うっかり退去編
これまでのあらすじ
第一王女の殿下さんに面と向かって大きなホラを吹いてしまった勇者さん。
大貴族を裁く法律は存在しないのでべつに不敬罪とかは気にしなくてもいいのだが、友達がいない殿下さんに同類だと思われるのは我慢ならない。
それはともかくとして本編へ。
本日の授業を終え、王立学校の羊組に在籍しているアリア家のアレイシアンさんは帰り支度を整えていた。
あとは担任教師から生徒たちに連絡事項等を伝える終礼を残すばかりだ。
持参した筆記用具を仕舞いつつ、勇者さんは身体の底から湧き上がってくるような身震いを自制しなければならなかった。
……完璧、であった。
この日、勇者さんはこの上なく完璧に勇者としての務めを果たした。
さいきんの空回りぶりに、もしかしたら自分は不運なのではないかと疑いはじめていたのだが……
やはり日頃の行いというのは報われるものであるらしい。
もっとも懸念されていた子狸さんの干渉にしても、
子狸「めじゅっ」
見ての通りだ。
机の上に行儀良く座って毛繕いしている子狸さんは、ひと目で看破することは難しいが、オリジナルではない。子狸アナザーだ。
オリジナルの子狸さんがそうであるように、完全コピーの子狸アナザーはとても賢い。オリジナルとは違い、変な直感を働かせて勇者さんの前に立ちふさがるような真似はしないのだ。
知らず、緩みかけた口元を勇者さんはキリッと引き締めた。
そんな彼女の活躍ぶりを、少し遡ってダイジェストで見てみよう。
早朝。登校してきた勇者さんは、教室の窓から見える校庭の花壇に起こっていた異変を察知した。ふつうの人間なら見逃していただろう小さな異変だ。
それは、他と比べてあきらかに発育が遅れているマリーゴールドの花であった(自腹)。
幼い頃から部屋で本ばかり読んでいた勇者さんの知識は多岐に渡る。ひと目で育て方に異常はないと看破した彼女の行動は素早かった。教室で友人と談笑していたクラスメイトに授業を欠席する旨を伝え、問題の花壇へと向かう。学生の本分は勉強とはいえ、生徒たちの身の安全には代えられない。いや、生徒だけではない。勇者として、貴族として、自分には王国の民を守らねばならない義務があった。
中略。
花壇の世話をしている生徒の証言から、植物の発育を妨げている原因は水にあると看破した勇者さん。こんなこともあろうかと周辺一帯の地勢は頭に叩き込んである。魔物の仕業であるとすれば、その住みかは近隣にあるため池に違いない。子狸さんクラスの魔法使いなら大気中の水分を凝縮することもできるのだが、勇者さんはクラスメイトを信じたかった。それはもしかしたら戦いを離れたゆえに生じた甘えかもしれなかったが、中略。
ため池に魔物の姿は見られなかった。考えすぎだったのだろうか。それならそれで良い。ほっと安堵する勇者さん。しかし何かが引っ掛かる。仮に魔物の仕業とするなら、あまりにも稚拙な犯行だった。証拠を残しすぎている。はたして勇者が近くに居ると知った上で、これほどまでに自分の痕跡を残すようなへたを打つだろうか? では、仮にそうではないとしたら? 勇者が王立学校に居るとは知らずに犯行に及んだとしたらどうだ? 計画的な犯行ではなかったとしたら……。
一般的な生徒は、いや教師であったとしても、水魔法をまともに使うためには水場を要する。……井戸か? 花壇……地下水だ! 地下水を伝って井戸に侵入し、飲み水へと身を潜めるつもりだ。その結果は、想像するのもおぞましい事態だろう。先入観に囚われ過ぎていた。この魔物は、勇者が王立学校に居ることを知らないから、大胆な手口で犯行に及ぼうとしている。生徒たちの身に危険が迫っている! 急ぐんだ、勇者さん!
中略。
ついに魔物を追い詰めた勇者さん。彼女は、目立つことをよしとしない。魔王軍を打ち倒し、ようやく勝ち取った平和に、勇者の力は必要ないのだ。それゆえに自らをいましめ、あまりにも強大な力を秘める聖剣には頼るまいと一人の生徒として王立学校に転入してきた……。
しかし魔物たちが人々の暮らしを脅かすと言うならば、彼女は今一度いましめを解き放ち、聖剣を手にするだろう。
それは魔を降し、闇を退ける光輝なる剣。
今、ふたたび光の翼をひろげた勇者が、燦然と輝く希望の剣を、中略。
かくして、人知れず魔物を打ち倒した勇者さん。目立ちたくない彼女は、このことを自分の胸にとどめておきたかったが、さすがに学校の敷地内で起こった事件を報告しないわけには行かない。魔物の足取りを追うために証言の提示を求めた生徒たちには他言しないよう言っておいたが、なにぶん急いでいたし、何より生徒たちが当事者になる可能性も視野に入れていたので、口止めを強制はしなかった。
教師たちの口から事件の概要が伝われば、ひとりで朝から奔走していた勇者さんが注目を浴びることは避けられないだろう。
あー、つれーわ。勇者、つれー。
以上。
というわけで、いつもの澄まし顔でアイ先生を待つ勇者さん。
勇者さんの席は、子狸さんのとなりが定位置だ。つまり教壇にもっとも近い最前列である。クラスメイトたちの視線をひしひしと背中に感じる。朝からバタバタしていたので、何か察するものがあったのかもしれない。
それでも直接、話し掛けてくる生徒は居なかった。障らぬ神に祟りなしというやつだ。
……今はそれでいい。勇者さんは思った。しかしこれからは違う。ようやくこれから、自分の華々しい学園生活が幕を開けるのだ。
勇者「……?」
何か物音が聞こえた。
いや、物音が聞こえたなどという次元ではなかった。
子狸さんの席を中心とした四方が、がこんと揺れて、床に継ぎ目が走った。
うぃーん、と妙にシステムチックな音が足元を伝う。
ごん、ごん、ごん、ごん、と地鳴りのような音が響き、子狸さんを乗せた机と椅子が床下に収納されていく。
……いつの間にかこの学校は何者かの手によって奇怪な改造を施されていたらしい。
ごん、ごん、ごん、ごん、と迫り上がってきた机と椅子に、なんだか妙に薄汚れた子狸さんがセットでついてきた。
一部始終を見届けた勇者さんが、思わず呟いた。
勇者「ばかな……」
王都「ばかな頂きました」
貴重な勇者さんの「ばかな」を取得した王都のひとが、メモ帳にポイント追加を記載した。
たまに魔物たちが気にしている謎のシステムだ。それは、いったいどのような……
いや、それはいい。
勇者さんは、床下に消えていった一匹のアナザーを惜しんだ。
入れ替わりに参上した子狸さんは、じっと正面の黒板を見つめている。さも自分は朝からここに居ましたよと言わんばかりの態度だ。
やはり……避けては通れないのか。
勇者さんはきゅっとキツくまぶたを閉ざして、宣告のときを待つ。
完璧?
……いいや、そうではない。
これからはじまるのだ。
勇者さんの未来を賭けた戦いが。
〜fin〜




