うっかり降臨編
『魔王』
ハムスターだのマンガン電池だのと散々な言われようの勇者さんであるが、内情を知らない人間たちからしてみれば彼女は死力を尽くして魔王を打ち倒した英雄だ。
講演に招けば動物園のパンダさんみたいな働きを期待できる。
パンダさんとひと味違うのは、入場客の前に出せば、きちんとタイヤにしがみついてごろごろしてくれる点だった。
おめかしした勇者さんが壇上で討伐戦争の珍道中を淡々と話している。
勇者「先を急ぐべきだと頭ではわかっていても、怨霊種に狙われた街をわたしは見捨てては行けませんでした」
ささやかに話を盛っていたが、その場に子狸さんはいないことになっていたから、子狸さんの手柄がスライドして勇者さんの懐に転がり込むのは致し方のないことであった。
勇者さんとてつらいのだ。全ては子狸さんの静かな暮らしを守るためである……。
✳︎
勇者さんの監視の目がなくなると、いつも子狸さんの横にいる王都のひとは途端に活発に動きはじめる。
不幸なすれ違いにより冒険者ギルドが瓦礫の山へと劇的アフターした三日後。
冒険者たちに混ざって日曜大工に励んでいた子狸さんの後ろ足を、素早く走った触手がすくい上げた。
子狸「甘いぞっ。グレイル、切り裂け!」
子狸さんは即応した。その脊髄反射ぶりは、もはやお天道さまの下を歩くのは困難でないかと思えるほどであった。
後ろ足を起点に解き放たれた無形の刃が触手と衝突し激しい火花を散らす。
子狸さんが目を見張った。
子狸「なにっ……!?」
子狸さんの貫通魔法は人間のそれとは少し違う。
刺し貫くのではなく、刺し貫かれる運動を対象に付与する。
簡単に言うと、玉ねぎをみじん切りするのではなく、みじん切りした玉ねぎがこちらですと紹介するようなものだ。
つまり材質の硬度を完全に無視する凶悪な性質を持っている。
そして、それこそが貫通魔法の本当の在るべき姿……「侵食魔法」なのだ。
だが、この侵食魔法も魔物たちにとっては自らの身体を構成する一部位であるに過ぎない。
放たれた刃をあっさりと取り込み吸収した王都のひとが、宙吊りにした子狸さんを自分の上に乗っける。
王都のひとはぽよんぽよんと地面を弾み、現場監督をしているアンソニーさんに愛想を振り撒いた。
王都「アンソニーさん、アンソニーさん」
係員「ああ、もうそんな時間か。助かったよ」
話はすでに通っているようだ。
アンソニーさんはニカッと白い歯を見せて、王都のひとが差し出したスタンプカードに気前良く判子を推した。
子狸「んっ!?」
自分の預かり知らないところで進行している謎の制度に子狸さんが目を剥いた。
凝視してくる子狸さんに構わず、王都のひとはいそいそとスタンプカードを懐にしまった。
子狸「…………」
王都「よし……。順調、順調」
満足そうに頷いた王都ひとが、にゅっと触手を伸ばす。
人前では実力を隠しているが、青いひとたちは万能型の魔物だ。
魔物たちの基本形である彼らが不定形の外殻を獲得したのは、それ相応の理由がある。
はっとした子狸さんが現場で汗水を流している先輩たちに慌てて頭を下げた。
子狸「遊撃手! ポコっス! あざッした!」
冒険者のポジションは九つに分類されており、子狸さんは遊撃手の適性があるという判定を下されていた。
ちなみに「あざッした」とは「ありがとうございました」の略である。
あとを託された冒険者たちが作業を続行しながら「あざ〜ス」とおざなりに手を振った。
魔法使いの子狸さんは様々なポジションをこなせるマルチタレントであったが、だから偉いということにはならない。
隙間産業の冒険者稼業が成り立っているのは、実績と信頼をコツコツと積み上げた先達の働きあってこその話だからだ。
致命傷を負った魔物は光の粒子を撒き散らしながら跡形もなく消滅する。
得られるものなど何もないから、無駄な出費を嫌う権力者たちは魔物の討伐に消極的だ。
持て余した傭兵団に幾ばくかの給金を与え、あやふやな情報を頼りに秘薬の原材料を探しに行かせたら、すっかり忘れた頃に戻ってきた。その手に、しなびた薬草を持って。
薬草は使い物にならなかったし、そもそも必要なかったのだが、生還した彼らの冒険譚は退屈しのぎにぴったりだった。
これが冒険者ギルドのはじまりだ。
冒険者の魂は雑草と共にある。
子狸さんの雑草魂は、冒険者たちのそれと深く響き合い呼応していた。
そのことが、王都のひとにはなんだか悲しい。
ともあれ、小うるさい勇者さんが居ない内に用事を済ませてしまおう……。
どしゅっと打ち出した触手を手頃な屋根に引っ掛けて、懸垂の要領で身体を持ち上げる。
たちまち第一宇宙速度を突破した王都のひとが、子狸さんを乗せて空高く舞い上がった。
野を越え山を越え、
緑「うばーッ!」
ちょっかいを出してきた緑のひとをいなし、
火口「おっと、ここから先は通行止めだぜ……?」
互いに繰り出した触手が幾千、幾万もの火花を散らし、
子狸「開放レベル、10」
燃え上がる子狸さんの魂が、ついには世界の壁を超えた。
開放レベル10とは、魔法を超えた魔法である。
開放レベルという表現が正しいかどうかも危ぶまれる、アルティメット子狸さんだ。
とくに意味もなく究極進化を遂げた子狸さんを、王都のひとはバナナの皮で制して先を急ぐ。
子狸「ぐあ〜!」
うっかりバナナの皮を踏んづけて跳ね上がった子狸さんが、青空に抱かれて静かに微笑んだ。
この世界は、美しい……。
零れた涙は、こんなにもちっぽけな自分が表せる最大の賛辞だったから、流れるままに任せてそっとまぶたを閉ざした。
ゆっくりと目を開いたとき、そこはもう魔王城の謁見の間だった。
子狸「……ん?」
はじめての魔王城訪問であったが、気付けば見知らぬ土地に放り込まれていることがよくある子狸さんの反応は淡白だった。
子狸さんがそうであるように、だいたいの国では魔王が法典を管理している。
この国の魔王とは、すなわち魔族の女王だ。
玉座に腰掛けている女性がそうなのだろう。
まばたきしたら、もうそこに佇んでいた青いのに、魔王さんはぎょっとして席を立った。
魔王「イドさま……!」
イドというのは王都のひとの本名だ。
少し目を離した隙に魔王と面識を持ち、しかも明確な上下関係を構築していた。
慌てて席を譲る魔王さんに、王都のひとはさも当然のように玉座へと這い上がった。
前足を引かれた子狸さんが、いつも通りに王都のひとの横に立つ。
謁見の間には、魔王さんの他に護衛と思しき魔族の戦士が控えていた。
重武装に身を固め、うさんくさそうに王都のひとを見つめている。
不躾な視線を浴びせてくる近衛兵を、王都のひとは無視した。
玉座に深く身を沈め、ひじ置きに触手を垂らしてから、気だるそうに言った。
王都「来てやったぞ」
どうやら魔王さんから是非にと招かれていたようだ。
魔王「ああ、イドさま……!」
いったいどのような手管を用いたものか、魔王さんは王都のひとに心酔している様子だ。
躊躇うことなくひざまずいた彼女に、王都のひとはウザったそうに触手を揺らした。
王都「立て。この城のあるじはお前だ」
魔王「はい!」
魔王さんは言われるがままだ。
沈黙が落ちる。
王都のひとは魔王さんの求めに応じたまでで、とくに用事があって城を訪れたわけではない。
熱に浮かされたように目線をふらふらとさせる魔王さんと、何故か妙に堂々としている子狸さんの目が合った。
魔王「イドさま。そちらの方が……?」
王都「ああ。おれの契約者だ。手出しをすればころす。肝に命じておけ」
魔王「そ、そんな。滅相もありません」
それきり魔王さんはしゅんとして黙り込んでしまった。
脅しが効きすぎたようだ。
これではいつまで経っても話が先に進まない。
仕方なく王都のひとが切り出した。
王都「先触れで伝えた通り……」
魔王「はい!」
魔王さんがぱっと顔を上げた。
何なんだ……。べつに大したことをした覚えがない王都のひとはうんざりしながら続けた。
王都「……おれは、お前たちに何も与えるつもりはないし、力を貸すつもりもない。好きに生き、好きにしね。あるがままに」
王都のひとは魔族の行く末に興味も関心もなかった。
しかし子狸さんは早くも感情移入したようだ。
子狸「いいや、血の色なんて関係ない。ハートだ。感じるだろ……?」
魔王「……?」
近衛「……?」
子狸さんの言わんとしていることが、魔王さんと近衛兵さんはぴんと来なかった。
しかし王都のひとはハートで感じた。
なんとなくニュアンスで言葉の輪郭を大雑把に捉え、ぱっと満面の笑顔で肯く。
王都「そうだねっ」
全面的に同意した王都のひとは、あっさりと前言を撤回した。
王都「……子狸さんがこう言っているので、お前たちには機会を与えてやる」
魔族に興味も関心もなかったから、意地を張って子狸さんに嫌われるリスクを冒す意義を感じることもまたなかった。
王都のひとは言った。
王都「研鑽し、せいぜい励むがいい。しかるべき高みに臨んだなら、そのときは拾い上げてやる」
子狸さんが毎回やらかしている超世界会議には、参加するための条件が幾つかある。
大きなものから細かなもの、ルールは様々であるが……
ざっくりまとめると、強い発言権を持つ列強国に、これ以上放っておくのは得策ではないと思わせればいい。
そうした裏事情の説明を王都のひとは省いた。
自力で気付かねば評価にマイナス査定がつくからだ。
ここで、はじめて近衛兵が口を開いた。
近衛「……しかるべき、とは?」
頭のてっぺんからつま先まで武装しているのでわかりにくいが、近衛兵さんも女性であるらしい。
彼女たちにはいっさい非がないのだが、ドキッ☆男だらけの冒険者ギルドに内心嫌気が差していた王都のひとは、ここに来て女性メンバーが立て続けに登場したことにイラッとした。
紅一点の受付嬢は子狸さんに対して妙に淡白だし、いつも忙しそうにしていて声を掛けるのも憚られる。
イラッとした王都のひとは、近衛兵さんに八つ当たりをすることに決めた。
王都「不服そうだな……?」
彼女は魔王さんに仕える戦士であったから、とつぜん現れて偉そうにする青いのを気に入る道理がなかった。
しかし魔王さんの手前、敵意を剥き出しにするつもりもなかった。
近衛「いいえ、そのようなことは」
王都「おれはな、お前たちがどうなろうと知ったことではないのだ。言いたいことがあるなら、言っておけ。あとになって騒がれても面倒なだけだ」
どのみち徒労に終わるなら、早く済ませるに越したことはないということだ。
そうまで言われては、近衛兵さんもあとには退けなかった。
一理あるとすら思った。
魔族の頂点に君臨する魔王が、このような得体の知れない存在にかしずくなど認められることではなかった。
近衛「では、言わせて頂く。イドどの、わたしはあなたの実力を疑っている。幻視、幻惑を得手とする魔物がまったく居ないわけではないのだ」
王都「いいぞ。力押しばかりではないということだな……。悪くない傾向だ……」
王都のひとは、はじめて魔族に生きる価値を認めた。
魔物がいるなら、それを生み出した人間がいるということだ。
そう、つまり魔王だ。
魔族の正体は人間だ。
魔法の術者たりうる可能性を持った種族は単一であるに越したことはない。複数いても、面倒なだけだからだ。
完全に魔物の側から放たれた王都のひとの言葉に、近衛兵さんは言いようもない嫌悪感を抱いた。
これは、この世にあってはならない存在だ。そう思った。
近衛「一手、ご指南願いたい……」
剣の柄に手を掛けた近衛兵さんに、魔王さんが怜悧な視線を浴びせた。
魔王「イドさまに何をする」
王都「邪魔をするな!」
すかさず王都のひとが怒声を上げた。
びくっとした魔王さんに、王都のひとは一転してにこりと笑うと、彼女の頭を撫でてやった。
王都「ようやく、ここに来たのは無駄ではなかったと思いはじめたところだ……」
近衛兵さんが激昂した。
近衛「わたしの、あるじに、さわるな! 怪物め!」
抜剣した近衛兵さんが、次の瞬間には驚愕した。
手元の剣がこつぜんと消え失せ、鞘に納まっていたからだ。
王都のひとがせせら笑った。
人間をおちょくるのは楽しい。
王都「どうした。掛かって来ないのか?」
近衛「な、何をした……」
何度、繰り返しても同じだ。
王都のひとは種明かしをしてあげた。
王都「ほんの少し速く動いただけだ。ほんの少しな……」
この国の魔物は魔王に従うよう作られているようだが、大陸の魔物は違う。
管理人に従属しなくとも良いと言うなら、法典は魔物に強大な力を与える。
簡単な理屈だ。
好きにやれと言われたなら、魔法を小出しにする必要はまったくない。
ぐっと身を乗り出した王都のひとが、触手を揺らめかせた。
王都「動くな」
そう言って触手の先端を近衛兵さんに突きつける。
従う必要性はまったくなかったのに、彼女は身動きがとれなかった。
王都「ころさないほうが難しいんだ。まったく興味がない人間に対しては、とくに」
高度な魔法環境では、肉体と精神は同列に扱われる。
魔物は魔法そのものだ。
軽く撫でてやろうとした王都のひとであったが、横でぼーっと突っ立っていた子狸さんがふと呟いた。
子狸「春雨れんこん……」
王都「……?」
今度ばかりは何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
子狸さんは王都のひとの触手を、おもむろに前足で器用に掴んだ。
子狸「糸こんにゃくにしては青すぎるぜ……?」
王都「…………」
王都のひとは心ではなく、シチュエーションとアクセントで言葉を感じた。
王都「……おイタが過ぎるぜ、みたいな? なんてなっ。ははっ……」
自信がなかったので冗談めかしたのだが、子狸さんはぽんと前足を打った。
子狸「そう、それ」
王都「嘘だろ……?」
今日の子狸さんは少しおかしい。
どうしたのだろうか……。
いつも通りと言えばいつも通りだが……
いや、いつも通りだ。まったく問題なかった。
王都のひとはよっこいしょと玉座に座り直して、天井を仰いだ。
ため息を一つ。
憂えるように体表が波打った……。
王都「そろそろおでんが恋しい季節ですね……」
〜fin〜