巫女さんは恩返しに大きな花火を上げてみたい
フランスパン対決に敗れたアグーさんであったが、充実したひと時を過ごして満足そうに帰っていった。
牙を取り戻すことはできたようだ。
熾烈な争いを制した子狸さんと巫女さんは、去り行くアグーさんを見送ったあと、ばうまふベーカリーの再建に従事した。
巫女「アイリン・タク・ロッド・ブラウド・グノー!」
治癒魔法のスペルはアイリンと言う。これは魔物たちが母と慕う女性の名前をもじったものだ。
諸事情あって退場を懸念されていた治癒魔法であったが、なぜかしぶとく生き残っていた。
子狸さんが冒険者見習いをはじめて数ヶ月。この頃には、すでに復活した治癒魔法の正体は判明していた。
王都のひとの推測は正しかった。
土魔法や貫通魔法がそうであるように、治癒魔法は人間専用の魔法になっていた。
大陸でオーバーテクノロジーの結晶たる科学兵器が正常に作動しないのは、魔物たちが過去に人間たちの願いを力とする大魔法を設置していたからだ。
真っ向からファンタジーを否定するようなものは認められない。
火薬を使って弾丸を撃ち出す銃器くらいなら許容範囲であるらしいが、弾道は狂ってしまうようだ。
なお、機動兵器はアリだ。
鬼のひとたちが率先して造ってしまったので仕方ない。
復活した治癒魔法は人間たちの願いを糧としている。
だから完全コピーを習得し魔物寄りの判定を持つ子狸さんに治癒魔法は使えない。
いや、正確にはまったくの別物と化していた。
学校の先生に相談したら病院に連れて行かれそうになったため、しばらく日の目を見ることはないだろう。
だから今の自分にできることを。
淡い光に包まれてよみがえった我が家。急行した騎士たちに抵抗むなしく連行された子狸さんは取り調べの席で不敵に告げた。
子狸「ばうまふベーカリーは滅びない。何度でもよみがえるさ」
騎士「魔王……!」
存在自体が罪であるかのようだった。
しかし魔王だからと言って罰するなど許されることではない。
無事に釈放された子狸さんはのこのこと帰途についた。
その翌日。色々あって一日ぶりに帰宅した子狸さんを、巫女さんが柔和な笑顔で出迎えた。
巫女「おかえり」
子狸「…………」
早くも警戒した子狸さんが軽快なステップを踏んで遣り過ごそうとする。
子狸「ディレイ!」
魔法の起点は術者と世界の境界線だ。
大半の術者が手から魔法を撃つのは可動範囲がひろく、そして露出していることが多いからイメージが鮮明に伝わるという理由による。
やろうと思えば目からビームを撃つこともできるし、口から火を吐くことだって難しくない。あまり意味がないから一般的ではないだけだ。
しかし足を起点にするのは、わりとありふれた魔法の使い方だった。
同時に複数の力場を編んだ子狸さんが跳躍した。
跳ねるように力場を蹴り、巫女さんの頭上を飛び越して巣穴に駆け込む。
その後、華麗に強制イベントを回避した子狸さんが居間で待ち受けていた巫女さんに捕まってしまったのは避けようのない出来事であった。
おとなしく斜めとなりの席に座った子狸さんに、巫女さんは超善とした微笑を投じて言った。
巫女「市民、幸福は義務です」
子狸「……ぎむ?」
そんなことはないのだと子狸さんは否定した。
すると、王都のひとがそれとなく独り言を漏らす。何気ない仕草でアザラシの置き物を触手で引き寄せて眺めながら、
王都「ちなみに義務とは反してはならない決まりごとのことだ……」
元あった場所に置き物を戻した。
王都のひとの独り言を聞き咎めた子狸さんが怒りを露わにした。
子狸「はんしては、ならない、だと……?」
王都のひとは子狸さんをなだめるように巫女さんへと言った。
王都「幸福は義務だと? つまりお前はこう言いたいんだな。……もしも幸せではないと言うなら、それは過失……いや、許されるべきことではないとっ」
子狸「それは違うぞっ、市民! 幸せは自分で掴み取るものだ!」
だいぶ遠回りしたが、それは子狸さんの哲学であった。
しかし巫女さんの透徹な微笑みは崩れない。
巫女「いいえ、市民。幸福は義務です。あなたはいつも余計なことを口走って自分を追い詰めますが……」
巫女さんは遅くとも二ヶ月後には王都を去ることになる。
彼女は、この子狸の将来が心配でならなかった。
だからこれを機に、子狸さんの考え方を徹底的に自分の色で染めてしまおうと画策していた。
巫女さんは言った。
巫女「いいですか、市民。あなた一人ががんばっても、それは自己満足でしかないのです」
子狸「じこまんぞくだって……?」
王都「随分な言い草だな。自己満足……ようはその場しのぎで、他人のためにはならないと。お前はそう言いたいんだな!?」
王都のひとは、まるで単語の解説をするかのようにもったいぶった口調で非難した。
しかし子狸さんは認めた。
子狸「その場しのぎの人生か。そうかもしれない」
王都「そうだねっ」
王都のひとも認めた。
王都「……巫女よ。その場しのぎで何が悪い!」
主義主張までもがその場しのぎであるかのように高速でぶれている。
巫女「……あなたがそうやって甘やかすからダメなんだよ!」
笑顔をかなぐり捨てた巫女さんが、いつも子狸さんの横にいる青いのに掴み掛かった。
王都のひとのボディに両手を押し当てて、マッサージでもするように練り込んでいく。
王都「ぽよよんっ、よよよんっ」
せつない悲鳴を上げる王都のひとに子狸さんが立ち上がった。
前足を器用に使って巫女さんの細い手首を掴む。
挑むような眼差し。静かに凄んだ。
子狸「お前の相手はこのおれだと言った筈だ」
巫女「言われてねーし! 雰囲気で喋るのやめろっ」
標的を変えた巫女さんが子狸さんの胸をぽかぽかと叩く。
子狸さんはそれを甘んじて受けた。非は自分にあると、あえて認めるような苦渋の表情をしている。
巫女さんがはっとした。また話がおかしな方向に行っている!
こんなことではいけない。そう自分に言い聞かせて、席に戻ると大きく深呼吸する。
少し焦りすぎていた。二ヶ月という期日は、長いのか短いのか。すぐには答えが出せないくらい、ここでの暮らしに情を移してしまっていたようだ。
仕切り直しだ。
巫女「市民ポンポコ。あなた一人が何かを変えようとしても、そこには限界があります。大切なのは、みんなで変わろうとする意思なのです」
巫女さんは、この子狸を言いくるめるすべに長ける。
案の定、みんなというキーワードに子狸さんは強い反応を示した。
気分を良くした巫女さんが、ここぞとばかりにとっておきの台詞を口にした。
巫女「一人の百歩より百人の一歩ですよ、市民」
王都「べつにどっちでも良くねー?」
いよいよ面倒くさくなってきた王都のひとが、テーブルによじ登ってでろっと触手を垂らした。
魔物たちは愛玩動物を自らの好敵手と見定めている。
こうした無気力な仕草が人間たちのツボを的確に射抜くことを自覚しているのだ。
子狸「….………」
子狸さんは歩幅について考えている。
とにかく歩幅が気になってしまい、百人が一歩踏み出す光景を想像しようとして失敗した。せいぜい五十人くらいまでだ。
頭の中で歩幅を計測し、比較してみる。
四人くらい巨獣が混ざっていたので、かろうじて後者が勝った。
だが歩幅で勝ったからと言って何なのか……。気掛かりなのはそこだ。
……ちがう? そうではないのか?
子狸さんは自問した。自分は何か大きな勘違いをしている?
大切なのは……。
そのとき、子狸さんの脳裏に電撃的なインスピレーションが舞い降りた。
思い浮かんだのは、魔物たちの月面着陸ごっこだ。
月面に降り立った魔物たちが踏みしめるように一歩を……。
子狸さんは頭をがつんとやられたような衝撃を受けた。
子狸「……一歩か。一歩目は……そうだな、大事だ」
微妙に食い違っている気がしたが、巫女さんは推し進めた。
巫女「そう。ようやくわかってくれたのですね、市民」
子狸「ようやく、か……。そうだな、なんだか目が覚めたよ」
道なき道を行くことに価値がある。
子狸さんは、これまでの行いを反省した。
自分は今までラクな道のりを歩んで来たのではないか?
もっとシビアになるべきなのだ。自分を甘やかしてはならない。そう胸に刻んだ。
しかし具体的に何をすれば良いのかがわからない。
導いてくれるひとが必要だ。
子狸さんは自身を過大評価しない。方向感覚には自信があるものの、目的地はどこだったかと、つまらないミスをするよりは。
子狸「おれを導いてくれ、市民ユニ!」
真摯に頭を下げる子狸さんに、巫女さんは力強く頷いた。
巫女「二ヶ月後だ。二ヶ月後に、わたしは王都を去る。その前に、ひと華咲かせる。協力してくれ、市民ポンポコ!」
子狸「おう! やろう!」
ふたりはがっちりと手と前足を結んだ。
巫女さんは席を蹴って立つと、ぐっと握りこぶしを突き上げて決意を表明した。
巫女「わたしは、もう逃げない! 王国最強の騎士がなんぼのもんじゃー!」
子狸「もんじゃー!」
唱和した子狸さんが前足を突き上げて鳴いた。
ハイタッチを交わしてくるくると回るふたりを、王都のひとがじっと見つめている。
王都「へえ……」
ぽつりと呟いた。
〜fin〜