかしいかなと考え直して椅子に戻った。
殿下「…………」
殿下さんは、子狸さんのほうを見ないようにしている。
自分でもよくわからないが、この子狸を見ているとイライラしてくるのだ。
例えるとすれば、見知らぬ土地に迷い込んで泣きたくなるほど心細くなっていたところに知り合いが現れてホッとしたのも束の間、その知り合いが「ヒャッハー!」とか言って馬車のまわりをぐるぐると回りはじめたような苛立ちだ。
そうでなくとも、この子狸は国王たる父と妙に仲が良い。平民なのに。平民の筈だ。……いや、どうだったか。まぁいい。
殿下さんは大きくため息を吐いて言った。
殿下「らちが明かぬ。バウマフの、そなたにも手伝って貰うぞ」
子狸「……え? 緑のひと、家出しちゃったの?」
殿下「なんで知ってるんじゃ!」
なぜと問われたなら、こきゅーとすを読んだからだ。
しかし子狸さんには、こきゅーとすを通じて魔物たちと交信していることを内緒にしなくてならないという高い意識があった。
子狸「さっき言ってたじゃないですか」
殿下「ん……?」
首を傾げた殿下さんが、「ああ」と得心した。たしかに、あれだけ大きな声でエリザベス、エリザベスと連呼していたのだ。事情を察していても不思議ではない。
……いや、しかしこの子狸に限って……。
殿下さんは疑惑の眼差しで子狸さんをまじまじと見つめる。
しかし子狸さんの行動は素早かった。ろくに事情も説明されていないのに、そそくさと席を立って木登りをはじめる。
子狸「探すって言ってもなぁ……」
ひもで上から吊ってるのではないかと思うほど軽快な動きだ。
子狸「ディレイ、ディレイと。ほい、ほい、よっこらせ」
力場に前足を掛けるなどして、またたく間に樹上に登りつめた子狸さんが、葉っぱに身を隠している緑のひとを撫でて、枝の上に後ろ足で器用に立つ。
子狸「ここ、ひろいからなぁ……」
探しものはすでに見つかったようだが、子狸さんは過去に囚われなかった。
前足を突き上げて、空気をかき混ぜるようにぐるぐると回す。
子狸「産めよ増やせっ、アルダ・グノー!」
放たれた闇の波動が脈打つかのように大気を伝っていく。
放射魔法の正体は、卵を産みつける魔法だ。術者の退魔性が失われていくごとに、魔法は本当の姿を現世に映し出す。
子狸さんクラスの魔法使いともなれば、放射魔法と投射魔法はまったく別の魔法だ。
木の下で殿下さんが喚いている。
殿下「な、なにをしておるのじゃ!」
一般的な魔法使いにとって、放射魔法は打撃の性質を付与する攻撃魔法の一種だ。
宮廷で攻撃魔法など使えば、騎士がすっ飛んでくる。
殿下さんは素早く振り返って近衛兵たちに命じた。
殿下「誤報じゃ! アレイシアンが魔法なんて簡単とか見栄を張って闇の宝剣で誤魔化そうとしたと伝えよ!」
隠し持った闇の宝剣を使えば瞬間移動できる勇者さんは、光よりも速く濡れ衣を着せられた。
これにより殿下さんは、後日、復讐に燃える勇者さんの策略によって食いしん坊キャラというレッテルを貼られることとなる。
人知れず幕を開けた負の連鎖が、今は子狸さんの任意同行を先送りにしてくれた。
慌ただしく指示を飛ばす殿下さんに、子狸さんは前足を立てた。
子狸「しっ。集中したい……お静かに」
殿下「わらわが悪いみたいに言うな!」
殿下さんはご機嫌斜めだ。この子狸が絡むといつもこうだ。
それでも頼るだけの価値はあると認めざるを得ないから、より一層腹立たしい。
子狸さんは痒いところに前足が届く万能の魔法使いだ。その点においては戦闘に傾倒した騎士を上回る。
子狸「……近いな。そう遠くには行っていない」
放射魔法は、周囲の魔力に影響を及ぼす。
それは、ペンギンの奥さんが夫に卵を託して狩りに出ることと似ている。卵を託された夫は、妻の帰りを信じて断食を決行するのだ。
こうも言い換えることができるだろう。
放射魔法は爆弾を仕掛ける魔法だ。
巫女さんなどは、その辺りの理屈を感覚的に理解している。子狸さんとの合体技、「爆破術」と呼ばれる遠隔起動の炸裂魔法は、放射魔法の特性を活かした超必殺技だ。
樹上から飛び降りた子狸さんが、着地の衝撃でしびれた後ろ足を引きずりながら言った。
子狸「殿下さん、罠を仕掛けましょう。おれに考えがあります」
殿下「……仕掛けた罠にそなたが引っ掛かるのではないか?」
殿下さんは、子狸さんに手厳しい。わりとよくあるパターンだからだ。
なぜか最終的には解決してくれるのだが、子狸さんの言う通りに物事が運んだ試しがない。
殿下さんの危惧も頷ける。子狸さんは認めた。自分が仕掛けた罠を回避できるかどうか。焦点はそこになるだろう。
子狸さんは表情を引き締めて、これは単純な問題ではないのだと強調した。
子狸「以前のおれなら否定したかもしれません。ですが……今回は違います。おれは、自分の罠に引っ掛かるでしょう」
避けようのない運命と対峙したとき、ひとの真価は問われる。
子狸さんは言った。
子狸「あとは、殿下さん次第です。失ったものは、あなた自身の手で取り戻さなくてはならない」
殿下「なにゆえ自爆する前提なのじゃ……」
子狸さんを待ち受ける過酷な試練。
絶望にふちどられた未来を、はたして殿下さんは覆すことができるのか。
〜fin〜