うっかり問答編
これまでのあらすじ
さらわれた子供なんて居なかった。
ラッキー☆チャンス。
かくして死地より帰還した子狸さん。なんだかよくわからないが仮免許証も取り戻したし、次なる課題はホーム。家である。
当然ながら住所不定のままだと昇格できない。下宿先を見つけねば。
烈火さん疾風さんと同じ部屋で寝泊まりするという案もあったが、物理的に容量的に難しく、またアドバイザーの勇者さんに強硬に反対されてしまった。
そこで第二案。これまで冒険者見習いとして培ってきた人脈を活かし、元依頼者の誰かを頼るという案だ。
働きものの子狸さんは依頼者のウケが良かった。お金を払うから余っている部屋に住みたいと言えば、何人かは快く受け入れてくれるだろう。
というわけで、巣穴を求めて街中をうろつく子狸さん。
冒険者は常に挑戦しなければならない。先輩の教えを胸に路地裏へと後ろ足を踏み入れ、五分ほど同じところをぐるぐると回る。
……見覚えのある光景だ。既視感を覚えた子狸さんはハッとした。
もしかして:結界
勇者『迷ったの?』
洞窟で無駄に走り回って使い物にならなくなった勇者さんがお昼寝から戻ってきて言った。エネルギーの消耗を抑えるためか、いつものハムスターバージョンだ。
迷子になったのかと問われて、子狸さんは答えられずにいる。
使い魔(仮)の真の姿が自分と同い年くらいの女の子だと知って、少し気恥ずかしかった。
いや、もちろん子狸さんは勇者さんが本当は人間の少女であることを知っていたのだが、それとこれとは話が別だった。言っている意味がわからないとは思うが、子狸さんは過去に囚われないのだ。
子狸さんの不自然な態度を、勇者さんはとくに気にしなかった。この子狸の挙動が不審さを帯びるのは今にはじまったことではないからだ。
勇者さんは言った。
勇者『わたしは覚えているわ。この街の構造は、だいたい把握したし』
彼女はじつにお利口なハムスターだった。
走るとすぐにバテるが、一度通った道は忘れない。たまに澄まし顔で名推理を披露してあとで間違っていたことが判明したりもするが、俯瞰で物事を把握するすべに長けていた。
そして、それは誰にでもできることではないのだと自覚している。
ぼそりと呟いた。
勇者『あの男たちでは、こうは行かないでしょうね……』
勇者さんのダブルアックスへの対抗心は並々ならぬものがあった。
思い切って詳細は省いたが、今回もあとから追いついてきたあの二人組みにオイシイところを持って行かれたのだ。
だが、そんな勇者さんにも言いぶんはある。自分だってやろうと思えば子狸さんを救出することはできたのだ。ただ、お昼寝している牛のひとを聖剣で串刺しにするのが正しい行いとは思えなかった。そもそも誘拐されたという子供の姿など影も形も見当たらなかったし。案の定、子供が誘拐されたというのは依頼者の勘違いだった。
いや、勘違いというのはきっと正確ではないだろう。この子狸を排除せんとする力が働いたのだ。
だが、そんなことは勇者さんにとってどうでもいいことだった。
この勇者は誰かが不幸になる結末を望まないと言ったが、あれは嘘だ。あのときはそういう気分だったというだけで、勇者さんは他人にあまり興味がない。自分に甘く、身内にも甘いが、見ず知らずの人間のために犠牲になろうとは思わない。
なぜなら、彼女は「勇者」だからだ。
客観的に判断して、勇者とそうではない人間の命は決して等価値たり得ない。勇者の代わりになれる人間など居ないのだ。
公平な物の見方をする勇者さんだから、自分が可愛くて仕方ない。
若年にして早くも守りに入った勇者さんは言った。
勇者『道案内して欲しければ、わたしにお願いするの。丁寧に。心を込めてね』
勇者さんは子狸さんに「お嬢さま」とか「アレイシアンさま」とか言わせたい。
だが、子狸さんに欺瞞は通用しない。
子狸「何が言いたい……?」
三行ルールだ。
勇者さんは胸中で舌打ちした。一方的に喋りすぎた。それだけではない。子狸さんの真の力を封印している三行ルールのもっとも厄介な点は、一行でもダメなときはダメという不安定さにある。
今、こうして勇者さんが当然の要求をしている間にも視界の端では魔物たちが怒涛の脱線を繰り返しており、世界の命運を左右しかねない重要な情報から気になる今日の晩ごはんまで多種多様な彩りを見せている。
変域統合とかいう変てこな力を持っている勇者さんでさえ、こきゅーとすを網羅することは諦めたのだ。いかに子狸さんといえど、有機生物の限界を超えることはできない。
勇者さんは方針を変えることにした。素早く簡潔に、とにかくダブルアックスの株を落とせばいいのだ。自分のほうが強いし、ずっと役に立つし、しかも可愛い。子狸さんのためを思えばこその自己アピールだ。
ベッドの上でごろごろしていた勇者さん本体が、静かにまぶたを閉ざして裡なる声に耳を傾ける。
子供部屋。顔のない子供。最高位の異能たる物体干渉が片腕を犠牲に生み出した「母」の姿だ。
母は、自分の身体でもっとも美しい面、「顔」を代償に二人の子供を産んだ。だから外界に出るすべと、言葉を失った。
産まれた兄弟は、だから母に言葉を掛けて貰えず、あるべき道を見失った。目と耳は二つあったから一つずつ与えることができたが、鼻と口は一つしかなかった。
鼻を与えられた兄は、口がなかったから母と同じく言葉を持たず、獣になった。
口を与えられた弟は……。
ゆっくりと目を開いた勇者さんが、ゾーンに入った。幾つかの偶然が重なって、はじめて足を踏み入れることができる極限の集中状態に、制御系の異能持ちは自らの意思で沈むことができる。
こうなった自分を、神さまだって止めることはできない……。
しかし余計な決め台詞を頭の中で呟いているうちに事態は進行していた。
子狸さんの行く手に、長身の男が立ちふさがる。
閃光「なぜ……」
閃光さんだ。
閃光のミラージュ……子狸さんを宮廷魔術師にと誘った、この国の魔法使いである。
消沈した様子だった。
未来が閉ざされてしまったかのような、昏い瞳をしている。あるいは拗ねた子供のような、自分は悪くないと思いつつも、どこか後ろめたさを感じているような目だ。
閃光さんは言った。
閃光「……なぜ、冒険者の側についた?」
約束された栄達、宮廷魔術師の席を蹴って、市井に生きようとする子狸さんが、閃光さんには理解できなかった。
宮廷魔術師には、王族の覚えがめでたいものもいる。彼らがその気になれば、貴族を動かすことだってできるのだ。
今回の件にしても、子狸さんがこちら側に来れば全て丸く収まったのだ。それなのに。
子狸「……何が言いたい?」
子狸さんの鋭い眼差しに閃光さんはひるんだ。
このとき、はじめて気付いたのだ。自分たちは取り返しのつかないミスを冒したのかもしれないと。
焦りすぎたのか? もう少し待つべきだったのか?
……いいや、今更だ。閃光さんはかぶりを振った。権力を持った人間には性急なものが多い。なるべくしてなった、これが結末だった。
閃光「あなたは、我々を敵に回した。秘術は独占されなければならないんだ……」
それでも完璧に秘匿することはできず、独占するべきではないと主張するものたちも居た。
だから、この国には魔族と呼ばれるものたちが居る。
少しでも何かが違えば、きっと大陸も似たような歴史を歩んだだろう。
しかし大陸には強大な力を持った魔物たちと、彼らを愛し、共に生きようとした哺乳類が居た……。
子狸さんは、その哺乳類の末裔だ。
閃光さんは知っている。この子狸がどれほどの力を持っていようとも、個人が集団に勝ることはない。同じ魔法使いであれば、なおさらだ。
では、この子狸の自信はいったいどこからやって来ているのだ?
それが、閃光さんにはわからない。探りを入れるという意識はなかったが、ためらうように言った。
閃光「このままでは、冒険者たちも巻き添えになる。今なら、まだ……」
間に合う、のだろうか……?
閃光さんには自信がなかった。少なくとも、閃光さんの上司が子狸さんを信用することはこの先ないだろう。
当然ながら、子狸さんは今回の事件の全貌に気が付きながらも冒険者たちと共に在り、そして解決してしまったのだ。
そう遠からず、子狸さんは「魔族」の烙印を押されることになる。
勇者『…………』
以前に閃光さんが訪ねてきたとき、動物園のパンダさんみたいに働いていて不在だった勇者さんが、じっと王都のひとを見つめている。
王都のひとは色彩豊かな蝶々と戯れていて、勇者さんの視線に気が付かなかった。あるいは気が付いていないフリをしたと言っても通用しただろう。
尊敬する先輩たちが巻き添えになると聞かされて、さしもの子狸さんも穏やかではいられなかった。
子狸「何が言いたい……!」
正しく怒る子狸さんの瞳に、閃光さんの胸はわけもわからず、ざわついた。
彼には知るよしもなかったが、子狸さんの魔力は魔王城でホイホイと魔物を量産している魔族の長に匹敵する。
魔法は、ひととひとをつなげる力だ。
だから子狸さんの激しい感情は、他者の心を大きく揺さぶる。
閃光さんは出世したかった。しかし、それだけではなかった。いつしか見失った、くだらない夢が、自覚することもなく、かすかな声を上げていた。
だから自身の小さな変化に気付くこともなく、閃光さんは自分にとって何の得にもならない妥協案を述べた。
閃光「決闘だ。冒険者、ポン=ポコ」
路地裏を吹く乾いた風が、一人と一匹を隔てるかのようだった。
……自分でも驚くほど、頭が冴えていた。
生き残るのは、勝者のみ。
負ければ全ての負債を背負って、冥府に沈む。
この方法ならば、冒険者たちが巻き添えになることはない。
もしも子狸さんが勝ったなら、出世欲に目がくらんだ閃光さんが、子狸さんを亡きものにしようと画策した、で話は済むからだ。
そのためには時間が要る。証拠を作る時間だ。
もちろん閃光さんはわざと負けるつもりはなかったが、勝っても独断専行を咎められることくらいは想像できた。
なぜ、こんなことを言ったのか。どうして見ず知らずの冒険者たちのために自分の命を賭けねばならないのか。
混乱しているという自覚はあったから、冷静になる時間も欲しかった。自分を見つめ直す時間が。
唐突な申し出に、子狸さんは戸惑っている。
子狸「何が……言いたい?」
そうだろうなと、内心で閃光さんは苦笑した。自分自身、何を言っているのかわからないのだ。
そして奇妙なことに、清々しさがあった。ついにやってやった、子狸さんの驚く顔を見れたという達成感だ。
閃光さんは、人が悪そうににやりと笑った。
閃光「ふっ。日時は追って知らせる。使い魔を寄越そう。それまでは、まあ……せいぜいおとなしくしていてくれ。それだけでいい」
この国の魔法は、弱小ではあるが魔物を作ることができる。使い魔というのは、ごく弱い単純な作りをした魔物だ。魔王さんのようには行かない。
閃光さんは足取りも軽く、この場を去って行った。
その背を見送った子狸さんは、ぐっと表情を引き締めて空を見上げた。
吸い込まれそうな青空だ。国は違えど、きっと空はつながっている。そう思った。
さっと後ろ足をひるがえし、のこのこと歩き出した子狸さんの双眸には悲壮なまでの決意が宿っていた。
閃光さんが何を言っているのかさっぱりわからなかった。
質問にも答えてくれないし。
〜fin〜