うっかり対決編
『探り合い』
子狸さんの朝は早い。
早朝、日の出と共に活動をはじめ、魔物たちの動向をチェックする。
バウマフの一族は、魔物と人間が仲良く暮らせる世界を悲願に掲げている。
少し目を離した隙に悪さをしはじめる魔物たちの行いを正すこと。これが第一目標だ。
気付けば一緒になって馬車を襲撃したりもするのだが、これは必要なことだと割り切っている。
魔物たちの言葉を借りれば、必要悪というやつだ。
必要悪という言葉の意味はよくわからなかったが、人間たちに難癖をつけて絡んでいるときの魔物たちは輝いている。とくに言葉で言い負かした人間が悔しそうにしていると、とても嬉しそうだ。
魔物たちの生き甲斐を奪うことはできない。
少しずつで良いのだ。
子狸さんはそう思っている。
やむにやまれぬ事情で街村を滅ぼしたりしている魔物たちであるが、少しずつでも理解者を増やしていければ、きっといつかは……。
勇者さんは、その一人目になってくれるかもしれない人だ。
彼女について、子狸さんはあまり多くを語らない。
しかし……
(凄いことだぞ)
そう思っている。
子狸さんの認識で言えば、勇者とは敵である。
魔物たちをいじめる第一人者だ。
その勇者が、魔物たちと仲良くしている。
これは、つまり……言葉で言い表すのは難しいが……
(凄いことだぞ)
そう思っている。
思考がループしたことで、子狸さんの自己防衛本能が朝っぱらから働いた。
灰色の脳細胞が活性化し、発火したニューロンが別の話題を提供してくる。
子狸「っ、近い……」
王都「え?なにが?」
いつも子狸さんの横にいる王都のひとが、唐突な言葉に疑問の声を発した。
管理人さんの行状を実況し、子狸速報を更新するのは青いひとたちの大事な仕事だ。
子狸さんは忙しなく視線を左右に振ると、野生動物ならではの機敏さで巣穴をうろついた。
子狸「近いぞっ。彼女が……豊穣の巫女が……近くにいる!」
一週間ほど前から、子狸さんの実家には豊穣の巫女と呼ばれる少女が居候している。
子狸さんの常人には窺い知れない超感覚が、巫女さんの存在を感知したのだ。
王都「なんだと……!?」
王都のひとは愕然とした。
驚いた理由は二つある。
昨日も会っているというのが一つ。
もう一つは、魔物たちが魔法で作った携帯ゲームでボスキャラを倒したのにアイテムをドロップしなかったのだ。
王都のひとは怒りを露わにした。
王都「ちっ。クソゲー……!」
ゲームの製作者は、王種と呼ばれる最高位の魔物たちである。
彼らは魔法に選択肢を与え、複数のルートを設ける高度な魔法を使える。
つまり、意のままにアイテムドロップの確率を絞れるのだ。
やってられるかと携帯ゲーム機を放り投げた王都のひとが、子狸さんの背中に飛び乗る。
王都のひとは管理人の近衛だ。いざというときに備え、おんぶされる。
マントみたいに王都のひとを背負った子狸さんが、巣穴を飛び出して階段を駆け下りた。
居間では、話題の巫女さんが父狸を勧誘していた。
巫女「今なら森生活スタートパックがこんなにもお得ですよ!」
立体映像みたいなのを出して、如何にも胡散臭い営業活動に身を投じている。もちろん魔法によるものだ。
子狸「……!」
子狸さんは流れるような足捌きで接近すると、まるで息を吸って吐くように自然な動作で着席した。
子狸「おはよう」
挨拶は大事だ。
巫女「おはよ〜」
父狸「おはよう」
台所で朝食の準備をしていた母狸さんがひょっこりと顔を出した。
母狸「あら、今日は早いのね」
深夜に得体の知れない特訓をしている子狸さんの朝が、いつも早いとは限らないようだ。
子狸さんは言った。
子狸「詳しく聞かせてもらおうか……」
今ならこんなにもお得と言われて、黙っている子狸さんではない。
けれど巫女さんは首を横に振った。
巫女「あなたはいいよ。だって、誘うまでもなく、ほとんど森にいるでしょ」
魔物たちと行動を共にする機会が多い子狸さんは、大自然に放り込まれることがよくある。
父狸が口を開いた。
父狸「彼女の意見には」
元々は居候に反対していた父狸であるが、
父狸「考えさせられる点も多い……」
すっかり流されていた。
巫女さんは敏腕な営業社員のように頷いた。
巫女「そうでしょう、そうでしょう」
この家での生活に、すっかり馴染んだようである。
彼女。ユニ・クマーが豊穣の巫女と呼ばれているのは、この少女が希少な「土魔法」の術者であり、また稀有な才能を持て余した魔法使いだからだ。
土魔法は、誰でも使える魔法ではない。
自然を愛し、慈しむもの。それが条件になる。
必要なのは、混じり気なしの純粋な願いだ。
省エネを推奨する巫女さんは、その理念を実行に移したがために国際指名手配を受けている。
この美しい自然を守るためにはどうすれば良いのか。
熟考のすえに出た結論が、文明社会の破壊であった。
もう少し具体的に言うと、知識継承の途絶だ。
そのためには、まず定住というシステムを壊さねばならない。
家を捨てよ。
火を放て。
それが巫女さんの考える、最低限の解決方法だった。
そして彼女には、人類史上屈指とも囁かれる魔法の資質があった。
思想と才能。この二つが奇跡的な出会いを遂げた結果、幾つかの重要文化財が爆破され……
それ以来、巫女さんは騎士団に追われている。
父狸は、そのことを悲しく思っている。
父狸「もう少し穏やかな手段を選べなかったのか……」
どちらかと言えば否定的な立場をとる父狸であったが、巫女さんは何故か嬉しそうだった。
各地で環境保護を訴えて回ったから、知っている。
なんの反論もしない人間は、二種類に分かれる。
保護活動を肯定しつつも何もしない人間と、まったく興味がない人間だ。
理念に同調し、仲間になったメンバーは、そのほとんどが最初は激しく反発したものたちである。
そうした意味では父狸の反応は物足りないものであったが、無反応よりはずっと良い。
この場で議論をはじめても良かったのだが、巫女さんはあえてそうしなかった。
困ったように笑い、着地点を探るように言う。
巫女「何から何まで狙ってやったわけじゃないんですよ……」
飛び抜けて才能に恵まれた魔法使いであったから、彼女の身柄をめぐって起きる争いもある。
父狸「…………」
前足を組んで考え込む父狸に、巫女さんは思った。
(このひとは……味方にしたら危ないかもしれない)
根拠はとくにないが、街のパン屋にしては少し違和感があった。
父狸「……惜しいな。目立ちすぎた」
たまに意味ありげな呟きを漏らすし。
子狸「だが、まだ間に合う」
比べて、この子狸さんの発言の薄っぺらさと来たらどうだ?
父狸「ノロ。しかしお前は……いや、お前がそう言うなら、そうなのかもしれない」
子狸「はっきりしたことは言えない。でも、そんな気がするんだ……」
いったい何がどうだと言うのか。
具体的なところがまったく伝わってこない父子の会話である。
見るに見かねた王都のひとが横から口を挟んだ。
王都「おい。子狸さんまったくついていけてねーぞ」
父狸「ふっ」
王都「なんなの、その、コイツわかってないな〜みたいな感じ……」
父狸「いずれにせよ、だ」
そう言って父狸は席を立った。
父狸「おれはパンを焼く。パン屋だからな……」
決め台詞が出た。
お気に入りであるらしく、週に二、三回は言うのだ。
バリエーションも豊富で、倒置法を駆使したりと様々な工夫を凝らしては、自分がパン屋であることを強調してくる。
王都のひとの声は苦々しい。
王都「……言っとくけど、それ別にカッコ良くねーぞ」
すると、肩越しに振り返った父狸が、ニヒルに笑って前足をくいっと持ち上げた。
父狸「お前もやるか?」
この大きなポンポコは仕事場のパン工房に余人が立ち入ることを嫌うが、魔物たちに関しては例外だった。
王都「そのジェスチャーいらねーだろ!」
さっさと行けと触手を振り上げると、父狸はやれやれと肩を竦めて去っていく。
王都「まったく……!」
王都のひとは憤慨した様子だ。
王都「昔からそうだ。やることなすこと芝居掛かってる。あれは骨のひとに似たな……」
この家には、頻繁に魔物が訪れる。
倒した魔物は仲間にできるので、そういう家があってもおかしくはなかった。
巫女さんも疑問に思っていない。
ぶつぶつと文句を垂れる青いのに苦笑している。
穏やかな空気が居間に流れたのも束の間、はっとした子狸さんが巫女さんを凝視した。
子狸「なんでうちにお前がいるんだ?」
すぐさま、前足で口を押さえた。
決定的な言葉は、思いのほか強い響きを宿していた。
聞いてはならないことだったかもしれない。子狸さんは後悔した。
しかし巫女さんはあっけらかんとしたものだ。
一ヶ月後くらいに聞かれるのかな、と覚悟していたからだ。
その時期が早まった、その程度の認識である。
正直に答えても良いのだが、ここは少し遊んでみようかと思った。
巫女さんは子狸の幼なじみと言えなくもない。小さい頃に出会って、その後に何度か遭遇している。
そのたびに意見がぶつかり合って喧嘩したり、事件に巻き込まれて共闘したりと、なかなか波乱に満ちた仲だ。
巫女さんは頬杖をついて、薄っすらと微笑した。
巫女「……どうしてだと思う?」
彼女の口車に乗せられて爆破事件の片棒を担いできた子狸さんは、巫女さんを警戒している。
子狸「……どこまで知ってる?」
警戒のあまり、自分は隠し事をしていますと自白したのは仕方のないことだった。
もしかしたら……。子狸さんは思った。
(王都のひととの話を聞かれたかもしれない)
これは魔物たちのミスだ。
彼らは一週間くらい前から、街中で姿を隠すことをやめている。
その事実を、子狸さんは知らなかった。
元より魔物たちのステルス魔法は子狸を対象外にしていたため、気付かなかったのである。
八百屋さんで野菜を買ってお釣りを受け取る魔物を見て、気付けと言うのは酷であろう。
獲物をいたぶるように目を細めている巫女さんに、子狸さんはぎくりとした。
一方的な緊迫が走る。
(どうする?)
……三歩だ。
子狸さんは思った。
人間の記憶力には限界がある。
三歩、歩かせれば忘れてくれるかもしれない。
いや、巫女さんのことだ。四歩、あるいは五歩かもしれない。
子狸さんは、自身を過大評価しない。
自分よりも優秀な人間がたくさんいることを知っていたし、だが魔物たちほどではないことも知っていた。
三歩ではあるまい。
ならば。
四歩か。
五歩か。
どちらだ。
子狸「……面白い」
子狸さんは笑った。場違いな笑みだった。
子狸「探り合いというわけか」
巫女「……うん?」
巫女さんは小首を傾げた。まるで何を言っているのかわからないとでも言いたげな、その態度はどこまでも挑戦的だ。手の内を晒す気はないということか。
先手を取る。
まずは牽制のジャブだ。
子狸さんは言った。
子狸「六歩じゃあ、ないんだろう……?」
壮絶なる知能戦の幕開けであった……。
〜fin〜