うっかり営業編
森の中を、小さな男の子と女の子が歩いている。
兄妹だろうか。顔立ちはまったく似ていないが、お揃いのリボンで髪を結んでいる。
不安そうにきょろきょろと周囲を見渡している妹さんを、お兄ちゃんが勇気づけるようにしっかりと手を握って先導していた。
妹「お姉ちゃん、もう帰ろうよぉ……」
兄「お兄ちゃんだろ!わたし、じゃない、おれ、男だもんっ」
家庭の事情で女の子の格好をしているが、お姉ちゃんはお兄ちゃんであった。
大陸の子供は、決して街の外には出るなと教えられて育つ。
数え切れないほどの戦力を投入し、魔物たちの勢力圏を切り取ったのが人間たちの街だ。
街を大きな壁で囲い、魔物たちの襲撃におびえながら、人間たちは身を寄せ合って生きていく。
その最たる例が王都だった。
王都は旧魔都である。初代魔王を打ち倒すまで、人間たちに国という概念はなかった。
魔法使いが希少だった時代、村の長を務めていた彼らは、魔法使い同士の潰し合いを徹底して避けていたからだ。
秘術を独占することに成功していた彼らは、魔法使いが後天的な訓練で生まれることを知っていた。
だから村の規模が一定以上に膨れ上がることを嫌い、村民たちを監視下にとどめて、わっはっは、わっはっはと笑いの止まらない毎日を送っていた。
そうした様相が大きく変わったのは、魔物たちの登場によるものだった。
怪獣みたいな魔物もいたので、村長一人ではどうにもならなくなってしまったらしい。
背に腹は変えられぬ。彼らは素早く舵を切り、古代魔法の復活に成功したとうそぶいて連結魔法の普及に努めた。
高い使命感が、彼らに座して待つことを許さなかったのだ。
魔物とのエンカウント率が跳ね上がる大陸の森は、小さな子供が足を踏み入れて良い場所ではない。
専門で伐採を行う木こりですら、その身のこなしは暗殺者のように軽やかだ。
とてとてと危なっかしい足取りで歩く兄妹は、木こりにはなれそうもなかった。
二人が森にいるのは、家のソファでくつろぐ長女みたいなポジションにおさまった青いのが、これ見よがしに触手でいじくり回していた大きな木の実を取り上げたことに端を発する。
魔どんぐりと呼ばれる魔法の果実の一種だ。
以前から学校で「男オンナ」とからかわれていたお兄ちゃんは、英雄志向が強かった。
街の外にしか落ちていない魔法の果実は、子供たちにとっては戦士の証である。
さっそくクラスメイトたちに見せびらかしたところ、年齢にそぐわぬ推理力を発揮した男子たちに自力で取ってきたものではないと瞬時に看破され、売り言葉に買い言葉でこんなことになってしまった。
しかし王都は厚い街壁で囲われており、外部へと通じる街門の付近では変態的な戦闘能力を持つ騎士が監視の目を光らせている。
魔どんぐりを取り上げておいて何だが、お兄ちゃんは家のソファで優雅に紅茶をすすっている青いのに泣きついた。
すると青いのは、さも女装男子の境遇に同情したかのような素振りで、抜け道があることを教えてくれた。
そのとき、青いのは言った。
庭園「ただし条件がある。一人では行くな。最低でも二人……。秘密を守れる、口の固い仲間だ。身内であることが望ましいだろう」
青いのは、言葉巧みにお兄ちゃんの思考を誘導していった。
学校で魔法を習いはじめ、一年ほどで子供たちは簡単な圧縮弾を使えるようになる。
初歩的な投射魔法を習得した子供たちが、腕試しに街の外に抜け出そうとするのは、そう珍しいことではなかった。
そして、そこで手痛い教訓を学ぶことになる。
ついてきて〜とおねだりする妹さんに、青いのは「ふっ。悪いが、ランチの先約がある。お前たちの母親とな」とか言って去って行った。
そして、現在。
まんまと街の外に抜け出したお兄ちゃんは、あまり気乗りではない様子の妹さんを引っ張って森の中をうろついている。
まるでネギを背負ったカモのようだ。
王国「…………」
茂みに潜んだ王国担当の鬼のひとが、舌なめずりをしながら無防備な兄妹を見つめている。
王国『こちらジャスミン。迷える子羊が懺悔室に入った。繰り返す。迷える子羊は懺悔室に入った』
ジャスミンとは、王国のひとのコードネームである。
骨『こちらジョー。迷える子羊が懺悔室に入った。了解した』
骨のひとのコードネームはジョーだ。
応答を終えた鬼のひとが、音もなく森の中を迂回する。
視界の開けたところに出ると、頭の後ろで腕を組んでぶらぶらとしながら鼻歌を口ずさみはじめた。
王国「魔物〜魔物〜おれたち魔物〜」
作詞作曲・魔物たちの「おれたち魔物」だ。
撃って下さいと言わんばかりに脇腹を晒す鬼のひとを、兄妹が発見した。
【魔物と遭遇した!】
【Battle!】
【鬼のひとが現れた!】
【S.D.1stLs.Dino-01-Kingdom】
【鬼のひとはこちらに気付いていない!】
【先制攻撃!】
妹「!」
悲鳴を上げ掛ける妹さんの口を、とっさにお兄ちゃんが手でふさいだ。
もう片方の手を伸ばし、のんびりと歩いている鬼のひとを指差す。
指先がふるえて狙いが定まらないが、構わず叫んだ。
兄「チク・タク・ディグ!」
流れるような、とはとても言えない、つたない詠唱だった。
一語一語しっかりと発声しないとイメージが追いつかないのだろう。
連結魔法の欠点がこれだ。
術者に高い才能を要求しない反面、慣れない内は複数の性質を連結するときバタつく。
しかし地道な努力がきちんと実を結ぶ魔法でもある。
お兄ちゃんの指先から放たれた圧縮弾は二発。
王国「かはぁっ……」
ガラ空きのボディにイイのを貰った鬼のひとが木の葉のように吹き飛び、必要以上に地面を横滑りした。
期待した追撃が来なかったので、鬼のひとは小芝居を混じえながら、ふるえる足でゆっくりと立ち上がる。
王国「ば、ばかな……このおれが一撃だと……?」
しかしダメージは大きかったようだ。両ひざを屈し、ずしゃあっと無駄に格好良く倒れ伏した。
その瞳は、ここには居ない誰かに詫びるかのように宙空へと注がれている。
王国「ふっ。すまない、お前たち。父さんは、これまでようだ……がくっ」
魔物にも家族は居るという演出だったが、兄妹の心にはあまり響かなかったようである。
兄「や、やった……!」
妹「お姉ちゃん、すごーい!」
つい先ほど、お兄ちゃんと呼びなさいとたしなめられた妹さんであったが、長年の習慣はそう簡単には変えられない。興奮していればなおさらだった。
無邪気に喜ぶ二人は、ことさらに残酷というわけではない。
魔物たちは人類の天敵という立場にいる。憎むべき存在であると幼い頃から教えられているのだ。
だから鬼のひとをやっつけたお兄ちゃんは、自分だってやれるんだと大いに自信をつけた。
青いひとたちと鬼のひとたち、下位騎士級と呼ばれる開放レベル1の魔物は、魔法を使えないという設定になっている。
都市級の魔物だけが扱えるとされている「魔力」は、じつは全ての魔物に備わっていて、けれど多くの魔物は外部に放てるほどの量ではないという設定なのだ。
彼らの魔力は、自らの肉体を維持することで消費されている。
レベル1の魔物は、人間たちに自信を植え付け、戦いへと引きずり込むことを目的としている。
戦いとは、つまり底の見えない深みだ。
魔法は強力な戦闘手段になり得る。魔物には通用しないなどと諦観して貰っては困るのだ。
とはいえ、いつまでも調子に乗って貰っても困る。
魔法の開放レベルは上位に進むほど昇格がにぶくなり、退魔性の劣化もこれに準じる。
下級魔法、中級魔法とは比較にならないほど、上級魔法の実入りは良いということだ。
だからいちばん理想的なのは、戦隊級の魔物あたりに範囲殲滅魔法を連発してくれることで。
けれど人間の身体はさほど頑丈にはできていないから、コツコツと安定して小さな契約を勝ち取ってくる営業社員が必要になる。
それがレベル2の魔物だ。
骨「…………」
すっかり強気になったお兄ちゃんが、拾った枝をぶんぶんと振り回しながら意気揚々と森を進んでいる。
先ほどまではおっかなびっくり兄のあとに続いていた妹さんも、案外だらしない魔物にほっとしたようだ。いくぶん軽くなった足取りで、ふだん目にすることはない森の景観を楽しんでいる。
だが、希望は絶望を味付けする気の利いたスパイスでしかない。
かた、かた、かた、かた……
兄妹を待ち受ける骨のひとが、愛くるしい小動物を誘うように下顎を打ち鳴らした。
二人は気付いてくれなかった。
今度はもっと速く。リズミカルに。
カタカタカタカタカタ……
ぎょっとした兄妹が振り向いた。
成功。
少し嬉しくなった骨のひとは、「今回だけだぞ?」といつになく優しい心持ちになって、油を差し忘れたロボットみたいにぎこちない動きでゆっくりと二人に迫る。
【魔物と遭遇した!】
【骨のひとが現れた!】
【S.D.1stLs.Bull-ynjd】
兄妹は盛大な悲鳴を上げてくれた。
骨のひとはますます嬉しくなる。
骨『こちらジョー。ドラゴンに告ぐ。迷える子羊は深く懺悔している。繰り返す。迷える子羊は深く懺悔している』
ドラゴンとは見えるひとのコードネームである。
お前の出番があるかもしれないということだ。
亡霊『こちらドラゴン。迷える子羊は深く懺悔している。了解した』
二人の兄妹は、骨のひとの期待通りに背を向けて逃げ出そうとした。
しかしここでイレギュラーが生じた。
妹さんが動こうとしない。足がふるえて先に進んでくれないようだ。
ぺたりと尻もちをついて座り込んでしまった妹さんを、お兄ちゃんが手を引っ張って立たせようとする。
妹「お姉ちゃぁぁん……」
兄「だ、だいじょうぶ!わ、わたしが……」
残念ながら見えるひとの出番はなさそうだ。
お兄ちゃんは、手に持った枝を骨のひとに投げつけた。
しかし狙いが逸れて、あらぬ方向に飛んでいく。
兄「チク・タク・ディグ!」
妹を守るという強い意思の為せるわざだろう。放たれた圧縮弾は三発。
一発は外れたが、二発は命中した。
ろっ骨と上腕骨が持って行かれる。
兄「やった……!」
喝采を上げるお兄ちゃんだが、しかし骨のひとは戦士御用達の魔物だ。
二十四時間働ける営業社員のように、破損した部位がたちまち復元する。
「うそっ!?」と悲鳴を上げたお兄ちゃんが圧縮弾を連発するが、結果は同じだ。
圧縮弾の開放レベルは1。開放レベル1の魔法では、すっかりその気になった骨のひとは倒せない。
被弾に構わず前進を続ける骨のひとが、ついに手の届く距離まで迫った。
兄「あぁぁああ!」
圧縮弾では倒せないと悟ったお兄ちゃんがぽかぽかと骨のひとを殴る。
女の子みたいに可愛らしい顔が涙でめちゃくちゃだ。
骨「ふふ……」
骨のひとはくすくすと笑った。
骨「ふはははは……」
気分は最高潮だ。
魔物たちの人格の基礎になっているのは、人間の心だ。
だから、大人たちに守られて、将来はきっと楽しいことしかないと信じきっている子供たちを、絶望のふちから突き落としてあげたらどんな顔をするのだろうと気になって仕方ない。
お兄ちゃんは悲鳴を通り越して絶叫している。
骨「ははははは!」
最高にノッてきた骨のひとが、女の子にしか見えない男子児童の瞳を至近距離から覗き込む。笑いが止まらない。
それなのに。
かさりと小さく茂みを揺らして、何か小さな生きものが這い出てきた。
子狸「めっじゅ〜……」
骨「げえっ!?」
子狸さんだ。
骨のひとは洗練されたリアクションで仰け反った。
子狸さんは非難するような眼差しで骨のひとを見つめている。
のこのこと近寄ってきて、ぴょんと妹さんの頭に飛び乗った。
慰めるようにお兄ちゃんの背中をぽんぽんと前足で叩く。
その間、じっと。片時も骨のひとから目線を外そうとしない。
骨のひとは弁解をはじめた。
骨「……いえね、違うんですよ、子狸さん。これには深い事情がありましてですね……」
子狸さんが意外と鋭い牙を剥いた。
子狸「めっじゅ〜!」
問答無用とばかりに、激しい閃光を放つ。
骨「ふわぁ……!」
浄化の光を至近距離からまともに浴びた骨のひとが昇天した。
亡霊「ふわぁ……!」
出番に備えて待機していた見えるひともついでに昇天した。
子狸「めじゅっ……」
困ったものだとしっぽを振る子狸さんを、二人の兄妹は呆然と見つめるばかりであった。
この出来事が、のちの子狸乱獲事件の幕開けである。
〜fin〜