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しいていうなら(略  作者: たぴ岡New!
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うっかり開戦編


子狸「ぐぅっ……」


 紫電から解放された子狸さんが、がくりと片ひざを屈した。

 大陸では魔物だけが扱えるとされる発電魔法は強力な属性だ。ダメージは大きい。

 そして、それだけではなかった。


勇者『…………』


 彼女にだけは、知られたくなかった……。


 いつか、自分の口から伝えようと思っていた。

 ……けれど、こんな自分に笑いかけてくれる勇者さんの笑顔がまぶしくて。嬉しくて……

 もっと仲良くなれば、もしかしたら許してくれるんじゃないかと、夢を見た。

 だからもう少し、もう少しだけと、ずるずる引き延ばしにしてしまった。


 嘘を、吐いていた……。

 その報いを受ける日が、いつかやって来ると、わかっていたのに。

 

古狸「ハハハハハッ!」


 孫の心をへし折って、古狸さんは楽しそうに笑っている。


 孫。そう、孫だ。今だからこそ打ち明けるが、この古狸は子狸さんの祖父なのだ。

 謎の覆面戦士の正体は、子狸さんのおじいちゃんだった……!


 現実はどこまでも非情だ。それだけはないと思っていたことが、単に信じたくなかったことであると気付かされる瞬間が、きっとある。


 観客たちがどよめいていた。古狸さんの声は、よく通った。ひろい観客席の隅々にまで、人から人へと渡った言葉の内容が現実離れし過ぎていて、即座に動けたものは居なかった。

 いや、二人だけ。観客を押しのけて試合場に近づこうとする巨漢が居た。


烈火「だから言わんこっちゃねえ……!」


疾風「すまないっ、道を開けてくれっ」


 子狸さんのパーティーメンバー、ダブルアックスの二人だ。

 彼らは、子狸さんの正体が魔族かもしれないと、アンソニーさんから聞かされていた。

 もしかしたら魔王の血縁者かもしれないとすら言っていた。

 その根拠は、子狸さんが冒険者ギルドにのこのこと姿を現した初日の出来事。骨のひとと相対した際に使用したハイパー魔法だ。


 この国において、身体能力を強化する魔法を使えるのは、熟練の域に達した高位の魔族だけだった。

 そして、子狸さんは熟練者と言うには若すぎた。生まれ持った才覚が並外れているというのであれば、まず疑うべきは魔王の血族だ。


 その予想は、どうやら当たりだったらしい。

 しかしだからと言って、パーティーを解消する気にはなれなかった。そのような段階を、ダブルアックスはとうに通り過ぎていた。

 これから先、どうするのか。見通しは、いっさい立っていない。どうすればいいのか、考えても答えは出ない。


 それでも、子狸さんが泣いている。

 先輩たちがそうしてくれたように、お前は一人ではないのだと教えなくてはならなかった。それだけが、ダブルアックスにとっての真実だ。


 それなのに。

 観客席と試合場を仕切る塀を乗り越えようとした烈火さんと疾風さんが、ぎくりと硬直した。

 ぴたりと笑いを止めた古狸さんと目が合った。たったそれだけのことなのに、身体が動かなくなった。ならばせめて声だけでもと、叫ぼうとして、それもままならないことに気が付いた。

 全身が麻痺している。なんだ、これは。


 ……魔力だ。

 さいきん事あるごとに魔力、魔力と言ってきたが、大陸で「魔力」と言えば、それは都市級が放つ強烈な威圧を意味する。


 元々は魔法の根幹を成す「何か」……現在では「リサ」という名称が判明したのだが……その結晶体を魔物たちは「魔力」と呼んでいた。


 しかし諸事情あって、魔物たちは自分たちの世界に法典を落とした「何者か」……エルフたちと決裂した。

 それ以来、魔物たちは偶然に頼ることをやめた。未来は明るいのだと、何の根拠もなく信じることをやめた。


 だから「魔力」という概念を上書きした。

 魔法の根幹を成す「何か」があり、その「何か」はどこからやって来ているのかと、バウマフ家に探られるのは都合が悪かった。


 魔物たちは、エルフたちへの復讐を誓っていたからだ。

 何も知らない振りをして、彼らとの決戦に備えて準備をしていた。数百年もの歳月を掛けて……これが討伐戦争の正体だ。


 ダブルアックスが魔力に縛られる直前。


古狸「ん〜?」


 古狸さんは、子狸さんと前足をつなげたまま、自慢の孫を取り巻くリサ結晶体をじっくりと観察し、小さく首を傾げた。


 子狸さんとは年季が違う。退魔性の欠損は危険域を優に越え、留年確定みたいな感じになっていたから、魔導配列を目で追うこともできた。

 魔法は、つなげる力だ。


古狸「強い縁を持つものが居るようだな……」


 古狸さんはそう独りごちて、塀を乗り越えようとしている二人の巨漢を訳もなく無力化した。


 子狸さんは、自分を深い闇から救い出そうとしてくれた存在に気づかなかった。

 その身に宿る魔性に差があり過ぎた。


 古狸さんの退魔性欠損による症状は、子狸さんのそれを大きく上回る。

 周辺一帯の結晶体に積極的に働きかけ、魔法使い独自の超感覚をにぶらせることも可能だった。


 嗚咽を漏らす実の孫に、古狸さんは一転して優しく語り掛けた。


古狸「悪かった。少しやり過ぎたな。お前を傷付けるつもりはなかったんだ。当たり前だろう? 家族なんだからな」


 子狸さんの肩がびくりとふるえた。

 ぶるぶると全身が怒りにふるえた。

 悲しかった。どうしようもなく悲しくて、同時にこうも思った。

 家族なのに、どうしてこんなことをするのかと。


子狸「ちがぁあああう!」


 子狸さんは慟哭した。


子狸「おれはっ、おれはッ、人間ッ、だぁぁあああッ!」


 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、子狸さんは疑いようもなく血がつながっている祖父に掴み掛かった。


古狸「おおっ?」


 古狸さんがわざとらしく驚いてみせる。


 美しいまでにきらめく霊気の翻弄が子狸さんを包んでいた。

 過度属性は必ずしも詠唱を必要としない。

 術者が力を欲し、命を賭してでも成し遂げたいことがあるならば、退魔性が少し削れたからと言って非難される覚えはないからだ。

 いや、本当はダメなのだが、ハイパー魔法はとくべつな魔法だった。原始的では済まされない明確な意思を持っている。


 いつか、どこかで、ハイパーと叫んだなら、とうに契約は完了しているということだ。

 満期を迎えた契約は、術者に更なる特典を与える。


古狸「おっ、おっ、なんて力だ……!」


 一気に押し込まれ、組み伏せられた古狸さんが、石で出来たリングに叩き付けられた。

 放射状に走った亀裂が、皮肉にも子狸さんの人間離れした膂力を証明していた。


 だから古狸さんは素人くさい演技をやめて、あっさりと立ち上がると、ふたたび子狸さんと組み合った。

 子狸さんのそれとは異なる、純粋な青のみで構成された霊気が異形の輪郭を結んでいく。

 突き出た口吻、もこもことした前足と後ろ足、先太りのしっぽ。それらには、子狸さんとは比較にならないほどの力強さがあった。


 古狸さんは孫の成長に目を細めて笑った。


古狸「なんだ、やれば出来るじゃないか。けんそ……けんそん? 謙遜……けんそん? 謙遜……いや。そう自分を低く見ることはないぞッ」


 ぐっと前足に力を込める。


 この二匹の間には大きな力の隔たりがある。

 今度は子狸さんが組み伏せられる番だった。

 放出された霊気の粒子がきらめき、残滓の帯をひいた。

 足元を踏み砕きながら一直線に突進した古狸さんが、子狸さんをリングに叩き付ける。


子狸「ぐあぁぁああッ!」


 子狸さんにはまったく余裕がない。

 完全に組み伏せられ、今にも前足が千切れ飛んでしまいそうだ。石で出来たリングが発砲スチロールみたいに頼りない。古狸さんが少し強めに前足を押し込むだけで、子狸さんの身体がリングにめり込んでいく。


 古狸さんが叫んだ。


古狸「ニンゲンなら、とうに身体がバラバラになっているだろうなぁッ! だがッ、お前はちがうッ、このおれのッ」


 ぐったりした子狸さんを吊り上げ、前足一本で投げ飛ばした。


古狸「孫だからなァーッ!」


 地面と水平に飛んで行った子狸さんが塀に衝突して場外に倒れた。霊気の外殻が霧散し、ぴくりとも動かない。


 ステージで唖然としていた審判が「あ……」と声を漏らした。

 場外に落ちた以上、子狸さんの負けだ。

 しかし審判さんにも家で帰りを待つ家族が居て、古狸さんに近付いて勝利を告げることは躊躇われた。

 とはいえ、ここで仕事を放棄すればあとで大変なことになってしまうのではないか……。


 板挟みになってふらふらと近付いてくる審判さんを、古狸さんがぎろりと睨み付けた。


古狸「だまれ。去れ」


 それきり、びくりと硬直した審判さんがぎくしゃくとした動きで場外に降りる。


 その瞬間、会場全体が波を打ったように静まり返った。誰一人として動けなかった。


 都市級の魔物が放つ威圧は、大規模なイベントの際に事故を防ぐためのものだ。

 人から人へと感染し、身動きを封じる。

 この「魔力」に対抗するために、大陸の騎士団は治癒魔法の詠唱を省略する技術を開発した。これが「第一世代チェンジリング」だ。

 高速詠唱技術は「第ニ世代チェンジリング」ということになる。


 この国には都市級に相当する魔物が居ないから、チェンジリングという技術そのものが存在しなかった。


勇者『…………』


 素早く避難した勇者さんが、古狸さんを非難の眼差しで見つめている。どうしてそんなひどいことをするのかと。


 彼女は知らなかった。

 しかし魔物たちがずっと言い続けてきたことでもある。


 管理人とは、魔物と人類の間に立つもの。

 本来、善でも悪でもない。必要に応じてどちらの側にも立てるのが、本当の管理人だ。

 子狸さんのように、あいまいで、中途半端な立ち位置はとらない。


 古狸さんは、くっくっと喉を鳴らして笑った。


古狸「家族だからな……お前の手間を省いてやった。孫の喜ぶ顔が見たくてなァーッ!」


 振るった前足が虚空に埋没する。

 空間の裂け目から引きずり出した閃光さんを、どさりとリングに放り投げた。


閃光「うっ……」


 満身創痍の閃光さんがうめき声を上げて、悪夢にうなされるように呟いた。


閃光「逃げ、ろ……。敵う、相手では……」


子狸「! ッ……」


 その声に、子狸さんが反応した。

 地面を這い、リングの端に前足を掛ける。


王都「ぱんなこった〜」


 王都のひとは色彩豊かな蝶々と戯れている。


 ……もう何もかもがメチャクチャだった。

 これがバウマフの血だ。

 魔物たちの企みなど歯牙に掛けるまでもなく粉々に粉砕していく。


 今は、ただ蝶々を追いかけていたかった。

 そうして、ひと段落したら着地点を探るいつもの業務に戻るのだ。


 獣のようなうなり声が聞こえた。


子狸「ぅぅゥウ……」


 子狸さん、野生化の兆候だ。


 古狸さんはとても楽しそうだ。


古狸「弱すぎる! まったく話にならなかったよ!」


 静寂が支配する闘技場に、魔王の哄笑が響き渡る。

 その声に呼応するかのように、リングに幾つもの黒い穴が穿たれた。

 底なしの無明。ゲートだ。


 古狸さんが笑う。

 ゲートから続々と這い出してくる骨のひとと見えるひとを従えて、古狸さんは笑い続ける。


古狸「そら、フタが開いたぞぅ! お前たち、待たせたな! だが許せ!」


 魔王とて、やはり孫は可愛いのだ。

 骨のひとたちと見えるひとたちは一斉にハンドサインでOKした。


 一方その頃、遠く離れた魔王城では、魔王さんが優雅に紅茶をすすっていた。

 ほう、と吐息を漏らしてぽつりと呟く。


魔王「平和ね」


 しかし今、彼女が預かり知らないところで魔王軍と人類の存亡を賭けた争いが幕を開けようとしていた……。



 〜fin〜



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