うっかり協定編
願いを叶えると言えば、たいていの人間は心を開いてくれる。
まぁ端から願いを叶えて行けば、その世界は大変なことになるだろうが、それは仕方ない。良かれと思ってやったことなのだから。
だれ隔てなく願いを叶える。これに勝る善行など、まずあるまい。
こちらに移住してきたのは、人間たちの喜ぶ顔を見たかったからと言っても差し支えない。
人間たちは永遠の若さや巨万の富を随分と有難るようだが、そんなものはこちらからしてみるとどうにでもなる。
あとでやっぱりなかったことにしてほしいと泣きついてくるかもしれない。楽しみだ。
そうして、うきうきしながら混沌から這い出たのだが……
1st……つまり央樹の人間たちは、もっとうまいやり方があると言った。
そのやり方とは、育てて食べること。
一考に値する提案だった。
初期の案に欠点があることは認めざるを得なかった。
単純かつ確実な方法で願いを叶えて行くと、二、三回で人間たちはいなくなってしまうのだ。
もちろんうまく調整する予定ではあったが、それでも長続きしないことは明白だった。
かくして願いを叶えるという案は凍結された。
空腹は最高のスパイスという言葉もあるし。
牧場で人間たちが家畜をそうするように、彼らの成長をあたたかく見守ることにした。
こうして魔法の基盤は出来上がった。
まず願いを叶えるというルールがある。
魔法を使うということは、凍結を解除するということだ。
例えば「圧縮弾」を撃とうとするなら、魔法使いは「圧縮」「固定」「投射」の制限を解除することになる。
央樹の人間たちが定めた、この基礎的な仕組みを「魔法の原則」と言う。
『すっぴん』
子狸さんが冒険者見習いとして新生活をはじめてから一週間と少し。
昨夜も肉体労働に従事していた子狸さんであるが、この国では希少な魔法使いが冒険者などやっていて問題は起きなかったのか。
まったく起きなかった。
何故か?
答えは簡単だ。
問題はこれから起きるからだ。
*
朝っぱらから魔法使いとしての最終フォームに到達した子狸さんが、森の中をのこのこと歩いている。
生まれたままの姿と言えば想像もつくだろうか。
この国における子狸さんの寝床は野外であった。
こう見えて野宿にはこだわりがある。
今日も朝から川に洗濯に出掛けて、軽く水気を切った衣服を小脇にベースキャンプへと戻る。
キャンプと言っても枝にハンモックが掛かっていて、あとは魔物たちの私物が散らばっているくらいだ。
わざわざ置いて行った写真立てが、音楽室に掛かっている偉大な音楽家たちの肖像みたいになっている。
集合写真ではなくソロ立ちという点に魔物たちの本気と執念を感じた。
ちなみに勇者さんは居ない。
彼女は、いつも昼頃まで寝ている。
魔法の練習をがんばっているらしく、そんな勇者さんを子狸さんも応援している。
ベースキャンプに辿り着いた子狸さんは、木に立て掛けてあったガンブレードを前足にとると、正面に構えてトリガーを引いた。
刀身がスイーと押し出されて、物干し竿が出てくる。
ドワーフの武器屋さんで入手した未来的な武器だ。
他にも思い描いた通りに宙を飛ぶ小さな黒い玉や、照射した地点に圧力を加える懐中電灯など、色々な武器があったのだが、どれもしっくりと来なかった。
しかし、このガンブレードならば、洗濯物を日干しにすることができる。
子狸さんは木の枝にガンブレードを固定して、半乾きの衣服類をいそいそと引っ掛けていく。
後ろに下がり、全体のバランスをチェックしてから、しわが寄らないよう調整する。
子狸「…………」
……まあ、90点といったところか。自分の中での及第点に達したと見て、ぱぱっと素早く前足で印を結んだ。
子狸「戌っ、虎ぁ……!」
もちろん印を結ぶ行為にとくにこれと言った意味はない。
子狸さんは前足を突き上げて叫んだ。
子狸「バリエ!」
融解魔法のスペルだ。
崩落魔法と肩を並べる上位性質の一つであり、熱量を操ることができる。
子狸さんは物干し竿のまわりをぐるりと一周し、あったかくなった前足で洗濯物を軽く撫でていく。これをやるとやらないでは仕上がりが違ってくるのだ。
もう一度全体を見渡して満足そうに頷いた子狸さんが、不意に眼差しを鋭くする。
肩越しに振り返り、言った。
子狸「いつまでそんなところでコソコソしてるんだ?」
細かい理屈は省くが、魔法使いは他者の気配に敏感だ。
極端に退魔性が高い人間、例えば大陸の剣士などに対してはそうでもないが、相手が同じ魔法使いなら離れていても何となく居場所がわかる。
茂みの奥に、スッと人影が立つ。
長身の男だ。
一見すると細身のようだが、身のこなしにふらついた所作はない。
王都「…………」
いつも子狸さんの横にいる青いのが悲しそうな目をしていた。
……この国に来てからというもの、やたらと筋肉が寄ってくる。
べつにこの国はマッチョがひしめく筋肉王国というわけではない。街中を歩けば華奢な男子と女子の生息を確認できる。
それなのに、どういうわけか子狸さんに寄って来るのはマッチョばかり。筋肉ドーナツ現象だ。
子狸さんは言った。
子狸「思ったよりも早かったな。少し見くびっていたか……」
万能返答シリーズは魔物たちの叡智の結晶だ。
とりあえずこれを言っておけば話は先に進む。
子狸さんの発言を吟味する余裕が男にはなかった。
男「まず名乗らせて頂きたい。私はミラージュ。閃光のミラージュだ」
そう言って、閃光さんは微妙に子狸さんから視線を逸らした。
閃光「……覗き見をするつもりはなかったのだが、声を掛けるタイミングを逸してしまったことは申し訳ないと思っている」
遠回しに文化人として最低限の装備を勧められる子狸さんであったが、それには及ばないと前足を振る。
子狸「その様子だと、おれの疑惑は晴れたようだな」
その言葉に、閃光さんははっとした。
彼は、王宮に仕える魔術師の一人だ。
野良の魔法使いが市井に紛れているようだと上司に言われて、本日は子狸さんの説得に来た。
その目論見を簡単に言うと、秘術は独占しなければならないというものだ。
魔法使いは希少だからこそ価値がある。
少数の魔法使いには利用価値がある。しかしこれが大人数となると途端に邪魔になってしまう。
そう、魔族のように。
冒険者を辞めろと交渉しに来た閃光さんであったが、どうやらその必要はなかったようだ。
(先ほどの口ぶり……冒険者などと嘯いていたのは……自分を売り込むためか!)
結果的に自分はまんまと釣られたことになる。
閃光さんは戦慄した。この子狸、予想以上に頭が切れる……。自分の価値をよく理解している。
子狸さんは未知の技術を習得している。それが王宮に仕える魔術師たちの統一見解だった。
とくに圧縮弾だ。
目に見えないものを操るのは難しい。
大陸の騎士たちが光刃や炎弾の運用を重んじているのは、目に見える魔法であれば視覚による補正が入るからだ。
戦場では一瞬のミスが命取りになる。
圧縮弾は格下の相手を確実に下せるという特徴を持つが、複雑な戦況にあって発光魔法や発火魔法の視覚効果は連携の面においても望ましい。
ようは、この国の魔法技能は大陸ほど洗練されていなかった。
魔法使いの絶対数が少なすぎるのだ。
そこには、やはりこの国で暮らす魔物たちの位階の低さも関わっている。
定期的に四人で集まって次に滅ぼす街村を決める都市級のような魔物がいないから、ウマが合わない人間同士で積極的に仲良くなろうとする必要がない。
前足の上で踊らされていたと察した閃光さん。
これならば職務を果たせそうだと安堵する気持ちもあったが、同時に一矢を報いたいという欲も出てくる。
閃光「……なるほど。その若さで大したものだ。しかしあなたも魔術師であるならば、魔法をおおやけに晒すリスクもご存知なのでは?」
幼い頃から正しい知識を以って訓練すれば、誰でも魔法を使えるようになる。
世間一般で言われる才能の有無など誤差の範囲でしかない。
じっさいに魔法を使える人間が身近に居て、その人物から認められることが重要なのだ。
子狸さんが魔法を使っているのを見て、自分も練習すれば魔法使いになれるかもしれないと思う人間が増えると困る。
かかる失態が自分の将来に暗い影を落とすとは考えなかったのか……?
否。断じて否である。
子狸さんは不敵に笑って言った。
子狸「ふっ。何のことかな……?」
やはり……!
閃光さんは確信すると共に胸中で歯噛みした。
この子狸は、自身に蓄えた知識や技術を安売りする気はないのだ。
……だが、これは考えようによってはチャンスだ。
子狸さんの評価を上方修正しながら、閃光さんは頭の中でそろばんをはじいた。
王宮では、戦闘用に調整された魔術師の立場はあまり良くない。
身辺に置くなら、多彩な魔法を使える器用貧乏なタイプのほうが便利だからだ。
閃光さんは前者のタイプだった。
実戦的な魔法を使うと言われている子狸さんのもとに駆り出されたのは、戦闘を想定してのことだ。
魔法使いは、同じ魔法使いとの接触を避けようとする。
この子狸が隠し持っている秘術を我がものと出来たなら、閃光さんは王宮でのし上がることも不可能ではない。
閃光さんはにっこりと笑った。
閃光「本当に大したものだ。あなたとは、長い付き合いになりそうだ」
差し出された手を、子狸さんは前足を器用に使って握った。
子狸「それは、あなた次第かな……?」
閃光「ははっ。これは手厳しい。……ですが、期待には応えてみせますよ」
実入りのある対話ができて、閃光さんはご満悦だった。
閃光「では、私はこれで(一行)。次は王宮でお会いしましょう(二行)。話は通しておきます(三行)。……もしも冒険者ギルドでひと悶着あるようでしたら、私の名前を出して頂いて構いません。微力ながら助けになれるでしょう」
冒険者ギルドとて希少な魔法使いを手放したくはないだろう。
無理にでも引きとめようとするかもしれない。
そのときは閃光さんが仲介をしてくれるということだ。
子狸さんは肩の力を抜いて、ふっと微笑した。
子狸「是非もありません」
かくして閃光さんは意気揚々と去って行った。
閃光さんを見送った子狸さんは、うんっと大きく伸びをする。
色彩豊かな蝶々と戯れていた王都のひとを振り返って、ニカッと笑った。
子狸「よし! 今日も冒険者がんばろう!」
王都「そうだねっ」
~fin~