うっかり交錯編
トコトコと勇者さんが廊下を歩いている。
ひろい屋敷を使用人も連れずにうろついているものだから、彼女をよく知る人間であれば迷子になったのかなと心配したことだろう。
しかし心配は無用だ。目には見えないだけで、勇者さんにはアリア家の狐が付きまとっている。
迷彩。発光魔法の変形だ。映像を身体に貼り付けて周囲の風景に溶け込んでいる。
迷彩は非常に有用な技術だが、幾つかの欠点がある。
魔法を使い続けるという特性上、ある一定以上の魔法使いには気配を察知されるというのが一つ。
そして騙し絵を描き続けるようなものなので実用レベルまで持って行くのが難しく、術者の急激な運動にはついていけない。
しかしアリア家のご厄介になっている五人姉妹は無駄に才能あふれる人材であった。
彼女たちは、王国最強の騎士トンちゃんの妹たちなのだ。潜在能力は高い。
一般的な人間が亀さんだとすれば、彼女たちはウサギさんだ。
勇者さんが歩くペースを少し速めた。
姉妹たちは、はらはらとしながら見守る。転ばないだろうか……。
五女『アレイシアンさま』
勇者『なに?』
五女『あまり速く歩かないほうが……』
勇者『……殿下の標的はわたしだから時間稼ぎしても意味がないわ』
勇者さんは転ぶことを心配されているとは考えなかった。
勇者『あなたたちは隠れていなさい。応接間には入らないこと。いいわね?』
応接間には客人がいる。この国の第一王女だ。
第一王女は自由奔放なお姫さまで、たまに大貴族の家に遊びに来る。
先触れがなかったのは、他の大貴族が全員グルだからだ。
王族はドッキリを好む。
発案したのは第一王女だろうが、そうなるよう仕向けたのは宰相だろう。
計画的に王宮を抜け出されてはたまらないから、こうして手のひらの上で転がして適度にストレスを解消してやるのだ。
王国の王族は政治に関わらない。
行政を取り仕切るのは宰相であり、国王は玉座で偉そうにしているのが仕事だと言える。
政治に正解はない。王族に代わりはいないが、宰相はそうではないということだ。
貴族は王国の最初の国民だから、王族は彼らを信用し重んじてきた。
優秀な家臣よりも、決して裏切らない家臣を取ったということだ。
とりわけ大貴族の祖先は、初代国王の友人であった。
勇者さんは、姉妹たちを王女と会わせたくないと考えているようだ。
姉妹『…………』
しかし姉妹たちは聞こえなかったふりをした。
自分たちを養ってくれている勇者さんを実の母親のように慕っているから、離れたくないのだ。
勇者『いいわね?』
返事がなかったので勇者さんは念を押した。
しかし姉妹たちの耳には届かなかった。
五女『あれ、力の調子が……』
四女『アレイシアンさまの声が、聴こえない、よ』
三女『聴こえない、よ』
年少組の三人を諌めるべき立場にある長女と次女も、耳を両手でふさいで聞こえないふりをしていた。
この姉妹たちの精神年齢は上から下まであまり変わらない。
困ったことがあれば使用人たちに言えばホイホイとやってくれるので、年長者としての責任を学ぶ機会がなかったのだ。
使用人たちに便宜を図るように命じたのは勇者さんだ。
つまり勇者さんの育て方が悪かった。
まったく言うことを聞かない姉妹たちに、勇者さんは業を煮やしたように言った。
勇者『なら迷彩を解きなさい。姿を隠したまま殿下に近付くのは良くないわ』
姉妹『わかった』
あっさりと頷いた姉妹たちが迷彩を破棄して姿を現した。
傍目から見ると勇者さんが折れたようにも思える遣り取りだったが、じっさいにその通りであった。
勇者さんは姉妹たちに甘い。
小さな頃からずっと一緒に居るから、しつけをする機会を逸したままここまでずるずると来てしまった。
そのことについて使用人たちはとうに諦めている。
勇者さんの近くに居ると、ときおり何故か労働意欲が急速に失われていくのだ。
摩訶不思議な現象であった。
*
勇者「失礼します」
ひと声掛けてから応接間に入ると、お姫さまが不自然に宙に浮いていた。
勇者「…………」
どうやらバック転をしようとしているお姫さまを、迷彩した近衛兵たちが補助しているらしい。
華麗にくるりと回ったお姫さまが、勇者さんに得意満面の笑みを向けてきた。
勇者さんは、ぱちぱちと拍手した。
勇者「素晴らしいです、殿下」
殿下「おおっ」
勇者さんのヨイショにお姫さまは目を見張った。
殿下「アレイシアン。そなた、アテレシアよりも可愛げがあるのぅ」
アテレシアというのは勇者さんのお姉さんだ。
……この王女は姉の前でも同じことをしたらしい。
近う近うと手招きする王女に、勇者さんは従った。
心なし身体を傾けた勇者さんの頭を王女が撫でる。
殿下「ほほほ……」
勇者さんの頭を撫でながら、王女は上機嫌に微笑んでいる。
その様子を、ずらりと並んだ近衛兵たちが見つめている。
女性騎士たちだ。
その内の一人が、大きな猫を抱えるようにして幼い竜を両腕で支えていた。
イグアナに似た魔物。緑のひとだ。
いったいこんなところで何をしているのか……。勇者さんと緑のひとの目が合った。
勇者「…………」
緑「…………」
もの問いたげな勇者さんの視線に気付いた王女が、えっへんと胸を張った。
殿下「わらわのペットじゃ。可愛いであろう?」
魔物を倒すとごくまれに卵が手に入る。生まれる種族はランダムであり、極めて強力な魔物が生まれることもある。
きっと千年後くらいには立派な王種に育つだろう。
王女はちらちらと勇者さんの様子を窺いながら、ばっと両腕をひろげた。
殿下「エリザベス!」
緑のひと(小)はエリザベスとか呼ばれているらしい。
しかし緑のひとはぷいっとそっぽを向いた。騎士の腕にしがみついて離れようとしない。
きちんと世話をするからと言って飼いはじめたのに、三日くらいで飽きて放置されたことを根に持っているのだ。
緑のひとは飼い主の王女に背を向けたまま手厳しい意見を浴びせた。
緑「都合のイイときだけ愛想良くしてもダメだ。ひとつ勉強になったな」
王女「くっ……。生後一年未満とは思えぬ含蓄ある言葉を……」
悔しそうにうなる王女だが、やってしまったものは仕方ない。動くおもちゃを手に入れたくらいの感覚でいたのに、生きもののお世話はやってみると非常に面倒くさかった。
しっかりとヘイトを稼いでしまったようだ……。非は自分にあると認めるのもやぶさかではなかったため、いったん諦めて勇者さんに向き直る。
殿下「……アレイシアンよ」
勇者「はい」
殿下「わらわは、美しいものが好きじゃ」
王女は自分のことを「わらわ」と言う。
この国の王族の話し方は変だ。
言葉遣いが洗練されすぎていて、たまに自分が何を言いたいのかよくわからなくなる。
わらわさんは言った。
殿下「そなた、美しい勇者になったのぅ……」
勇者「……ありがとうございます」
殿下「まぁ、美しさで言えばアテレシアには及ばぬが」
勇者「そうですね」
勇者さんのお姉さんは美人さんだ。
そういう言いにくいことをズバッと言ってしまうところが第一王女にはあった。
勇者さんはあまり気にしていない。
姉のアテレシアは、同じ人間とは思えないほど有能で少し怖いのだが、見方を変えれば親鳥がひなにエサを与えているようなものだ。ひなは自分、親鳥が姉だ。だから大丈夫。怖くない。
美しいものが好きなわらわさんは、もちろん勇者さんにセットでついてくる五人姉妹を見逃さなかった。
殿下「イベルカ、サルメア、ルチア、ルルイト、コニタ」
姉妹たちの名前である。
上から順に諳んじた王女が近う近うと手招きする。
とくに逆らう理由はなかった。
心なし身体を傾けた姉妹たちの頭を、王女は一人ひとり順番に撫でていく。
殿下「ほほほ……」
この上なくご機嫌が麗しい。
殿下「そなたたちは美しいのぅ。誉めてつかわす」
ちなみにアリアパパは仕事があると言って逃げた。
無為に時間を過ごしているひまはないと判断したのだろう。
正直に言えば、勇者さんも逃げたかった。
この王女と一緒にいると、時間がいかに大切で取り返しのつかないものであるかを思い知らされるかのようだ。
父を見習って急な用事を思い出そうとする勇者さんであったが、成果は芳しくなかった。
思いつかないものは仕方ない。さっさと用件を済ませてしまおうと、こちらから切り出した。
勇者「……殿下。本日はどのようなご用向きでしょうか」
殿下「用がなくては来てはならんのか?」
王女は拗ねたように口を尖らせた。面倒くさいお姫さまだ。
もちろんダメだ、と言えたらどんなに素敵なことだろう。
……いや、ためしに言ってみるか? 勇者さんはそれが名案のように思えてきた。この王女は、用事もなしに他人の家に来てはならないという社会的な常識も知らないと見える。
勇者さんは少し悩んでから、思いきって言ってみた。
勇者「恐れながら、殿下。ダメです」
殿下「なぬっ」
わらわさんは傷付いたような顔をした。
勇者さんは一つ頷いた。満足したのだ。
それにしても、と思う。本当に用件はとくにないらしい。
おそらく退屈だったのだろう。討伐戦争の顛末を当事者の口から聞きに来たと考えるのが妥当か……。
勇者さんは薄く吐息を吐いてから、お姫さまの手を取って部屋の上座に連れて行った。
近衛兵さんたちはあまり良い顔をしなかったが、勇者さんは大貴族の子女だ。
王国の法律は、大貴族が王族の味方であるという前提の上に成り立っている。
つまり王族の近衛兵ですら、大貴族には逆らえないのだ。
勇者さんはわらわさんを無駄に豪華なソファに座らせると、自分もそのとなりに腰掛けた。
勇者「殿下、おひまなのですか?」
核心を突く問い掛けに、わらわさんは目を逸らした。
殿下「ばかにするでない。こう見えて多忙なのじゃ」
勇者「おひまなのですね?」
殿下「……うむ」
わらわさんは認めた。
しかし負けてなるものかと挑戦的な眼差しを勇者さんに向ける。
殿下「しかしアレイシアンよ。そなたも人のことは言えぬのではないか?」
勇者「なんのことでしょう……」
勇者さんはしらばっくれた。
アリア家の人間は自分自身の感情をコントロールすることができる。
嘘発見器は通用しないということだ。
だが王族は、そうしたアリア家の特性をよく知っている。
王国の第一王女はにやりと口元を歪めた。
王女「髪に寝癖が付いておるぞ」
勇者「お戯れを」
王女の誘導尋問を勇者さんは軽くいなした。どこかの子狸と一緒にしてもらっては困る。
勇者「殿下はご冗談がお上手ですのね」
王女「ほほほ……」
対峙する暇人と暇人。穏やかな笑顔の裏で、絡み合った両者の視線が火花を散らし……
✳︎
未来永劫、交わることのない意思が、エルフとドワーフを遠く隔てた。
屋上で腹ばいになり、狙撃銃を構えた親方のひれが引き絞られる。
刹那、両者の隔意がこきゅーとす越しに交錯し……
✳︎
北国在住の名も無きエルフさん(出張中
なぜだ?
どうしてお前たちは央樹に従う?
なにゆえ私たちと異なる道を選んだ……!
南国在住の名も無きドワーフさん(出張中
何度も同じことを言わせるな
乾いていく子供たちを救ってくれたのはお前たちではない
俺たちは央樹についていく
たとえ行き先が地獄だろうとな
北国在住の名も無きエルフさん(出張中
それがわからないと言っている!
あの連中は、まず竜人族で魔法を試した
真っ先に西湖へ法典を落としたのは、竜人たちが魔法に興味を持たないと判断したからだ
たとえ反逆されても問題はないと知っていたからだ!
次にお前たちが選ばれたのは、忠実な兵士を欲したからだ!
連中はやろうと思えば、お前たちを簡単に救うことができた!
なのに、魔法を与えるという迂遠な手段をとったのはなぜだ!?
お前たちは利用されているんだぞ
いい加減に目を覚ませ!
南国在住の名も無きドワーフさん(出張中
俺たちが故郷を捨てざるを得なかったのは、環境汚染が原因だ
自業自得なんだよ
誇りも矜恃も要らん
滅べと言われたなら滅びよう
それが御恩に報いるということだ
俺たちは人間のクズだが……
恩を仇で返すのはゴミだ
クズにはクズなりの生き方がある
お前たちはどうなんだ?
魔法が便利すぎて滅びそうだと?
随分といい身分だな、ええ?
その魔法を与えてくれたのは誰だ?
央樹だ!
彼らの最高傑作がお前たちなんだ!
狂おしいほどに、妬ましいぞ!
王国在住の現実を生きる小人さん
ちょっとちょっと
そこの白いのと黒いの
喧嘩するならよそでやってもらえます?
帝国在住の現実を生きる小人さん
まったくだよ
元はと言えば、同じ水棲生物なんだから仲良くしなさいよ
誰が悪いとか、そんな責任を押し付けあっても仕方ねーだろ……
王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
そう、誰が悪いとかじゃないんだ
✳︎
風を切り裂いて迫る銃弾を、蜘蛛型の精霊が弾いた。
白と黒。
エルフとドワーフのシルエットは遠目に見ると少し似ている。
エルフの長、族長と
ドワーフの長、親方は
まったく同時に詠唱に入った。
族長「イ・ツ・カ・ユ・メ・ミ・タ・ヒ・ヲ・マ・テ・ズ……」
親方「3五桂・8九角・2三香・同角!」
国によって魔法は異なる。魔法が違えば詠唱もまったく別のものになる。
エルフの詠唱はこの上なく完成したものだ。一文字、一文字が意味を持つ。これは、つまり日常会話において誤作動する余地がないほど複雑な魔法であることを意味していた。
一方、ドワーフの詠唱は暗号化されたもので、最低でも二人一組にならなければ作動しない。
召喚魔法の正体は、内と外から同時に干渉することで国境を越える魔法だ。
場所は王都。
白と黒。対照的なカラーリングを施された機動兵器が二機。
にぶい輝きを双眸に灯し、ゆっくりと立ち上がった。
外部スピーカーを通して、親方は最後通牒を突きつけた。
親方『お前とは音楽性が合わないんだ』
様々な国があり、様々な人がいる。
だが、たった一つ共通していることがある。
それは「歌」だ。
音楽性の違いは埋まらない。
決して相容れることはない。
〜fin〜