うっかり除名編
『眠れる牛』
原則として、クエストの依頼者側から特定の冒険者を指名することはできない。
クエストの難易度を見定め、必要となる技能を予測して人員を調整するのはギルドの仕事だからだ。常に最適な能力を持った冒険者を配置することは現実的ではないという事情もある。
だが、何事にも例外はある。
一例を挙げるとすれば、それは偉い人の依頼だ。
諸事情あってこれまでぼかしてきたが、国の偉い人とは、すなわち貴族である。
貴族が「やれ」と言ってきたことを突っぱねることはできないし、「こうしろ」と言われたらそうしなければならない。
つまり緊急クエストだ。
しかも秘匿性が高い。
ダブルアックスの二人と子狸さんを裏の小部屋に連れ出したアンソニーさんは、しばし不機嫌そうに押し黙っていたが、やがて気難しい顔でぽつりと言った。
係員「……さいきん、宮廷魔術師との接触はなかったか?」
ないほうがおかしいのだ。アンソニーさんはそう思っている。
魔法使いとそうではない人間を隔てるものは、おそらく先天的な素質などではない。
もしも血脈に宿る力であるならば、この国の貴族は大半が魔法使いでなければつじつまが合わないからだ。そして魔法使いの血を取り込むことに対して、この国の貴族たちは積極的ではない。
だからアンソニーさんはこう考えている。
魔法使いになるためには後天的な訓練が必要であり、それは幼少期から行わなければならないのだろう。
ほぼ正解だった。
じっさいはもう少し複雑だ。この国の人間たちは魔法使いがとくべつな存在だと思っているから、そのとくべつな存在なのだと信じ込んでいる人間だけが魔法使いになれる。
しかし大陸では魔法を使えるのが当たり前のことだから、そうした垣根がない。
烈火「宮廷魔術師と……?」
烈火さんがいぶかしげに相棒の疾風さんを見る。
疾風さんは首を横に振った。接触があるとすれば、それは子狸さんだろう。バトンを渡すように視線を子狸さんに振る。
子狸さんは首を傾げた。心当たりはとくにない。しかし……
(魔術師とは何だ……)
いや。わかっている。子狸さんは、わかっている。
大陸では、二百年くらい前に起こった討伐戦争で、奇策を用いて人類を勝利へと導いた大騎士がいた。その大騎士の二つ名が「魔術師」だ。
だが、子狸さんはその出来事が二百年前の出来事であるという歴史の「知識」があり、また人間は二百年も生きることはないという生物学的な「知識」を兼ね備えていた。
やはり……天才なのか。
つまり、ここで言う魔術師とは「手品師」のことではないのか?
子狸さんは、その明晰な頭脳を以ってして解答を弾き出した。
ならば答えは「No」だ。
首を横に振った子狸さんに、アンソニーさんは「そうか……」と力なく答えた。
考えすぎかもしれない。そう思った。
今回の依頼に、なんというか邪魔な子狸を闇にほうむってしまおうという黒い意思を感じたのだが……取り越し苦労か。
そう、今回の依頼者は子狸さんを指名してきた。魔法使いの冒険者がいるという噂を耳にしたらしく、ならばそいつにやらせろと言ってきたのだ。もっともらしいことは言っていたが……事の重要性と依頼者の態度、真剣味が噛み合っていないような違和感があった。
簡単にまとめるとこうだ。
本日未明、貴族の子供が誘拐された。
目撃情報によれば、誘拐犯は魔物だ。
立場があるので、大事にはできない。
内密に処理してほしい。
その魔物と言うのが……また強力な種族で、屈強な冒険者が十人掛かりでやっと倒せるくらいのヤツだ。
ダブルアックスはともかくとして、子狸さんには荷が余るとアンソニーさんは考えている。何しろ、この子狸には実績がない。
他の係員からも、戦闘が予想されるクエストには回すべきではないという報告を受けている。
あまりにも使い勝手が良い期待の新人なので、危険な仕事はさせるなということだ。
子狸さん本人も、細々とした雑用に強い意欲を見せている。
しかし、こうなったからには仕方ない。アンソニーさんは苦渋の決断を下した。
係員「緊急クエストだ。秘匿性が高く、聞けば後戻りはできない。だが聞かなくとも……断れば、冒険者の資格を剥奪する。選んでくれ」
子狸さんには冒険者を辞めて貰うしかない。
冒険者に命の危険は付きものだが、今回はあまりにもひどすぎる。
疾風「……そういうことか」
アンソニーさんの口振りから、疾風さんはおおよその事情を察した。
今回の依頼者は、少なくともアンソニーさんが逆らえない相手……まず貴族だろう。
理不尽な言いようにムッとした様子の烈火さんに、疾風さんは小さな声で提言した。
疾風「言う通りにしたほうがいい」
その言葉に、やや遅れて烈火さんも悟ったようだ。面白くなさそうに舌打ちして、子狸さんの肩を乱暴に叩いた。
烈火「……ポコ。このクエストはダメだ。お前は、ついてくるな。わかったな?」
子狸「ッス」
先輩の言うことは絶対だ。子狸さんは従順に頷いた。
勇者『…………』
しかし今日も昼まで寝て、今まさにのんびりとアバターにinした勇者さんの考えは異なっていた。
この国の魔物は、いつも子狸さんの横にいる青いのに逆らえるのか? 気になるのはそこだ。
勇者さんは本当にひまになったとき、こきゅーとすを眺めて時間を潰すことがある。
比較的信用できる証言によれば、この国の魔物は、大陸産の魔物たちを恐れて近寄って来ないらしい。
何でも位階が違いすぎて、少し触れただけで存在を丸ごと取り込まれてしまうのだとか。
勇者さんなりに彼らの言葉を解釈してみたところ、どうやら魔物たちの身体に触れた魔法はいったん消滅するものの、瞬時に再構築して操られているというのが正しいようだ。
それと同じことが、この国の魔物に起きようとしている。
だから本能的に恐れて近寄って来ない。
つまり、このクエストを受けても子狸さんの身に危険が及ぶことはない。
王都「…………」
それなのに王都のひとが知らんぷりしているのは、
勇者『……いいの?』
何か隠し事があるからだ。
……怪しまれている。
王都のひとは胸中で舌打ちした。
正直、男だらけの冒険者ギルドに嫌気が差していたのだ。
諸事情あってこの国で子狸さんのお嫁さんを募集することはできないが、それでも、こう、もっと他にあるだろ……という気持ちだ。
はっきり言って、王都のひとは子狸さんと勇者さんの仲をあまり応援したいとは思わない。しごく単純に、剣士の家系と親戚になるのが嫌なのだ。
勇者さん自身、子狸さんのことをどう思っているのか。そこの部分もあいまいで。
だから、彼女にそうした感情を意識させるような発言は避けたかった。
王都のひとは素知らぬ顔で言った。
王都『……決めかねている。ここで冒険者を続けることに意義があるのかどうかだ』
しかし勇者さんの疑惑を払しょくすることはできなかった。
勇者『何を隠してるの。言いなさい』
まさか魔族側に付こうと考えているとは言えない。王都のひとは、わざとまったく別のことを隠しているよう振る舞った。
王都『お前は、ドワーフに勝てるか?』
勇者『……不意を打てば勝てるわ』
武器屋で少し目にしたのだが、ドワーフはまったく未知の武器を持っている。おそらく初見では対応できない。央樹国から下賜された技術らしいのだが……それがどれほどのものなのか、勇者さんには想像もできなかった。
不意を打てば勝てる。つまり正攻法では厳しいということだ。
王都『そうだろうな……』
王都のひとは知っている。
央樹は全ての理論が完成した国だ。
できること、できないことがはっきりしたから、結論だけを先に手にしてしまった。
異世界に渡る方法など、ありはしないのだと。
だから彼らは、いつか叶うと願った物語の続きを欲した。
まあ、それは置いておくとして。
何か隠し事があるとき、他の隠し事でフタをするのは魔物たちがよくやる手口だった。
例えば王種などは自分の家に何かを隠しているような振る舞いをするのだが、その「何か」はべつに暴かれても予定が早まる程度のものでしかない。
勇者さんは、自分たちの大陸に住みついた「魔物」という存在を不審に思っている。
だから王都のひとは、彼女が満足できる「答え」を用意してあげた。
かくして華麗に話題をスルーした王都のひとが、子狸さんを見つめる。
いずれにせよ、最終的な決断を下すのはこの子狸だ。
王都のひとは、子狸さんの意思を尊重したい。
そして子狸さんは、冒険者ギルドを離れるという意思を示した。
それがベストな判断だと考え、提案したのに、アンソニーさんは少なからず失望している自分に気付いて戸惑った。
いや、だからこそだ……。アンソニーさんは迷いを振り払うようにかぶりを振った。
魔法使いには、期待したくなる。それが子狸さん本人の資質であるかどうかの区別がつかないから、ここで手放すべきだ。
アンソニーさんが片手を差し出して言う。
係員「仮免許証を」
冒険者ギルドで発行している免許証の別名を、ギルドカードと言う。
住所不定の子狸さんは、ついぞ正規の会員にはなれなかった。
子狸「……?」
子狸さんは、反射的にアンソニーさんの大きな手のひらに前足を置いた。
絶妙なタイミングで王都のひとが補佐し、子狸さんの仮免許証は無事にアンソニーさんの手に渡った。
アンソニーさんは安っぽい仮免許証を確認し、無理やり笑った。
係員「短い間だったが、よく働いてくれた。困ったことがあったら言ってくれ。微力ながら助けになろう」
子狸さんは、ギルドを去っていく冒険者見習いのひとりに過ぎない。入れ込みすぎだとはわかっていたが、これくらいならば許されるだろうと思った。
*
街を出て、森に入る。
三十分ほど同じところをぐるぐると回り、ふとした思いつきから脇道に逸れてしばし、地図を確認する。
やばい、迷ったと自覚したなら、あとは一本道。不自然な爪あとが残る木々を目印に二十分ほど歩けば、そこはもう目的地の洞窟だ。
烈火「ここか」
大きな洞窟だ。
愛用のメイスを装着した烈火さんと疾風さんが目線を交わし、頷き合う。
最後に一度だけ振り返った二人が、慎重に洞窟へと足を踏み入れる。
子狸「…………」
するすると木の上から降りてきた子狸さんも、二人のあとをのこのこと追う。
子狸さんは森の生きものだから、本気を出せば野生動物すら欺いてみせるほどの隠密行動が可能だった。
勇者『……ちょっとびっくりした』
子狸さんの本気を間近で目にした勇者さんは、不審者と達人を隔てるものはいったい何であったかと思いを馳せている。
この子狸を育てたのは自分であると常日頃から豪語している王都のひとが、得意げに身体を小刻みに揺すった。
王都『こんなもんじゃないぞ。子狸さんはな、やろうと思えば王城にだって簡単に忍び込めるんだ』
勇者『……後ろ暗い技術ばかり達者なのね』
変態的な戦闘能力を持つ大陸の騎士を出し抜くには、彼らの専門外で勝負をするべきというのが魔物たちの主張だ。
幼い頃から森で魔物たちと追いかけっこをして遊んでいた子狸さんの抜き足は瞠目に値する。
冒険者ギルドを辞去した子狸さんは、迷わずダブルアックスのあとを追った。
王都のひとがそうであるように、勇者さんもまた子狸さんの行動に違和感を覚えなかった。
ある使命を帯びて他国で活動している子狸さんであるが、その使命を遂行するか否かはまったく別次元の問題なのだ。
どこかの誰かのために、子狸さんは戦う。
星の数ほど国があり
星の数ほど人がいて
星の数ほど夢がある
物語に終わりなどないのだ。
〜fin〜