うっかり不在編
小さな子供が二人、それぞれに大人と手をつないだまま向かい合っている。
それは古い過去の記憶。
多くの国がそうであるように、エルフの里とドワーフの里も、次代の管理人はそうあるべくして育てられる。
法典と向かい合ったとき、余計なことを願われては困るからだ。
契約者の本当の願望を、法典は言葉巧みに引きずり出そうとする。
契約は一瞬で完了し、全てが即座に塗り潰される。第三者を立ち会わせ、見張ったとしても無駄でしかない。
だから正攻法で当たる以外に道はなく。
引き会わされた二人の次代管理人は、子供らしさを色濃く残していた。
エルフとドワーフは長らく反目し合っていたが、両者の間には確かな格差があったから、歩み寄ることも不可能ではない筈だった。
自分たちはうまく行かなかったが……
無益な争いに疲れた二人の大人が苦笑を漏らした。
今更、仲良くはなれないが。ただ、もう、とにかく、疲れていた。
しかし子供たちは元気だ。
エルフの子供は無邪気に笑っている。自分たちが仲良くなれば、全て解決するのだと信じていたからだ。
ドワーフの子供は不貞腐れている。過酷な環境で生まれ育った少年は、光り輝くような肌を持つ小さなエルフに物足りなさを感じていた。
決して相性が良いとは言えなくとも、二人の子供は互いに小さな友情を育んだ。
それは古い過去の記憶。
色褪せ、ところどころが擦り切れたフィルムには、きっと輝かしい未来へとつながる架け橋だってあったのに。
遠い過去。いつしか交流が途絶えた頃、再会した二人は、すでに敵同士だった。
*
族長「バショウ……!」
もうあの頃には戻れないのか。問いを名に込め、エルフの長が吠えた。
バショウというのは、親方の名前だ。
忙しなく操作盤の上を走るひれに力がこもる。
仮想モニターの中、漆黒の巨兵がゆっくりと立ち上がった。
……返答はない。
あまりにも時間が経ちすぎていた。あまりにも守るべきものが多すぎた。
仕方ないで済ませるには重すぎる決断が、だから二人を大きく隔てた。
かつての小さな友人が、今や憎悪の衣に身を包むかのようだ。
エルフは精霊魔法を使えると言ったが、あれは嘘だ。
精霊魔法を使えるのは、ごく一部のエルフのみ。
そうではない、大多数のエルフは、精霊を借りているに過ぎない。
そして、族長は数少ない魔法使いのエルフだった。
精霊を意のままに召喚し、使役することができる。
オーバードライブ。合体した精霊が純白の巨兵となって王都の地を踏みしめる。
パイロットの族長は、じつのところ居ても居なくても大差ない。オートパイロット以上の最適解はないからだ。
純白の機体は、お飾りのパイロットを守る厚い鎧だ。それだけのことであり、そしてそれが全てだった。
精霊の別名を魔法動力兵と言う。
魔法というルールにおいて、「生物」の定義はタンパク質を作ることができるものだ。
これを「翻訳」と言う。
だからエルフの里で最初に作り出された魔法動力兵は、電子機器による演算と音声を出力するレコーダーに、タンパク質を合成する「核」……心臓部を埋め込まれただけの単純なものだった。
こうも言い換えることができるだろう。
たったそれだけのことで、魔法は人間の特権ではなくなった。
人間が、魔法を使うには不十分な生きものであると判明するまでそう長い時間は掛からなかった。
だからエルフたちは、自分たちが魔法を使う必要はないのだと、不自然なくらい理性的で正しい判断を下した。
魔法動力兵は、エルフという種族、全体から得られる退魔性を糧に動く。
チェンジリングの最終解答。それが彼らだ。
白と黒。相反するカラーリングの巨兵が、王都を舞台に対峙する。
光が走った。
王都に暮らす人々を守るための光だ。
希望の光だ……。
唖然として巨兵を見上げていた人々が、焼きたてのパンみたいになっていく。
人から人へと感染していく光が、大きな輪を紡いだとき、王都はパンがうろつく夢の国へと変貌を遂げていた。
族長「マリ・バウマフ……」
望遠に親狸の姿を認めた族長の声は苦々しい。
アイリン・パンデミクス。これが復活した治癒魔法の一形態だ。
バウマフ家の固有魔法。子狸さんは子狸さんの、親狸は親狸の、独自に備わるに至った、減衰特赦の新しいカタチ。
……希望の、魔法。
この魔法に、適用外はない。
こねたパンをくっつければ、いかなるダメージもなかったことにできる。
しかし人間をパンに変えるというのは……いささか不穏な光景ではあった。
何かを求めるように両腕を突き出し、のろのろと徘徊するパン人間たちは、こく一刻と知性を失いつつあるようだ。
凄いことは凄いのだが、他に遣りようはなかったのかと問い詰めたい。
ちなみに、マリ・バウマフというのはお屋形さまの本名である。
族長とお屋形さまの間に直接的な面識はないが、知識として互いを知っている、大人同士の苦い共感がそこにはあった。
役割を終え、次世代に託すものとして残処理に当たる日々だ。
モニター越しに目が合った。
その短く細い交感が、先手を取るものと後の先を狙うものを仕分けた。
黒と白。科学の頂点と魔法の頂点。突き詰めていけば、それは同じことだ。
親方「3三歩! 5七桂! 7五歩・2七桂!」
漆黒の巨兵を駆る親方が、操縦席でコントロールレバーを押し込んだ。
オートパイロット以上の最適解はないが、使えるものは使う。親方は、パイロットと言うより機体の部品の一つだった。レバーを押し込んだ力は機体に伝わり、あってもなくても同じような微力の支えとなる。
だが、ここ大陸では欠かせないパーツの一つではあった。
無人兵器は動かないからだ。
大陸では、科学兵器が正常に作動しない。国が違えば、ジャンルも違う。この物語は夢と希望のファンタジー。人型巨大ロボはぎりぎりアリだ。
赦される。赦されている。
黒の機体が疾駆する。右、左へと転移し、次の瞬間には白い機体の背後を取った。
ドワーフの鍛冶。召喚魔法。何かを移動することに長け、その「何か」には自分自身も含まれる。
ドワーフの長にとって、武器は手足の延長上にあるものだ。
親方「7二飛!」
一瞬で背後に回った黒いのが、転送されてきた大きな剣を振り下ろした。
もう面倒くさいので言ってしまうが、ドワーフの召喚魔法は世界から他世界へと渡る魔法だ。
世界を渡るためには央樹の許可が必要であり、彼らに忠実なドワーフの民は一定の自由裁量を持つ。
そうした前提の上に成り立っているのが召喚魔法だ。
だからドワーフの瞬間移動を、エルフですら事前に察知することはできない。
世界の外にある出来事を、予知することはできないのだ。
だが、精霊魔法は最強の魔法だ。
予測の精度は、ほとんど未来を知っていると言っても通用する。
跳ね上がった純白の尾が、背後から迫る片刃の剣を弾いた。
パイロットは飾りの域を出ない。両機体の手足が激しく交錯し、幾重にも火花を散らした。
結果、互いに無傷。
戦う前からわかっていたことだ。
この対決に勝者はない。この対決に敗者はない。
それでも戦うのは、二人が種族を代表する管理人だからだ。意味がないと叫んでみても、何も変えることはできない。
そして理由ならある。
高速で迫る毒尾を、黒いのが脇に挟んで固定した。一瞬の膠着に、遅れて戦況を把握した親方が叫んだ。
親方『これだけの力を与えられておきながら……』
ドワーフの強襲に一歩もひるまず、あまつさえ反撃してくるような種族はごく限られる。
親方『なぜ同胞にならなかったァァアア!』
ドワーフとエルフは、強大な敵に手を携えて共に立ち向かったこともある。遥か昔の出来事だ。
数えきれないほど繰り返してきた問いと答えが、ここでもまた繰り返される。
何度言っても、何度聞いても、わかり合えないからだ。
縁を切るには近すぎて、手を結ぶには遠すぎた。
どうあっても関わり合いを避けられなかったから、何度も何度も戦って、それでも決着がつかないから、もう言葉をぶつけ合うしかなかった。
説得は意味を為さず、議論は平行線を辿るばかりだ。
今回もそうなると確信はしていても、この無益な時間を怒りで燃やし尽くすしかなかった。
族長は、央樹の側にはつけない。
族長『私たちが、央樹のいったい何を知っていると言うんだ……! あいつらは、自分たちのことをいっさい話さない! 自分たちが不利になるようなことをいっさい許さない! そんなヤツらに従うことはできない!』
魔法の原則は、央樹が定めたものだ。
央樹の別名は第一世界。
四つの世界に法典を落とした、すべてのはじまりの地。
あの世界の住人が、どんな魔法を使うのかも、族長と親方は知らされていない。
しかし大方の予想はついている。
第一世界に、おそらく魔法はない。
第二世界……竜人族の西湖世界は、魔法の実験場に使われた。
人間のやることだ。どんなことにも理由はある。
魔法の実験を終えた央樹は、次に忠実な兵士を欲した。すでに予定している最高、最強の魔法使いたちは、自分たちには従わないと知っていたからだ。いずれは反旗をひるがえす。
なぜなら、何でも思い通りになるような楽園に人間は住めないからだ。
一から十まで完全にそうなるとわかっていたことを、ひとは成功とは言わない。
至高の魔法を手にしたエルフは、それを与えた央樹を憎み、呪いの言葉を吐く以外にやることがない。
退屈という毒を、しかし何よりも欲したのが、ドワーフたちだった。
親方『それが傲慢だと言うのだ! 退屈だと言っておきながら、お前たちはけっきょく安全圏から俺たちを見下すことしかしない!』
定められた滅びの日を前にしても、大多数のエルフは危機感を抱いていない。
自分自身に害はないと知っているからだ。
精霊が守ってくれるので、人生はハッピーだ。
ドワーフと聞くと良い顔はしないけど、他人事である。
親方は声のトーンを落とした。
親方『そして訳もなく手柄を挙げる……』
北海世界の後釜を期待できる、ここ連結世界の誕生に、央樹は大いに喜んだ。
魔物たちは精霊の上を行く存在だ。
決して人間には従わないと考えられていた最高位の魔法生物が、自陣に加わる。これほど心強いことはない。
大きな手柄を挙げた北海世界に、ドワーフたちは強い危機感を抱いている。
さいわい魔物たちはエルフに反感を示しているようだが、それがいつまで続くかわからない。まったく先が読めない。
しかも竜人族まで絡んできた。
……あの連中だけは、苦手だ。
ふと目が合うと、熱い眼差しを寄せてくる、あのミジンコだけは……。
央樹は、竜人族を重用している。
超世界会議の議長に登用するのは竜人族のみであり、それは彼らが最初に生まれた魔法使いだからだ。
忠実なる第三世界、堅守鉄壁の第四世界、最高最強の第五世界を、唯一従えることができるのは、すげえ生態系の第二世界のみ。
竜人族の熱いラブコールに、第四世界の人々は引きこもってしまったが。
第二世界をはじめとする一親等世界と、何ら関わりのない世界とは細々と交流しているらしい……。
ガードが、堅いのだ。
貝だけに。
〜fin〜