うっかり襲撃編
『チュートリアル』
魔法は便利な力だ。話すと長くなるので詳細は省くが、物理法則とは異なるルールが働いているため、例えば「距離が遠い」とか「エネルギーが足りない」といった物理的な抵抗を挟まない。
ようは、目には見えない家電製品を持ち歩いているようなものなので、料理に洗濯、掃除にと大活躍。もちろん戦闘にも使える。
ある日の街道。
抜けるような青空の下、男の絶叫が響いた。
商人「ポンポコデェェェモォォォン!」
子狸「積み荷を渡してもらおうか」
そう言い放ったのは、子狸デーモンと呼ばれる新種の魔物だった。
しっぽの縞模様が目に鮮やかだ。背中から生えたコウモリの翼は飾りで、飛行能力はない。
のこのこと歩いて登場した子狸さんに、馬車を取り巻く護衛たちが目を剥いた。
護衛「! メノゥリリィ……じゃない?」
護衛「し、新種!?」
新種とは、ふだん見掛けることがない、住所不定の魔物たちの総称だ。
穿った見方をすれば使い捨ての、それゆえに責任を押し付けられて諸悪の根源とされる「新種」には強力な個体が多い。
商人「うろたえるな!」
商隊を率いる長が檄を飛ばした。
商人「新種が出る可能性はあると伝えた筈だっ。払った金のぶんは働いてもらうっ」
この商人は過去に何度か子狸デーモンと遭遇した経験がある。
子狸「わかっているのなら」
商人「……!」
両者の視線が交錯し、一瞬の鍔迫り合いを交えて離れた。
因縁が火花を散らし燃え上がるかのようだ。
しかし子狸さんは冷淡に、小石を置くように呟きを落とした。
子狸「ずっと出てこなければいいのに」
何の期待もされていない声に、商人は激怒した。
それでは、まるで自分が悪いことをしているようではないか。
しかし、そうではない筈だ。何故、襲撃者にそんなことを言われねばならないのか――
商人は叫んだ。
商人「追い払えー!」
言われるまでもなく、護衛たちは戦闘態勢を整えていく。
彼らはお金で雇われた傭兵だ。騎士ではないから、馬を連れているものはいない。
道端で魔物と遭遇したなら魔法戦になる。
激しい光と熱、局所的な冷気が飛び交う戦場に、平坦な道を行くように馬が活躍することは難しい。
生存本能を摩耗させるような、特殊な訓練を施された馬を「騎馬」と言う。
もしも優秀な騎馬を育てることができる、もしくは手に入れることができると言うならば、その人物は転職を考えるべきだった。
不敵に笑った子狸さんが前足を口でくわえた。指笛を吹こうとして失敗する。しかし察した魔物たちが戦列に加わる。
生き埋めになっていた亡霊たちが地面から染み出すように現れ、木の陰でこそっと見守っていた不定形生物たちが這い寄る。
魔物たちの姿かたちは多種多様だ。
――魔法がそうであるように。進化の過程に隔たりがある。
魔物たちの隊列が整うのを待たず、子狸さんは地を蹴った。
同時に前足を突き出したのは、彼我の距離を少しでも埋めるためだ。
子狸「チク・タク・ディグ!」
魔法の行使に不可欠とされるのが、詠唱とイメージだ。
では、滑舌の悪いものは魔法使いにはなれないのか。そんなことはない。
魔法は何も慈善事業で術者に従うわけではないから、人間が魔法を使うことで何らかのメリットを得ている。
魔法使いは多ければ多いほど良い。そのためならば、多少のルール違反には目をつぶる。
詠唱は、あれば良いということだ。
だから熟練した魔法使いの詠唱は早口言葉も真っ青のスピードで紡がれる。
慣れないうちは一つ一つの手順を踏むように工程を進めるのだが、今この場に居るのは漏れなく熟練者だった。
何千、何万と繰り返してきた作業には神が宿る。
詠唱とイメージは離れがたく密着し、しかしそれがじつは魔法の干渉によるものなのだと知るものは少ない。
人間の限界を越えた並列処理、魔法に対する鋭敏な感覚は、魔法から常連客へと贈られる特典サービスだ。
美しい術者に仕上がった子狸さんに、魔法は大きな力を与える。
魔法は素晴らしいものなのだと、小さな子供たちに実演販売してくれるバウマフ家の人間は、とても得難い存在だ。
もしもこの先、何があろうとも自分たちの味方をしてくれるだろう。そう確信できる相手は希少で、それゆえに手放したくない。
望むなら与えよう。
欲するなら願いを。
願いを。願いを。願いを――
焼け付くような渇望の声は、子狸さんには届かない。
きっぱりと無視されて、魔法は困惑する。
いつも子狸さんの横にいる王都のひとがそっとため息を吐いた。
王都「お前らが適当なことばっかり言うから……」
亡霊「あ、やっぱりそうなの?」
魔物は魔法そのものだ。
魔法に手足が生えて、動き出したのが魔物であると言って良い。
だから彼らは、いつしか魔法が子狸さんに押し売り販売をしようとしていることに気が付いていた。
いや、押し売り販売と言うよりは、何か足長おじさんみたいな雰囲気を感じる。
しかし、よく晴れた日に一緒にピクニックに出掛けて、最終的に魔物たちの悲鳴をBGMに炎上する塔を見上げたりとか、そんな感じの幼少期を過ごしてきた子狸さんにとって、願い事は裡に秘めておくべきものだった。
生後数ヶ月の段階で刷り込まれた妖精さんの言葉が胸に淡く色付いている。
自らの手で勝ち取ったもの以外に意味はなく――
子狸「この戦いだけが……!」
突進する子狸さんの前足を、固く圧縮された空気のつぶてが取り巻く。
「圧縮弾」と呼ばれるこの魔法が、戦士の基礎である。
どれほど高度で強力な魔法を修めようとも、基礎を疎かにするものは勝てない。
何故なら圧縮弾は最速の遠距離攻撃だからだ。
魔法使い同士の戦いは、魔法を一秒でも早く叩き込んだものが制する。
圧縮弾に銃器ほどの殺傷力はないが、弾道と弾速を自在に設定することができる。
また複数の圧縮弾を同時に撃つことも難しくなかった。
魔法に数量の制限はない。ただし、より多くの圧縮弾を撃つよりも、素早く、そして正確であること。これが大事だ。
圧縮弾は最速の投射魔法だ。
護衛「ディレイ!」
しかし、例えば投射しなくとも良い、近接戦を想定した魔法なら、詠唱はもっと短く済む。
圧縮弾は重要な魔法だが、それだけあれば良いというものでもない。
天敵とも言える魔法があるからだ。
それが「盾魔法」である。
盾魔法は、斥力場を生成する魔法だ。
この力場は、基本的に物理的な手段で破壊することはできない。
そう書くと何だか凄まじいエネルギーを秘めていそうなのだが、初歩的な魔法である。
破壊できることと、できないことは、同じ価値しかない。
絶対に壊れない物質を作ろうとしたなら、それは大変な労力を要するだろうが、魔法にはあまり関係がない。むしろ常に同じ状態を維持するほうが簡単だ。
簡単なので、詠唱も一言で済む。
瞬時に発動する、決して破れない盾。これにより、この世界の弓矢は駆逐された。
物陰に潜んで矢を放つという使い道は残されていたのだが、それも潰えることとなる。
亡霊「レゴ・グレイル・ラルド・ディグ!」
槍魔法の登場である。
「貫通魔法」と呼ばれることもあるこの魔法は、この世に存在するありとあらゆる物質を破壊しうる魔法だ。
そう書くとやはり何だか凄そうな魔法なのだが、これも見方を変えれば大したことはない。
バームクーヘンは、二つに割ってもバームクーヘンである。
ただ、人間は二つに割れると生きていくのが困難であるため、脅威に思えるのだ。
槍魔法は、火力を重視した魔法である。
盾魔法を貫くために開発された魔法であるから、当然そのようになる。
だが、盾魔法とて生きているのだ。槍に貫かれれば「この野郎」と思うだろうし、もちろん対抗策を練ることもある。
商人「ちぃっ! 下がれ! パル・ディレイ・エリア・エラルド!」
魔法には幾つかの派閥が存在し、仲が良い魔法とそうではない魔法がある。
盾魔法さんと特に仲良しなのが、拡大魔法さんの一家である。
この拡大魔法さん。とにかく八方美人と言うか、誰とでも仲良しになる器用な魔法だ。
投射魔法さんとは仲が悪い盾魔法さんも、拡大魔法さんの一家には心を開いている。
子狸「ふっ、無駄なことを……。ゴル……メイガス……!」
圧縮弾は最速の魔法と言ったが、あれは嘘だ。
人間には扱えないというだけで、ごく一部の強力な魔物は「座標起点」と呼ばれる反則的な魔法を使える。
この魔法は簡単に言うと偉いひとなので、内心はどうあれ他の魔法は道を譲る。
具体的には、魔法の遠隔発動だ。
火口「さすが子狸さん。子狸さんは格が違った」
かまくら「これはもう勝ったも同然だな」
庭園「だな。負ける要素が見当たらない」
亡霊「胴上げだ!」
亡霊「わっしょーい!」
魔法は意外と上下関係に厳しく、座標起点さんの前では槍魔法さんも盾魔法さんも等しくひれ伏すしかない。
つまりこの子狸を遮るものは何もないのだ。
子狸「待て、お前ら! ちょっとおろして!」
しかし子狸さんは決して気を抜かなかった。
子狸「胴上げされると、いつも逆転負けしてるような気がする……」
王都「なるほど、一理ある」
子狸「だよね。いったい何が悪いのか……考えなくちゃいけない時期に来てるんじゃないか?」
勝利は目前だ。
しかし、果たして本当にそうなのか。
負け続けてきた子狸さんだからこそ、ここは慎重に事を進めたかった。
火口「……いや、そういうのはあとにしたほうがいいんじゃないか?」
かまくら「お前はいつも過激派だな。少しは子狸さんを見習え」
魔物たちは車座になって、ああでもない、こうでもないと議論しはじめた。
亡霊「たぶん戦力が上とか下とか、そういう問題じゃないんだ」
庭園「このまま行けば勝てる。そういうときが、いちばん危ない」
王都「急がば回れという言葉もある」
魔物たちの議論は続いた。
きっと、何かが足りないのだ。
その「何か」を、彼らは求めている。
商人「……通してもらっていいか?」
考え中の子狸さんに商人が声を掛けた。
通過していく馬車を、子狸さんは一顧だにしない。
子狸「覚えてろ」
ほとんど反射的に捨て台詞を口にしていた。
商人「……肝に銘じておくとしよう」
頷き、馬車に戻って行った商人が、安堵のため息を漏らした。
この日、彼は、自分の跡を継ぐ予定の一人娘を同行させていたのだ。
だから、いつもよりも護衛に予算を割いたし、切り札も用意していた。
切り札は、使わないに越したことはない……。
*
子狸「というふうに、圧縮弾は大切なんだよ」
と、子狸さんが結んだ。
圧縮弾がいかに重要であるか、実体験を交えて話していたのだ。
勇者「途中から話の趣旨が……」
不満を漏らしたのは勇者さんである。
彼女は魔法の初心者で、本来なら低学年の子たちに混ざって授業を受けるべきなのだが、家庭の事情がそれを許さなかった。
勇者「まぁ、いずれにせよ」
勇者さんは言った。
彼女は、こきゅーとすと呼ばれる、ある特殊な情報網を持っている。
薄く吐息を漏らし、誰にともなく呟いた。
勇者「間一髪だったわね」
彼女には、飼育係長としての責務がある。
あと、副会長と少し仲良くなれた気がした。
~fin~