うっかり要求編
『スタイル』
ばうまふベーカリーの新たな試み、根を張るパンが鮮烈なデビューを果たした数日後の出来事である。
その日、バウマフ家の居候にして爆破魔の異名を持つ国際指名手配犯、豊穣の巫女ことユニ・クマーは、いつも通りの朝を過ごしていた。
薄暗い洞窟の中、すやすやと寝入っていた巫女さんが、ぱっと目を覚ます。
朝には強いほうだ。日が沈むと共に寝て、日が昇ると共に起床する生活を長年続けてきたためである。
現在、彼女は居候の身ではあるが、環境保護団体の長としてのプライドまで捨て去った覚えはなかった。
巫女さんが寝起きしている洞窟は、バウマフ家の地下を掘り進めて作った居住空間である。
彼女は土魔法という特殊な属性を使える魔法使いであったから、土を掘って巣穴を作るのはお手のもの。
細かいディテールに凝ったため二、三日は掛けたが、穴を掘るだけなら一時間もあれば済む作業だ。
巫女ハウスを彩る数々の家具は、父狸ことお屋形さまが持ち込んだものである。学生時代の友人に頼んで内緒で作ってもらったものらしい。
もちろん魔法でパパッと作ることも可能なのだろうが、家具は手作りが基本である。何故なら治癒魔法一発で消滅するからだ。
他の国ならともかく、大陸の治癒魔法は生物と物体を区別しない。死者ですらそうだ。死者は怪我人の延長上でしかないと、そのように治癒魔法は考える。ただし治癒魔法さんの適用範囲は魔法による結果のみと限られており、転んで怪我をした場合などは知らんぷりをする。
母狸さんもそうなのだが、日々を家事に勤しむ主婦たちは、料理に洗濯、掃除にと魔法を最大限に活用する。
生活に密着した魔法というのは、じつのところ大陸魔法(連結魔法とも言う)の正しい在り方の一つでもある。
連結魔法の基礎を築き上げたのは魔物たちであり、彼らが魔法を改造したのは、実の母のように慕う一人の女性が少しでもラクになるようにと考えてのことだった。
連結魔法は魔物を生み出す魔法であるが、本質とは少し離れたところに、しかしはっきりと、生活に役立つ魔法という側面を持つ。
だから魔法は、こと家事となると少し張り切る。
そして、ご家庭の奥さんたちがあれもこれもと気もそぞろに魔法を使いはじめると、温度差とでも言うべきものが両者の間に生じ……
イメージの落差から、家丸ごとクッキングという事態に発展することがある。
治癒魔法の出番は意外と多く、少なくとも保険にはなるということだ。
燃え盛る家の中、冷静に感染経路を絞り標的を指定できる魔法使いは多くない。
そうした事情もあり、巫女さんは洞窟の中に住みながらも文化的な生活を送っている。
彼女は文明社会の破壊を最終目標に掲げているが、なにも原始時代の暮らしに戻れと言っているわけではない。
彼女が本当に恐れているのは、人類が有史以来ひたすらに追求してきた「快適な暮らし」には果てがないということだ。
そして、それこそが人間と魔物を隔てる最大の要因なのではないかと考えている。
きっと人間は、どこかで立ち止まるべきなのだ。
学校で、そうすることが自然であるかのように競い合っているクラスメイトたちを目にしたとき、もっと小さな頃は違ったのになと思ったとき、百年に一人の逸材ともてはやされたとき、クラスメイトたちを見下している自分を自覚したとき、巫女さんの中で何かが崩れた。
気付けば彼女は豊穣属性に取り憑かれていて、自分が自分ではないような気がして、ここに住んでいてはいけないのだと、家出をした。
けれど、すぐに両親に怒られるのが怖くなって、家をなくしてしまったら、ますます怖くなって、帰り道がわからなくなってしまった。
それ以来、巫女さんは自らの行いが正しかったと証明するために世界をめぐり歩いている。
たったそれだけのことなのに、たまたま自分を否定する材料が見つからなくて。
……けれど自然はどうしようもなく美しかった。
いつしか彼女は、豊穣の巫女と呼ばれるようになっていた。
なお、破壊活動の片棒を担いでいた子狸さんは巫女さんの右腕であると目されているもよう。
なんかイイ感じの話をすると、のこのことついて来てくれるので便利なのだ。
掛け布団を跳ね除けてベッドから降りた巫女さんが、大きく伸びをする。
魔法使いは身体が資本だ。複数の魔法を器用に操って片手間に身だしなみを整えながら、簡単な身体測定を実施する。
目には見えない生活家電を標準装備している魔法使いにとっての大敵とは、すなわち肥満である。
お腹まわりの仁義なき戦線に異常が見られないことを確認した巫女さんは、袖広のゆったりとした服を頭からすっぽりとかぶる。
正式な巫女服とは意匠が大きく異なるのだが、もうこの際だ、袖さえ広ければあとはどうでもいい。
居候生活の当初は一張羅を毎日きちんと洗濯して着ていたのだが、とある子狸に「お前、いつも同じ服着てんね」とか言われてイラッとしたので、ちょっと妥協したのだ。
指先がやっと覗いて見えるくらい長い袖は、巫女さんのシンボル、譲れない一線である。
はっきり言って邪魔なのだが、志を同じくする幹部たちが「同志よ、あなたには神秘的なアレが足りない」とかこれまたイラッとすることを言ってきたので、それならばと一念発起して生活感をなくすべく考案したものなのだ。
お望み通り生活感を払拭することには成功したが、予想を裏切ることなく生活力も低下した。
この無駄に長い袖は巫女さんの意地だ。
たとえお洒落に目覚めようとも、意地は曲げられない。
だが、もしも同い年くらいの同志で「わたし、お洒落とか興味ないんですよ」とか言っていた子が再会したら垢抜けていた……なんてことが起きた日には曲げるやもしれぬ、この意地を。
いや、どうすっかな〜……曲げたら負けだろ常識的に考えて……などと考えながら、巫女さんは巣穴をあとにする。
巫女ハウスの出入り口は、騎士のガサ入れを想定して目立たないところにひっそりと設置してある。
ひとつ屋根の下に暮らす子狸がたまにこちらのヤサを突き止めようとしてくるのが難点だが、今のところ特定には至っていないようだ。
しかし出入りしている現場を何度か目撃されているのも否定しきれない事実。開閉式になっている蓋をゆっくりと持ち上げ、慎重に周囲の様子を窺う。
目撃者がいないことを確認した巫女さんは、獲物に忍び寄るワニさんのように階段手前の廊下へと這い出た。
訳あって着のみ着のままバウマフさん家に転がり込んだ巫女さんは、家賃も食費も免除されている。
さすがにそれでは逆に恐縮してしまうということで、母狸さんのお手伝いを申し出たのが居候生活二日目の出来事であった。
王都に置いて行かれる前は森の中でハンモックに揺られる日々を送っていた巫女さんは、大雑把ではあるがひと通りの家事もこなせる。
しかし大切なのは、母狸さんの助手に徹することだ。
母狸さんには母狸さんなりの哲学があり、よその子が踏み入ってはならない領分もあるだろう。
おおらかな母狸さんは、あまり気にしていないようだが……
それは、もしかしたら巫女さんの立ち回りがうまく行った結果かもしれないし、そうではないかもしれない。母狸さんは、よくわからないひとだ。
しかし詮索はすまい。
かように意外と気を遣っている巫女さんであったが……
この日の居間には、朝っぱらから我がもの顔でくつろぐ勇者がいた。
巫女「なんとぉ……」
思わずうめき声を漏らした巫女さんに、勇者さんが人間味を感じさせない動作で振り向いた。
彼女の仕草には、人間ならば誰しもが成長と共に習得していく手抜きの部分がない。
小さな子供が年齢不相応な落ち着きを備えたらこんな感じになるだろうと思わせる動きだ。
なまじ身近で接していると色眼鏡越しに見てしまうから、そのせいかもしれない。気品がある、と言われれば、そんな気もするし。
母狸さんは朝餉の支度をしているようだ。台所のほうから、ぽんぽんと喚声が弾んでいる。
勇者さんが言った。
勇者「おはよう」
巫女「……うん、おはようだね」
何気ない朝の遣り取りですら、きちんと挨拶しなさいと教えられた低学年の子が律儀に教えを守っているかのようだ。
変な貴族である。
勇者さんは言葉少なに命じた。
勇者「座りなさい」
巫女「はあ……」
巫女さんはちらちらと台所を気にしながら、あいまいに頷いて従った。
いったいこの勇者は何をしに来たのだろうか……。
巫女さんは斜め前の席に腰掛けている勇者さんの動向を把握できずにいる。
(ふつう、こんな朝早くからアポなしで訪問するかね……?)
いや、案外、気を遣ったのかもしれない。巫女さんは思い直した。
彼女は貴族で、しかも勇者だ。人目につく時間帯を避けたのと、非公式な朝ごはん突撃であるという意思表示かもしれない。
そのように首を傾げたまま好意的な解釈をしていると、勇者さんも首を傾げた。
勇者「?」
巫女「子供か!」
勇者「そうね。大人ではないわ」
反射的にツッコんだ巫女さんだが、真面目に返されて言葉を失う。
勇者さんはじっと巫女さんを見つめている。
勇者「あなたにお願いがあるの」
巫女「え〜?なんか嫌な予感がするなぁ……」
勇者直々のご指名に巫女さんは気乗りしない様子で項垂れた。
巫女「なに〜?とりあえず話だけ聞かせて頂戴な」
ぐったりする巫女さんに、勇者さんは頷いた。
勇者「わたしに魔法を教えてほしい」
勇者さんが王立学校に転入することは、このときすでにアリア家の内々では決定事項だった。
ただ根回しはこれからという段階であったため、半年近くの猶予はある。
よって、その間に勇者さんは魔法を習得し「魔法なんて使ったことなかったけど、少し練習したら使えた」というささやかな計画を立てたのである。
巫女さんは史上屈指の資質を持った魔法使いだ。
勇者さんは、彼女の輝かしいまでの才能にあやかりたかった。
勇者「あなた、わたしと一緒に旅をしていたことになってるでしょ。だから、あなたに習っておいたほうが矛盾しないと思ったの」
巫女「それ、わたしにいったい何のトクがあるんだろうか……?」
巫女さんはあまり名声に興味がない。
勇者一行の一員というネームバリューは同志の勧誘に役立つかもしれないが、彼女のアリバイには王種と一緒にいたという致命的な瑕疵があった。
巫女「それにさ〜。リシアちゃんにはアレがあるじゃん、アレ。聖剣。魔法とか要らなくねー?つうか、剣術使いが魔法使ってどうすんのさ〜」
テーブルに両腕を投げ出してごろごろする巫女さんに、勇者さんははたと思い至った。
勇者「あなたには話していなかったわね。わたしの退魔性は、もうダメなの。……魔物たちと、戦いすぎたから」
魔法を意識的に使わないことで退魔性の劣化を極限まで抑え、生まれ持った肉体を武器とする人間を「剣術使い」と言う。
その高い退魔性ゆえに、剣術使いは魔法に対して強い耐性を持つ。
相手が低位の魔物なら、触れただけで致命傷を与えることもできる。
しかし今や勇者さんの退魔性は、かつての面影を思い出すのが難しいほどだらしなくなっていた。
巫女「えっ」
巫女さんはびっくりして目を丸くした。
なけなしの良心を振りしぼって口に出さなかったが、退魔性を失った剣士ほどみじめな存在がこの世にあるだろうかと思ったのだ。
ほとんど幼児ではないかと。いや、もっとひどい。幼児には未来がある。
しかし巫女さんの反応を、勇者さんは良いふうに受け止めた。
勇者「気にしないで。わたしは、わたしの為すべきことを成した。それだけのことだから……」
勇者さんの耳がぴんと立ち、強い関心を示すように巫女さんのほうに向いている。
巫女「お、おう」
巫女さんは頷くことしかできなかった。
その芳しくない反応に、勇者さんはとうとつに我慢する必要はないのだと悟った。
勇者「尊敬してくれても構わないわ」
この勇者はもうダメかもしれない……。
巫女さんは訳もなく悲しくなった。
そして、同時にこうも思った。
魔法くらいは教えてやるか、と……。
大切なのは、見守ってあげることだ。
ひとは、一人では生きていけない。
見守ってくれるひとが、いなくては。
子狸「…………」
〜fin〜