うっかり襲撃編
『見知らぬ、魔力測定器』
アリア家。
王国の大貴族であり、武門の棟梁とさえ言われる剣士の一族である。
アリア家に代々伝わる「感情制御」の異能は、他者の心を操る力を持つ。
射程距離を代償にして得た精密性は他の異能とは比較にならないほど高く、餌場となる宿主の精神を強力な念力でカバーしている。
アリア家の感情制御は、人為的に天才を生み出す異能だ。
それは副作用のようなものだったが、感情制御に寄生されたアリア家の人間が大陸の戦史に多くの名を刻んだことは疑いようのない事実であった。
そんなアリア家の血を引く勇者さんが、部屋でごろごろしながら携帯ゲーム機をぴこぴこといじっている。
勇者さんの寝室は広い。まるで無駄に広い敷地面積を持て余したかのようだ。
勇者さんがごろごろしているベッドは、遊びに来た魔物が「お姫さまかよ」とか言って吹き出した天蓋付きのものである。なお、アリア家の令嬢である勇者さんはべつに「お姫さま」と呼ばれても何らおかしくない。
足元の絨毯はふかふかで、無断で部屋に潜入していた魔物が仰向けに寝転がって「おれもうここに住むわ」とまで言わしめた逸品である。豪華な部屋だが、住んでいる人間の顔が見えないとか微妙にイラつく講評を下して帰って行ったが。
アリア家は大貴族だ。
大貴族とは他の貴族(小貴族とも言う)を統括する立場にある人間であり、小貴族はあらゆる面で大貴族を上回ってはいけないという面倒くさい暗黙の了解がある。
だから大貴族のアリア家が質素な暮らしをはじめると、小貴族たちは勝手に空気を読んで「いや、ウチなんか昨日の晩ごはん麦飯一杯だけでしたよ。質素な暮らし、最高」とか言い出しかねない。今にも倒れそうなほど痩せ衰えた小貴族たちが精いっぱいの笑顔を浮かべておもてなしをする光景は悲しいものだ。
嫉妬、忠誠、保身、憎悪、義理、野心、それら様々な感情がない交ぜになった一種異様な結びつきが大貴族と小貴族の間にはある。
勇者さんが無駄に贅沢な暮らしをしているのは、そうした事情によるものだ。
そこに勇者さんの趣味、嗜好が反映される余地はない。
ベッドの上でごろごろしていた勇者さんが、うつ伏せになって枕をお腹に抱えた姿勢に落ちつく。ラクな体勢を試行錯誤していたらしい。
勇者さんの長い髪が絡まないよう横から手出ししていた五人姉妹の五女が言った。
五女「アレイシアンさま、それ面白い?」
アリア家の狐と呼ばれることもある五人姉妹は、勇者さんのお父さんが他国から拾ってきた異能者集団だ。
寝ることと食べることを至高の命題に掲げる彼女たちをアリアパパは家から追い出そうとしたのだが、それならば自分に預けて欲しいと願い出たのが幼い頃の勇者さんであった。
それ以来、勇者さんと五人姉妹はずっと一緒にいる。
自分が面倒を見ると豪語した勇者さんであったが、彼女はお世辞にも優秀な教師とは言い難かった。
アリア家の人間は自分自身の感情を制御する異能を持ち、その力を彼らは「自分の肉体を完全に支配下に置く」という方向に発展させてきた。
記憶力の強化はその成果の一つだ。
だから勇者さんは、一度目にしたもの、耳にしたことを忘れない。
けれど五人姉妹はそうではなかったし、勇者さんの直属の部下である彼女たちはアリア家において盤石の地位を確固たるものとしていた。
勇者さんは彼女たちを甘やかしたつもりはなかったが、それは本当に「つもり」でしかなかったのである……。
ベッドの上で四つん這いになった五女が、携帯ゲーム機のディスプレイを覗き込む。
ディスプレイの中では、険しい表情の子狸さんがアンソニーさんと相対している。
五女「おぉ……」
いたく興味を惹かれた様子だ。わななく両手が、はっきりと強い好奇心を示している。
手渡したのか、それとも奪われたのか、あいまいな仕草で子狸コントローラーは五女の手に収まった。
勇者「もう……。すぐに返しなさい。いいわね?」
勇者さんは困ったように言ったが、こくりと頷く五女を見つめる表情が言葉とは裏腹に優しかった。
勇者さんが身を起こすと、ベッドの上で猫みたいに丸くなっていた山腹のひとが這って近付いてくる。
ひざの上で丸くなった山腹のひとの背中(?)を撫でていると、五人姉妹の長女と次女が勇者さんのとなりを陣取った。
勇者さんはくてっと首を倒して、甘えるように長女の肩に頭を預けた。
勇者さんは思った。
自分が魔王軍に戦いを挑んだのは、きっとこの暮らしを守りたかったからだ。
幸せというのは、たぶんこういう感覚を言うのだろう……。
一方、五女は子狸コントローラーに夢中だ。
4つのボタンと十字キー。それらとは別に独立したコントロールレバーがついている。魔物たちが絶対に触るなと言っていたレバーだが、五女はその忠告を無視した。
彼女は熟達したゲーマーのようにコマンドを入力し、強パンチボタンを押し込んだ。
五女「とんだ」
ぽつりと呟かれた声は幼さを色濃く残していて、寝室に差し込む柔らかな陽光は幸せの色をしていた。
勇者さんは心地良さそうに瞳を閉じる。優しさに包み込まれて、まどろみに溶けていくかのようだ。
*
窓から差し込む日の光だけが暖かい。
遠い異国の地で、子狸さんは苦境に立たされていた。
冒険者という未知の概念が、子狸さんをどこまでも責め立てるかのようだ。
遠ざかっていく数々の思い出が、志半ばにして倒れた戦友たちが、屈してはならないと叫んでいる。
紅蓮の炎に彩られた戦場が子狸さんの故郷だ。
世界は理不尽に満ちている。
納得できない
納得できない――
この世はままならないことが多すぎる。
子狸さんにとっては、いつも。
アンソニーさんは説明をしている。
――何を?
それすら、今の子狸さんにはわからない。
指し示された親指と人差し指が、人生の岐路を物語るかのようだ。
アンソニーさんは重要な選択肢を突きつけるように言った。
係員「冒険者の仕事は大きく分けて二つ。緊急性が高い仕事と、そうではない仕事だ。この二つをクエストと言う」
緊急性が高い仕事は、期限に余裕がなく、失敗が許されないクエストだ。
必然的に難易度は高くなるが、そのぶん実入りは良い。
冒険者ギルドのおもな収入源になっているのがこちらだ。
係員「緊急クエストは、われわれギルドのほうで適任と判断した冒険者を指名することになる。判断材料となる要素は色々とあり、一概にこれと言い切ることは難しい」
そう言ってアンソニーさんは親指を折り畳んだ。
係員「しかし判断材料は多いに越したことはない。冒険者には、常にアピールの場が用意されている。それが緊急性の低いクエストだ。こちらは任意で受けるクエストを選ぶことができる」
人には得手、不得手がある。
冒険者は自分に何が出来るのか、クエストを通してギルドにアピールしていくことになる。
ギルド側としては、クエストの難易度に応じた冒険者を派遣するのが理想だ。
Eランク相当のクエストにCランクの冒険者を派遣していて、Cランク相当の依頼を逃したという事態は避けたい。
人差し指を折り畳んだアンソニーさんに、子狸さんは静かに頷く。
食材には旬の季節というものがある。これくらいなら問題ない。
説明というから身構えてしまったが、なんのことはない。森の暮らしと同じだ。
内心、胸を撫で下ろした子狸さんであったが……
係員「だが」
悪戯っぽく笑ったアンソニーさんが、ぴんと小指を立てた。
子狸「!?」
係員「中には、秘匿性の高いクエストというものも存在する。これを非公開クエストと言う。例外的なケース……依頼人にも様々な事情があるということだね。覚えておいてくれ」
秘匿性と緊急性は必ずしも一致しない。
駆け出しの冒険者に緊急クエストは無縁であるが、依頼の条件次第では非公開クエストを受ける機会はあるだろう。
とくに名が売れていない、通り掛かりの旅人を装えるというのは、見方を変えれば強力な武器になる。
駆け出しの冒険者にとっても非公開クエストは他人事ではないのだ。
依頼人にも様々な事情がある。彼らも日々を生きる人間なのだ。その意識を常に忘れないでほしい。
それゆえの少し意地悪な説明の仕方であったが――
子狸「…………」
子狸さんは透明な眼差しをしている。
無垢な赤子のような瞳だ。
小声で勇者さんのアバターに声を掛ける。
子狸「お嬢。……お嬢?」
勇者さんの様子がおかしい。
妖精さんの代理と言うだけあってシャドーに余念がない。
弱パンチ弱パンチ弱キック。左右のコンビネーションブローからのロー。3コンボ。
仮想敵がひるんだのかもしれない。ぐっと上体を沈めた勇者さんが、前足を突き上げると共に渾身の跳躍を見せた。
子狸「おぉ……!」
闘気を纏いし前足が大気を切り裂くかのようだ。
高々と飛び上がった勇者さんに子狸さんは目を見張る。
……アバターの不具合かもしれない。
この土壇場で子狸さんは勇者さんの補佐を失った。
王都のひとは? ちらりと視線を横にスライドする。
王都「ふむふむ」
王都のひとは携帯タブレットに目を通している。
この国のカタログだろう。エルフの族長から手渡されたものだ。
魔法を使えば情報収集は一瞬で済むが、それが改ざんされたものではないという保証はない。
王都のひとは、より多くの情報を欲している。真偽の分け隔てなく。秘匿された情報から、その背景が見えてくることもある。
タブレット画面を触手でフリックしている王都のひとの表情は真剣そのものだ。
王都「くっ、残機が……」
苦渋がにじんだ声に、子狸さんははっとした。
王都のひとは、強力なサポートを必要としているのではないか?
それは、つまり自分がまだ未熟であることを意味していた。
いつまでも王都のひとに頼っていては駄目だ。
子狸さんは決意した。
この小さなポンポコには夢がある。魔物たちと人間たちが仲良く暮らせる世界。そのためには……
(おれは、もっと強くなりたい。魔物たちを守れるくらい)
守ってばかりでは勝てない。先手を取らねば。
先手必勝という言葉もある。いかなる状況、いかなる劣勢にあっても、先手さえ取っておけば間違いはないということだ。
(――攻めるんだ)
子狸さんは素早く視線を左右に走らせた。
迷いはある。自分一人に何が出来るだろうという迷いだ。
たった一人の力はちっぽけで……
仲間と協力し合うことがどんなに大切なことか、子狸さんは勇者さんから学んだつもりだ。
どうしたらいい?
きっかけが欲しい。
どんなに小さなものでもいい。反撃に転じる糸口を子狸さんは欲している。
勇者さんの声が聴こえたのは、そんなときだった。
勇者『これまでの話を総合すると……冒険者というのは民間の騎士団みたいなものなのかしら』
しれっと復帰した勇者さんが、悩ましげに小さな前足を組んでいる。
子狸さんの巣穴がある大陸には、厄介事はぜんぶ騎士団に押しつけてしまうという悪しき習慣があった。
一歩でも街の外に足を踏み出せば、そこはもう魔物たちのフィールドだったから、生まれ育った街で生涯を終えるという人間も珍しくはない。
勇者さんの声に、子狸さんは勇気づけられる。
彼女は勇者だ。彼女が勇者だ。
勇者さんと一緒に旅をしていたとき、子狸さんは彼女の後ろに美しい未来が見える気がした。
立派に成長した勇者さんが、誰かに手を差し伸べる姿だ。
崩れていく塔の中、零れる涙を拭ってあげたいと思った。
子狸さんは胸中で呟いた。もう迷いはなかった。
子狸『十中八九は。ただ、一つ気掛かりなことがあるんだ……』
勇者『また余計なこと考えてる。それがダメなんだって何度わたしに言わせるの?』
勇者さんは子狸を諌めながら思考を進める。
この小さなアバターでは物理的な手段に訴えることが難しい。子狸の意思を尊重するこのシステムでは、どうしても限界が生じる。
だから考える。
自分たちの大陸で、魔物たちの相手を民間に委ねることができなかったのは、専門の訓練を受けた人間でなくては太刀打ちできなかったからだ。
比較的、安全とされる街道ですら鬼のひとたちに監視されている。
街道を外れて森に踏み入ったら青いひとたちに狙撃される。
それらを遣り過ごして森を進むと、今度は見えるひとが出てくる。
見えるひとを排除すると、次は歩くひとと骨のひとを連れてくる。大体はここで詰む。
しかしそれすら突破すると、子供同士の喧嘩に親御さんがしゃしゃり出てくるように巨大な魔物と遭遇するという仕組みになっている。
獣人種、戦隊級とも呼ばれる巨獣だ。体長は十メートルを優に上回り、全速力で逃げる人間に一歩か二歩で簡単に追いつく。
獣人種の開放レベルは3。頼みの綱の魔法ですら、彼らは人間の上を行く。
戦隊級を撃破するとどうなるのか。おそらくは都市級が出てくるのだろう。
その都市級ですら束になっても敵わないと言わしめるのが王種だ。
大陸の人間は、世界地図を埋める作業に国家滅亡の危機を冒す価値を見出さなかった。
だが、この国の人間はそうではないようだ。
もしかしたらこの国の魔物は良心的な設定になっているのかもしれない。
人間でもがんばればどうにかできる範囲内に収まっているなら、民間の騎士団というのはあり得る。ようは需要と供給の問題だ。
勇者さんはそう考えた。
しかし子狸さんは慎重だった。
気掛かりなのは、冒険者たちが武装していることだ。
大陸の騎士は武器を持たない。持っていても邪魔にしかならないからだ。
では、勇者さんが民間の騎士団と評した冒険者たちが武器を持ち歩いているのは何故だ?
そこに子狸さんは突破口を見出した。
あれはコスプレなのではないか――?
今、大陸は歴史の岐路にある。様々な人種が非正規なルートから上陸を果たし、未知の概念を持ち寄りつつある。コスプレはその一つだ。
もしも子狸さんに誤算があるとすれば、それはここが大陸ではなかったことくらいだろう。
子狸さんは正面に座るアンソニーさんをじっと見つめる。
アンソニーさんは、先ほどから子狸の肩の上で飛んだり跳ねたりしているハムスターが気になって仕方ない。
もしかして使い魔というやつなのだろうか?
冒険者ギルドはとくにペットの持ち込みを禁止していないが、他者とトラブルを起こすようなら飼い主の責任が問われる。
使い魔の場合はどうなのだろうかと首をひねる。
これといった判例は思い当たらなかったが、ひとこと言っておくべきだろうと視線を戻すと、思い詰めた表情の子狸さんと目が合った。
凄まじい気迫だ。これは尋常ではない。
アンソニーさんは表情を改める。
希少な魔法使いが冒険者になると言うからには、後ろ暗い事情の一つや二つはあるだろうと踏んでいた。
その事情を話してくれる気になってくれたのだろうか――
子狸さんとアンソニーさんの視線が交錯した。
子狸さんは重々しく両の前足を持ち上げる。心臓を鷲掴みにするかのように。
決して大きな声ではなかった。しかし凄むように低い声で吠える。
子狸「萌え萌え……きゅん……!」
――どうだ?
子狸さんはアンソニーさんの反応を窺う。
係員「……?」
アンソニーさんは怪訝な顔をしているが、演技の可能性は捨てきれない。
勇者『……?』
勇者さんも不可思議そうに首をひねっている。
問い質すように王都のひとへと視線を投げると、青いのがびくっとした。
王都『おれはやってない』
王都のひとは無実を主張した。
じっとアンソニーさんの動向を観察していた子狸さんが、ふっと肩の力を抜いた。
子狸「思い過ごし、か……」
勇者『どう思い過ごしたの?』
子狸『ん? ああ。この前、骨のひとがメイド――』
勇者さんの素朴な疑問に、子狸さんはあっさりと答えようとするが、その言葉の先が語られることはなかった。
冒険者たちがどよめいた。
彼らの視線を追うと、そこには黒衣の人物が佇んでいた。大きな外套を羽織っており、まとわりつく黒い霧が身体の輪郭をあいまいなものにしていた。
子狸さんの眼差しがぎらりと鋭さを帯びた。
子狸「迷彩……!」
黒衣の人物がフードの奥で不敵に唇を歪める。
??「まさか魔法使いが居るとはね……」
黒い霧が晴れる同時に、その人物はフードを跳ね上げて外套を脱ぎ捨てた。
そこに居たのは、少女だった。
長い髪を黒い飾り布でひと括りにしている。
深窓の令嬢と言っても通用するだろう可憐な容姿を包み込むその装いは、しかしあまりにも場違いだった。そして黒すぎた。夜を忌避する人間の不安を掻き立てるかのように。
子狸さんが歯噛みする。
子狸「歩くひと……!」
歩くひとは人間とまったく同じ姿をした魔物だ。過去に実在した人物の容姿を写しとる――それゆえに身元を特定された怨霊種の一人。骨のひと、見えるひとの盟友が歩くひとだ。
アンソニーさんが目を見張る。
係員「魔族か……!?」
魔族とは人類と敵対する種族だ。
しかし冒険者たちは動けなかった。
敵かもしれないというだけで刃を向けるには、状況が優位に偏りすぎていた。
見渡せば、両手の指では足りないくらいの戦闘員が揃っている。
先陣を切ろうにも、少女の姿をしたものを躊躇いなく切り捨てることができるという評価が、彼らの将来に暗い影を落とさないという保証はなかった。
勇者『…………』
勇者さんはじっと王都のひとを見つめている。
王都『! 来るぞっ』
王都のひとは勇者さんの視線に気付いていない振りをした。さも大儀そうに子狸さんへと臨戦を命じる。
歩くひとは、まったく動こうとしない冒険者たちに感心したようだった。
しかばね「驚いた。行儀が良いんだね。ボクらの国の騎士とは大違いだ」
皮肉げな言葉に、すかさず子狸さんが返した。
子狸「彼らは慎重なんだ。まだ大胆になれないでいるだけさ」
子狸さんの警告に、歩くひとはにこりと笑う。
しかばね「じゃあ、日が高い内に仕事を済ませちゃおうかな」
そう言って足首の力だけで飛び上がる。
見た目はどうあれ歩くひとは魔物だ。骨格に反した膂力を持つ。
その人間離れした身体能力を間近で目撃した受付嬢が目を丸くしている。
軽々とカウンターを飛び越した歩くひとは、受付嬢が手にしている見慣れない機器をひょいと取り上げた。
受付嬢「あ……!」
しかばね「これは?」
その機器はアザラシと似ていた。
反射的に答えようとする受付嬢を制して、歩くひとは片手を閃かせる。
子狸&しかばね「チク・タク・ディグ!」
子狸さんと歩くひとの詠唱がぴたりと重なった。
骨のひとをはじめとする怨霊種は、騎士級とも呼ばれる魔物だ。彼らの開放レベルは2。簡単な魔法なら使える。
そして同格、同性質の魔法は互いに相殺し合うというルールがあった。
同じ魔法がぶつかるということは、つまり自作自演になるということだ。給料が同じなら、無駄働きするよりも何もしないことを魔法は選ぶ。
圧縮弾の撃ち合いは歩くひとに軍配が上がった。
魔物は、多くの魔法使いよりも優秀な術者だ。歩くひとも例外ではない。
両者が放った圧縮弾は大半が潰し合うが、どうしても撃ち漏らしは出る。
まともな教育を受けた魔法使いなら、圧縮弾はもっとも複雑な軌道をとる投射魔法だ。
撃ち漏らした圧縮弾を、歩くひとは無造作に振るった片腕で叩き潰した。
一方、子狸さんを襲った圧縮弾は歩くひとの比ではなかった。
単純な魔法の撃ち合いでは敵わない。承知の上だ。勝ち目があるとすれば手数が限定される接近戦しかない。圧縮弾は視えている。突進しながら回避運動に移るが――
子狸「ッ……」
子狸さんの退魔性が圧縮弾を目で見て回避しうる域に達していることを、歩くひとは知っていた。
わざわざ逃げ道を用意してあげるほど、彼女は優しくない。
空中でぴたりと停止した圧縮弾が、直角に曲がって子狸さんの鼻先を掠めた。
かろうじて回避するが、急激に進路を変える圧縮弾に身体が追いつかない。
ついに捕まった子狸さんが圧縮弾の直撃に晒されて宙に舞った。テーブルをなぎ倒してごろごろと転がる。
当然の結果だ。見るまでもない。歩くひとは受付嬢に得体の知れない機器の用途を尋ねる。
しかばね「で?」
受付嬢「……魔力測定器です」
しかばね「ふうん……?」
歩くひとはさして興味もなさそうに相槌を打つと、ぐっと受付嬢の瞳を覗き込む。
吐息が掛かるほどの至近距離から見つめられて、受付嬢は思わず漏れかけた悲鳴を抑えた。自然と頬が熱くなる。
歩くひとは綺麗な顔立ちをしている。どこかのお姫さまのようだ。
しかばね「魔力を? それは奇妙な話だね……?」
もう少し詳しく話を聞きたいな……と小さく呟いた歩くひとが、チッと舌打ちした。
子狸「イズ……!」
圧縮弾は猛獣をひるませる程度の威力を持つが、子狸をしとめるには足りなかったようだ。
息も絶え絶えに上体を起こした子狸さんの前足が紫電を帯びる。
発電魔法だ。本来であれば魔物にしか使えない強力な属性である。
子狸「ロッド! ブラウド!」
帯電した前足を子狸さんはばんと床に叩きつけた。
地を這うように走った紫電が冒険者ギルド内を駆け抜ける。
魔法の効果範囲を底上げするとき、いちばん早いのは感染経路を開くことだ。
さらに標的を絞ることで、味方には効果を及ぼさないよう調整できる。
冒険者たちに混ざっていた一人の男が、ゆっくりと腕を組む。
男「……ちっ」
小さく舌打ちすると、紫電に食い破られた迷彩がずるりと剥がれ落ちた。
迷彩の下から現れたのは、骨格標本みたいな魔物……骨のひとである。
騒然となった冒険者たちが、一斉に骨のひとから距離を置いた。
骨のひとは、ぽっかりと空いた眼窩を歩くひとに向ける。
骨「遊びが過ぎたな、リリィ」
リリィというのは歩くひとの本名である。
歩くひとは朗らかに笑った。
しかばね「ごめんごめん。ちょっと甘く見たかな。……けど、同じことでしょ。あなたにとっては」
骨「そんなことは、やってみなければ、わからん」
そう言って、一歩踏み出した骨のひとの手から禍々しくも伸びた魔火の剣が激しく燃え上がる。
気圧される冒険者たちに、骨のひとはゆっくりと告げた。
骨「面倒だ。一斉に来い」
――風雲急を告げる冒険者ギルド。
果たして子狸さんは無事に冒険者になることができるのか?
次回へ続く。
~fin~