うっかり失踪編
始業前。
珍しく子狸さんが教室にいる。
子狸さんの座席は、諸事情により最前列が定位置だ。
となりの席に座っているのは勇者さんである。これまた諸事情により定位置であり、この一匹と一人は席替えの適用外とされている。
三本指を立てた勇者さんが、もう片方の手の人差し指を子狸さんに突き付けた。
勇者「だから。三つのりんごを三人で分けたら、一人につき一つずつでしょ」
行っても聞かない子狸さんの視覚に訴える作戦であるらしい。
しかし子狸さんは事もなげに言った。
子狸「そうかな……。たいてい奪い合いになって四人目が独り占めするような……」
それは、言うなれば実践的な算数であった。
魔物たちの手で英才教育を施されて育った子狸さんは、常に不確定要素を忘れない。
この子狸にとって、割り切れる問題は易しすぎる。
答えるまでもないことを聞いてくるならば、そこには何かしらの意図がある筈だ。
しかし、それは必ずしも勇者さんが欲していた答えではなかった。
彼女は悲しそうに首を振り、諭すように言った。優しい声だった。
勇者「いいえ、いつもそうではなかった筈よ。よく思い出して……」
子狸「むう……」
子狸さんは前足を組んで宙空を仰いだ。
平等という概念はない……。
思い起こされるのは、魔物たちの不穏な言動だ。
彼らの言葉には強い説得力があり、また辛くとも現実を見据える実直さがあった。
勝者は常に一人。
椅子取りゲームに、三人仲良く座るなどという結末はない。
それが魔物たちの教え。この世の真理だ。
だが、本当にそうだったか……?
例えば……
(そうだ)
子狸さんは、はっとした。
目の前のパンを分け合おうとする魔物たちの姿を思い出したのだ。
譲り合い、支え合うということ。
それこそが、きっと自分が追い求めていた答えなのではないか。
子狸さんは呆然と呟いた。
子狸「ひとり……ひとつずつ」
勇者「そう!」
ついに成し遂げた勇者さんが、感極まって子狸の前足をとった。
特殊な家庭環境で育った彼女が、こうまで感情を露わにすることは珍しい。
勇者さんは興奮を隠そうともせずに早口にまくしたてた。
勇者「その感覚を忘れてはダメ。あなたは、たぶん難しく考えすぎるから点数がとれないの。もっと単純でいいのよ」
子狸「単純に……か」
シンプルでいい。
その言葉は、つまり殴り合いで決着をつけろということだ。
どちらが、より上の存在であるか。
究極的に、ありとあらゆる問題は弱肉強食という一点に集約される。
それでも……
子狸さんは弱々しくかぶりを振った。
殴った前足が痛いことだってある。
暴力に訴えるのは、とても……悲しいことだ。
子狸「おれは……もっと他のやり方があると思う」
勇者「またおかしなこと考えてる!それがダメだって言ってるでしょ!」
子狸「わかってる。どんなに困難な道でも……進むんだよ。それが、おれの選んだ道だから……」
王都「お前は……強いな」
勇者「あなたは黙ってなさい!」
永遠に等しい時間を生きる魔物たちだから、彼らは掛け替えのない「今」という瞬間を言葉で彩るのだ。
満足そうに身体を揺する王都のひとを、勇者さんは激しい口調で叱りつけた。
しかし王都のひとは堪えた様子もなく、やれやれと触手を竦める。
王都「滑稽なことだな、勇者よ」
勇者「……何が言いたいの?」
王都「なに。簡単なことだ」
余裕を見せる王都のひとに、勇者さんは身構えた。
このポーラ属は口が達者だ。
他者を言い包めるすべに長け、一面の事実をさも唯一無二の真実であるかのように騙る。
王都のひとは言った。
王都「お前たち人間は、問題を解いていると錯覚しているだけで、実際にやっていることは逆だ。答えに当てはまる問題を作っている。だから最後の最後には行き詰まるのさ。物理法則から辿れる答えが、その域を出ることは決してないからな」
子狸「めっじゅ〜」
子狸さんが鳴いた。
勇者「む……」
勇者さんは悔しそうだ。
王都のひとが何を言っているのかさっぱりわからなかったからだ。
そもそも「物理法則」というのが、よくわからない。
この世界にニュートンはいなかったし、太陽と月は天蓋に張り付いてくるくると回るものだった。
何も言い返せない勇者さんに、王都のひとはにたりと相好を崩した。
彼女は読書家で、他者に勝る知識量を拠り所にしている面がある。
その自信を徹底的に打ち砕いてあげたら、どんな顔をするのか見てみたかった。
??「係長」
王都「今、イイ所だ。邪魔をするな。失せろ」
??「そんなこと言われても」
王都のひと退去勧告に困ったように眉根を寄せたのは、他のクラスの飼育係であった。
倒した魔物は仲間にできる。街中にいる魔物はテイムされた魔物に違いなく、つまり犬や猫みたいなものだった。
勉強をしに学校に来ているのに、犬や猫みたいなものに失せろと言われても困る。
むしろ部外者はそちらのほうだからだ。
飼育係「…………」
お前のか、と子狸を見る。
子狸さんは苦笑。
子狸「おいおい。教室を間違ったのか?仕方ないな……。案内しよう。こっちだ」
優雅に席を立った子狸さんがひらひらと前足を振って教室を出て行く。
紳士である。
自分のクラスとは真逆の方向に歩いて行く紳士ポンポコを、女子生徒は静かに見送った。
飼育係「バウマフ先輩、元気そうですね」
散歩中にすれ違った近所の犬を評すかのように、彼女は淡々と言った。
同じ学年である筈の女子生徒から「先輩」と呼ばれるのは、子狸さんの悲しい過去によるものだ。
その悲しみを乗り越えて、去年と同じ内容の授業を受ける子狸先輩を、彼女は素直に凄いひとだと思う。
尊敬とは少し違う、サーカスで玉乗りをする動物を見たときのような。
それは純粋な感動だ。
同時に湧き上がったのは、申し訳ないという気持ちだ。
せっかく案内してくれるというのに、無視してしまった。
しかし、そんな彼女にも言い分はあった。
用事があるから来たのであって、べつに迷子ではなかったし、そもそも自分のクラスはそっちではない。
勇者「…………」
勇者さんは子狸が去って行った方向を、物悲しそうに見つめている。
元気な子狸さんが、今にもひょっこりと戻って来そうな気がしてならなかった。
何故だろう……。
その答えはすぐにわかった。せっかく案内を買って出たのに、誰もついていかなかったからだ。
いや、子狸の横にはいつも王都のひとがいる。独りでは、ない。
そこまで考えて、勇者さんは少し落ち込んだ。
子狸と接していると、なんだか思考レベルがどんどん落ちていく気がした。
物事との距離を測る物差しが、気付けば三角定規になっていたような、そんな感覚だ。もしかしたら分度器かもしれない。
分度器の有効利用について思いを馳せる勇者さんに、飼育係さんが声を掛ける。
飼育係「係長」
勇者「なに?」
飼育係たちの頂点に君臨する存在、それが飼育係長だ。
勇者さんは、心なし愛想のある返事をした。
この飼育係さんは、勇者さんの右腕とも言える生徒だった。
他の飼育係は、おびえて近寄ってこないからだ。
飼育係さんは言った。
飼育係「バウマフ先輩が、低学年の子たちに慕われているのはご存知ですか?」
勇者「……そうみたいね」
勇者さんは認めた。
認めざるを得なかった。
あの子狸は、小さな子供たちを守るべき存在と見なしている。
意外と上下関係に厳しく、そしてうるさいだけあって年長者としての義務を果たそうと懸命だ。
どれほど真剣かと言うと、とある勇者が子供たちの欲しがるままに買い与えた玩具を、教育に良くないと心理操作なる高度な魔法を使って即座に回収、返品し、なかったことにしてしまうほどである。
子狸さんが他者の心に干渉する魔法を使うのは珍しいらしく。久しぶりに使ったと本人も言っていた。
小さな子供たちに、お金があれば幸せになれるとか思うようなことをしてはいけないらしい。
真剣なのだ。
飼育係さんは頷いた。
飼育係「その低学年の子たちが、クラスで飼っていた生きものが失踪したと騒いでいます」
勇者「管理が甘いわね」
飼育係「そうですね」
勇者さんの鋭い指摘に、飼育係さんは同意した。
管理が甘いから、逃げられるのだ。
それだけではない。日頃の世話をしっかりとしてあげれば、動物はきちんと懐いてくれる。
同じ飼育係として、あるまじき失態である。
飼育係「そして、どうやら……管理の甘さという点では、係長にも同じことが言えるようです」
勇者「…………」
話の着地点が見えてきて、勇者さんは席を立った。
いったい何がどうしてそうなったのかはわからない。
ただ、ひとつ。はっきりと言えるのは……
飼育係さんは言った。
飼育係「失踪した生きもの。これが、どうもバウマフ先輩とそっくりなんです」
やはり野放しにするべきではなかったのだ。
〜fin〜