うっかり測定編
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烈火のアインと疾風のレイジ。
戦闘能力においてはトップクラスの冒険者二人が骨のひとと対峙している。
骨のひとは決して大柄な魔物ではない。屈強な戦士と比べれば華奢と言わざるを得ない体躯は、しかし見るものが見れば骨格標本の極致にいることがわかるだろう。
メイスを構える二人の巨漢に、骨のひとはさも愉快そうに下顎を打ち鳴らした。
骨「少しは骨がありそうだ」
骨のひとは、心なし「骨」という単語を強調した。
魔物界随一の業師は、標的を絞ってほんの少し戦意を傾けたに過ぎない。
それなのにダブルアックスの二人は、死地に躍る裂帛を浴びせられたように指先が凍えた。
つい先ほどまで平穏の中にいたのに、意思とは関係なく臓腑までもが戦闘態勢を整えていくかのようだ。
烈火「こ、コイツ、口だけじゃねえ……!」
どう打ち込めばいいのかわからない。これまで築き上げてきた何もかもを忘れてしまったように攻めあぐねる烈火さんに、疾風さんはわざと軽口を叩いた。
疾風「アインちゃ〜ん。そこはハッタリでも口ほどでもないって言うべきじゃないの?」
烈火「ばかっ。……まあ、そうだな。口ほどでもねぇぜ」
疾風「ひゅう。さっすが相棒。言うねぇ」
見え透いたお世辞に、烈火さんの口元がかすかにゆるんだ。過度の緊張状態は脱したようだ。
二人の戦士に、骨のひとが珍しく相好を崩した。
骨「いいコンビだ」
疾風「……そいつはどうも」
今度は疾風さんの口元が引きつる番だった。
相棒にはああ言ったが、コイツは正真正銘の化け物だと胸中で舌を巻く。……これが高位の魔物なのか。参った。まったく勝てる気がしない。相棒を焚きつけたのは失敗だったかもしれない。
だが、ここで退くわけには行かなかった。
負けるとわかっていたから逃げたなどという言い訳が通用するなら、冒険者たちの懐事情はもう少し暖かくなっている筈だ。
骨「いつでもいいぞ」
骨のひとは二人の心の準備が整うのを持つ。
油断、慢心は強者の特権だった。そうでもしなければ、手こずることも難しいからだ。
苦戦を忘れて久しい。この身を剣に例えるなら、なまった刃を叩き直してくれる相手は限られる。
その手に持つ魔火の剣が赤々と燃えている。
ダブルアックスの二人は、魔剣の切れ味を過小評価する気にはなれなかった。
滴り落ちる汗がひどく冷たい。
一方、歩くひとは退屈そうだった。
骨のひとが負けるとは思えなかったし、他者の戦闘に関心を持てるほど向上心があるほうではなかったからだ。
強力な魔物は生まれつき強い。ごく一部の例外を除けば、それが魔物の真理だった。
目が合っただけで相手を戦闘不能に追いやる蛇さんとか、ひと鳴きで周囲一帯を更地にできる魔ひよこが味方にいるのだ。危機感を抱けと言うほうが無理である。
小さく欠伸を漏らした歩くひとが、手頃な椅子を引き寄せてだらしなく座る。
カウンターに頬杖を突いて傍らの受付嬢に目をやると、彼女は何かを言いたげな顔をしていた。
受付嬢さんは自分でもどうかと思うほど細かいことが気になる性分で、歩くひとがあまりにも無頓着なものだから、そんなふうに座っては服にしわが寄ってしまうのではないかと心配だったのだ。
軽快な装いは夜で染め上げたかのように黒い。冒険者になる女性はいないが、もしも居たらこんな格好かもしれないと思った。
我関せずの王都のひとがカタログをめくりながらぼそりと呟いた。
王都『悲報。冒険者は男しかいない』
子狸さんはぬいぐるみみたいに椅子でぐったりしている。
その声はか細い。絶望の中に一縷の希望を見出すかのようだ。
子狸『いいや、男装した女子がいないとは言い切れない筈だ……』
すかさず歩くひとがツッコんだ。
しかばね『やめろよ。それ、おれとキャラがかぶってんじゃねーか』
歩くひとは人前ではボクっ娘という猫をかぶっているが、ふだんの一人称は「おれ」である。
これは魔物たちの人格の基礎になった人物が男性だったことによる。
魔物たちに性別という概念はない。
ただし、その基礎になったという人物が適当なことしか言わなかったので、生後間もなく反抗期に突入した魔物たちは「どちらかと問われれば自分たちは女性である」と考えている。より正確に言えば「男ではない」と答える。
それでも一人称を正そうとしないのは、彼らなりに思うところがあるのだろう。
魔法に自我を植え付け、魔物たちを生み出したのは、子狸さんのご先祖さまだ。
もちろん子狸さんのご先祖さまは木の股から生まれたわけではないので、その人物を魔物たちは「初代」ではなく「開祖」と呼ぶ。
そして、開祖が住んでいた村の名称を……「バウマフ村」と言うのだ。
バウマフ村は、ぽこっと生まれた魔物たちを開祖が連れ帰ったことで滅びた。
秘策があると言うから任せたのに、二十四つ子が生まれたとか適当なことを言うから、村民たちに逃げられたのである。
開祖について愚痴りはじめると、魔物たちは止まらない。
海底『あれで魔法使いとしちゃあ上等な部類だったからな……。信じられねー』
かまくら『ちょっと巫女さんと似たタイプだよな』
火口『そうか?……いや、似てねーと思うぞ』
かまくら『……なんでお前はそうやって地味に巫女さんの肩を持とうとするの?』
火口『お前、ここんトコちょっと調子に乗ってるよな。もう言うわ。木のひとを利用してキャラクター付けするのはずるいだろ』
かまくら『利用してません。おれたち、仲良しですから。ねー?』
木『おう。かまくらのひとは、来る日も来る日もおれの苗木に水を撒いてくれたからな。これはもう友情だろ』
緑『おっ、おれだってお前が無事に戻ってくるよう毎日お祈りしてたよ!』
木『嘘つけ!お前、土属性担当は嫌だとか駄々こねてたじゃねーか!』
魔物たちは担当する属性でもめたことがある。
緑『え!?いや、だって、お前べつに土属性じゃないでしょ!?』
木『じゃあおれは何属性なんだよ!氷か!?氷っ……氷ってお前……凍った水じゃねーか……』
大『おい。おれに謝れ。この魔属性担当の巨人兵さんにな』
魔物しか扱えないとされる発電魔法の別名を魔属性と言う。
事あるごとに都市級が必殺技みたいに使ってきた属性なので、大陸ではとても評判が悪い。
王都『いいじゃん、魔属性。お前にはお似合いだよ』
大『あ?』
守護と殲滅、相反する性質を持つ王都のひとと巨人兵さんは仲が悪い。
むしろ仲が悪いから相反する性質になったとも言える。
ひよこ『やめろ!なんでお前らはそう口を開けば相手の悪口ばっかり言うんだ!ギスギスするの禁止!』
空のひとは魔物たちの良心的な存在である。
蛇『猫さんの言う通りだぞ、お前ら』
蛇のひとは空のひとの人気にあやかりたい。
妖精『……相変わらず気持ち悪い関係だな、こいつら』
羽のひとは自分を差し置いて歩み寄りを見せる二人が気に入らない。
馬『まあまあ、抑えて、抑えて。仲良きことは美しきかな、ってね』
魔王軍最強の戦士は意外と平和主義者だ。
しかばね『お前らうるさいよ!これっぽっちも関係ねぇーことを、ぐだぐだぐだぐだ……!』
子狸『……愛……』
しかばね『ほらー!もー!』
歩くひとは子狸さんがおとなしくしている内に話を先に進めるつもりだったのに、それすらままならないのかと頭を抱えた。
一方、勇者さんは、女性の冒険者はいないと聞いた子狸さんの反応が気になっている。
勇者『やっぱり女の子と一緒のほうが嬉しいの?』
どうもこの子狸、たくましい男に憧れているふしがある。
正直なところ、この国で子狸の理想とするパーティーを組まれると、勇者さんとしては面白くない。
勇者『……あの程度のチンピラ、わたしなら即座に串刺しにできるわ』
聖剣は反則的な武器である。
同時に十本くらい生やすこともできるし、それらを遠隔操作することまで可能だ。
自分のほうが強い。
勇者さんはそう思っている。
それは聖剣が凄いのであって、勇者さん本人の力とは言えないかもしれない。
けれど……
勇者さんはついに言った。
勇者『しかも美少女』
……。
魔物たちが沈黙した。
やはり、と思った。
やはり勇者さんは、自分のことを美少女だと思っていたのだ。
いや、それ自体は構わない。じっさいにそうだろう。
子狸さんも言っていた。勇者さんのことを、ちょっと可愛い女の子だと。
それはいい。
しかし、だからと言って、自分で言ってしまうのはどうなのだろうか。
まじまじと勇者さんのアバターを見つめている歩くひとの手のひらで、アザラシの置き物が軋むような音を立てた。
しかばね「……え?」
ぎしぎしと
台座の上で
身体の向きを変えたアザラシが
ぴたりと
動きを止める。
つぶらな瞳が、子狸さんの肩の上で硬直している勇者さんを見つめている気がした。
ぱくぱくと、口がゆっくりと開閉している。
オルゴールみたいに流れた声は途切れ度切れで、遠い異国の言葉のようだった。
ただ、はっきりと聞き取れたのは、
「クレアボヤンス」
と、そう言った。
なんだ、これは、と歩くひとが受付嬢を見る。
受付嬢は、すべてを悟ったように悲しげな目をしていて……
受付嬢「ああ、故障ですね。たまにあるんです」
魔力測定器は、欠陥品だった。
〜fin〜